原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

見えるかな?益村公俊による日本歴史

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益村公俊著 「日本の希望」より

 

随分影が入ってしまっていますし、読めないかもしれませんが、所謂三本線の同時性を氏によって形成されたものです。

 

益村氏の切り口は、「福地主権」や「福地化」などの言葉によって示されています。

 

「神は、いまだかって御心にかなう主権をこの世界に打ちたてたことがない。御心にかなう主権とは、神の摂理に動じ静ずることができる人物(聖雄)が国政を領導する福地主権のことである。それは完成福地化の段階、いわば歴史の終結における主権の可能態である」

 

要するに益村氏の関心は、神主権の復帰です。

過去の歴史が、その目的に向かって現在に向かって流れてきて、では、私たちとどのような関係性があるのかを語ってくれていることが、多くの兄弟を刺激したと思います。

先日のブログで語った方向性というか方針というか、歴史分析においては何よりそれが重要だと考えていることをお話いたしました。

そうでなければ、単なる一般の歴史研究家の仕事とさほど変わらないと思えるからです。

そこで、統一原理、すなわち原理原本なり、原理解説、原理講論、統一思想、勝共理論などを駆使して全体観に立って、解説されることが望ましいと語りました。

 

天皇陛下の最近のご発言や、安倍総理憲法改正などに対しても、歴史的見地からこうなるべきであろうというような見解が期待されるわけです。

憲法改正なら、日本会議という団体があるようです。

最近知りました。

たとえばこの運動の長所はこれこれだが、問題もある、摂理的にはこうだということも出てきましょう。

憲法改正なら、象徴天皇をどうすればよいのか?

 

とにかく現実の現在の情勢の判断に何らかの示唆を与えてくれて、はじめて我々にとって価値が示されるわけですから、益村氏の研究成果を相続されることが有益ではないかと考えました。

 

言い出した責任上、少し長いのですが、益村氏の「日本の希望」の序章を紹介いたしましょう。

 

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 神は、いまだかって御心にかなう主権をこの世界に打ちたてたことがない。御心にかなう主権とは、神の摂理に動じ静ずることができる人物(聖雄)が国政を領導する福地主権のことである。それは完成福地化の段階、いわば歴史の終結における主権の可能態である。

 日本歴史における社会発展については、『歴史の見方・社会の見方』の第二部第二章で詳しく論じたように、天武朝改新(670年代)までの氏族社会、明治維新(1868年)までの封建社会、戦後占領体制(1945年)までの絶対主義社会(君主社会)、敗戦後今日までの戦後民主主義社会の四段階に区分することができるが、日本歴史を福地化行程としてみるとき、大きく三時代に区分できる。仏教が公伝され、その仏教が氏族的段階から民族的段階へと飛躍し、政治史サイドにおいて律令化によって古代国家としての形態を完成した古代福地化時代(蘇生福地化時代)、天武朝改新から坂本龍馬西郷隆盛らによる大政奉還までの中世福地化時代(長成福地化時代)、さらにプロテスタント公伝から福地主義革命までの近代福地化時代(完成福地化時代)への三段階発展がそれである。では過去二度の質的不連続な政治革命を通して日本歴史はどのような発展を遂げてきたのであろうか。

 まず、文明サイドから考察するならば、大化の改新律令化あるいは明治維新の近代化に基づく強固な政治システムの再編がみられ、文化サイドからいえば、天武朝における大乗仏教の浸透に基づく東アジア文化圏への日本の参加、あるいは、維新期におけるプロテスタンティズム文化の伝播と普及に基づく欧米キリスト教文化圏への日本の参加にみられるように、高次の文化圏への日本文化の融合が見うけられる。このような歴史経験に鑑みるとき、歴史の趨勢は、より強固な統一政権の確立と、より高次の文化圏の融合という、二つの主題をもっていることがわかる。その二つの主題は、さらに福地化という人類歴史に共通した主題に吸収されなければならない。そのキーステーションが、高等宗教の政治システムへのミッションである。

 ときに、日本の政治システムは天皇の権威と不可分である。ゆえに、神の摂理天皇の権威を通してミッションを展開する。そして、神は天皇に対して特別の祝福を授け、キリストの権威を代理せしめ、国民の崇敬を集中する位置を与えられた。あたかもそれは、イスラエルの大祭司、中世キリスト教界の法王にも比すべき立場であった。過去の実権者は、いかなる英雄であろうとも天皇の御前には赤子にひとしくなった。戦国の下克上の修羅場でさえ、群雄たちは有名無実の天皇を擁して覇を争ったほどに、天皇家への血統崇拝は日本人のコンプレックスとなっていた。では、天皇をキリストの型であるとみなすならば、天皇の本質とは何であろうか。

 天皇の基本的性格を問うとき、歴史上における天皇の性格を規定する必要があろう。しかし、現実の天皇の性格には多様性、変容性があって、その本質に迫ることはかなり困難な面がある。従って、古代人がその潜在意識を吐露した古典、とくに古事記などのうちに古代人の天皇観が表白されている点に注目し、古事記を通して天皇の基本的性格=本質に肉迫するとき、天皇の本質が祭司性にあって執政性にないことが分った。これについては、補章「天皇大祭司論」に詳しく論じられているので並読して頂きたい。要するに、日本の天皇は、キリストの大祭司性を代理する存在である。ゆえにこの天皇がキリストを迎えることなくして日本の福地化もありえないことを銘記したいのである。

 さて、日本歴史の福地化起点とは一体何であろうか。それは、高等宗教であるところの仏教が伝播された538年である。以後、古代福地化時代となるが、古代福地化のスタートに呼応するように、539年、ほぼ40年近い皇統の分裂にピリオドが打たれ欽明統一王朝が成立しているのは偶然の暗号であろうか。いずれにせよ、538年から539年において、文化・文明両サイドのシステムが整備され、福地化の構造が形成されたとみて異存はないであろう。

 538年〜9年を日本歴史の福地化起点とみなすならば、その終点とは何であろうか。この福地化終点は、日本歴史において独自的に予定されるものではない。なぜならば福地化終点は、少なくとも太平洋文明時代に位置するからである。従って、日本歴史の福地化終点は、日本歴史において独自的に予定することはできず、太平洋時代の枢軸国(日本、中国、アメリカ、韓国)相互の調整によって予定されるものである。このような前提に立って、日本、中国、アメリカ、韓国の諸国史を研究し、21世紀ゴールを洞察するとき、これらの国々の福地化歴史がすべて1980年をめざしていることが分かった。そしてこれらの事実を統合するとき、太平洋文明時代は1980年初頭に到来し、21世紀の中和文明時代を準備するにちがいないという解明的霊感をうける。

 このようなわけで、日本の福地化行程は、540年から1980年までのほぼ1440年の期間を中心に展開する。1440年は、基本的には12次の120年の行程とみることができる。120年は前期60年と後期60年に区分され、60年は三次の20年行程に分期され、さらにその20年は7,7,6年の三時期に文節される。要するに、7年毎、20年毎、60年毎、120年毎に福地化の転機が訪れるわけである。しかし、以上のプログラムの予定は、理論上の予定であって必ずしもそのごとくには展開するということではない。福地化行程は、挫折と失敗を反復することによって、結果的には変則的ともいえる基本周期の組み合わせを展開することも予想される。このような非決定的なファクターを前提として史実を考察し、同時代紀を作成するとき、第二次の120年は10倍の原則によって1200年に延長し、120年、1200年、120年の三段階行程となっていることが分かる。

 ともかく、福地化行程は、120年を基本周期されてゆくのではあるが、この120年、1200年、120年の三時代には、共通した周期の組合わせがあることが分かったのである。まず、120年を例にとると、120年の行程は前期60年と後期60年に区分される。そして、前期と後期の中間点に際会すると、古代なら古代福地化のヴィジョンが、中世ならば中世福地化のヴィジョンが、その時代の中心人物を通して民族と国家の行く手に投ぜられる。たとえば、古代では聖徳太子の十七条憲法、中世では日蓮立正安国論、近代では内村鑑三の再臨神国論がそれである。これらの福地化ヴィジョンは、時の政治システムの中心者を通して具現化されるべきものであるが、中間点で失敗すれば、さらにそのヴィジョンは60年後に託される。では、以上のフレームワークを前提として、日本歴史の福地化行程を調べてゆくことにしよう。

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こうしてまた読んでみると、人間の責任分担を意識している記述があることが分かる。 

 中心人物の役割や数理性についても独自の見解がある。

なによりも、この文章を読めば復帰原理が基底にあって、著者がどのように歴史理解に

応用しようとしているかが誰にも伺えるだろう。

くるとさんも益村公俊氏の優れた研究を踏まえて、さらに1980年以降現在の歴史的理解について、貢献されることを祈るものである。

 

先生は日本人には姓がなかったと言った。

昭和天皇は自分の祖先が金海金氏だと語っている。

日本は血統を重んじる民が日本に移り住んで、天皇として中心に存在し続けたことによって、神のいくらかの祝福を受けることが可能となり、繁栄してきたのかもしれない。

 

歴史の話はひとまずこれで終わりにすることに。

 

 

 


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