原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

堕落したカトリックと異端家庭連合の類似性をこの動画で見てみましょう

www.youtube.com JAPAN SOSTV 2017/02/10 に公開

 

さて、以下には動画で語られている内容のおおよそを文字に起こしてみました。

動画をご覧になった方が、もう一度重要な点を文字で確認できればと思います。

時折、青い文字で書かれている文は家庭連合との対比のために、私が挿入したものです。

サンクチュアリの方の中には、隠れキリシタンや、列福式などに関心がある方もおられるでしょう。

しかし、その本体がどのような存在かも知っておくべきでしょう

遠藤周作の「沈黙」という小説の基底に流れる彼が期待する神観も

良く言えば、善と悪を包容する女性的な、母性的な神の愛ということであろうし

悪く言えば、善悪を分別することができない、雑多混交の神、多神教であるように思われます

日本教は神や原理原則よりも、人間や情況を優先する傾向が強い。

隠れキリシタンは、ある距離を保ちながら見るには良いかもしれないが

もし彼らと一体化しようとするなら、たちまち彼らの霊界に取り込まれ

われわれは統一原理によって知ることができた神を

少しづつ見失うことになろう

原理講論には、何人かの代表的クリスチャンが登場するが

いったい彼等を差し置いて隠れキリシタンを求める必要があるのだろうか?

さらにいっそう

われわれは故郷に縁のあるキリスト教精神を知ることよりも

エス様が生きた天の故郷の精神を求めたいものです。

 

また、チャクラに関心のある方もいることでしょう。

これにも一定の距離を保てればよいのですが

関心を持てば強い引力に引っ張られていきます

その霊界に取り込まれます

そこは天使長の世界です

 

われわれは常にわれわれが関心を持ち遭遇するものと

私自身についてどのような関係を築くかによって

私たちの信仰の中心に心情を求めようとしているのかを問われ

あるいは試練を受けています

 

偶像崇拝の誘惑はいたるところにあります

ここはサタン世界だからです

 

この世の人々も韓国が滅亡するのではないかと心配しています。

異端家庭連合では、女王神のオモニがいるから大丈夫だと安心しているようです。

本当に大丈夫でしょうか?

霊人体の永遠の命を失ってしまわれたオモニですが、かっての栄光のことを思うと

オモニべったりの徳野や大塚は、せめてオモニの肉身の命を守るべく、

早急に日本に長期滞在をしてもらうよう働きかけるべきでしょう。

万一のことがあり、オモニの悔い改めの機会を失えば、一体どうなるというのでしょうか?

 

この動画は、いかにカトリックの信仰や伝統と文化が、イエス様のそれと違っているかを画像という確定事実でわれわれにまともな判断を導こうとしています。

 

アボジのアダム文化をオモニの堕落エバ文化に変質していったのが、

今日の異端家庭連合の偽らざる姿です。

カトリックや日本に崇拝されている隠れキリシタンもその系譜です。

われわれが意識すべきは、彼等ではありません。

せめて原理講論に登場するような、アウグスチヌスやルターやウェスレーにしてほしいものです。

アウグスチヌスの相対者は誰でしたか?

霊界にはアボジを慕う多くの成約聖徒がいます。

彼等は、神の意志と神のみ言葉を知っています。

我々の活動は、本質的に彼等と結びついています。

神様とアボジの心情を知っている者たちと一体化しなければなりません。

 

この動画では、プロテスタントの立場から反キリストを教皇権であるとしています。

彼等が実際には何を信じ何を崇拝しているのか?

キリストなのか?

マリアなのか?

マリアならその信仰の対象であるマリアとは何のことか?

ヨハネの黙示録から、解説者は何を学んだのか?

それはどうカトリックに適用されうると考えたか?

さらに今日の混迷を続ける家庭連合の根本問題とそれはどう関係しているのか?

われわれはしっかりと判断して、アボジのみがメシアであり、キリストであり、再臨主であることを公言する、正統な第二代王であられる亨進様と国進様に繋がらなければなりません。

 

女王が最終的キリストなのか?

アボジに従わず出ていった顕進様がキリストなのか?

 

キリストに従わなかったら一発でアウトです。

エス様なら「サタンが入った」と言うことでしょう。

 

解説者は、「これはカトリックだけの問題ではなくて

プロテスタント教会教皇の忠実な手先になって力を尽くしている」

と警鐘を鳴らしています。

 

韓国崩壊の日が近づいています

それはオモニ家庭連合の崩壊を意味してもいます

信仰難民がたくさん流れてきます

彼らが神の前に悔い改めるなら、彼らを迎えることを、

アボジは心待ちにしておられるでしょう。

 

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:3)その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い

黙示録13−3

 

:1)それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。 :2)地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。

黙示録17−1〜2

 

:2)彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。

:3)すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。

黙示録18−2〜3

 

大いなるバビロン=教皇

大いなるバビロン=女王権

 

 「それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。」

 

清平もまた、そうなりました。

 

「実際、宗教改革教皇権がまさに大淫婦、大いなるバビロンであるという事実を悟ったことから初められたのです」

 

「すべての芸術に中立はない」

世界的な美術史学者 オランダのハンス・ロクマーカー

 

絵も彫刻も必ずその時代と作家の思想の表現だということです。

 

サン・ピエトロ教会の聖画をみるとカトリックの背後が誰なのかがわかる。

エキュメニカル運動も慎重に見なければならない。

 

さあ、反キリストの正体とは何か?

 

キリスト教信仰の中心は神殿ではなく聖書です。

建築物としての神殿の概念ではなく、聖書を中心とする集会にシフトした。

だが、その中でキリスト教が異教ローマと密かに手をつなぎ

ローマ・カトリックに衣替えをした後

教皇ユリウス二世のとき、現在バチカンにあるカトリックの総本山、

サン・ピエトロ聖堂を建築します。

1506年から1626年に渡って120年間かけて建築された。

 

その資金調達が免罪符の発行です。

「お金がチャリンと箱の底に落ちると、すぐに苦痛を受けている魂が煉獄から飛び出す」

 

「大いなるバビロンは・・・悪魔の住むところ」

聖書ではお墓。

大聖堂の地下もお墓。

カトリックは遺骨崇拝の心を尽くします。

 

トレント公会議(1545〜1563)で、遺骨崇拝を教理化しました。

「聖なる殉教者たちの尊い身を崇拝しなければならない。神様がこの身を通して人間に多くの祝福を与えてくれるからだ。」

カトリック百科事典 Catholic Encyclopedia 第12冊、P734 「遺物」)

 

枢機卿の墓のドクロや聖堂外部装飾のドクロが物語っている。

歴代教皇リストの下の彫刻はギリシャ神話のメデューサです。

髪が無数の蛇になっている蛇女です。魔女です。

彼女が歴代教皇を支えているのです。

 

ローマ・カトリックの総本山サン・ピエトロ大聖堂の所有者はです。

 

:9)この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。

黙示録12−9

 

門を開けると龍の装飾が待っている。

教皇グレゴリー13世の墓からは龍が出ている

いたるところに龍の装飾や絵画があります。

Vatican=Vati(Divine)+Can(Serpent)

つまり、占う者、神聖な蛇です。

 

 バチカン美術館で成人として崇められる女性たちが、 獣に乗っています。

 

:3)御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。

黙示録17−3

 

龍はサタン

 

四匹の龍が昇天しているここを

「バルダキノ」と呼びます。

これは、「神の御座覆う所」という意味です。

 

baldacchino

ペテロ聖堂の心臓部にある

主祭壇

高さ38m(8階の高さ)

古代及び中世に神の王座を

隠す意味で制作

エジプトの太陽神Amun-Re

の神殿を真似て制作

 

古代エジプトの太陽神アムンレの神殿から由来

 

古代ローマパンテオン神殿(多神教神殿)

バルダキノを作るために調達されたのは

まさにパンテオンの屋根であり、この青銅を溶かしたものです。

 

つまり、異教の神々がペテロ聖堂の中にそのまま入っているのです。

悪魔の住む所であることが明らかになりました。

 

ローマ皇帝が礼拝した祭壇ですが

サン・ピエトロ聖堂のバルダキノと同じ形の祭壇があります。

ローマは滅亡せず、ローマ・カトリックとして姿を変え今日まで存在していて、

教皇ローマ皇帝よりもさらに大きな権力を誇っています。

 

中国の創造の女神、ボッキとヨワですが、中国神話で天地創造は女神ヨワがしたと伝えられています。

聖書の7日の創造とヨワの創造の順番は似ています。

ヨワは創造しただけではなく結婚制度も作ったと言われます。

サタンが創造主を真似したのです。

このボッキとヨワの胴体は蛇です。

この創造主は蛇 すなわちサタンだというのです。

しかも、定規とコンパスを持っています。

これらはフリーメイソンの象徴です。

女神に仕えるすべての異教は同じ根だということが分かります。

 

独生女に仕える家庭連合も異教です

 

マリアのスカートの中から蛇が出ています。

マリアは蛇に乗っている女神です。

カトリックでは女の子孫が足で蛇の頭を砕くことの象徴だと反論しますが

実際に蛇の頭を砕くのは女性ではなく女の子孫のキリストです。

女神マリアが蛇の上に立つのは聖書的な根拠がなく

マリアが蛇の頭を砕いている絵や彫刻ではなく

女神マリアのスカートの中から

蛇が出ているものばかりです。

 

それはまさに聖書の言葉通り、獣に乗っている女です。

 

エジプトの神で蛇と太陽は欠かすことができません

特に羽の付いた太陽蛇ウラエウスはエジプトの代表的なシンボルです。

ファラオ王冠にあるコブラのシンボルを一度は見たことがあるでしょう。

 

以降、動画は膨大な証拠写真を見せます。

 

2014年8月 教皇が韓国を訪問しました。

そして光化門(クァンファムン)広場で列福式をしました。

その祭壇の形がエジプトの太陽神そのままでした。

異教祭司が翼のついた太陽蛇の前で祭祀を行う姿で

教皇が座る椅子にも太陽がありました。

蛇、太陽、女神は、エジプト文明からきたものです

このカトリックの伝統は数千年続いてきました。

ローマ・カトリックの根本はエジプト宗教です。

 

列福式だと騒いでなんだというのでしょうか?

ましてや隠れキリシタンを崇拝してどうするというのでしょうか?

 

偶像崇拝の本拠地エジプトは今日バチカンに代替されており

 エジプトのファラオが教皇という形でそのまま継承されたのです

 

:2)彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。

黙示録18−2

 

:13)鳥のうち、次のものは、あなたがたに忌むべきものとして、食べてはならない。それらは忌むべきものである。すなわち、はげわし、ひげはげわし、みさご、

:14)とび、はやぶさの類、

:15)もろもろのからすの類、

:16)だちょう、よたか、かもめ、たかの類、

:17)ふくろう、う、みみずく、

:18)むらさきばん、ペリカン、はげたか、 :19)こうのとり、さぎの類、やつがしら、こうもり。 

レビ記11−13〜19

 

サン・ピエトロ聖堂は、ふくろうなどの彫像でいっぱいです。

 

第三の目(the third eye) ,松果体(epiphysis cerebri,daisannno pineal gland)

 

第三の目と呼ばれる松果体をご存知ですか?

バチカン庭園には、地球で最も大きな松かさが建てられています

バチカン内部の随所にも松かさがあり、教皇の杖にも松かさがついています

松かさとは何でしょうか?

なぜこのような偶像をいたる所に置いたのでしょう?

 

教皇の杖だけではなく、エジプトの神オシリスの杖にも松かさがついています

バッカス神の杖にも松かさがついています

古代シュメール神話や

仏の頭が松かさの模様です

ヒンズー教、エジプト神話、ギリシャ神話、ローマ神話カトリックイスラム教、マヤ文明

すべての宗教でこの松かさの崇拝が行われています

 

一体松かさとは何でしょう?

脳の中に豆粒大の松果体というものがあります。

松の実の形に似ているので「松果体と呼ばれています

これは解剖学的な名称ですが、多くの宗教では「第三の目」と言います

中国では、天の目と呼ばれ、インドではアジュナ・チャクラと呼ばれています

宗教だけではなく、ヨガ、気功法、瞑想、ニューエイジなどでも、

この第三の眼を開くための修行をしています

瞑想を通じて第三の眼である松果体を活性化させると

人間が3次元の現実世界から脱し、神々と接触して神通力を得て未来を予見し、テレパシーで会話し時間旅行をすると信じられています

第三の目は霊の世界と接触する門です

それで多くの宗教でこの松果体に対する崇拝が行われています

 

松果体から直線を引くとちょうど眉間にきます

第三の目は眉毛の間の奥にあります

仏教やヒンズー教では眉毛の間に赤い点を描いたり

宝石のようなガラスを垂らしているのを見ますが、それが第三の眼です

デカルトは第三の目である松果体

「魂が込められた席」 

「肉体と精神が会う場」としました

松果体から分泌されるDMTというホルモンは、魂の粒子というニックネームをもっています

目の手術をすることを開眼手術と言うように、脳の松果体を活性化させ第三の目を開くことを開眼すると表現します

いわゆる瞑想して解脱に達することです

 

松果体とそれを覆っている脳の構造は

古代エジプトの神ホルスの目です。

現在ではイルミナティフリーメイソンがよく使うシンボルの一つです

これは脳の松果体の姿をそのままデザインしました

 

ホルスの目=第三の目=1ドル紙幣の裏にある「すべてを見通す目」

 

ニューエイジの表現どおりなら

松果体が眠りから目覚めたら自ら神の地位を得るようになるということです

 

教会にも信仰という名前に衣替えして教えられたいます

「あなたの中に潜在する信仰を覚ませ!」

 

超能力を開花させる道は悪霊に自分を犠牲として捧げることです

 

バチカンのど真ん中に世界で最も大きな松ぼっくりを立て、教皇の杖に刻んでいます

サン・ピエトロ寺院だけでなく、カトリックの様々な修道院に松かさの装飾があります

赤ん坊のキリストの手に松かさがあるものもあります

 

ローマ・カトリックは自ら

「私は上品に包装されたサタンの宗教です」

と雄弁に語っているのです

 

ローマが世界を征服した時多くの異教宗教がローマに吸収されました。

エジプトのイシス女神崇拝、ペルシャミトラ教などがローマで大きく広がりました

異教の大祭司という意味のポンティフィクス・マクシムス(PONTIFEX MAXIMUS)

という名称はローマ皇帝が異教の大祭司になってからつけられた名称です

初期キリスト教はこの称号を持った皇帝から迫害を受けました

それにもかかわらず教皇の公式名称として、ポンティフィクス・マクシムスは1000年以上使われています

 

ローマ皇帝ティベリウスのメダルにも刻まれていて、教皇のメダルにも刻まれています

メダルの裏側にはサタンの象徴である雄やぎがあり、周囲にには龍が彫刻されています

自らをサタンの代理者で反キリストであることを明らかにしています

カトリック教会は異端ではなく、異教です

エジプト、バビロン、ペルシャ、全世界の異教を総合させた宗教がローマ・カトリックです

 

:13)彼はエジプトの地にあるヘリオポリスオベリスクをこわし、エジプトの神々の宮を火で焼く』」。

エレミヤ 43−13

 

 オベリスクは太陽神崇拝塔です

ヘリオポリスは太陽神の都市を意味します

米国の国会議事堂前にもあります

パリのコンコルド広場にもラムセス2世のオベリスクがあります

ロンドンにもあります

 

清平にもあります

 

神は偶像を造ってはならないと言われました

サタンは必ず偶像を造ってそれらを目で見させ自分の力を誇示し迷わせるのです

さらにペテロ聖堂主祭壇正面には巨大な太陽の像が光を放っていて四匹の龍が昇天する

バルダキノ天井にも太陽が光を放っており、人々はその前で礼拝しています

龍と太陽を礼拝しています

また、バルダキノのいたるところに太陽神の姿が数十個も刻まれています

壁の角に龍がいるのは当然ですが

バルダキノの中に何故ミツバチがいるのでしょうあk?

ミツバチは蜂蜜を生産するという点で女神アフロディーテの象徴であり

現在ではマリアのシンボルになっています

それでミツバチのことを「マリアの鳥」と呼びます

 

マリアの正体とは何であるかがわかります

 

:4)この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、

黙示録17−4

 

 サン・ピエトロ聖堂のいたる所には太陽女神がいます

一つは女性の頭から太陽の光が放射状に輝いていて手に金の盃を持っています

二つ目は、教皇の隣の女神は片手には太陽を象徴するたいまつを持っています

三番目は女性は太陽神の下の十字架と金の杯を持っています

四番目は女性が金の杯と十字架を持っています

 

教皇のメダルにはPONTIFEX MAXIMUSという肩書が彫られ

裏には金の杯を持った女性がいます

金の杯の中には太陽が入っています

 

聖書は女の持った金の杯が「憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている」

と述べています

黙示録17章の淫婦は世の中を淫行のブドウ酒で酔わせる勢力として描かれています

その淫婦の手にある金の杯は自分の姦淫の汚れで満ちています

太陽を崇拝し偶像を崇拝し神様の代わりに被造物を崇拝しています

表向きには神様に仕えていますが

裏では太陽神を崇拝する憎むべき汚れた姿があります

教皇レオ12世のメダルの裏には驚くべきことに

「全世界は彼女の御座だ」と自らを黙示録で言及した淫婦だと認めています

 

SEDET SUPER UNIVERSUM

全世界は彼女の王座である

 

ラケルは偶像を尻で占領しましたが

オモニはアボジの席を尻で占領してアボジの権威を奪いました

アボジの王冠や杖は用意せず、自分ばかりが纏いました

普通の夫人なら、自分のものは返上して夫によって使われることを望むでしょう

アボジの紋章は無くなっていき、オモニの紋章だけ使われています

堕落エバ文化を創りました

 

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聖書で言う淫婦とは堕落した教会や女神崇拝と密接な関係があります

カトリックではマリアという女神を崇拝しています

その淫婦が教会の主人になっています

 

黙示録17章三節には

「金の杯を手に持ち」と書かれ

この金の杯は憎むべきものと自分の姦淫の汚れで満ちていると聖書は述べています

 

教皇が金の杯を持っています

マリアも金の杯を持っています

 

金の杯の種類は一つや二つではありません

手に金の杯を持って 頭には太陽の後光が写っている女神マリアは

金の杯を持ったギリシャ神話の女神キルケに似ています

キルケは太陽の神ヘーリオスの娘です

 

この杯に入った酒を飲むと魔法にかかり豚になるといいます

 

家庭連合もアボジと関係のない、主管性転倒したオモニ中心の

偽聖酒式で信徒を豚に変身させました

 

今日のキリスト教会は教皇権の姦淫のぶどう酒に酔って正気を失いよろめいて

心理と偽りが見分けられない豚のような状態になりました

西洋では、男が女の肉体に精神を奪われた時

「キルケに化かされた」という表現を使います

今日のキリスト教はキルケに化かされました

この魔法から目覚めなければなりません

 

歴代教皇のメダルの裏には太陽女神を刻みました

これはニューヨークにある自由の女神像と同じ姿です

この像は米国の独立を記念してフランスで制作されニューヨーク港に立てられましたが

フランスにもあります

 そのことは女神像の土台に刻まれた銘文にはっきりと書かれています

自由の女神を象徴する放射状の鋭い針と手にもった、聖火は太陽神を象徴する

古代からの太陽神の象徴です

 

聖体顕示台(The Processional Monstrance) のデザインを見れば

 

 不敗の太陽(アポロ)+ 義の太陽(キリスト)= 第三の新宗教

 

宗教を統一し分裂した東西ローマ帝国を支配しようとしたコンスタンチヌス帝

「不敗の太陽神ーアポロと義の太陽ーキリストを結合させて日曜日を休業日と定め、第三の宗教を創設することに成功しました」

そして太陽の象徴である「太陽円盤」キリスト教の象徴である「十字架」を結合させ

新しい宗教が仕える神のシンボルを作り出しました

それがカトリック聖体顕示台(The Processional Monstrance)です

コンスタンティヌス皇帝が太陽を崇拝するために作ったこのシンボルは、今も使われています

 

ミサのパンを見るとIHSという文字が刻まれています

ISIS HORUS SETH はエジプトの神々の名前です

金メダルにはIHS文字の上に すべてを見通す目であるホルスの目があります

勿論カトリックは、IHSはイエス・キリストの名前を表す略字だと抗弁している

この言葉を積極的に使い始めた人は、プロテスタント撲滅のためイエズス会を創設した

イグナティウス・ロヨラです

ミサのパンが丸いのは太陽を象徴しています

金の杯の中に太陽が出ています

ミサのときに太陽を象徴するパンを持ち上げることも

すべて異教祭祀のやり方をそのまま持ってきたものです

ピラミッドの前でミサをしている姿もあります

ピエトロ神殿とパンテオン神殿はとても似ている作りになっています

ピエトロ神殿はローマのパンテオン神殿を真似て立てられているのです

 

カトリックや全世界の異教で崇拝されているのが太陽の車輪です

エジプトから全世界に広がっています

 

 たとえば

 1,タイ仏教 太陽の車輪

2,エジプトのオリシスの太陽の車輪

3,カトリック教の太陽の車輪

4,インド太陽の神殿の太陽の車輪

 

世界で一番大きい太陽車輪は

バチカン広場にあります

 

サン・ピエトロ寺院は太陽神に捧げられるために建築された神殿です

 

太陽車輪の真ん中にヘリオポリスの偶像であるオベリスクを立てて日時計の役割まで与えて、太陽に栄光を捧げています

ここは礼拝堂ではなく、太陽神殿です

 

主祭壇の前の巨大な太陽像の前でミサを行います

地球上で最も壮麗に建てられた太陽神殿がまさにバチカン

サン・ピエトロ聖堂です

 

旧約聖書でエホバに対するもっとも大きな罪は

憎むべき高い所で祭儀を行うことでした

神はその高き所を壊しオベリスクを破壊し

像を切り倒せと何度も繰り返し命令されました

 

 バチカンでは神を礼拝すると言いながら

憎むべき高き所を建てているのです。

 

太陽崇拝の最大の欺瞞は、

知らずにそれに参加していることです。

まるでエリヤ時代のイスラエルが、バールが神様だと思って仕え礼拝していたように

今日も同様にして、カトリックが太陽を崇拝する日をキリスト教の中に持ち込み

ほとんどのプロテスタント教会を酔わせているのが

太陽の日 Sunday  主の日だと皆さんが言うその日は

太陽神崇拝の日が服だけ着替えて

教会の中に入ってきたものです

 

多くの人がキリストの誕生日だとしているクリスマスも

太陽神の誕生日だということぐらいは、常識でご存知でしょう。

太陽神の誕生日をカトリックが、キリストの誕生日に衣替えさせて

全世界がその日を祝っています

 

 バチカンにあるシスティナ聖堂はミケランジェロが描いた天地創造の天井壁画で有名です。その中で最も有名なのはアダムの創造です。

その周辺には何が見えますか?

7人の預言者がいます

イザヤ、エレミヤ、ゼカリヤ、ヨエル、ダニエル、エゼキエル、ヨナ

そして、5人の巫女たちが描かれています。

エリトゥリア、リビア、クマエ、ペルシャデルフォイ

ここは、これらの巫女の出身地です

ここは、偶像崇拝がひどく、神殿が有名なところです。

彼等は全く聖書に出てくる人物ではありません。

聖書は巫女について断固として禁じています

 

:10)あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使、

:11)呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。

申命記18−10〜11

 

聖書は巫女を生かしておくなと命令します

それはサタンと接するものだからです。

 

ところがバチカン

サン・ピエトロ聖堂は

教皇権は

カトリック

巫女を預言者の仲間に仕立てて

聖堂、いや高き所 ピエトロ神殿に 巫女を描きました

バチカンは誰の家ですか?

ローマ・カトリックは異端ではなく異教です。

神様があれほど憎むべきものとして壊してしまえと言われた

偶像崇拝の総合体がバチカンです

 

教皇クレメント14世がバチカンに博物館を建てました

そこにローマ神話を代表とする神々とローマ皇帝たちの彫像が展示されています

しかもその博物館はパンテオン神殿を縮小した形になっています

 

まさか教皇がローマの神々の彫像を展示する神殿を建てたということでしょうか?

はい、そうです

ここに青銅で作られたヘラクレスが棒と獅子の皮を持っています

教皇にはローマ神の彫像を集める高尚な趣味があるようです

 

この神殿がカトリックの聖地、バチカンにあります

 彼らが何に仕えているのかということを示す端的な例です。

 

女神と淫婦の関係を見てみましょう

 

ヨハネの黙示録に淫婦が登場します

淫婦は堕落した教会、異教とキリスト教を混合させたカトリックを象徴していますが、

カトリックは字義通り淫婦に仕える姿を備えています

 

教皇レオ13世のメダルの裏を見ると

女神が三重冠をかぶって王座に座っており

周りにラテン語で次のように刻まれています

 

私に仕えない民族と国は滅びるだろう

GENS REGNUM QUOD NON SERVIERIT MIHI PERIBIT

 

カトリックがマリア崇拝を初めたのは、431年エペソ宗教会議

 

:29)これを聞くと、人々は怒りに燃え、大声で「大いなるかな、エペソ人のアルテミス」と叫び続けた。

使徒行伝19−28

 

エペソは小アジアの重要な都市で数千年間、神々の母と呼ばれるアルテミスを祭っていました

アルテミス女神は豊穣と多産の神として乳房がたくさんついた女神です

女神崇拝の本場で行われた宗教会議で、

マリアが「神様の母親」という宣言が行われました

 

独生女神学では

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神様の母というのは女神崇拜思想では、全く新しいものではありませんでした

イスラム教にもこのような思想が発見されます

それはファティマ女神崇拝です

 

真の母なる神様、真の母・神様論|この道どの道 より以下に引用

 

===

2016年3月13日亨進様説教



<引用はじめ>

2014年度第2期修錬会用の資料です。牧会者のための修錬会です。

タイトルが「真の父母理論」となっています。もちろん家庭連合が作成したものです。

 

目次の第3章を見て下さい。「真の母・神様論(참어머니 하나님론)」とあります。

私と会話した時、「自分は誰だと思うか」と聞かれて「勝利したキリストの花嫁です」と答えると「違います!私は神です」と返答したのです。

「お母様、それは違います。そんなことをおっしゃるべきではありません。

そのようなことを口にすればすべて崩れてしまうでしょう。

天の祝福がすべて取り去られるでしょう!」とわたしは言いました。

これ(オモニの神宣言)が徐々に下に降りてくることは予想していましたが

この「真の母・神様論」でそれが具体化されました。


また第7章に「真の母・メシア論(참어머니 메시아론)」とあります。

お父様が生きておられる頃、このような教説は決して許されなかったでしょう。

お父様の聖和後に突然唐突にこんな説が出てきたことを不審には思いませんか。

これが正しい教えであるとするならば、なぜお父様が生きておられるときに出てこなかったのでしょうか。

これはあくまで偶然で、たまたまお父様が聖和された後出てきたのでしょうか。

お父様の在世時にはこのような説は全くの異端として話にもならなかったことは間違いありません。

 

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ファティマ出現:1917年5月13日から10月13日まで

 

ファティマはマホメットの一人娘の名前ですが、マホメットポルトガルを占領して

都市の名前をファティマとしました

ファティマの死後にイスラムシーア派では、彼女をとても崇拝するようになり

ファティマに「彼女の父の母」という名称をつけ、

ファティマはマホメットの娘であり

妻であり 母親として 神秘の女神になりました

 

ところが イスラムの女神の名を持つこのファティマの町に

1917年5月13日から10月13日まで 毎月13日に

女神マリアが白い服に白いマントを着て、ロザリオを持つ両手を胸の上に組んで

素足で雲を踏んだ姿で出現し 自分を「ロザリオの女王」と称し

罪人たちの悔い改めのロザリオの祈りをたくさん捧げるようにというメッセージを伝えました

「ロザリオの祈り」

 

最後の出現の日 10月13日には

噂を聞いた数万人の群衆が集まった場所で、驚くべき現象が起こりました

雨の後の雲が急に散り、眩しい太陽が姿を現しましたが何の苦痛もなく

太陽を見つめることができました

また、太陽が踊るように速いスピードで虹色を発散し、ぐるぐる回転し、

空から人々のところへ突進するように落ちて来ました

人々は真っ白になったまま眺めながら地面に座り込んでしまいましたが

急に太陽は消えました

太陽が現れる前に雨が降っていたので地面は濡れていましたが

倒れて起きた時には地面はすっかり乾いていて服も乾いていたというのです

これは太陽神が降臨したのでしょうか?

 

  :24)にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。

マタイ24−24

 

この事件をきっかけに、イスラム・ファティマの女神と

カトリック・ファティマのマリアが統合されました

ファティマは最近でも、このような神秘的な現象で人々を驚かせ全世界から巡礼客を集めています

エスの母マリアとマホメットの母ファティマは、同一の概念として

カトリックイスラムが一つになる中心の役割を果たすことになりました

 

教皇ピオ12世は1942年10月31日 ファティマ聖母の出現25周年記念式でメッセージを伝えた

 

「一点のかげりもなく、清い女王様よ、・・・この世を聖母に奉献します。あなたは天の主人であり宇宙的な女王であることを賛美します」

 

フランチェスコ教皇もファティマのマリアを崇拜しています

 

聖書は淫婦の正体

「女王として座った者」(黙示録17−1)と付け加えています。

座に座るというのは、権力の座にいるということです

カトリックでマリアを女王と呼んでいることは簡単に見つけることができます

マリアを女王として 女神に仕えています

この女王は世界を破滅に導く淫婦です

 

メキシコの土着女神トナンチンの写真も

頭をかしげたまま両手を揃えて、女神の周辺に太陽の後光が輝いていたり、

手に太陽神を象徴するたいまつを持っていますトナンチンは

「光が出る黒い岩」があるところに生きたと伝えられたいます

ここでも聖母マリアが4回も現れて教会を建てよと告げたそうです

そこで、メキシコの土着女神トナンチンとカトリックの女神マリアが混合され

有名なグアダルーペのマリアが誕生しました

 

同様に

フランスのシャルトル大聖堂の建築にもこれと似た伝説があります

シャルトル聖堂の黒い聖母子像は、この地域の土着女神が黒い女神だったからです

ポーランドのチェストパチョの童貞女、スペインのモンセラートの童貞女もこのような背景を持っています

 

そして、究極の独生女、韓鶴子オモニ

 

黒い女神崇拝の起源はエジプトのイシス女神から由来しています

彼女は童貞女、子どもを抱いた女神、空中の女王、蛇と一緒に登場・・・

マリアはイシスの特徴を多く共有しています

名前がマリアに替わっただけです

イシス女神は自らこう言います

 

「太初に女神がいた」

(ジョンヨンラン、「偉大なる母女神」P3)

 

「私は万物の真の母であり、すべての元素の持ち主であり、統治者であり、世界の初の子孫であり、神聖な力の頭であり、地獄にいる全てのものの女王であり、・・・イシス女王と呼ぶ・・・私は最初で終わりだ。私は崇敬されるべき者であり、軽蔑される者であり、私は売春婦であり、神聖な存在だ。」 

(シャールク・フサイン、「女神」、金ソンジュン訳 P7)

 

聖書は最後の時代に権力を振るう宗教的勢力を「淫婦」 と述べています

宗教 政治 経済を支配するこの淫婦は象徴的表現ですが

文字通りの淫婦は女神も意味しています

 

聖書にはイエス様の幼少時期はあまり記録されていません

多くが公生涯に関する記録です

ところがカトリックの聖画のほとんどは、赤ちゃんを抱いているマリアの像が主流です

しかもこのような絵では、赤ん坊のキリストは裸で、母の胸に頼るしかない乳飲み子として描かれ、母親は威厳に満ちて描かれています。

 

赤ん坊のキリストは女神マリアの脇役をしているだけです

赤ちゃんを抱いて登場する女神崇拝は、各地の神話によく見られます

皆さんも御存知のバビロンのセミラムスとダムムスを初め、エジプトのイシスとホルスなど全世界に女神崇拝があります

赤ちゃんホルスを抱えているイシス、イシスは神の母と呼ばれます

 

興味深いことにイシス女神は占星術で乙女座にあたり、エジプトではイシスを童貞女と呼びます

聖母マリア信仰がどこから登用されたか分かりますか?

偽造の中でも最も悪い偽造です

マリアの問題はこれで終わりません

古代から女神はその象徴として三日月を持っています

三日月の上に女王が赤ちゃんを抱いています

 

下の写真では、ダイアナ女神が頭に三日月をつけています

そして三日月の上に立っているマリアです

マリアの崇拝の起源をこれでまた確認できました

 

異教では貝は重要なシンボルとして定着しています

貝は女性の性器を意味し、生命の出産、淫乱、空などの多くの意味を持っています

 

 代表的な貝の女神はギリシャアフロディーテです

アフロディーテはローマではビーナスと呼ばれました

ビーナスは女神は海で生まれ貝が彼女の象徴です

 

この偶像はバチカン博物館にあるものですが、偶像の頭の上の天井が

全部貝で飾られています

仏教でも貝が多く使われます

ローマの墓の飾りにも貝があります

ほかにどこで貝を探せますか?

カトリック文章に貝が装飾され、マリアの頭の上に大型貝があり、バチカン聖堂の造形物にも三重冠、黄金の鍵、貝、憎むべき汚れた鳥、龍があります

 

バチカン聖堂の二匹の龍の間に、貝とミツバチがあります

ミツバチはアフロディーテ女神のシンボル

モルモン教会においても重要な象徴です

イシス女神が貝の中で手を挙げていますが、教皇も貝の形状が描かれた服を着て

同じポーズをしています

 

女神崇拝の目的は、豊穣と多産を祈願することでした

ザクロはたくさんの果粒があるために、多産と肉体的な性を象徴する代表的な果物になりました

ロゼッティの<ペルセフォネス>女神はザクロが象徴です

日本仏教の母子像は赤ちゃんを抱えて片手にはザクロを持っています

ボッティチェリが描いたザクロを持ったマリア

マリアは多産の女神なんでしょうか?

なぜ手にザクロを持っていますか?

本人自らが淫乱な女神だと明らかにしているのではないでしょうか?

 

黙示録の淫婦は

「紫と赤の衣をまと」 っています(黙示録17−4)

教皇枢機卿が着ている衣も同様です

 

「金と宝石と真珠とで身を飾り」(黙示録17−4)

ミサで使うすべての用具は純金であり、教皇の席も純金で、教皇の冠に宝石が埋め込まれ、持っている杖も純金と宝石で作られています

教皇パウロ6世の指輪と胸に着けていた十字架の宝石は100万ドルします

指輪は13カラット、十字架はダイヤとエメラルドが混じって60カラットということです

 

ファティマのマリアがかぶっている王冠も宝石で飾られ、教皇の三重冠も宝石がはめ込まれています

三重冠も一つではなく各教皇ごとに違う形に制作されます

ミサ用の杯ですが500個のダイヤモンドが散りばめられています

 

聖者のミイラを宝石で飾っています

「金と宝石と真珠とで身を飾り」(黙示録17−4)

 

「すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、・・・」(黙示録18−3)

 

フランスでは聖堂をノートルダム(Notre Dome=我らが貴婦人=聖母マリア) と呼びます

これは聖母に捧げた聖堂という意味です

この聖堂にある彫刻を見てください

何に見えますか?

サタンが都市を見下ろしていますね?

この聖堂の持ち主が誰なのかを物語っています

 

現在カトリックで使用している「レジオマリア」の写真があります

マリアの軍隊という意味です

 

家庭連合には、トップガンという独生女の軍隊がいます

 

祈祷文の表紙です

マリアが地球の上にぐんと立って世界を支配する姿です

蛇が地球を覆っています

右上段にローマ軍団の標識があり、下にはローマ軍人たちがいます

カトリックは過去世界を支配したローマ帝国時代を再現したいという渇望を持っています

二番目三番目はマリアのマントの中に万国が入っています

二番目の上段には、まるで再臨するイエス様に見えるように巧みに描かれています

しかし、エス様ではなくマリアです

マリアはカトリックの中心であるだけでなく、全世界を自分の下に吸収するかのように

マントの中に万国民を抱いています

カトリックのマリア崇拝は世界の全ての宗教統合と、さらには政治、経済を彼女の勢力下に入れようという思惑をそのまま表しています

マリア崇拝に変身した女神崇拜思想は、全ての宗教統合を追求しようとする、宗教混合主義です

 

 教皇ヨハネ・パウロ2世が強調した座右の銘

 「Totus Tuus」

「すべてをマリアに、私は完全にあなたのものです」

 

カトリック信仰の中心は

彼等の女神マリアに帰結されます

 

さて、プロテスタントですが

1994年 キリスト教カトリックの教会一致共同宣言がありました

(Evangelicals and Catholics Together-ETC)

 

 それ以降プロテスタントカトリックを真似し始めました

その一つが十字架に布でできた幕をM字にかける装飾です

マリア十字架と呼ばれます

それはマリアがイエスのような救世主であり、中保者というカトリックの思想の表現です

カトリックでは四旬節には、十字架にマリアを象徴するM文字で紫色の布の徽章をかけ、復活祭には白い布でM文字の徽章を十字架にかけます

マリアに対する救済信仰の表れです

 

サムソンが崩した神殿がダゴン神殿でした

ダゴンの祭司長たちは魚の形の服を着ます

教皇が魚の口の帽子と魚の皮のような服を着て

手に香炉を持ち上げた姿は、他ならぬダゴンの祭祀です

 

 

  :16)「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ、地のすべての国のうちで、ただあなただけが神でいらせられます。あなたは天と地を造られました。

イザヤ37−16

 

 ケルビム 天使たちの間、白い御座にお座りになる  教皇様?

 

  :11)また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

黙示録20−11

 

 イザヤ書や黙示録にあるように、神様は「ケルビムの上に座しておられ」

「白い御座」に座っておられます

 

フランチェスコ教皇も同様に、ケルビムの間に座して、白い席に座っています

本来なら底に座るのはイエス・キリストのはずです

 

サタンが神様の座を欲しがって堕落しました(イザヤ14−14)

サタンが教皇の姿で神様の席に座っているのです

 

オモニも神様の座を欲しがって堕落しました

 

:4)この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、

:5)その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。

黙示録17−4〜5

 

:4)わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。

:5)彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。

黙示録18−4〜5

 

:14)こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。

マタイ13−14

 

 


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