原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

間違っているオモニを知りながら、間違ったまま支える愛はフェイク・ラブ!

 :3)ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。

:4)イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」

ヨハネによる福音書2章

 

母マリアはキリスト・イエスを産んだ偉大な女であった。

だが、彼女は御旨から離れていった。

マリアは他人の結婚には熱心であったが、イエス様の結婚については無関心であった。

エス様は人類の真の父母になるべきお方であった。

どんな偉大な業績を残していても、一体それが何になろう?

主様を見失ったなら。

 

 :21)わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

:22)その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。

:23)そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』

マタイによる福音書7章

 

み旨が分からなくなり狂ってしまったマリアを聖母として崇め祭るように、

過程連合は、お父様を捨て去った韓鶴子オモニを支えるという。

お母様に間違いがあったとしても、支えるのが信仰。支えるのが忠誠。

それは本当か?

お父様の椅子は用意されているじゃないかと並べているが、

お父様の家紋は削除して、韓氏の家紋だけ中心にどーんと置いている。

これが夫に一体化している妻の姿であろうか?

彼女の愛も、間違った彼女を正して差し上げない信徒の愛も

フェイク・ラブ!

天の父と真の父を愛さないフェイク・ラブ!

狂った愛だと!

 

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誰を一番愛する道が、天の御心にかなっているのだろうか?

真のアダムのために十字架を背負うものは幸いである。

 

 :37)わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。

:38)また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。

 

:39)自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。

マタイによる福音書10章

 

独生女を支えるだって?

韓国人が歌っているじゃないか?

そいつは、フェイク・ラブだと!

 

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