サタンは何の神でしょうか。サタンは淫乱の神です。ですから、サタンは終末に神様を否定し、神様の教会を否定し、神様の家庭的伝統を否定するのです。このような現象が起こる時が末世だというのです。現在、全世界的にそのようなことが起こっているのですが、共産主義は、まさにサタンの役事によって生まれた主義です。
共産主義は神がいないと否定しています。また、宗教をアヘンだといい、宗教を中心とした家庭を否定しています。これはサタンが宗教と宗教を中心とした家庭を通して、自分を屈服させようとなさる神様のみ旨を知って、共産主義を通して宗教と家庭を否定しているのです。サタンは、神様を否定することによって自分も否定されることを明らかに知っているのです。また、どうせ人間たちは神様に帰ることも知っています。ですから、自分は侍られなくなるので、神様も侍られないようにしようと、神と宗教を否定するのです。このような悪党の親玉がサタンであることを皆さんは知らなければなりません。(一九八一・五・一四)「神様の摂理から見た南北統一」P132〜133
神がいなければ何をしても構いません。
そうでないというのは、単なる相対主義の立場でしかありません。
ですから、神が不在であるとすれば、それこそ天下の一大事です。
人を強姦することも、人を殺すことも、人を食べることも、
二股をかけようが、男同士女同士で愛し合おうが、獣と淫行にはげもうが、
それらを決定的に否定する根拠は、人本主義にはないのです。
人が堕落することによって神と離れてしまったからなのです。
終末が近づいてくればくるほど、すべてのこの世的秩序に破綻が起きるのです。サタンは必ずそうします。父母が子供を見分けられず、子供が父母を見分けられず、夫が妻を見分けられず、妻が夫を見分けられず、国の主権者がその国民を見分けられず、国民がその主権者を見分けられず、すべて二つに分かれるのです。そのような時が来るのです。これは我々が理論的に推理して、そのような世界像を考えることができるのです。
「神様の摂理から見た南北統一」P125
終末には、混沌とした現象が多々見られるようになります。
しかし、それは善悪交差の時でもあります。
サタン主権の罪悪世界から神主権の至善の世界に転換する時を言います。
それゆえ、終末というものは一つの時代が行き、新しい一つの時代が来ることをいうのです。終末になったからといって神様が、創造された日と月を壊してしまい、地を滅ぼしてしまわれたなら、それはサタンのゆえに壊してしまうことになるので、失敗した神様になってしまいます。サタンによって地が汚され、日と月が今まで悪なる人を照らしていただけでも口惜しいのに、そのみ旨を一度も成し遂げられずに壊してしまえば、神様はどのようになられるでしょうか。エデンの園で神様のみ言を信じずに不信して死が入ってきたので、それを復帰するためには、神様を絶対的に信じる一人の人によって、すべての人が信じることのできるみ言を立てて生命圏へと移っていかなければなりません。(六九―一二一)
「神様の摂理から見た南北統一」P121
神が存在しないというのなら、私が神ではないかとなんでも自由に決めて実行できると勘違いするようになります。
人類は進化した霊長類だと威張るなというのです。
天宙を創造した神が存在するなら、その神が立てた天理には先ずもって神が従わざるを得ず、次に人間が従わざるを得ず、万物も従わざるを得ません。
堕落した天使長の後孫である人類は、本当の父である神様のような全体至福主義ではなく、偽りの父サタンの個人主義を推し進めて堕落世界を形成してきました。
今日、堕落した世界では自分の父母を殺した者もおり、あるいは、兄弟を殺した者、親戚や隣人を殺害した者もいます。兄弟同士お互いに殺し合い、あるいは、氏族同士お互いに殺し合った縦的な数千年の歴史的現象が今日になって、いっぺんに横的にこの地上に現れたのです。そのような現象によってすべての人が個人主義に陥っていっています。彼らには神様もありません。親兄弟や隣の人々に何らの関心もない個人主義者、独善主義者となりつつあります。それが今の世界的現象です。
皆さんもすべて個人主義に陥っていた人たちです。先進国家になればなるほど、個人主義の現象が深化されていきます。個人主義者たちは、サタン世界の最も先頭に立った機関車です。彼らの眼中には、国もないうえに家庭も兄弟もあずかり知らず、ただ個人だけがあるのみです。個人主義者たちは、アダムとエバを堕落させた天使長のような思考方式をもった人たちです。
堕落した天使世界では相対関係が許されません。人間が堕落した天使長に似て個人主義者になれば、国を失い、家庭までも失うようになります。自分しか考えられないので、結局はもっているものすべてを失ってしまいます。個人主義現象が深化されればされるほど、分裂の現象が現れます。(五五―一五二)「神様の摂理から見た南北統一」P135
このような世界になってしまっている原因は中心を見失っているからです。
中心を見失って世界は秩序を失いました。
日本を取り巻く無秩序の波は大きく、北韓共産主義の崩壊に伴う韓半島の無秩序化と
その次に来るもっと大きな津波、中国共産主義国家の崩壊に伴うアジアの無秩序化の二つが差し迫っています。
ソ連の崩壊を予言し宣言した文鮮明恵師の「歴史の数理性」であろう。
中国は1949年10月1日→寿命は2019年10月1日を超えられない
このような混沌を収拾するお方が再臨主です。
アメリカの福音派を中心とするキリスト教会は再臨が近いと沸き立っています。
空中携挙されるのだと表明しています。
失われた中心とは 、人類の父母のことです。
真の父母とは文鮮明師のことです。
今日のこの世界はどのような世界なのかといえば、中心がない世界です。そのことを知らなければなりません。世の中にも中心がなく、すべての我々の社会にも中心がないというのです。主人がいないのです。皆さん自身を見るとき、皆さん自身においての中心は何でしょうか。心が主人の役割をしていますか。心が主人ですか。ある時には体が主人の役割をするのですが、それをすり替えなさいというのです。
これが混乱した世の中です。世界が行き止まりの壁にぶつかってあえいでいる実状を我々は眺めているのです。これをどのように解決するのでしょうか。この問題は考える人、あるいは、世界を指導する人たちが至急に解決しなければならない問題です。その解決法案は哲学者の中で現れ、科学者の中で現れるでしょうか。哲学者の中では現れません。科学者の中にも現れません。また、経済学者の中にも現れません。これはほかに方法がないのです。人類の父母の心情を代表できる基盤を通してこそ、現れ得るのです。(八五―三一六)
終末に門を開放できるのはいかなる主義でもなく、思想でもなく、また人間でもありません。ただ神様だけです。そして、この門を開放するために主が来られることをはっきりと知らなければなりません。堕落した人間がどんなに忠誠を尽くしても、解放する道理(方法)がないので、天地の法度のすべてのみ旨を奉じてこの門を開放できる主人が来なければならないというのがメシヤ待望思想です。(一六―二三四)「神様の摂理から見た南北統一」P138〜139
淫乱の神サタンは、世界中を席巻して人類を所有すべく淪落のかぎりを尽くしてきた。
サタンは天国の雛形が家庭にあり、天理の雛形も家庭にあることを知っていた。
遂に彼は真の家庭の破壊工作に勝利した。
天の父の体であるアダム➡後のアダムのイエス➡第三のアダム文鮮明再臨主へと
天父思想と天父文化を築くみ旨を破壊した。
究極のフェミニズムとして独生女神学は現れ、男女主管性転倒思想を誉進が支持し、
世界会長も女性の善進が担当している。
そもそも御父様によって後継者として指名された亨進様は世界会長であったが、
たかだか女性連合の総裁でしかなかった韓鶴子に解任する権限があるのでしょうか?
文総裁と韓総裁とでは意味が違います。
韓鶴子はすべての機関のトップではありませんでした。
「アボジは原罪をもって生まれました。
無原罪でこの地に生まれた独生女に出会うことで
アボジは原罪を脱ぐことができたのです。
アボジは私に出会う以前に誰とも結婚すべきではなかった。」
これが家庭連合の新しい三位一体だとか
天地がひっくり返ってしまいました。
韓鶴子の犯罪によって、サタンを中心としたワンワールドオーダーという
世界的な新秩序が勢いをつけてしまいました。
そこで、彼らと第二代王亨進様が戦うことになりました。
少しこの世の話を見てみましょうか。
日本でもLGBT賛同の風潮が広まっています。
同性愛は芸能界や芸術の世界のお家芸でした。
ところが最近はわれわれの身近に迫ってきました。
知識人が堂々と宣言し始めています。
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愛する人との生活は幸せだ。でも、それを公表できない人もいる。例えば、同性同士で暮らす人。残念ながら、偏見を持つ人は今もいる。
【画像】カミングアウト、どう受け止める? 私の場合
でも、本当はそんなのおかしい。勝間和代は少し緊張した声で話し始めた。【BuzzFeed Japan / 古田大輔】
「私は一目惚れするタイプでは全くないんです。最初に会った印象も、あんまり覚えていない。人のことをよく見て気を使う人だな、ぐらいでした」
しかし、気がつけば惹かれていた。レズビアンであることを公表し、堂々と生きる彼女の姿に。
そしてそれは、ずっと昔に蓋をした自分の気持ちに、向き合うことに繋がった。
当時最年少の19歳で公認会計士2次試験に合格。学生結婚し、21歳で出産。子育てしながら在学中に働き始め、卒業後はマッキンゼーやJPモルガン証券などでキャリアを積んだ。
2007年の独立後は、女性の生き方や働き方などについて矢継ぎ早に本を出して売れっ子に。「カツマー」と呼ばれる熱心なファンも生まれた。
学生結婚を含めて2度結婚と離婚を繰り返し、3人の子どもがいる。
ワーキングマザーにして、ベストセラー作家。明快な論理でマシンガンのように言葉を乱射し、目標を達成していくパワフルな女性。
これが世間のイメージだろう。
思うままの人生に見える勝間だが、封印してきた思いがある。それが、同性に対する恋心だった。
「高校のときも、大学のときも、女の子を好きになる感覚はありました。でも、ダメなことだ思ってました。男性も好きになるし、女性を好きな気持ちには蓋をしないといけない、と」
同性を愛する人、両性を共に愛する人、違う性を生きたいと願う人。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をとったLGBTという言葉は近年、広く知られるようになった。
しかし、1968年生まれの勝間が10代だった頃には、LGBTに関する情報は少なかった。女性にも惹かれる気持ちに困惑しても、大きな本屋の専門書コーナーで立ち読みするぐらいしかできなかった。相談相手もいなかった。
最初の結婚をし、子どもが生まれ、働き始めると、悩む時間もなくなった。
「子どもと仕事で手一杯でした。いま思うと、無意識にそういう情報を避けていたのかもしれません。知ると、混乱してしまうから」
気持ちに蓋をしたまま、勝間は着実に成功の階段を登った。
2006年に出した初の単著「インディでいこう!」で描いた女性像そのままの独立した(インディペンデントな)ワーキングマザーとして、テレビでも盛んに取り上げられるようになっていく。
その女性のことを知ったのは、2015年12月。高校の同窓会でのことだった。
雑談の中で恩師が、その年の11月に渋谷区の同性パートナー制度第1号になったのは、この高校の卒業生だと口にした。
そんな子もいるんだ。そういうニュースもあったな、と軽く聞き流した。
1ヶ月も経たないうちに、友人がフェイスブックにあげた写真に、その女性が写っているのを見つけた。
この人知ってるよ、高校の後輩なんだよ、と何の気なしに書き込んだ。
その友人の紹介で、勝間は増原裕子と知り合った。
増原はレズビアンであることを公表し、LGBTに関する情報を発信する企業「トロワ・クルール」を設立したアクティビストだ。同性パートナーシップ1号の登録相手である東小雪と公私共に活動していた。
増原にとっては、勝間はその著作を読み、働き方について学んできた尊敬の対象。東と共に勝間の家の食事会に招かれ、勝間が運営するサロン「勝間塾」にも参加するようになった。
勝間にとっては、ほとんど知らなかったLGBTの世界。増原に誘われ、日本最大のLGBTイベント「東京レインボープライド」の見学にも行った。
LGBT当事者や、その存在を理解し、支え合う仲間たちが集う祭典。渋谷の街を行進するパレードにも参加し、多様性の素晴らしさを訴える列に加わった。
「パレードのことも全然知らなかったんです。日本も随分変わったんだって、驚きました。開放的で、みんな、楽しそうで」
勝間塾でも増原が入ったことをきっかけに、LGBTに関するセミナーを開いた。すると、メンバーの中で「実は私も」と当事者であることを明かす人が出てきた。
2015年の電通ダイバーシティ・ラボの調査によると、LGBTを含む性的少数者に該当する人は、調査対象者の7.6%。13人の1人の割合だ。左利きの人や、AB型の人と同じくらいいる計算になる。
特別なことでもなければ、隠すことでもない。そして、世界では続々と同性婚が合法化されていく。そういうことを、勝間は増原を通じて学んでいった。
2人の転機となったのは、2017年12月。増原は東と「離婚」し、パートナーシップを解消した。
翌年の1月、勝間は増原に自分の気持ちを打ち明けた。出会ってから2年が経っていた。そして、2人は一緒に暮らし始めた。
料理も整理整頓も得意な勝間が、家事の大半をになう。増原は食器の片付けや花の水やりなど細々としたことを担当する。
穏やかで、平凡で、幸せな生活。「男性と暮らすのも、女性と暮らすのも変わらない」と勝間は言う。
でも、一つ大きな違いがある。それは女性と暮らしているということを公表するか、ということだ。
恋愛に関する本も書いてきた勝間は、これまで自分の男女交際についてもオープンに語ってきた。しかし、女性との交際となると話が違った。気にかかるのは、家族の反応だった。
交際を始めるときに、家族には打ち明けた。見守ってくれている家族には、影響が出ないようにしたい。
勝間のセクシュアリティを定義するならば、男性も女性も恋愛の対象になる「バイセクシュアル」や、性別に関係なく人を好きになる「パンセクシュアル」かもしれない。
彼女はそうやって自分を定義づけることにあまり関心がない。人生において、男性を愛したこともあり、今は増原を愛している。愛したのは、その個人であり、性別ではない。
でも、世の中には、離婚した女性の再婚は祝福しても、その女性が同性と暮らすことには批判的な人もいる。
「自分のことだけだったら、もっとはっきり言えるんです。でも、それだけじゃないですから」
友人たちにも増原のことはほとんど話さず、お互いに撮影したり、二人で一緒に写ったりした写真はネットにアップしないようにした。
同性を愛しているということ、一緒に暮らしているということを秘密にするのは大変な作業だ。写真をアップしないだけでは止まらない。
勝間の仕事場でもある家に人が来るときには、増原は隠れなければいけなかった。二人で食事をするときも、交際がバレるのではないかと気を使う。
そして、それぞれの分野で公に活動する二人が交際していることは、遅かれ早かれ、気づかれる可能性が高い。
増原の紹介で知り合ったLGBT当事者たちは、堂々と自分らしく生きていた。その姿が眩しかった。
「いつまでも黙っていたら、友達に紹介もできない。旅行にもいけない」
それは、自由に、自分らしく生きられないということだ。カミング・アウトして、自由に、自分らしく生きる。愛する人と一緒に。
私は同性を好きだって、わざわざ公表をしないといけないって、本当は変ですよね。私は左利きですって、いちいち公表しないのと一緒で。
でも、LGBTのカミングアウトには勇気がいる。それこそが、偏見や差別が残っている証です。
私も同性を好きになる気持ちに蓋をしてきました。自分の中の無意識の規範概念があったと思います。それを超えると、何が起きるのかわからなかった。
でも、今は規範概念にとらわれて自分らしさを出せていない人に言いたい。同性を好きになってもいいんだよ。そのことに罪悪感を感じる必要はないんだよ。
LGBT当事者に対する反応でよくあるのが「普通じゃなくてもいいじゃない」。だけど、同性愛は異常でもない。普通という概念を広げよう、と言いたいです。
こういう風に思えるようになったのは、裕子さんだけじゃなくて、自分らしく生きているLGBTの人たちに会って、すごく素敵だったから。
私は裕子さんがいてくれたから、こうやってみんなに公表しようという気持ちになれた。でも、多くの人はそうではないでしょう。その人にも伝えたい。仲間はたくさんいるんだよ、ということを。
すぐに何かが変わるのは難しい。私も裕子さんに出会って、数年かけて、心の氷が溶けてきました。このインタビュー記事が、誰かを元気づけて、何かのきっかけになればいいなと思います。
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同性愛は男同士なら、一人は男役でもう一人は女役になります。
同様に、女同士でも、一人は男役でもう一人は女役になります。
同性愛は同格愛ではなく、サタンを中心とする疑似男女愛です。
このことは、本来的な男女の愛の関係の失敗を意味します。
それゆえ、これを埋め合わせるに足る状態を同性間によって築こうとするものです。
韓鶴子が真の父である文鮮明師に反逆する思想と行動を家庭連合に定着させ、
この堕落エバを擁護するためすべての会員は彼女の天宙的な犯罪行為に加担することになりました。
善悪交差が進行して、神の支配する王国がやって来るどころか、
サタンが堕落エバを通して悪の王国を築くことに拍車をかけています。
家庭の倫理の根本であった真の夫母の決裂は、
世界中に淫乱の嵐を巻き起こしています。
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