原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

戦略の組織浸透の難しさを考える 「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」

アンドリュー・クレピネヴィッチとバリー・ワッツが書いた「帝国の参謀」の中で、元米国国防長官、元CIA長官ロバート・M ・ゲーツが語るには、アンドリュー・マーシャルは、ニクソン政権のジェームズ・シュレジンジャー以降のすべての国防長官に仕えて来たという。

  

帝国の参謀 アンドリュー・マーシャルと米国の軍事戦 略

帝国の参謀 アンドリュー・マーシャルと米国の軍事戦 略

 

 

 彼は「ネット・アセスメント」(総合戦略評価)という分析手法の確立に尽力した人物であったが、彼の貢献は一部の人に知られることにとどまったのである。

それは、彼が自己宣伝を極端に嫌うからであり、その証拠として彼の信条の一つには、「手柄を気にしなければ、人間はいくらでも優れたことを成し遂げられる」というものがあり、そうよく言ったのだという。

著者はこのように語っている。

 マーシャルは、代々の大統領や国防長官に対しても、とるべき行動を具体的に提案することはなかった。医者にたとえれば、優れた「診断」を下しながらも、「処方箋」を提供しようとはしなかった。正確な診断こそが、適切な戦略的判断を下すためのカギだと認識しているからだ。「私は、見当違いの問にもっともらしい答えを出すのではなく、正しい問に対してまずまずの答えを出したい」とも述べている。 

 

自分に対してであれ、他人に対してであれ、問題の定義をどのように設定するかで、その答えは大きく変わってしまうことになることだろう。

「私は、見当違いの問にもっともらしい答えを出すのではなく、正しい問に対してまずまずの答えを出したい」

表層的なことに意識が奪われてしまって、本質的なことに踏み込むことができなければ、どうでもいいようなことを、しかも、あれもこれも問題にしてしまい、ついにはにっちもさっちも行かなくなってしまう。

いくつかの症状を伴う現象から、推測される本質としての病気としての病気の診断を謝れば、その処方は効果を期待できないばかりか、問題になることだってあるだろう。

 

つまり、自分が何かに対して疑問を持っている時に、その当初に感じた見かけの疑問を一旦自分から切り離して、その背後に潜む本当の疑問を捉えなければ、問題解決の女神は決して微笑むことがないように思われてならない。

 

創造原理が教えてくれるように、「見えるものから、見えないものへ」というような、視点の移行をわれわれはもっと重視すべきである。

 

イエス様に対して質問した律法学者たちは、その質問の背後に隠された動機を持っていた。

表面的に出された質問に答えるだけでは、隠された意図に対して応じることにはならない。隠された意図を見抜いてこれに対処できなければ、常に堂々巡りに果てしなくなっていくのである。

 

ある通訳をしている男性に、同僚が英語のことで質問がしたいと言って来た。

後日メールが届いたので見てみると、自分の英語をどう思うかというのである。

TOEIC800点代なので、彼にはそこそこの自信があったようだ。

通訳の世界では、英検1級が普通である。

そこがスタートラインのような感じだという。

英検1級の人であれば、TOEICは満点が普通だという。

英検のほうが難しいからだ。

質問者は、英語の向上のために質問したのではなく、自分の英語力がそこそこだということに、同意を得たかったようだ。

その方は、見かけ上は自尊心があるように見えて、だが、実質的には自分自身の自己イメージがとても低い人であったようである。

 

スケートの羽生選手が新しいプログラムを演じ始めるという。

またしても、前人未到の世界の挑戦である。

われわれはそこまでは行かなくとも、現状に満足することなく、向上心を日々保ち続けたいものである。

初めから腹に答えを持っていながら、質問をするような質の悪い人達は、イエス様がおられた頃から2000年経った現在でも、至る所にまだ存在しているということなのだろうか?

マーシャルの言葉に同意したい。

 

さて、マーシャル自身の言葉によると

「私は、ネットアセスメントの機能は、国の指導者に対して、彼らがもっと注意を払うべき主な問題領域や論点に対する考えぬかれた、率直で、偏らない診断を提供することだと考えている。我々を取り巻く状況ゆえに、彼らの前には多くの問題が立ちはだかっている」

 

マクナマラ長官が1961年 に導入したシステム分析が国防総省の意思決定の中心であったが、マーシャルはこれについては懐疑的であった。

 

「様々な理由から、システム分析は、単純化された脈絡での兵器システムの選択に焦点をあてる傾向がある。沈んだ潜水艦、発射された弾頭、死者数など、多様な戦力レベルや戦力構造の観点から検討結果が表現される場合が多かった。必要な単純化のための前提は、評価の結果を歪めかねない」

 

彼は、システム分析に見られる還元主義的アプローチから、アメリカと他国の軍事力を比較するための総合的アプローチの必要性を感じていた。

 

「診断を目的とすべきである。それは、我々が物事を行うときのように効率と非効率や、敵との比較した優位領域に焦点をあてるだろう。成果物として、戦力レベルや戦力構造に関する提言を行うためのものではない」

 

マーシャルに影響を与えたジェームズ・シュレジンジャーは言う。

「重要度の高い問題については、有効性の尺度は幅広い戦略的基準に基づくべきであり、認められるか否かに関わらず、政治的・心理的評価が重要な役割を果すことは避けがたい」

 

その他、彼に影響を与えたものに関する記述には、ジェームズ・マーチとハーバート・サイモンの著書「オーガニゼーション」がある。この本の中身について、

 

ヒエラルキーではなく意思決定と、組織内の情報の流れが、意思決定過程を指示し、情報を与え、支える」と記されている。一般的には、組織の意思決定は、トップで行われ、フォマールな指揮系統に従って下りて行くと考えられるが、現実にはインフォーマルな官僚構造が、組織の戦略的判断に影響を与えていた。マーシャルとロフタスは、大組織が一体として合理的に行動する能力に疑問を持っていたが、こういった研究結果はその疑念を裏づけるものだった。

 

さらに、マーシャルはリチャード・サイアートの「企業の行動理論」に影響を受けたがその内容は、

 

幹部の決断は、詳細な分析の結果よりも比較的単純な原則に基づくものが多いと結論づけている。企業は異なる優先順位を持つ個人や下位組織で構成されているため、意思決定の基盤となる情報や選択肢を生み出す過程で競争や交渉が行われる。こういった要因ゆえに、たいていの企業は「こんなもん化(satisficing)」という水準を設定し、最高最善を求めるのではなく「そこそこの」意思決定を行うという。

 

マーシャルには、あるとき、また別の疑問も抱いていた。

 

 マーシャルも、オブザーバーとして、戦略体制の見直し、特にアメリカの目的に類似の懸念を抱いていた。彼は以前から、アメリカの国としての目標が明確にされず、はっきりと述べられたこともないと主張していた。この検討で明らかになった限界の一つは、「国家目標に対する共通の見解が存在しないため、戦力体態勢がアメリカの国家目標」に基づいていないということだった。マーシャルが自身の懸念をわかりやすく表現したとすれば、「どこに行きたいのかわかっていなければ、どこにも行けない」と言ったかもしれない。

 

ワインバーガー時代、1983年秋、欧州連合軍最高司令官のバーナード・ロジャース陸軍大将は、NATO軍が通常型の攻撃を受けたなら、防御できるのは「比較的短期間」だけで、そのあとは核兵器使用許可を得なくてはならないと述べていたという。

ワインバーガーにとっては、核戦争が起きるまえの段階において、通常兵器で敵を凌駕することが課題となっていた。

そこでワインバーガーが打ち出したのが、コスト優位戦略とコスト強要戦略であった。

 

 マーシャル同様、ワインバーガーは、「競争戦略」を、次の二つによってソ連の軍事力を非効率・非効果的なものにする手段とみなしていた。(1)ソ連が競争力を維持するために、アメリカ以上に資源を注ぎ込まなくてはならない領域での競争に持ち込むこと、(2)アメリカにとって脅威にならない軍事力への過剰投資をソ連に促すような条件を作ること。Bー1爆撃機開発計画に先立って主張したように、マーシャルは少なくとも10年前から、こういった採用を訴えていた。

 ワインバーガーは競争戦略構想を実施するために、3つの組織を創設した。

最上位はワインバーガーが率いる競争戦略委員会と競争戦略運営グループ

と運営事務を担当する競争戦略室である。その他にタスクフォースも用いたようだ。

彼の戦略と組織の考え方をもう少し知りたくなった。

ただ、彼もその意図を実現するにあたってはだいぶ苦労したようだ。

 

 ワインバーガーの競争戦略構想の背後にある考え方は理にかなっていたが、その導入は困難だった。国務総省内では、軍や統合参謀本部が静かに「分析マヒ」のアプローチを取り始め、それぞれの部署での予算の優先順位を混乱させかねない計画をワインバーガーに策定させまいとした。88年11月、ワインバーガーの退任からまもなく、彼らは長官代行の国防副長官ウィリアム・タフトに運営グループ議長宛の覚書への署名を迫り、競争戦略構想を巧みに脱線させた。

 

 文鮮明先生の御言葉を、「牧会者の道」第6章 霊的役事と摂理的主要行事 第1節 統一教会と霊的役事 3 真の父母と霊界 から見てみることにしたい。

 

 イエス様が祈ったことを見れば、「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」(マタイ6・10)と言ったからといって、天ではすべて成されたと考えては駄目です。天で成されたということは体系的な形態で、一つの中心を中心にしてすべて順応できる方向を整えたというのです。ですが地上ではそのようになっていないのです。イエス様を中心として、一つの代表者を中心にしてそうならなければならないのですが、そうなっていないのです。これを知らなければなりません。

 では、救援摂理とは何なのですか? 霊界が天を中心にして左右されているのと同様に、地上が神様のみ旨を中心にしてどのように左右されるか、そのような運動をしてきたのです。数多くの宗教を立てて、文化の背景が違い、級が違いますが、そういう形態で復帰摂理を進行してきたというのです。

 では、今まで霊界の中心的な役事を誰がしたのでしょうか? イエス様が中心でした。イエス様と聖霊なのです。神様を中心にして、イエス様と聖霊を中心にして一つになるために体制を備えて出てきた基盤が、地上のキリスト教を中心にして、神様とイエス様の名前と聖霊の名を通じてキリスト教文化の体制を形成して出てきたのです。霊界がそのようになっているので地上もそういう形態になって、霊界と肉界が二つとも合わさって一つにならなければならないのです。同じです。

 そのようにして一つの霊的世界と肉的世界がいつ結ばれますか? 再臨時代に来て結ばれるのです。そうなれば再臨なさる再臨主は霊界のすべての常習的、すべての体制的内容を引き受けて地上に来て、その体制に一致され得る環境で世の中を追い立てて上っていくのです。世の中をより分けて上っていくのです。

 ですが先生のあとには霊界のすべての組織形態が内的に引き継がれています。霊界は先生の側です。ところで実際世界はサタン側になるので、先生は実際の基盤がないので霊界の基盤を活用することができないようになりました。それでサタンの讒訴圏を抜け出すために先生が地上で個人的勝利圏、家庭的勝利圏、氏族的勝利圏、民族的勝利圏、国家的勝利圏、世界的勝利圏のために今まで四十年の間闘ってきたのです。(161−220)

 

本来、 霊界は為に生きる組織である。入力より出力が大きくなる世界である。

そのような、神の愛を中心とした霊的世界の体制に似て、地上の体制も一致しなければならないという。

ところが、霊界にも色々なグループがあって、等級が違っているのだという。

これらを統合して一つの神の心情に動じ静ずる世界をイエス様は求め、これを引き継いで再臨主文鮮明恵父は降臨されたのである。

ではその組織形態はどのようなものかというと、以下に出てくる。

 

 

 今や、統一教会を中心にして世界的に霊的な世界の統一的組織形態を備えながら、サタン世界はすべて倒れ始めました。世界万民が統一教会のレバレンド・ムーンを称賛するような時になれば、霊界の統一的な基盤がこの地上に移される体制と化すのです。そうなれば地上に天国が形成されます。

 では、いったいレバレンド・ムーンは何をしようというのですか? 神様が願われるとおりに霊界が統一的形態を整えたのと同じく、地上も統一的な形態をつくろうとするのです。そうなれば終わりだという時、み旨がどれほど近くに来ているのかを、皆さんは知らなければなりません。

 霊界が完成されますか? 霊界はいまだに未完成です。なぜ未完成なのですか? 本来霊界がヒエラルキー・システム(Hierarchy system : 階級組織、方式)、これが何かというと、神様と真の父母を中心にして、真の子女を中心にして全霊界が連結されなければならないのですが、その内容が成されていないのです。地上もやはり駄目です。この内容だけ霊界に……。霊界は自動的です。地上だけもってきてくっつけておけば、霊界は自動的です。

 もう一度言ってみれば、堕落しなかったアダム主義、神様を中心にしたアダム主義、アダム主義であると同時に真の父母を中心にしたヒエラルキー組織が霊界なのですが、それができていないのです。今までその中心の中には仏教を中心にした釈迦クラブが入っていて、孔子クラブが入っていて、イスラム・クラブが入っているのです。それで霊界は真の父母主義とアダム主義が現れることを、イスラム教の者も儒教の者も仏教の者もみな望んでいるのです。ですから統一的な方向を経なければならないので、地上にも真の父母の役事が世界的な基準を探して上るようになるとき、すべての宗教の境界線はなくなり、統合運動が霊界の動きに従って自動的にその結果が地上で現れるようになるのです。

 それで統一教会が世界主義になることにより何が起こるのかというと、霊界の霊人たちが全部霊界にはいません。目的は地上で完成して逆に入らなければならないので、全部再臨するようになります。全部活動するようになります。世界に広がっている統一教会員たちが尖端になって「動け! 動け! 動け!」ということを望んでいるのは、数千億にもなる霊界の霊人たちの願いです。ここに合わせて霊界にぴたっと備えて一つつくっておけば、神様が主管する世界になるのです。真の父母の名の前に、一つの統一された世界が永遠に続くのです。

 霊界のヒエラルキーの中心が何かというと、一つ目は神様、二つ目は真の父母様、三つ目は真の子女、四つ目は真の国です。ここで真の子女は何なのかというと、真の父母の直系の血統を受けた子女です。ここで国を中心にして国民が起こらなければならないのですが、ここですべて分けられてしまいました。

 天の国の王宮で一番先に住まなければならない方は誰ですか? 天の国の王宮の席に座って統治する方は誰かというのです。本来神様は、二性性相であるアダム・エバの中に入って一つになって、神様と真の父母が天の王権を支配できる位置にいなければならないというのです。堕落しなかったならばそうなるはずだったのですが、堕落したので、再び真の父母が出て移さなければなりません。(161−222)

 霊界はこのような原則になっているのですが、肉界にこのようなことが現れればどれほど引っかかるでしょうか? 神様を中心にして、二つ目は真の父母が現れ、三つ目は真の子女が現れ、四つ目は、天国民を通じた真の国家が現れなければなりません。そうなることをここで(黒板に書かれながら話される)どれほど待ち望んだかというのです。皆さんが地上に現れて本然のみ旨を成すことを、霊界に行った霊人たちが数千年の間どれほど待ち望んできたのかというのです。

 ここを主管することは何なのか? (黒板に書かれながら話される)最初はサタンを中心にして、二つ目は偽りの父母、すなわち堕落した父母、悪父母を中心にして、三つ目は悪子女、四つ目は悪国家、こうなっているのです。霊界の世界やこれからのこの世界は(黒板に書かれながら話される)これを全部否定します。

 統一教会で「真の父母だ」と言うので、皆さんのお母さんお父さんたちが「私たちは何なのか?」と言って反対するのです。(161−224)

 

つまり、ヒエラルキーが天の組織形態だといいます。

創造原理にもこのように記述されていました。

 

 天国は神の本性相と本形状の通りに、個性を完成した人間一人の様貌に似た世界であるということを、我々は知ることができる。人間において、その心の命令が中枢神経を通じて、その四肢五体に伝達されることにより、その人体が一つの目的を指向して動じ静ずるように、天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女達に伝達されることにより、みな一つの目的に向って動じ静ずるようになるのである。

原理講論 第1章 創造原理 第3節 創造目的(2)神の喜びのための善の対象

 

ヒエラルキーという組織形態が悪いのではないのです。

組織を形成している構成員の心情姿勢に問題があるというのです。

「帝国の参謀」に書かれている巨大な組織においても、その階層構造のピラミッドを形成している 中には、グループが幾つもあり、全体目的よりも個体目的を優先し達成しようと働きかけます。これによって戦略が骨抜きになってしまいます。

統一家においても、亨進様が聖和当時を振り返って、大きく3つの勢力グループがあったことを説明されました。

そのトップは自分の名誉や功績や利益を中心に動きました。

ちょうど天使長ルーシェルが自分の勢力範囲を確保しようとしたようなものでした。

お父様が偉大な天の思想を携えて降臨されても、幹部たちが絵に描いた餅にしてしまいました。

イエス様の喩え話にある僕のように、責任を果たせないばかりか、サタンの文化を教会に持ち込みました。

 

天使長は自分の王国を造ろうとする習性を持っているので、われわれも心情転換が十分でなければ、天使長の試練を受けることになります。

心情転換が不徹底ならば、サタンは言うでしょう。

「こいつ、能書き垂れるな!」

 

側近天使長たちは堕落の伝統を数十年に渡って築き上げ、お父様を苦しめました。

イエス様に死を決意して侍る三弟子の基台があれば、イエス様は死の道を行かれませんでした。

三人の子女様が一体化していれば、金孝南堕落訓母が如何にお母様に働きかけても、お父様の存在基台がお父様を守られたことでしょう。

われわれ食口は子女様もお母様も守ることができず、再臨主は天に行かれました。

 

わたしたちは、もう一度献身当時に振り返って、個性完成の道を再出発して行きたいものです。

われわれの罪ある限り、お父様の理想は阻害され続けるからです。

衷心より悔い改めます。

 

必ず行きます お父様

たとえ億千万の民の嘲りの中に立たされるとも

必ず行きます お父様

たとえ億千万の不可能の証拠を積み上げられるとも

必ず行きます お父様

すでに億千万の心情を尽くされたこの身であるなら

必ず行きます お父様

すでに億千万の盟誓を御前に捧げたこの身であるなら

天地の前に お父様

忠孝の道理を極めさせてください

知られ得ぬ お父様

遥か彼方におられようとも わたしを呼び覚まし

あなたの心の芯に 生きることを

今こそ 許諾してくださますことを

 


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