原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

ヨハネによる黙示録サーフィン 1章から

「万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。」

ローマ人への手紙 11章36節

 

「黙示」というのは、ギリシャ語の「アポカリュプシス」という言葉で、「隠れているものの覆いが取られることによって、中身が見えるようになること」を指しているそうです。

黙示には、普遍性と特殊性があります。

時代を超えて通じる内容と、特定時代に通じる内容です。

また、特定の時代圏のことを指し示す内容ではあっても、

人間の責任分担の5%が全うされないときには、み旨は成就されたとみなされないために、後の時代に同様な事象が繰り返されるようになります。

東洋の儒教圏の人間にとって見れば、易のように、天と地との約束ごとのようでもあります。

 

基本的には小河陽氏の訳を用います。

 

<現在・過去・未来>

 

「現在居まし、かっても居まし、またこれから来る方」4節

 

「全能者にして神なる主、現在居まし、かっても居まし、またこれから来る者が、こう言われる、『私はアルファであり、オメガである』。」8節

 

「恐れるな、私は最初の者であり、最後の者であり、また[現在]生きている者である。」17,18節

 

以上がこの章に出て来る、神様と実体の神様であるイエス・キリストについての表現です。

言い換えれば、独生子の性質です。

この表現は22章にも出てきます。

 

「私はアルファでありオメガである、すなわち、最初の者であり最後の者であり、[万物の]初めであり終わりである。」13節

 

シャボン玉さんが原理原本を翻訳されたものがこれです。

初めのアダムも後のアダムも最後のアダムも一つの「アダムの霊人体」です。

 

<原理原本 原文>

 

원리원본-제2편 창조원리와 타락섭리 - 제1장③

原理原本 - 第2編 創造原理と堕落摂理 - 第1章③

 

제2절 그렇다면 타락의 시작을 알아보자.

第2節 それでは堕落の始めを調べてみよう。​

 

아담 해와가 범죄 하고보니 본래 아담 해와에게 주입하여준

하나님의 근본 자체인 터 즉 생심을 중심하고 장성하여

하나님이 임제할 수있는 터 자체 즉 아담의 영인체는

악을 범한 자체의 몸에 있을 수 없으므로 하나님이 거두심이었다.

 

アダムとエバが罪を犯したので、本来、アダムとエバに注入してあげた
神の根本それ自体であるところ、すなわち『生心』を中心として成長して
神が臨在できるところ、すなわち、『アダムの霊人体』は
悪を犯したその体にいることができないので、神が取り上げられた。

 

 

그런고로 법죄 하기 전에 영인체 자체가 하나님 우편에 계시었다가

제2 아담 격으로 보내심을 받은 그 분이 즉 독생자 예수였다.

독생자라는 명사도 여기에 명백하게 되는 바이다.

죄를 짖기 전 아담의 영이 예수의 영에 주임 받아 오심이 근본 목적이었다.

 

それゆえに、犯を犯す前に、霊人体自体が神の右側におられたが
第二アダム格として送られたその方が、すなわち、独生子イエスであった。
独生子​という名詞もここに明らかにされるものである。
罪を犯す前のアダムの霊がイエスの霊に注入されて来られることが根本目的であった

 

그런고로 예수는 죄를 짖기 전 아담의 완전 성숙한 존재로 나타나서

복음을 시작하심은 무슨 목적이냐 하면

잃어버린 자녀들을 찾아 옮겨 놓고자 함이 근본 목저이다.

 

 

それゆえに、イエスは罪を犯す前のアダムの完全成熟した存在として現れ
福音を伝え始められたのは何が目的かというと
失われた子女たちを探し、移しておこうとすることが根本目的である。

 

그런고로 오날 인간은 원수의 몸에서 구속받고

참부모를 잃어버리고 사니

그 양심적 고통은 이 사실을 알려주는 간접적 자극이다.

 

それゆえに、今日、人間は恩讐の体に拘束され

​真の父母を失って生きているので
その良心の苦痛とは、この事実を知らしめるための間接的な刺激なのである。

 

그런고로 우리는 예수의 품으로 올겨 놓아

하나님을 근본 아버지로 직계혈통 관계를 맺지 않으면 안될 중대 책임이 남아 있다.

이것이 예수님이 오셔서 성사를 완성지 못하였기에

재림의 요구가 되게 되었다.

 

それゆえに、私たちはイエスの懐に移されて
神を根本の父として直系血統の関係を結ばなければならない重大責任が残っている。

エスが来られたが、これを完遂できなかったがために
再臨の要求がされるようになった。

https://yuun0726.muragon.com/entry/43.html

 

 

さて、次もお父様のみ言葉です。

ヨハネの出会ったイエス様との違いは何でしょうか?

 

「神はアルファでありオメガである、原因であり結果である」というのはどういう意味でしょうか。神様は何がゆえに原因と結果なのでしょうか。神様がいなくなれば原因もなくなり、過程もありません。アルファとオメガの中心は何でしょうか。(生の源泉の中心は)男性でもなく女性でもありません。神様でもありません。真の父母でもなく真の愛なのです。

平和の主人、血統の主人 P29

 

同様の内容が天聖経にもあります。

 

 神様は、二性性相の男性的主体だというのです。それでは、その神様は、 誰に似ているのでしょうか。私たちに似ていて、私に似ていて、皆さんに似 ているというのです。同じなのです。それゆえに、「主体格」という言葉は、必ず相対格位を介在させて成立するのです。そのような概念が含まれています。相対格というものを必要とするために、「主体格」という言葉が出てくるというのです。(124-83,1983.1.30)

 

 原理講義をする時、創造原理で、「神様は二性性相の中和的主体としていまし給い、中和的存在になっている」と簡単に言います。中和的主体になっているというのですが、それはどういうことですか。座ってそのまま神様が男性と女性の中和的存在になって、何がおもしろいでしょうか。何を中心として中和するのですか。愛を中心として、中和的存在だということを知らなければなりません。(193-153,1989.10.3)

 

 神様は何を願うのでしょうか。創造をされて、創造理想を完成して何をし ようというのですか。神様ご自身も愛をなそうというのです。神様ご自身が 願うことは何でしょうか。神様は、「原理」でいえば二性性相の中和的存在 です。主体的存在です。このように、ぱっと一言で定立します。男性格を備えた主体的存在だというのです。(149-9,1986.11.1)

天聖経

 

そこで、お父様はイエス様がご自身を定義された内容に対しても次のようにお話されました。

 

私たちの願いは何かというと、神様と同じ位置に立ちたいということです。同位権です。同居権は共に生きるのです。それから同参権です。同参権も同行権も同じです。共に参席し、共に行動するのです。そのようにして、その次には同愛権です。共に愛の目的のために生きるのです。

 イエス様も、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言いました。しかし、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言いましたが、愛の言葉を抜きました。のちの統一教会は、天一国は愛を中心として進むのです。

天聖経 天一国主人の生活

 

エス様は、「私は愛である。」とは言うことができませんでした。

「わたしは道であり、真理であり、命である。」とのみ言われました。

何故だというのでしょうか?

子羊の婚礼を受けることができなかったからです。

殺されて家庭をもつことができませんでした。

夫婦の愛を知りませんでした。

四大心情圏から弾き飛ばされてしまいました。

王の王としてお生まれになったのに、王冠を王妃とともに被ることができませんでした。

 

「私たちをいつも愛し、また自分の血でもって、私たちのもろもろの罪から、私たちを解放した者、そして、そして、彼の父である神に私たちが祭司として仕えるために、私たちを用いて王国を」5〜6節

 

夫婦でなければ、王冠を被ることができないというのです。

どれだけ深刻なことかわかりますか?

論争するのではなく、じっくりと話し合わなければなりません。

お父様があまりにも気の毒だと話さなければなりません。

相手を説得するのではなく、ただただお父様があまりにもかわいそうだと話さなければなりません。

 

 偉大だからといって王の役割は果たせません。王がいるなら、女王もいなければなりません。相対がいなくなる時には、いくら王でもなくなるのです。天地人の道理を知らなければなりません。このような概念は、西洋にも東洋にもありません。なぜでしょうか。堕落したからです。

平和の主人、血統の主人 P23

 

康賢実オモニは勝利されました。

善悪知るの木、賢く実る。

 

康賢実オモニが最近黙示録を引用されました。

 

「私はお前の行いを知っている。お前が冷たくも熱くないことをだ。お前は冷たいか、あるいは熱いか、そのどちらかであってほしいものだ。こんな風に、お前が生温くて、熱くも冷たくもないから、私はお前を口から吐き出そうとしている。

黙示録 3章15〜16節

 

亨進様が最近引用した聖句がこれです。

 

54:弟子のヤコブヨハネとはそれを見て言った、「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。
55:イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった。
56:そして一同はほかの村へ行った。
57:道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。
58:イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。
59:またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、
「まず、父を葬りに行かせてください」。
60:彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。
61:またほかの人が言った、「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください」。
62:イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。
ルカによる福音書9章 口語訳

 

猶予期間が終わろうとしています。
片方だけ王冠をかぶっていても王にはなれません。
王妃にもなれません。
以前韓日祝福であった日本の女性がみ言葉を愛する男性と新たな人生に進まれました。
素晴らしい信仰です。
お父様も康お母様も再婚されました。
 
私は霊界の人と祝福を受けたから私だけが被ればいいという訳にはいきません。
夫や妻に替わる男性や女性に仕えて勝利しなければ、果たして霊界でうまくいくでしょうか?
そのような原理はありません。
 
王冠を奪われてはなりません。
被っているから奪われないというのは迷信です。
被るのはほんの初めの行為です。
 
夜の神様は、男性おひとりの神様で一神教です。
昼の神様は、女性の神様で多神教です。
日本教多神教です。
「和」の文化とは、幾つもの神を受け入れる文化のことです。
カトリック多神教文化です。
母マリアを神にしました。
キリシタン霊界と相対する者は試練を受けます。
家庭連合も多神教です。
未完成で堕落した女を神にしました。
み言葉は両刃の剣です。
家庭連合はパリサイ人のようにみ言葉を自害に用いました。
 
口からは、鋭い諸刃の太刀が出ていた。彼の顔つきは、燦然と輝く太陽のようであった。」16節
 
 :12)というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
:13)そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。
ヘブル人への手紙 4章

 

 
私たち夫婦の王冠がもし奪われていないならば、
先行する世界中の王権の権威がどんどん失墜していきます。
王権交叉が起こってきます。
 
「 そういう基準から見た場合に、理想的家庭は地上に一つもありません。結婚した家庭の伝統基準は、純潔の血統の観点から見たら、めちゃくちゃです。
 西洋の家庭を中心とした王家が、愛の関係でめちゃくちゃです。純潔が、純愛を中心としての価値観がめちゃくちゃ。だから平べったくなってしまいました。」
神様の祖国と心身統一 P34
 
民にるというのです。
 
もしそうでないなら、
その時は我々の王冠が奪われているからだというのです。
霊界に行ったときに、
「いや、あなたの頭には王冠はありませんよ。何も見えませんよ」と
霊人たちに言われるというのです。
 
<空中携挙>
 
 「 見よ、その方が雲に乗って来る。
  そしてあらゆる人の目が彼を見る、
  彼を突き刺した者たちさえも。
  地上のあらゆる部族は、彼のゆえに胸をうち叩いて嘆く。
 然り、アーメン。」
 黙示録 7節
 
エス様が十字架につけられたのは、他ならぬ私の贖罪のためであり 、
エス様に処せられた十字架刑は人類全体の連帯罪。
          ⬇
十字架を勝利して復活したイエス様を救い主として信じる。
          ⬇
再臨されるときに空中携挙があることを信じる。
 
ざっくり語ると以上のような信仰の流れがあります。
 
クリスチャンを見る時、どの段階にいるかわかります。
我々も新約を通過するなら、携挙を実感として理解できないといけません。
内村鑑三にはそれがありました。
 
大母様は霊界から地上の食口を心配されて、もっと「絶対」ということを探求しないといけないと警告されました。
信仰とは絶対だからです。
 
天一国は、韓国でもなければ、日本でもなければ、アメリカでもなく、全世界、いかなる国でもないのです。
 天一国とは、二人。「天」の文字は二人が一つになったという字です。「国」は、王様を王宮に守る所なのです。
 二人とは何かというと、男と女です。心を一つにして、王様の上に立った国が天一国家です。「天」と言えば、「二人」です、二人をつながせて、一つの国です。
 一つの国は、一人一人を願う国ではなく、第三者の主体を中心とした国です。王様です。分かりましたか。男、女が、王様になっていません。
神様の祖国と心身統一 P63~64

 

本当は、この本の題は、「神様の祖国と心身統一した夫婦統一」
なのかもしれません。
 

 

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