オモニが去ってから、ブログで失恋の歌を貼り付けることが多くなった。
いつもアボジの心を辿りながら聞いていた。
あまりにも悲痛な歌詞の歌もあった。
今日は硬いお話だけれど、アボジのことが浮かんでくる。
ちょっと、レオ・フェレが歌う「ミラボー橋」でも聴いてみようか。
流石に詩人のアポリネールの詩は美しい。
誰でも知っている言葉で切ない心を紡ぐ。
マリー・ローランサンとの別れを詩ったのだとか。
さて、本題です。
お父様が統一思想と勝共理論を要約した冊子を出版するよう支持があってできた、「要約 統一思想 勝共理論」の中に貴重な李相軒先生の言葉が掲載されています。
かって数多くの人生問題を抱えて、人生の道を煩悶してきた筆者は、1956年に入教後、文先生の教えを受け、その中に人生の問題を根本的に解決する数多くの驚くべき真理があることを見いだした。その時、筆者に映った文先生の姿は真理の宝庫であり、思想の泉であられた。 また人生の問題に悩んだ筆者がこの真理の思想によって救われたのであるから、この真理と思想の玉を結んで、かっての筆者のように悩んでいる多くの人々に真理の玉にレースを通して与えたかったのである。
ところでここに明らかにしておきたいことは、第一は、この本に整理された体系化それ自体が「統一思想」ではなく、文先生の思想自体が「統一思想」であり、体系化は先生の思想の一つの記述形式にすぎないということである。第二は、今まで文先生から教わった思想をなるべく正確に伝えようと思いながらも、能力の限界のために、筆者としては表現の正確さを期することはとても難しく、そのため出版された内容の中には読者にとって理解しがたい部分が多くあったということである。
現象が問題なのではなく、本質が重要です。
記述形式や表現形式から、本物のアボジの思想に至らなければならないといいます。
まとめてくださったものは、言わば、ロケットの発射台のようなものです。
発射台を離れなければ、ロケットは地上に永遠に残ります。
原理講論もそうでしょう。
み言葉を理性で比較分析して構造的な理解をするだけでは、地上にいるようなものです。
われわれは、ああでもないこうでもないと分析的に考えて、結局のところ雀のように大地で飛び跳ねているようなことをし続けています。
でも、発射して空の高みへと出発しなければなりません。
統一思想で見過ごされそうだと思われる重要なところは、
「原相構造の統一性」ではないかと思います。
仏教徒は分別智ではなく無分別智でなければならないといいます。
理性的な思考活動では物事の本質をつかむことができないと。
神は愛であるという。
神は審判主だという。
神は創造主だという。
神は全知全能だという。
いったいどれが本当の神なのか?
それともたくさんの神がいるのか?
神は時空を超越した心情です。
心情は時空を超越しています。
心情が原因となって、知的作用や情的作用や意的作用が現れます。
心情の中にそのような要素がもともとあるからでした。
心情 ⇒ 愛(三対象の愛・四大心情圏)
万有原力に喩えると、
心情が原力なら、愛は万有原力です。
この要約本では、「原相構造の統一性」について、どのように書いているでしょう?
原相の世界は時空を超越した世界なので、構造概念または時空観念から類推するとき、一言で「統一性」と表現するほかない。空間がないために位置がなく、前後、左右、上下がなく、内と外がなく、広い狭いがなく、遠近がなく、三角形、四角形などの形もない。無限大と無限小が同じであり、すべての空間が一点に長畳されている多重畳の世界である。それと同時に上下、前後、左右、内外が限りなく広がっている世界である。
また原相は時間のない世界である。したがって時間観念から類推すると、過去、現在、未来が今、この瞬間に合わさっている。瞬間の中に永遠がある。瞬間が永遠へつながっているのである。したがって、瞬間と永遠が同じである。これは原相の世界が一なる状態(性相と形状、陽性と陰性が統一された状態)の純粋持続であることを意味する。すなわち、「状態の純粋持続」が原相世界の時間概念である。以上を一言で要約すると、原相の世界は純粋な「統一体」である。言い換えれば、時間、空間をはじめとする宇宙内のすべての現象は、この統一された一点から発生したものである。四位基台と正分合作用も一点から空間化、時間化して展開されたものである。
「状態の純粋持続」を、アボジの言葉で置き換えるとすれば「正午定着」でしょうか。
正午定着の心情、これを何としても私たちは体恤したいと思うのです。
「原相の世界は時空を超越した世界なので、構造概念または時空観念から類推するとき、一言で「統一性」と表現するほかない。」とは、
映画が時間も空間も凝縮されているDVDの中にあるようなものです。
DVDの中に入るというのは、特殊なゴーグルを装着してバーチャルリアルティの世界に入るようなものです。
考えるのではなく、いきいきと感じて、臨場感あふれる神の心情に住む。
さて、よけいに難しくなってしまったかも・・・
我々の愛するオモニは、どこに行ってしまわれたのでしょうか?
ボンネッコルにアボジと住んでいたとしても、美しい笑顔を湛えていたであろうオモニ。
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