原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

郭錠煥はもはや過去の人「去っていく事実が今はすべて通り過ぎました 」

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郭さん。お父様の祈りをお聞きください。

 

お父様が生きておられる特にその指示に従わず、聖和されるまで悔い改めて父のもとに戻ってこなかった方が今さら何をか言わんやでしょう。

講演会は天運に見放されて進行するのでしょう。

 

家庭連合のブログ村に顕進様のお話された内容が引用されていました。

原理にかこつけて神様のみ旨を勝手に歪曲すると主張する顕進様の勝手|聖霊のもとにーメシヤの涙

 

お父様が生きておられた時に、顕進様を心配されて「顕進は蕩減がわからないんだね」とおっしゃられていたと我々は伝え聞いています。

お父様が心配されていたことを、顕進様のみ言葉の理解の表現によって、ますますそうではないかと疑念が湧いてくるものです。

 

「誰かが良心の声に耳を塞ぎ、原理にかこつけて神様のみ旨を勝手に歪曲する事例があります。そうではありませんか。彼らは神秘的な話を作り上げ、自然秩序に違反する神学理論を作って、自分たちの邪悪な意図を正当化しています。 

 

これは具体的には何を指しているのかがわからないのですが、家庭連合の誰かが「原理にかこつけて神さまのみ旨を勝手に歪曲する」との指摘です。

我々日本人は曖昧ですが、アメリカでは抽象的な事を言った際には具体的な例を挙げてセットにして話すことが暗黙のルールですが、とてもわかりにくいですね。

 

ただ、顕進様は自然秩序に違反する神学理論には反対だということははっきりわかります。

 

真のお父様は、2000年前のイエス様の責任に焦点をあてて、メシアの使命を説明しました。それは何故かというと、真のお父様自身が、準備されたキリスト教の基盤の上に、2000年前にイエス様が『私はまた来る』と言ったみ言にもとづいて、再臨主として来られなければならなかったからです。しかし、キリスト教神学の2000年の歴史は、何と主張していますか。イエス様が人間であるということを認めていますか、それとも処女を通して生まれ、水の上を歩き、自然法則を超越して、肉身を以って復活する、神的な存在として説明していますか。真のお父様は、キリスト教が理解しているイエス・キリストの使命とその働きについて、何と語られましたか。

 

エス様を自然法則を超越」した「神的な存在として説明」することに異議を唱えられるおつもりのようです。

 

まず第一に、真のお父様は、私達が住んでいるこの世界と、自然を支配する根本的な法則と矛盾する、全ての神話的、超自然的な概念、及び神秘主義的、盲目的な信仰を批判しましたエス様に被せられた神秘性を取り除き、エス様の家系を明らかにし、彼の使命が何か、メシアの使命が実質的に何を意味するのかを説明しました。これが真のお父様のレガシーです。 

 

そうでしょうか?

これも具体性に欠ける発言なので、なんとも言えないところです。

具体例によって判断が別れるような性格の言葉で、実にわかりにくいところです。

はたしてイエスさまに被せられてとお考えの神秘性を全て取り除いていいものか疑問の残るところです。

お父様は「イエス様は奇跡復帰だったが、わたしは蕩減復帰だ」とされています。

奇跡を否定はしていません。

 

神学において、存在論的なキリスト論によりメシアの使命を説明したのとは違い、真のお父様は、救援論に焦点を合わせて、イエス様の使命を説明しました。そして、人類が創造された時点から、これまで説明できなかったメシアの使命を形成する諸要件を明らかにしました。

 

神学については不案内ですが、「存在論的なキリスト論」というのは、具体的には三位一体の神学を指すのでしょうか?

お父様はそれよりも「救援論に焦点を合わせて、イエス様の使命を説明」されたというのが、顕進様のキリスト観・メシア観ということでしょうか。

使命に重きをおいた結果、顕進様は運動論とそれによる統一運動の展開に集中されることになったということなのでしょうか。

顕進様が宗教家というよりも運動家として映ることの一つの理由は、メシア観にあるのかもしれません。

 

救援は、単なる条件的なものでも、霊的なものでもありません。救援は実体的なものです。それは実体的で総体的であり、人間こそが経験できるのです。人類救援の約束は、不可思議な神人に絡んだ、神話的な事件ではありません。

 

近世400年の講義ではアベル型人生観と、カイン型人生観という話が出てきます。

神秘的なもの、霊的なもの、聖霊体験などを重んじた人々はアベル型人生観の持ち主であったとされています。

スウェーデンボルグがそうでした。クエーカーもそうでした 。

 

では、顕進様の立場は、どちらの立場に属することでしょうか?

一歩間違えれば、カイン型人生観の持ち主であると自証することにもなりかねないでしょう。

真の御家庭は人類救済の供え物です。

ありとあらゆる理解不能な不条理な世界を突き進まなければならないことでしょう。

蕩減は避けて通ることができないのがご子女様たちの天命でしょう。

 

さて、三位一体ですが、これは存在論的な理解よりも、顕進様が重視される救援論的理解の試みがあっても良いのではないかと思います。

重生と三位一体の関係を説明する工夫がなされてきていないのではないでしょうか?

これは我々一世の宿題として残っているように思います。

 

数日前に、桜井正実さんはどうしておられるのだろうかと考えていたためか、

死んだ父親の夢で、父が嬉しそうな顔をして私に話しかけてきました。

めったに夢には出てこないし、話したりもしないので少し驚きました。

「桜井会長と一緒のところにいるんだ」

父は満足気に言いました。

桜井?元会長のことか?

そう思って目が覚めました。

ほんとに一緒にいるのかな?

食口でもなかったしね。 

 

桜井さん!

郭さんもいいけれど、江利川会長にも会ってみてはいかがでしょうか?

会ってくださるよ。

若いうちに沢山の人にあって自分の考えをぶつけてみるといいね。

他流試合じゃないけれども、いろんな先輩に胸を借りて、

激突したり和やかに話したりいろいろして

将来の統一家を引っ張っていく人材になっていただきたいですね。

アージュ

   


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