原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

原忠美牧師著「神人合一」に学ぶキリスト教信仰の基礎 中

原忠美は信仰生活に必要な要素と見られる、儀式もその価値をある程度は認めるものの、全身全霊を捧げるべきも価値を有しないと言い切る。

「儀式は活物ではなく死物だからである」という。

原は「活ける神」にこそ注がれるべきであると力説する。

 

神学信条についても同様に貴いものだと認めてはいるが限界も見定めている。

されど神学信条は時代思想の影響を受けて変化することを免れない。

神学信条は又国風の影響も免れない。

神学信条はまた個人の境遇、教育、嗜好、性質、実験などによって多少趣きを異にする。

されば我らの全霊を捧げて信ずべきものは、かく変化し転回する神学ではない。神学信条は我らの全生命を与うる程の価値を有しない。」

 

聖書に散見する神の教訓も貴いとするも。

「然し其教訓も時代の特色を脱することは出来ぬ。アブラハム時代のものとモーセ時代のものと多少異なり、ダビデ時代のものとキリスト時代のものとは少なからぬ差別がある」としている。

 

また、神の約束アブラハムとの約束。キリストが信徒らに約束したことも、究極的には我らが全力を持って信ずるものではなく、さらには、神の行為。それは神がモーセとアロンをもってイスラエル民族を救い出したことから、聖書以外の歴史に残る神の善しとされる行為なども、我らが最も重んじるべきものとして信じるには足らないとさえ言う。

 

ただ活ける神こそ、我らが全身・全心・全意・全力を挙げて信ずるべきものであると結論づけるのである。

これはただ彼が理屈の世界で考察した結果行き着いた結論であるというのではない。

彼の信仰編歴の実践の中で得られた悟りなのである。

 

私もかって神学信条に拘泥した時があり、儀式に流れた時があり、道徳的教訓を拝した時があり、聖徒の高尚なる行為に幻惑されし時があった。されど幸いにしてこれらの枝葉を離れ、ようやく其根本に進みつつある間に、私は貧と病に襲われた。この時に当たり、以上のものは私の前にあたかも弊履の如くなって、根本である活ける神に至らねば決して満足出来ないという思いが切実になった。ここに於て遂に父なる神を抱いて、始めて満足と喜悦を得たのである。全身を与え、全霊を注ぐべきものは、活ける神のみであることを知るを得た。

さて、活ける神と神人合一を成した状態とは如何なるものなのであろうか?

原はこれを、

(1)神が我らと共にあることを信じること。

(2)我らの心が神の心と相結ぶこと

であるとした。

 

そこで、注目したのがキリストと神の関係である。前回引用した内容である。

 

聖書中キリストの最初の言は其12才の時、母に対して「我は我父の事を務べきを知らざるか」(ルカ2の49)であって、我父即ち天父なる思想をもって始まっている。其最後の語は十字架上にて「父よ我霊を汝の手にあづく」(ルカ23の46)で、ここでも天父という言葉を以て終っている。其間の生涯においても「父我と共にあり」(ヨハネ16の32)との観念は、終始キリスト教の心中に在した。さればキリストは天父と共に起き、天父と共に寝、天父とともに進み、天父と共に退き、天父と共に語り、天父と共に黙し、天父と共に喜び、天父と共に悲しみ、天父と共に生き、天父と共に死に給うた。然り、天父に従うはキリストの歓楽にして、天父のみ旨をなすはその糧であった。かくしてキリストは天父を離れ給わず、天父もまたキリストを去り給わず、キリストは天父とは実に一であった。

 

クリスチャンにとって神がキリストの父である事は、受け入れることが容易でも、神が自分の父であることを信じることは難しいことが多いようである。

だが、我らの心が神の心と相結ぶには、キリストを手本にせずば出来まい。

そこで、当時のユダヤ人とキリストとの関係を 観察してみて、原はユダヤ人が一時雲霧の如くキリストの周囲に集まり、拍手喝采をもって迎え、狂するばかりに歓待したのはどのような理由があるのか考察して、次の3つに要約したのである。

(1)キリストの奇跡に驚いたためである。

(2)キリストの言説に服したるためである。

(3)其行為が高かったためである。

 

言を換えていえばユダヤ人民はキリストの奇跡に驚き、言説を讃め、行為を嘆じたけれども、これが因って起る心を察し得なかった故に、同国にあり同時代に住しながら、ついに信ずることが出来なかったのである。

 

これに対して弟子たちがキリストを信ずることが出来たのは、その心を見たからだという。キリストとともに生活する中で、その言行を目撃し、その心情を知ることができて、初めてキリストの心底に触れることが出来たのだというのである。

 

即ち彼が奇跡を行い給うは人を愛するためであり、其説教をするは人を根本的に救わんためであり、其税吏罪人を友とするは万民を皆神の子として敬するためであり、安息日の風俗を破るは神と人を愛するためであることを感得した。 

 そこで、

キリストの弟子たる我々も、神が我々の愛心を見られるがため、動機に愛を置かなければならないのである。

 

たとい身は高尚な教育事業に従事するとも、もし神を愛する心より発せざれば貴くはない。たとい尊い慈善事業に尽力するとも、神に向かう愛心からなさねば価値はなく、尊貴な宗教界に活動するとも神に対する愛心から起こらねば偽善である。神は先ず我らの愛心を見て之を喜び給う。人は外形に現われし事業をもって評価するが、神の観察点は深い愛心にある。神は我らの神を愛する愛心を見給い、我らもまた神の愛心を見、其愛の相互に結合する時に、神人合一の第二状態の一面を現すのである。 

 

このように動機を徹底して聖別化した生活を送っていた原牧師は、病苦の中で自分が神の期待に応えられず、他の牧師の協助を頼まなければ教会運営に支障をきたすことが続き、彼は御旨の足を引っ張っていることに負債を感じ、ある決断を下すことになったのである。

 

教会には専任牧師を得なければ、活発な伝道なし難しと感じ、断然教会を辞することに決心したのであった。一方よりすれば、私は元来一銭の資産、貯蓄もなく、これまで教会より受けたる報酬にてようやく一身一家を支えて来たのであるから今辞職せば明日より如何にして生活すべきかを知らなかった。されど私は思った。「私が牧職を奉じらえうは私のためでなく教会のためである。故に教会のためには喜んで生くべく、甘んじて死すべし。今後の生活如何は憂うに足りない。今日私の神と人とに対する本分は保養することにある故、今後の運命はただ神に託せん」と。ここに於て明治33年1月26日、私は教会に辞表を提出し、教会は数ヶ月協議の後ようやく之を受けられ、私は自由に保養し得る身となった。もし私に、我と我家を1ヵ月間支うる資あらば1ヵ月生存すべく、もし2ヵ月の資あらば2ヵ月生存すべし。

 

原は、神との約束を果たした。

「汝らまず神の国と其義とを求めよ然らば此等のものは皆汝らに加えられるべし」

の聖句を胸に。

 

 


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