原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

原忠美牧師著「神人合一」に学ぶキリスト教信仰の基礎 下

今回は原忠美自身の出来るだけ言葉によって、彼の掴んだキリスト教信仰の真髄を学んでいきたいと思う。

また、彼の妻登茂は牧師夫人として、彼と同じレベルでの信仰を天に捧げていたものと思われる。夫婦は相対基準である。

新島八重の薫陶を受けた登茂は筋金入りの信仰者であった。

最後に彼女についてのエピソードにいくらか触れてみたい。

 

 さて、原忠美によれば、神人合一の結果として得られる恩恵は、主に3つで平安と自由と真勇であるという。

 

ガリラヤ湖を渡ろうとした際に、突風が起こり弟子たちは狼狽したが、イエス様は平安であられた。

「神は平静の時にも、危険の時にも、ひたしく我と共にあり給う」との信仰によるものであった。

 

後日、キリストは其弟子等に言われた「われ平和を汝らに残す。我が平安を汝らに与う」(ヨハネ14の27)と。キリストの平安は「神我らと共にあり」との信念から出ずるものがであり、神キリストを離れずして絶えず守り給う故に、キリストに平和があり、我らもまた、神絶えずわれと共に在し給うことを信ずるならば平安が得らるるのである。

 

又自己の財産、学問、名誉、力量、品格等自己の有するもの、一つとして頼むものはない。之等のものは決して真正の平安の基礎にならない。これあたかもノアの方舟の中にあった禽獣が、その身体の大小によって救いを得ること出来ず、只乗れる方舟の完全さによった様なものである。我らの安全は自己の力に存するのではなく、我らを守り給う神に存するのである。

 

然り、神は我らと共にあるならば、たとい戦場に臨むとも、逆境に入るとも、常に平安である。されば我らの平安は我らと共にあり給う神から来るのである。

 

原の文章はすこぶる気持ちがいい。

平安というキーワードは確かに「神人合一」の結果であると思うが、また反対にその状態にあるかどうかの指標ということもできよう。

神と一つである時には、必ず平安が我らの内にある。

 

次にこれも重要なのが「自由」である。

一体神と我が合一する時にもたらされる自由とは何であると原は考え実感したのであろうか?

彼はそれについて、恐らく実践的な信仰生活の中で6つの自由を掴みとったようである。

 

(1)罪悪よりの自由

(2)金銭の欲よりの自由

(3)名誉心よりの自由

己は神と合一し神を楽しみ、神の懐にある時は、人の毀誉褒貶(きよほうへん)に意を寄せることはない。彼は満天下の名誉よりも、尚大なる神の名誉を有している故に、決して己の前にラッパを吹かしめない。新聞紙上に誇張せず、右の手のなしたる事を、左の手にさえ知らしめない。然り、神と合一したる人は実に世の名誉心から自由となるのである。

(4)人の意見よりの自由

  老練家の話には耳を傾けるべく、経験家の実験談は謹聴すべく、智者学者の説は学ぶべく古今の傑作には親しむがよい。然しその学説、意見を終局の結論としてはならぬ。神と合一したる者は此等を参考として自己の意見を立て、独特の意見を有し、自得の学説を持たねばならぬ。あえて此等の学説と意見に拘泥せずともよい。それ凡ての智者、学者、賢者、達者、老練家、経験家の智と学とを合したものよりも、尚更らに深くして大なるものを有し給う神と合一せし我らは、何ぞ彼らに拘泥する必要あらんや。されば神と合一せし者は人の意見からも自由となるのである。

(5)社会習慣よりの自由

新年の儀式は尊ぶべく、祝祭日の典礼は重んずべく、安息日の習慣は敬せねばならぬ。されど神と合一したる者は此等に泥まないのである。人のため、国のため、神のためには、時には此等を破ることがある。然も之を破るのは私利私欲の者が之をなすのとは全く異なって、其破る点では或は同じくあらうとも、其精神に至っては天地の差がある。一は己が私慾のためにし、他は人の福、神の栄のためにする。彼が主とする所は神と人にあって、決して習慣風俗ではない。彼は此等の上に坐して其下に左右せられない。それ故に人、神と合一するならば、社会の習慣からも自由となるのである。

(6)現世と死よりの自由

人は見るものによって制せられ、聞くものによって圧せられ、境遇に支配され、過慮に束縛せられ易い。これ人間の弱点である。されど神は見ゆるものも見えないものも治め、聞ゆるものも聞こえないものも支配し、現代未来の二世を通じて統治し給う故、神と一致せしものは見聞に制されず、現世に圧せられないのである。

 

 現世ばかりか永生を得る身であるキリスト者は、一時の地上の生にも、死を迎えることも重んじることがないと原は言い切る。

 

そして彼は総括してこのように語るのである。

 

宗教の目的は人を自由の人とならしむるにある。人は皆自由を欲している。而して神と合一することによって其希望は成就せられる。列車が軌道の上にある時は、自由自在に運転する如く、我らが神と合一するならば、自由の人となり得るのである。

 

最後の真勇とはあらゆる状況下において恐怖心がないことである。

 

神と合一せし人は、四面敵に囲まれ、八方仇に襲われ、朋友は変心してかたきとなり、家族は皆反対者となっても、其胸中には少しも恐怖はない。彼は此等の諸敵を合したるものよりも尚力ある神を味方とするからである。然り、大なる神と合一せしものは、どうして社会の小敵を恐れようか。然り、実際敵に勝つ前に己に勝ち、敵を制する前に最早己を制している。これ其心に恐怖なき故である。

 

 次に、原忠美の神学についての見解を見てみよう。

 

神学はあたかもガラスの如きものである。我らはこれを通して神の園を見、神の姿を拝し、神の栄光を仰がねばならぬ。

 

望遠鏡の目的は天体をうかがうにあり、望遠鏡の目的は微小なる物体をさぐるにある。人もし其目的を外して只機械の巧妙、構造の精緻を嘆賞し、収めて箱の中に入れ置かば誰かその愚を笑わざらんや。神学はあたかも望遠鏡の如く、顕微鏡の如し。我らはこれによって神の智徳の高大にして霊妙なることをうかがうべきである。然るに我らが神学の歴史を称し、其妙なる組織を歎じ、そのすぐれたる思想を讃め、神学の範囲より脱すること出来ねば、神学は何の益あろう。然るに世には神学を重んじて神を忘れ、神に遠ざかるもの往々に存する。これ神学の目的を誤ったためである。我らが神学を学ぶは只其研究のためでなく、之によって神に至るにある。神学の目的は、実に神と合一することにある。

 

神学の第二の職分は我らの中にある神人合一の意識を説明するにある。それ物質界の事実を説明するは科学の任であり、精神界の現象を説明するは心理学の職であり、神人合一の実験を説明するは神学の分である。

 

いかに幽邃なる理論も神に至らしめないものは保持してはならぬ。いかに精緻な神学も、神に接せしめざるものは信じてはならぬ。これ偽神学である。泡沫的理論である。我らの欲するものは神学ではなく神である。活ける神である。我らは神学によって神を知ることを望む。神を知らしむ神学こそ真正な神学と称すべきものである。

 

さらに、神は何故に患難を与え給うのかについて、その理由をあげて説明している。

 

(1)世のたのむに足らざるを知らしむ

 ①財宝たのむに足らず

 ②人たのむに足らず

 ③自己たのむに足らず

(2)神に倚(よ)らしむ

(3)我らを強からし

(4)我らを潔む

(5)我らの品格を高尚ならしむ

(6)我らを同胞と一ならしむ

(7)我らを神と一ならしむ

(8)神は我らを用いんため

 

最後に彼はこんなことを語っている。

 

神に用いられ、人を慰め、国を益せんとするものは、二つ資格がなくてはならぬ。

其一は自ら患難を受けし経験があることである。・・・

其ニは苦痛患難に勝ちたる実験を有せねばならぬ。 

 

以降は原忠美の妻登茂のエピソードについて書かれたものである。

同志社女学校第1回 卒業生原(山岡)登茂の生き方|135年を語りつぐ|チャペルアーカイブ|宗教部だより|学生生活|同志社女子大学 より坂本清音名誉教授の文章を引用する。

 

山岡登茂は、現在NHKの朝ドラ「カーネーション」の舞台となっている、岸和田の出身です。岸和田は、明治10年ごろに留学中だった藩主の岡部長職がアメリカでクリスチャンになり、新島襄に手紙を書いて、藩へのキリスト教伝道を依頼した地です。八重夫人もグールディ宣教師と共に、岸和田伝道に出かけています。山岡家では逸早くキリスト教を受け入れ、娘2人にキリスト教の教育を受けさせるために、同志社女学校に送りました。そのような家庭環境でもあったので、登茂は卒業2年後には、熊本バンド出身で、大阪島之内教会の牧師上原方立と結婚することになります。(結婚式は、大阪教会宮川経輝牧師と新島八重夫人に導かれて挙行されたとのことです。)

 ところが、夫方立は1ケ月後に腸チフスで亡くなります。登茂は、その様な悲運を乗り越えて、岡山の順正女学校と大阪の梅花女学校で、「英語」と「音楽」の教師として働き始めます。それは、彼女にとって、同志社女学校時代に習得した二つの能力だったわけですが、同じく学校時代に身につけたキリスト教の価値観を支えに、夫亡き後も自立して生きる道となっていたことが分かります。順正女学校のある高梁では、登茂はその地で初めてオルガンを演奏した人でありましたし、英語に関しては、学校外でも、男子や自分より年上の人に教えることも出来ました。

 

 しかしながら、その後の彼女の生涯も決して順調ではありませんでした。 簡単に辿りますと、数年後に再婚する相手も、同志社神学校出身の牧師、原忠美でありましたが、彼も余り丈夫な方でなく、結婚して5年も経たない内に、結核に掛かります。 結局15年の結婚生活の後に、夫と死別するのですが、特に最後の8年間、夫が病のために牧師を引退して無職となったときは、病人の夫とこども3人を抱えて、まさに「神に養われた8年間」であったと述懐しています一家は、先ほど読んで頂いた「何よりも先ず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」という聖句にすがって生活する毎日でした。でも、そうすると、不思議なことに、み言葉が実現される毎日だったそうです。

 夫を天に送って後、彼女は二女を連れて10年余は、神戸女子神学校の舎監として、また後には、同志社女学校の舎監としても働きました。このような形で自活しつつ、彼女が持っている影響力を発揮する道が備えられていたことも、神の恵みでした。そして息子が長じて牧師になったときは、教会で一緒に暮らし、人に知らせず、困っている人の世話をよくしました。登茂は40歳くらいで髪の毛が白くなっており、人は夫の看病と貧苦で苦しんだ結果だろうと話していましたが、母は苦しかったということを一度も息子に語ったことはありませんでした。そして、貧しい中でも、他の人々と食べ物を分け合い、苦学生のためには毎月学資を送るなどしていました。

 

原が教会の重荷になっていると考え、自分が牧師をやめ、別の人がその地と教会に責任をもって活躍する道を開いたことは、自分たちの家族の生命線を断つことであった。

登茂はその後、彼が天に召されるまでの8年間を家族が生きていけるよう支え続け、いくらか楽になれば苦学生に神学を学ばせるための援助を惜しまなかった。

愚痴を言わず、人に知られず人に尽くしては栄光在天の日々を送った。

 

「神人合一」は見事な本であるが、惜しむらくは、夫婦が語り合った神や信仰の話が盛り込まれていない点である。

我々は完成期を夫婦で成長していかなければ、神の似姿には辿りつけない。

そう思うと、このような素晴らしい夫婦の夫婦生活の証がないのは寂しいことである。

だが、日本にこのようなキリスト教信仰の王道を極め、多くの人にその恩恵を交換できるよう精髄をしたためてくださったことは、感謝に耐えない。

我々夫婦は確かに新約の聖徒の信仰と心情のバトンを受け止めて、神の御業を進めて行きたいと思う。

原忠美・登茂夫婦のご子孫に神の祝福と栄光が現れんことをお祈り申し上げます。

 

 


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