原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

家庭連合の教理研究院による江利川会長批判を斬る! 4

まずはじめに、家庭連合の友好団体である勝共連合のホームページから引用してみよう。

敵基地攻撃能力保有の決断を評価する | 国際勝共連合 公式サイト|今こそ共産主義問題の解決を! 2017.12.8

より引用

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 日本の政府が敵基地攻撃能力の保有に踏み出しました。平成30年度予算に、敵基地を攻撃可能な「巡航ミサイル」導入の経費を盛り込む方針を固めたのです。
 国際勝共連合は、政府の取り組みを評価します。

 巡航ミサイルとは、小型の航空機のような形をしており、自らジェットエンジンなどで推進力を得て、目標を正確に破壊することが可能なミサイルです。推進力を持たない通常のミサイルでは、発射後に慣性の法則のみで飛行するため誤差が大きく、遠く離れた目標は攻撃できません。
 これまで日本では、巡航ミサイルによる敵基地の攻撃は、憲法9条専守防衛 [1] に反すると批判されてきました。そのため政府は、憲法違反ではないとの見解を示しつつも、導入には慎重になっていました。
[1] 防衛上の必要があっても相手国に先制攻撃を行わず、侵攻してきた敵を自国の領域において軍事力(防衛力)を以って撃退する方針のこと

 現在のミサイル防衛戦略では、日本に飛来する弾道ミサイルに対しては迎撃を唯一の手段とし、その精度を高めることに取り組んでいます。
 ところが最近では、北朝鮮が技術獲得を急速に進め、迎撃困難なミサイル能力をもつに至りました。安倍政権はこのことを、「新たな段階の脅威に入った」と強く警告しています。日本は迎撃の精度を高める努力を続けていますが、限界もあります。万が一にも日本に核ミサイルが着弾すれば甚大な被害を負うでしょう。そこで国会でも、敵基地攻撃能力を保有すべきではないかとの議論が高まっていました。

 敵基地攻撃とは、決して敵国の国民や中枢部を攻撃することではありません。日本に飛来するミサイルを空中で破壊するのではなく、発射直前に破壊するというものです。弾道ミサイルが発射されると、ブースト・フェーズ(燃焼局面)、ミッドコース・フェーズ(中間局面)、ターミナル・フェーズ(最終局面)という三つの段階を経て着弾しますが、この前の段階、すなわちゼロ・フェーズで破壊しようというのが敵基地攻撃です。敵国にミサイル発射をためらわせる、つまり抑止的効果も絶大です。
 反対派は「日本が戦争できる国になる」「軍国主義の一歩を踏み出した」などと批判するでしょう。しかし、そんな非現実的な批判で国民の生命と財産を危険に晒してはなりません。政府の取り組みは評価すべきです。
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国際勝共連合は日本政府が敵基地攻撃能力を持つことに賛成である。
たとえば北朝鮮にあるミサイル基地が日本にとって危険になったら発射する可能性があるということだ。
勝共グループというタブを「真の父母様を中心に一つになろう」のサイトに増やして、
間違っていると批判してほしいものである。

   

さて、批判文に移ろう。

 

江利川安榮氏による「王冠と銃について」の非原理的な言説 | 真の父母様宣布文サイト

より引用

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(4)お父様の平和思想は、〝銃を持つ〟ことによってなされるのではない
 サンクチュアリ教会における一連の内容を通じて分かることは、彼らは、真の父母様のみ言を自分の基準で勝手に判断し、誤った思想をつくりあげた結果ゆえに、上述のような〝非原理的〟な言動を取っているものと言わざるを得ません。
 サンクチュアリ教会は、真の父母様の願われる方向とは〝真逆の道〟を進んでいる偽りの団体であり、父母様の悲しみと心痛の団体であって、真の父母様に対する孝の心情で歩む団体ではありません。私たちは、そのような非原理的な団体に惑わされてはなりません。
 ところで、冷戦時代においては、暴力革命を正当化し、軍事力を増強することで世界を震撼させたソ連による「国際共産主義問題」がありました。そこで繰り広げられる民主と共産の最終的な戦いについて、『原理講論』は次のように論じています。

 「その戦いには二つの道がある。第一は、武器でサタン側を屈伏させて統一する道である。しかし、統一されたのちにきたるべき理想世界は、全人類が共に喜ぶ世界でなければならないので、この世界は、敵を武器で外的に屈伏させるだけでは決して実現できない。ゆえに、彼らを再び内的にも屈伏させて衷心から喜べるようにしなければならない。そのためには、人間の本性的な欲求を満足させる完全無欠な理念がなくてはならないのである。またこの戦いの第二の道は、武器による外的な戦いをしないで全面的に理念による内的な戦いで、直ちにサタン世界を屈伏させて統一する道である」(552~553ページ)

 真のお父様は、1976年9月18日の「ワシントン大会」を勝利された直後、今度は「モスクワ大会」を開催することを宣言され、次のように語られました。

 「ワシントン大会後、モスクワ大会を宣言しました。そのため、共産主義追放運動を私が展開し、文化使節を通して共産世界のすべての文化活動にブレーキをかけるでしょう。今、その運動を始めています。……皆さんは共産主義者たち以上にやらなければなりません。サタンは、力が弱いときに占領し、攻撃してくるのです。……共産世界は、皆さんが引き受けて闘わなければなりません。……銃剣を持って、力で闘うことはできません。愛をもって闘わなければならないのです。共産主義者たちは、民主世界を滅ぼして共産世界をつくろうとしますが、私たちは民主世界も救い、共産世界も救ってあげる体制をつくらなければなりません」(『真の父母經』679~680ページ)

 このように、武力や軍事力でもって相手(民主世界)を征服し、世界赤化しようと目論んでいた国際共産主義に対してさえも、お父様は「銃剣を持って、力で闘うことはできません。愛をもって闘わなければならない」と語っておられます。
 まさしく、平和メッセージで「今や、『銃や刀を溶かして、すきとくわを作る』時です」と訴えておられるお父様の平和思想が、そこにも表れています。イエス様も、「剣をとる者はみな、剣で滅びる」(マタイによる福音書26章52節)と語られました。
 また、お父様がアメリカのダンベリー連邦刑務所に収監されている最中の1985年5月11日、米国のショー神学校がお父様に対して「名誉神学博士号」を授与したことがありました。ダンベリーに服役中だったお父様に代わって、お母様が「博士証書」を受け取られましたが、そのとき、お母様は次のようにみ言を語られました。

 「夫(真のお父様)は、人種間の相互理解と調和のために身を捧げています。20世紀の最も偉大なアメリカ指導者は誰ですかと尋ねられた時、夫は、それはマーチン・ルーサー・キング牧師であると答えました。抑圧された多くの人々が、憎しみに対して憎しみで報いようとした時代に、キング牧師は、『私たちは、憎しみの代わりに、愛を返さなければならない』と語りました。キング牧師は幾度も幾度も収監され、また信じていたもののために人生を捧げました。……同じように、夫も彼の敵を愛しています。最初から告発人を許してきましたし、アメリカをこれまで以上に愛しています。夫は監獄の中にあって神に感謝しています。それは、神が夫を道具として使って、すべての抑圧と不正に対して闘うように、アメリカ国民を鼓舞しているからです」(「中和新聞」1985年6月1日号)

 マーチン・ルーサー・キング牧師は、〝非暴力〟という敵をも愛する〝愛の武器〟によって、人種差別問題の解決のために身を挺して歩んだ牧師でした。彼の生き方は、同じく〝非暴力〟によってインドの独立を勝ち取っていったマハトマ・ガンディーの生き方と同じものでした。キング牧師やガンディーは、自分の愛する同胞を守り、社会や国家を解放していくための強い決意をもって生涯を戦い抜きましたが、彼らは、銃や武器は持たずに戦ったのです。お父様は、そのキング牧師について「20世紀の最も偉大なアメリカ指導者」であると語られたのです。
 さらに、お父様は、韓半島の南北統一は〝真の愛〟によってなされるとして、次のようにみ言を語っておられます。

 「南北統一が武力によってなされると思いますか。とんでもないことです。共産主義思想とはいっても、神様の愛の中では力なく吸収され、消滅してしまいます。私たちが今までそれが分からなかったからであって、愛する心をもつならば、南北統一は絶対に問題ではありません」(八大教材教本『天聖經』1990ページ)

 「韓国で南北統一がなされれば、世界の統一は自動的になされるようになっています。軍事力、武力を使って統一できるでしょうか。とんでもない話です。軍事力だけならば、私は何でもつくり得る力のある人物です。しかし、軍事力だけでは絶対にできないので、このようにみ言を伝播しているのです」(同、1991ページ)

 以上のように、「銃や刀を溶かして、すきとくわを作る時」であると語っておられるお父様の、その平和思想を知った人なら、「神氏族メシヤ王権即位式」において〝銃〟を構えて写真を撮るなどという行為は、決して行うべきではないと言えるでしょう。
 ところが、亨進様は、銃だけでなく〝必殺〟と刻印された短剣を手に持って写真を撮っていますが、このような姿は、とても「自身で家族や氏族を守るために与えられた権利であり……いつ熊などが襲いかかるやもしれない」という〝決意〟と大きく乖離した〝好戦的〟世界を感じさせるものです。
 私たちは、お父様のみ言や原理から大きく逸脱し、お父様の平和思想に反する言動を取る亨進様をはじめサンクチュアリ教会が非原理的集団として〝先鋭化〟していることを正確に理解し、その誤りを正していかなければなりません。
 サンクチュアリ教会の兄弟たちが一日も早く自分たちの誤りに気付き、真の父母様のもとで共に歩むことができるように、皆で祈って参りましょう。

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要点の部分を列挙すると、

 

 

敵を武器で外的に屈伏させるだけでは決して実現できない

サタンは、力が弱いときに占領し、攻撃してくるのです。

銃剣を持って、力(だけ?)で闘うことはできません。

南北統一が武力(だけ?)によってなされると思いますか。

軍事力、武力を使って統一できるでしょうか。とんでもない話です。軍事力だけならば、私は何でもつくり得る力のある人物です。しかし、軍事力だけでは絶対にできないので、このようにみ言を伝播しているのです。

 

(だけ?)は、私の挿入だが、

上記のお父様の言葉は、いくらかばらつきのある表現ではあるが、

軍事力を完全否定しているのではなく、

それだけでは解決できない、

それだけでは充分ではなく、もっと重要な事がある

というのが趣旨だと思うほうが自然である。

また、上記の勝共連合の主張とも整合性がある。

 

このようなことは、原理講師でなくとも、かっての原研の学生なら

誰でも知っていることだ。

自由主義陣営は共産主義陣営と同等以上の軍備をもって初めて

論争や交渉のテーブルに付くことができ、

彼らを愛でもって自然屈服する道が開かれる。

そういうことではなかったか?

 

だから、お父様は文中で言っているではないか。

 

サタンは、力が弱いときに占領し、攻撃してくるのです。

 

国進様の言葉は、

 

アベルに力があったなら、カインに殺害されなかった。アベルが拳銃を持っていたら、カインに殺されなかった。

 

いったい何処が違うというのだ?

サンクチュアリを批判する前に、勝共との意見調整を急いだほうが良いだろう。

お気の毒に。

 

理研究院ではなく、教理応用院になるべきである。

 

 


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