2,男性と女性の内にある女性性相と男性性相の主体対象バランスが問題
私たちの中には無意識の領域があって、そこには私たちの見えざる異性が存在しています。
神様はご自分の姿に似せて男を創られました。
そして男と女を創られました。
男のあばら骨から女を創りました。
男の中の女性的性質から女を創りました。
神様の中では男性性が主体で女性性が対象でしたので、
男もそのようになりました。
女は神様の本質とは対極で創られたので
男とは反対に、
神の女性性を主体にして男性性は対象にして創られました。
男も女もそれぞれの性質の主体と対象の秩序関係が円満な授受作用を為して調和する時
本当の人格が現れるようになりました。
男はそうなることがそのまま神の似姿になるので実体の神様となります。
女はそのまま似ているのではないので実体の神様の妻になります。
本来の自己の中にある見えざる二つの性が主体と対象のバランスを崩してしまうと、人格障害が現れてくるのです。
このことは大変重要です。
同性愛はこの見えざる異性の本来的秩序や調和が崩れて、主体と対象のあるべき関係に問題が生じた時に起こってくるものと言えるでしょう。
我々は一般に人格障害とは性相と形状という心と体の問題で捉えがちですが、
実際には陽性と陰性という心の問題を見逃しがちであると言えましょう。
創造原理では、あらゆる存在には二性性相がある事が解かれています。
人間と万物の性相と形状の大本になった原因には本性相と本形状がありますが、
人の心と体の統一が本性相と本形状の統一した存在から由来しているので
その根源者を神と呼ぶのであれば、神様は人格者であるはずです。
人の心が生まれてきた源にも心があり、体があるはずだからです。
思いと言葉と行為が一致し統一している人を人格者と我々は言います。
神様もまた目には見えませんが、人の心のようなものと体のようなものがあるので、人格神だというのです。
わかりにくいことですが、
統一原理では、厳密には性形の一致だけでは人格が完成したことにはなりません。
陽陰の統一も個人において必要であり、異性との相対関係においても統一してこそ、初めて神の人格が顕現するようになります。
宗教は天使長が創ったものでしかありません。
だから性相と形状の一致、心と体の一致を説いてきました。
天使には性形はありますが、陽陰の実体的相対がいないので、
基本的には心と体の統一に焦点が定められてきました。
出家して結婚することを断って行ったのはキリスト教も仏教も似ています。
男と女に創られながら、天使長にアダムの位置を奪われたので、天使長のように独身の道を行くようになりました。
だが、これは本来の人のあり方ではありませんでした。
仏教では十牛図という悟りの段階を示した図がありますが、
男だけでどうして完成することができるというのでしょうか?
仏教ではどんなに修行して悟りの境地になったとしても
相対者を持つことができない、したがって子女を持つことができない、愛を体得する家庭を持つことができない、独身の天使長圏に過ぎず、長成期の完成級の約婚期に至ったということに過ぎないというのです。
偉大な空海は理趣経い出会い、個人の悟りの先に何かがあると直感することができました。だが、そのことの答えは真のアダムしか解くことができません。
理趣経のこのような文章に出会って空海はただ茫然と立ち尽くすしかなかったことでしょう。
この理趣経の一部の訳文は以下のサイトから引用しました。
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/risukyou.htm
初段 (大楽の法門) 金剛サッタの巻
その最初の教えは「一切の存在(法)は清浄である」という教えである。このことについて、大日如来は十七の清浄なる菩薩の境地をあげて次のように説かれた。
1.男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である。
2.欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である。
3.男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である。
4.異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である。
5.男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である。
6.欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である。
7.男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である。
8.男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である。
9.自慢の心も、清浄なる菩薩の境地である。
10.ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である。
11.思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である。
12.満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である。
13.身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である。
14.目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である。
15.耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である。
16.この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である。
17.口にする味も、清浄なる菩薩の境地である。
なにがゆえに、これらの欲望のすべてが清浄なる菩薩の境地となるのであろうか。これらの欲望をはじめ、世のすべてのものは、その本性は清浄なものだからである。
ゆえに、もし真実を見る智慧の眼である般若を開いて、これら一切をあるがままに眺めるならば、あなたたちは真実の智慧の境地に到達し、すべてみな清浄でないものがないという境地になるであろう。
アダムは堕落することによって天使長にすり替えられてしまいました。
主人ではなく僕になってしまいました。
そこで日本では親鸞が出てくることになりました。
神は被造世界を主管するように人間を創造されたので、アダムとエバが共に成長して、アダムは被造物のすべての主体の主管主として完成し、またエバはすべての対象の主管主として完成され、彼らが夫婦となって一体となったならば、それがまさしく、主体と対象とに構成されている被造世界の全体を主管する中心体となるべきであったのである。
(4) 四位基台の存在様相
統一原理では真の母となるべきエバをこのように表現されています。
お母様はいかがでしょうか?
お母様が2016年2月15日に日本公職者研修会で語られた講話の
一部を以下のサイトから引用します。
2016年2月15日 日本公職者研修会でのお母様のみ言葉|この道どの道
お父様は16歳でイエスとの出会いを通して、摂理を引き受けることになりました。それはよく知っているでしょう?
それ以来、お父様は独生子の位置で責任を果たさなければなりません。
再臨メシヤは独生女に会わなければなりません。
正しく、まったく正しく準備された独生女に会わなければなりません。それは私が言わなくても分るでしょう。
ところであなたたちは原理の後編を知りません。
必ず真の父母になろうとすれば、独生女に会わなければなりません。
わかりますか?ですから皆さんは私によって祝福された人たちです。
私は大きな口をきいてもいいでしょう。
依然として、お母様はお父様が生まれた時からの無原罪独生子ではなく、イエス様にあ出会ってからだとされ、お父様の御言葉を否定されます。お母様はご自分はお父様と違って生まれた時からの無原罪独生女だと誇られたいようです。
お父様が語っていない御言葉があるとお母様は考えておられます。
「ところであなたたちは原理の後編を知りません。」
つまりお父様の許可無くお父様の知らない、また誰も聞いたことのない
原理の後編をお母様は知っていて、食口はそれを知るべきだし、
これから真しやかな母教を創るから、大きな口をきいてもいいでしょうというのです。
お母様は、すべての対象の主管主として完成する道を放棄されてしまわれました。
ヨスの海洋教会の元副教会長の信仰告白に引用された現在のお母様の現行と相反する、お父様の御言葉を以下のサイトより転記します。
①祝福を通した摂理 1999年10月15日み言葉選集312巻P177
「お母様も絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。
自己を中心としてお父様に絶対信仰、絶対愛、絶対服従ではありません。
その時までお母様は絶対について来なければならないのです。(中略)
ですからここにいるお母様が自分の考えを持って巣を作るようになれば問題が大きいというのです。」
②家庭連合時代の主要儀式と宣布式 2000年11月11日み言葉選集456巻P465
「父と息子が直系で連結されるのです。ここにはお母様が必要ありません。
母子協助時代と父子協助時代が違うというのです。絶対服従しなければならないのです。その言葉はお母様に対する言葉です。」
③決意大会と八段階完成の道 2002年10月8日み言葉選集393巻P318
お母様も知りません。(復帰摂理を)お母様が知ったらお母様が復帰しますか?お父様から学ばなければいけません。お母様は(お父様に)絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければいけません。最近お母様が世界のどこに行っても歓迎されますが、お父様を忘れてしまってはいけません。
歓迎されるほど、「私は(お母様は)最高に上がって母を(お母様ご自身を)最高に立てよう」とすれば、お母様は地獄の底に降りていかなければならないのです。わかりましたか?
④真の父母の行く道と歴史を生かす組織 2009年6月5日の言葉選集613巻P149
天宙安息圏の絶対性、愛のアボジの精子が定着できる先祖の基盤となる定礎石(ていじせき)(家を立てるときに置く礎(いしずえ))を置かなければいけなかったのに定礎石を置くことができなかったのです。(中略)
2013年1月13日が過ぎるまでにお母様ご自身が責任を果たせなければ
大変なことになるのです。
⑤2009年7月13日み言葉選集614巻P95-96
父子協助時代宣布を知っている食口が多くないことを知らなければなりません。逆に母子時代に摂理が後退しているのです。オモニを再び育てないといけません。再び育てようとするから、90歳になった今まで育ててきています。今や3%残りました。
⑥真のお父様は、基元節を考えられて、2012年1月19日お母様に警告されます。
「お母様がお父様と違う道を行っている。お父様の言われることを聞かずにオモニが私の言うことを聞きなさいとすることはルーシーエルよりも恐ろしい存在だ。そのようなオモニに従う者は鬼だ。」と言われました。
そしてオモニを前に立てその後ろに、ソク・ジュンホ、ユン・ジョンロ、ファン・ソンジョ、キム・ヒョウユルの4人を立てて絶対服従を誓う儀式をさせたということです。
(説明)お父様のみ言葉を聞かないことはルーシェルよりも悪いとされ、
変わられたお母様についていかないようにおっしゃいました。
ルーシェルは誰ですか?ルーシェルよりも悪いというみ言葉以上の恐ろしいみ言葉があるでしょうか?ルーシェルは幼いエバを堕落させましたが、真のお母様が真のお父様を去れば、ルーシェルよりも邪悪な存在になるというみ言葉ではないでしょうか?このような明らかな警告のみ言葉にもかかわらず、家庭連合の協会幹部は張子の虎になっていっています。
⑦人生の行く道 み言葉選集38巻P258
「神様の前には私しかいない。独生女も必要ない。
私は神様の愛を全部独り占めした独生子だ。」と主張する
そのような島主がいる場合、その人は島主の中でも王の島主です。"
前回に、原理講論にある以下のような記述を引用しました。
では、お母様も含めて我々が人格を完成していく道において、どの内容がどのように関係しているのか考えて参りましょう。
人間においても、男性には女性性相が、女性には男性性相が各々潜在しているのである。
(一) 神の二性性相
この点が我々の人格完成にとって重要であることを、直感とイマジネーションでロシアの神秘的な哲学者のベルジャーエフはこのように語っています。
人間は性的な存在であるばかりでなく、また、両性的な存在で、己のなかに男性的な原理と女性的な原理とを様々な比率で結合させ、この二つの原理はときに激しく対立することさえある。女性原理が完全に欠如している男性は抽象的な存在であり、宇宙の元素から切り離されている。また、男性原理が完全に欠如している女性は、人格とはなり得ない。・・・完全な人間をつくり上げるのは、これら二つの原理の調和的な結合しかない。この結合は、男女いずれの場合にも、それぞれの半男半女的存在、両性具有者としての本質のなかで実現されるが、それはまた、相異なる二つの本質、男性性と女性性との相互交流を通しても実現される。
「見えざる異性」 ジョン・A・サンフォード著 より
ベルジャーエフは自分の性と相対する性の欠如について警告しているが、反対にこの相対する性の要素が過剰になり、対象で収まらず主体になってしまった場合の弊害も考えられることでしょう。
お母様の心の病はそのケースではないでしょうか?
スイスの精神科医ユングは男性の人格の中にある女性的要素のことをアニマと呼び、女性の人格の中にある男性的要素のことをアニムスと呼びました。これは「活気づける」という意味のラテン語「アニマーレ」(animare)に由良し、男性や女性を活気づけてくれるものだというのです。
日本には歌舞伎と宝塚という伝統芸能があります。
このようにある環境の中では、男でありながら女役として伝統的に女性的とみなされる仕方で機能することができ、逆に、女でありながら男役として男性的な仕方で機能できるのを私たち日本人は知っています。
それは、男性の中に女性的な側面があるからですし、女性の中にも男性的な側面があるからなのです。
一般に人格を考える際には、性形の一致から考えるのが普通でした。
ですから、パウロはこのように語りました。
:19)すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。 :20)もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。 :21)そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。 :22)すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、 :23)わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。 :24)わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
ローマ人への手紙7章
統一原理でいう人格とは
① 男女それぞれが性相と形状を神の原相のように心情を中心に統一すること
② 男女それぞれが陽性と陰性を神の原相のように心情を中心に統一すること
の二つの意味があるように思われます。
前者は自動的ですが、後者は見かけは同じく自動的かもしれませんが、
本質的には発展的なのかもしれません。
そのように言うわけは、夫婦の一体にはそれぞれの自発的な自己否定と自己超克があると思うからなのです。
通常、男性は男性に、女性は女性に、自己同化してバランスを取っています。
そこで男性は自身の女性的側面は外部の女性に同一化しようとして、
自分の中にある女性のイメージを相手の女性に投影して行くことになります。
つまり、相手の女性にありのままの女性の姿を求め受け入れるのではなく
こうあってほしいという願いをその女性に投影することになるのです。
女性の方でも同様に、相手の男性にありのままの姿を求め受け入れるのではなく、
こうあってほしいという願いをその男性に投影することになるのです。
我々の内側にある男性性相や女性性相の要求は力強いものがあります。
しかもやっかいなことには、私たちに働いているこの作用は無意識のうちに我々に働いているのです。
さらにこの投影がもたらす結果は例外なく相手を「過大評価」するか、「過小評価」するのかいずれかになります。
それが我々男女間の人間関係に時に摩擦を起こす原因なのです。
男性:男性の中の女性性相のイメージという色眼鏡をかけて女性に投影します
女性:女性の中の男性性相のイメージという色眼鏡をかけて男性を投影します。
無意識に私たちに働いている作用を意識化することから克服の道は切り開かれます。
教会では時々「あの夫婦は闘っている」という表現をします。
当の本人も私たちは目に見えるとおり闘っているよと思うことでしょう。
だが、本当は外的に見える相手と闘う前に内的に自分の中で、
見えざる異性(インビジブル・パートナー)と闘っているのだというのです。
本質的には相手の問題ではなく自分の問題だというのです。
世間でよく言う「恋いに恋する」という仕組みがこういうことだったのです。
勿論、堕落性による摩擦や、個性の違いによる摩擦、信仰観の違いによる摩擦もあることでしょう。
それらの問題の克服と共に、理想相対と理想家庭を目指す祝福家庭は、
見えざる異性の克服と統一に関心を向ける必要があることでしょう。
神様はご自身の男性と女性以上に、アダムとエバが自由と責任によって表現する男性と女性をありのままに受け入れ、婚礼の日を願ったことでしょう。
神様も自己否定をされました。
人間に責任分担を与えられたのですから。
さらに詳しく知りたい方、特に家庭部など祝福に関係する仕事をされている方は図書館などで「見えざる異性」をお読みください。
ユングの本は心理学やカウンセリングに関心がある方にはいいかもしれませんが、
実践的で平易に書かれているサンフォードの本をお薦めいたします。
では最後にお母様の現状を理解するために、同書から「メルヘンと女性心理」という著書で有名なフォン・フランツの言葉をもって筆を置きたいとおもいます。
彼は、アニムスの攻撃には傷ついた感情が隠されていて、それが重要な役割を演じていることを強調しています。
そして、人が気分によって乱されたり、あるいは、支配されたりしたとき、
「『どこで私は幻滅し、あるいは傷つけられていながら、それに十分に気づかなかったのだろうか?』と自問して見るとよい」
とアドバイスしています。
すると、しばしば真の原因につき当たる。感情を傷つけられ、しかもそれを克服できなかった、そもそもの出発点に戻ることによって、アニムスの憑依は解かれる。なぜなら、まさにそのときにアニムスが割り込んできたからだ。そのことは、アニムスに取りつかれた状態には、傷つけられ非難に満ちた女性の声が常に底流している理由でもある。
女性がアニムスに取りつかれた状態は、男性をひどくいらだたせ、男性にたちまち怒りを爆発させる。しかし、男性をいらだたせる真の原因は、そこに、嘆くような、責めるような調子があるからである。理解力のある男性であれば、アニムスに囚われた女性の85%が実は、アニムスの仮面のもとで愛を求めていることに気づくだろう。しかし、不幸なことに、それは逆効果である。というのは、彼女たちが求めるものを、アニムスの仮面が追い払ってしまうからだ。アニムスの仮面の下には、自分をつき離した相手を嘆き、責める感情と同時に、自分を傷つけた相手への仕返しの思いとが隠されている。それは悪循環で、口論しあううちに典型的なアニムス・シーンへと発展してしまうのである。
6マリアの役事でお母様はぼろぼろに傷ついてしまわれた。
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