原理講論によれば、堕落後のアダムが二人の主人に相対したために、善と悪の表示体に分立しなければならず、アダムを裂けば死んでしまうので、長子カインと次子アベルに一旦分立して、再び神を中心として兄弟が一体化する摂理が進められたとある。
また女性も、堕落によって二人の主人に相対することになった。
創造本膳の正妻と、堕落した妾ということになる。
堕落後には、一人の女性の中にふたつの人格があることを
ラケルとレアは物語っている。
アダムはエバと性的関係を結ぶことによって、サタンの性禀を受け継いだ。
天使長とエバの性的関係を結んだ後だったので
天使長を父とし、堕落エバを母として、
神の子からサタンの子に生み返されてしまったのが、
人類始祖アダムとエバの堕落であった。
堕落後のアダムは子女の立場である。
それに対して堕落後のエバは、天使長の妻であり、アダムの母の立場になった。
3日行事はこの間の事情を蕩減復帰する内容であった。
アベルカインは男性型は子女の兄弟関係として現れるが
女性型は姉妹とも言えるが、本質的には正妻と妾の関係として現れる。
韓鶴子オモニが無原罪独生女として生まれたとすれば
彼女を産んだ大母様の勝利であって、大母様が偉大なのである。
韓鶴子オモニの実績は、原罪なく産んでもらったからではなく
ご自分が7年路程でアベルカインを勝利されたからである。
ところが、家庭連合では独生女に生まれてきたから偉いという教義に変更してしまった。
宋も徳野もオモニの偉大な勝利をすり替えて、地に落とした逆徒である。
アベルカインがさっぱり理解できていないのである。
復帰原理が理解されていないのである。
どうして、神の国を創ることができようか?
家庭連合の信徒にたいして原理的にご説明していただきたい。
さて、このような混迷する家庭連合の情況を収拾するために
3男の顕進様を擁立しようと考えている人間が
韓国においても、日本においても存在しているようである。
櫻井節子もその一人である。
晩年のアボジの御言葉によって、
神様と天使長ルーシェルの関係が兄と弟の関係であることが明らかにされたことを
振り返って簡単に整理してみると、例えば以下のようになるかと思う。
創造以前の世界: 神(兄)ー天使長(弟) アベルカインの嚆矢は神とルーシェル
⬇ ⬇
創造本然の世界:アダム(兄)ー天使長(弟) 神が臨在する実体の神アダムが兄
⬇ ⬇
堕落後の世界: アベル(弟)ーカイン(兄) 堕落によって秩序が逆転した
したがって、復帰摂理はアベルとカインの一体化が中心(兄弟摂理)
以下のサイトを参考にされたし
神様の弟ルーシェルとは? 愛読者様の質問にお答えして - 原理講論を読む
つまり、天地創造をされた時、神の子アダムとエバが誕生してから、
神と天使長ルーシェルの関係にヒビが入り、対立するようになったのが
そもそも神の国が建設されなかった要因であった。
私が確認したわけではないが、ある食口によれば、興進様のメッセージの中に、
アダムとエバを創造してからしばらくして、神とルーシェルの間に不信と争いがあったことが語られているという。
なんでも、神様との会議にルーシェルは不満があって参加しないようになったという。
神様とルーシェルの考えが一致しなくなったのである。
そして、別行動をするようになった。
つまりエバを誘惑し性的関係を結び神の妻を横取りした堕落行為である。
天使長の特徴の一つは、
神(メシア)と意見を違えるということである。
次に、メシアと異なる思想で別行動を取るということである。
顕進様もこの試練を受けられた。
われわれではひとたまりもないような試練であった。
そして、父だけではなく兄弟とも別行動を取った。
これが命取りになってしまった。
三兄弟が一つになった絶対的基準を立てて、
基元節を迎えなければならなかった。
アダム家庭の、アダムとエバ、アベルとカインとセツにそれぞれの妻を
復帰しなければならなかった。
8人家族を取り戻して出発すべきであった。
そこでアボジは顕進抜きに基元節は考えられないとおっしゃった。
国進様が亨進様と一体化勝利されたことがどれほど偉大なことかしれない。
神と天使長の和解の道を切り開いたからである。
そこから神の国が始まることができるからである。
だが、顕進様も権進様もともに歩まれないので、8数が復帰できなかった。
3兄弟一体の摂理は、アボジ中心から、亨進様中心に延長した。
オモニが背信したことを蕩減復帰するために、
ヨナ様が我が子である信俊様に敬礼して、石打の刑を誓って侍られ勝利された。
その勝利に導かれ、長男も次男も三男の信俊様に敬礼しアダム家庭の恨みを晴らした。
子女様たちが祝福を受けられ、8数復帰は完結するだろう。
さらに長女の信宮様も加わって創造本然のエバが帰ってきた。
シャボン玉さんのブログからの引用、詳しくは以下のサイトを。
今年一番印象に残ったブログ記事 この道どの道 「望みをかけている息子・亨進」 - 原理講論を読む アボジの御言葉である。
===
十二人の息子娘、十三人、皆断ち切れました。一人残ったのは亨進しかいません。
亨進も実に...。
名前をつけるのもだね、これは名前を勝手につけるのではありません。
信八、信萬、信宮、これを見ると八萬宮です。
「闕(けつ)」の字 信闕(しんけつ)にすれば、「八萬宮闕」になります。
それはあまりにもみ旨を知っている人として世の中を押しのけるための自画自賛する言葉になるので、それで「俊傑・俊」の字、信俊と付けました。信俊。「闕」の字にすれば八万宮闕!
※洪性杓(ホン・ソンピョ):洪 蘭淑(ホン・ナンスク)氏の父で36家庭だった
※信八、信萬、信宮、これを見ると八萬宮です:亨進様の長男/信八、次男/信萬、長女/信宮
※闕(けつ)=宮殿の門、宮門
※信俊 :亨進様の三男
===
顕進様が独自路線を行くことによって、復帰摂理は遅れてしまった。
エサウとヤコブが再会することにより、信仰基台と実体基台が立てられ、メシヤのための基台が初めて準備されました。しかし、エサウとヤコブの再会によって成功した実体基台は、メシヤが来るときまで維持されなければならないのです。
ところが、ヤコブの12人の子どもと70人の家族はエジプトに入っていきましたが、エサウの家族は一人も入っていくことができませんでした。エサウとヤコブは兄弟の再会には成功しましたが、エジプトに入っていくとともに、また別れたのです。エサウとヤコブの兄弟再会によって信仰基台の上に実体基台が立てられ、400年後にメシヤに会うまで維持されなければならないのですが、兄のエサウにはそれができませんでした。サタンが再び兄の側において働くようになったのです。
神側はエジプトに入ってイスラエル民族を繁殖しますが、成年の数は60万人だったといいます。子どもまで含めれば100万人を超えていたのです。もしエサウ家庭まで一緒にエジプトに行っていたなら、少なくとも数百万人になっていたはずです。そうすれば、敢えてイスラエル民族がエジプトから脱出する必要はなかったのです。エジプトでパロを屈服させ、エジプト王を中心として、その王国にメシヤを迎える基台を立てることもできたというのです。
ところが、エサウの家庭は一人も入ることができなかったので、サタンはエサウ家庭を神側から分立し、再び闘いをしかけてきました。メシヤがこの地に来られるまで、数限りないサタンの役事が出てくることになったのです。
ですから、エサウとヤコブの再会に続き、実体基台は、メシヤが来られるまで続かなければなりません。それでこそ、サタンが讒訴できない民族が立てられ、メシヤを迎えることができるのです。
原理本体論 P582
エサウのように顕進様は別れてはならなかったというのです。
基元節は父とともに、弟とともに迎えなければならなかったのである。
さて、参考までに蘇軾の詩の解説をしているサイトが有るので紹介する。
この人は漢文の素養があるが、この詩を中秋の名月の詩だと言っている。
果たしてそうだろうか?
確かに月がモチーフではあるが・・・
記事には感謝したい。
水調歌頭:蘇軾の詞 より引用する。
===
密州時代を代表する作品は、中秋の名月を歌った詞「水調歌頭」である。
明月幾時有 明月幾時よりか有る
把酒問青天 酒を把って青天に問ふ
不知天上宮闕 知らず天上の宮闕
今夕是何年 今夕は是何れの年ぞ
我欲乘風歸去 我風に乘って歸り去らんと欲す
又恐瓊樓玉宇 又恐る瓊樓の玉宇
高處不勝寒 高き處寒さに勝へざらんことを
起舞弄清影 起舞して清影を弄ぶ
何似在人間 何ぞ似たる人間に在るに
明月よ、いつから空にかかっているのか、盃を手にしながらこう青天に問う、天井の宮殿では、今宵は何年の中秋にあたるのだろうか
自分も風に乗って天上の世界に行ってみたいが、月宮殿は高いところにあるから、寒くてかなわんだろう、せいぜい地上の舞を楽しもう、やはり人の世の方が居心地がよい
轉朱閣 朱閣に轉じ
低綺戸 綺戸に低(た)れ
照無眠 無眠を照らす
不應有恨 應に恨み有るべからざるに
何事長向別時圓 何事ぞ長へに別時に向って圓なる
朱色の高殿をめぐり、綾ぎぬの帳をかすめ、眠らぬ人を照らしている、別に恨みのあろうはずもないのに、何故別れの時に限って満月になるのだ
人有悲歡離合 人に悲歡離合有り
月有陰晴圓缺 月に陰晴圓缺有り
此事古難全 此の事古より全くなり難し
但願人長久 但だ願はくは人長久に
千里共嬋娟 千里 嬋娟を共にせんことを
人には悲歡離合があり、月には陰晴圓缺がある、古からこのことを完全な形に保つのは難しい、ただ人がとこしえに、千里の距離を離れていても、この月の輝きを共に明ことを願うのみだ
この作品はいまでも、中秋の名月を歌ったものとしては最高の作品という評価が定着している。蘇軾はこれを「詞」の形式を用いて作った。
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蘇軾よ、われは知る地上の宮闕。
信八、信萬、信宮、信俊。
八萬宮俊! 八萬宮闕!
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