原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

もうひとり知ったのが雲居和尚という方だった 彼は甘受の何たるかを知り、蕩減を仏教的に理解していた

雲居和尚という方については、以下のサイトに簡単な紹介があった。

 

雲居希膺和尚(1582〜1659)は瑞巌寺の99世で、中興開山に位置づけられております。現在の愛媛県伊予市の上三谷に生まれ、中村(高知県四万十市太平寺に出家、上洛し妙心寺塔頭蟠桃院の一宙東黙に嗣法しました。

 寛永13年(1636)、仙台藩伊達政宗が逝去し、その遺言で瑞巌寺に住職として招かれました。二代忠宗とその母で政宗正室陽徳院愛姫、姉の天麟院五郎八姫など、一家を挙げて厚く帰依し、物心ともに援助を惜しみませんでした。78歳の生涯に、開創・中興・重興の寺、実に173、法嗣15名。自身も本山再住に任じ、法孫からも多くの本山住持職を輩出いたしました。

本堂落慶記念特別展4 雲居和尚展−没後360年を記念して−|瑞巌寺

 

エピソードにはこんなものがあるそうだ。

 

 

「初雁」より「雲居禅師」P138

 天正10年正月25日、伊予の国の毘沙門堂の前に生まれたばかりの赤ん坊がムツキにくるまって泣いていた。
 赤ん坊は、小方左京兆というれっきとした武士の子だった。左京兆は、一条房家の家臣だった。房家は土佐の国司となったので、ともに移ってきた。房家の子、頼房の代になって臣下の長曽我部に逆意があることがわかって、頼房は伊予に避けたが、そこで病んだ。土佐にあった
左京兆は、その看病に妻を遣わしたが、妻は身ごもっていて、途中男の子を産み落とした。先を急ぐので、赤子を毘沙門堂の前に棄てて、毘沙門天に無事を祈って、先を急いだ。
子どもの母の叔母がこれを聞いて驚いて下男を毘沙門堂に遣した。赤ん坊は無事だった。
母親は「毘沙門天がおまもりくださったのだ」と泣いて喜んだ。
成長の後に、この話を繰返し聴かされた禅師は「わたしは毘沙門天に救うていただいた」と生涯この神を敬った。

 雲居禅師は幼い頃から非常にすぐれた才能を示し、左京兆は土佐の国の神護山太平寺に連れて行った。16歳で雲居は剃髪し、師匠に従って京に出た。19歳から如心寺の一宙和尚のもとで修業を積んだ。
「書物を読むには、まず文字をしらなくてはならない。一字一字の意味がはっきりしなくては、どうして道理に通ぜられようか」
雲居は、常に聚分韻略を懐に、毎日字の数を定めて暗記し、全部覚えた。人が試みに問うと、それは何冊の何丁目の何行目にある、その意味はこれこれと答えるほどの強記であった。

 25歳から雲居は諸国を行脚した。

 寛永10年、52歳の春、雲居はともを連れずに東海道を上っていた。浜松を過ぎて、日は暮れたが、月が出ているのを幸いに歩み続けた。
 男が2人少しの間跡をつけてきたが、いきなり前に立ちふさがって「金を出せ」とおどかした。
「そらこのとおりじゃ」
雲居は自分で帯を解いて、襟を開いて見せた。
「わしは乞食坊主だから何も持っておらぬ」
盗賊2人はきまり悪そうに逃げ去った。その時、雲居は懐に不時の用意のため、1枚の小判を持っていたことを思い出した。
妄語は仏の戒めたまうところである。雲居はすぐに盗賊たちの後を追った。
「おおい、待ってくれい」
2人の賊は、何事かと思って振り返った。見るとさっきの坊さんが、追ってきている。
「今しがたは、嘘をついてすまない。わしは金を持っていた。これだけあった。さあ、遣るから持っていくがよい。わしを許してくれ。」
雲居は盗賊の前に金を差し出した。
しかしそうなると盗賊も手をひっこめてあとづさりするばかりである。こうした尊いご出家の金をとうろうなら仏罰があたらないとも限らない。逆に不心得を詫びるのであった。
やむなく雲居が去ろうとすると、この先盗賊が出ないとも限りませんからとわざわざ護衛して送ってくれた。夜が明けて雲居が2人の盗賊に別れを告げると、2人は地にひざまずいていつまでも拝んでいた。

 寛永11年には雲居の高徳ぶりが天聴に達し、後水尾上皇の御前で仏教に関して諮問に答えた。
寛永13年には仙台の伊達忠宗に招かれて、松嶋の瑞巌寺に入った。雲居は着古しの袈裟に饅頭笠をかぶってスタスタ歩いていったが、出迎えに大勢来ていた仙台の人々はあまりのみすぼらしい姿に雲居和尚と気づかなかったという。

70越して、雲居は旅に病んだ。胸の痛みが去らず苦しんだ。松嶋に帰ろうと、忠宗に江戸で別れを告げたとき、駕籠で行くよう強く勧められたが、雲居は聴かなかった。
途中痛みが起こるときには、野といわず山といわず、うめき声をあげて時を過ごして、痛みが治まると杖にすがって歩いていった。弟子がみかねて馬を雇いましょうと進めたが断った。
「わしは今、前生におかした罪の償いをしている。わしは苦しみを喜んで受けておるのじゃ。」

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実に見事ですね。

だから、わたしは仏教徒が好きなのです。

勿論、本物の仏教徒です。

彼らが書いた真理探求の書物の中に囲まれていると、

とても気持ちがいいのです。

 

まるで彼らの意識の中で一緒に暮らしているような気持ちになるからです。

 

 

 

今日明日にはブログ村の退会手続きを調べて、ここを出ていきます。

皆様のご活躍をお祈り申し上げます。 

 

 


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