家庭連合がサンクチュアリ教会に対する公式批判サイトに、李妍雅様が「天宙のお母様、私のお母様」と題する証をされた時の動画をアップしている。
そして、以下に何分後の映像で語られたものだとして、文章に起こしている。
極めて不思議なことに、何の説明も付け加えてはいない。
「李妍雅様は過去にこのようにおっしゃっていたではないか?違いますか?ではどうしてあなたはお母様を離れておいでなのですか?」
まあ、こんな感じなのでしょうか?
なまじ先に批判文があるとその間違いを指摘し、さらに正しい見解を述べなければならないので、何も文章がないことを感謝すべきであろうか。
点線以下が、家庭連合が注目している李妍雅様のお言葉である。
それに対して途中に青い字で書いている文章が私の解説である。
太字や赤い字も私の処理であり、李妍雅様の本意が何かを理解するために重要な箇所であると思われる。
このような見事なお母様の証をされる方を私は知らない。
李妍雅様は何と素晴らしい天稟をお持ちのお方なのであろうか?
神様に衷心より感謝いたします。
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【参考資料】2011年5月29日(陽暦) 李妍雅様の説教「天宙のお母様 私のお母様」(映像) | 真の父母様宣布文サイト
2011年5月29日(陽暦)
李妍雅様の説教「天宙のお母様 私のお母様」
この映像は当時、李妍雅様が「天宙のお母様 私のお母様」と題して、様々なエピソードを通して真のお母様を涙ながらに証しされた説教です。
(以下、説教の抜粋)
0:23~0:56
真の父母様は、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」を、ヨーロッパ巡回と米国での大会で勝利され、今日(陽暦5月29日)の午後、帰国予定です。私は数日早く帰ってきましたが、このように不足な私が、皆様の前に立たせていただき、限りなく光栄に思います。
亨進様も妍雅様も本当に謙虚なお方である。
2:07~2:47
お父様は(今回の世界巡回で)このような強行軍を夜も眠らずに進められますが、お母様もまた超人間的な……。霊界と肉界、時間と空間を超越して行き来していらっしゃるお父様であると、父母様に直接侍る中でそのことを強く感じました。
そして、そのようなお父様に侍って生きられる真のお母様です。今回は、真のお母様について、いま一度深く考える機会を得ました。それで、不足ですが、お母様のお姿を証したいと思い、「天宙のお母様 私のお母様」の題目で準備してみました。
妍雅様にとって、「天宙のお母様」とは何なのでしょうか?
このキーワードを頭に刻んでいただきたい。
3:33~3:55
(お母様について)様々なエピソードを通して推し量る時間になればと願います。第一は、真のお父様にこの上なく侍られる真のお母様。第二は、真の子女様をこの上なく愛される真のお母様。最後は、食口の皆様をこの上なく愛される真のお母様。このように三つのテーマで準備してみました。
「天宙のお母様」像の第一番目にくるのが、「真のお父様にこの上なく侍られる真のお母様」だということである。
5:34~8:59
一つ目に、お父様を愛して侍られる真のお母様について申し上げます。(八大教材・教本)『天聖経』44ページに、このようなみ言があります。
「全知全能の神様は、全天下を料理される神様です。その神様がここにいるとしましょう。力で言えば、太白山も移してしまい、地球星にも穴を開けることができる能力をもった神様なのに、そのような神様を皆さんの目で見ながら暮らしなさいと言えば、暮らすことができると思いますか。神様が見えなくて良かったというのです。神様が見えれば、私たちは皆、神経衰弱になるでしょう」
このようなみ言をお父様は語られました。
それなら、神様の体をまとって、生きておられるお父様に、すぐ近くで侍られるお母様は、どうであられるかと考えてみました。「一日だけ、お父様の訓読会に参加しても、その日は完全に伸びてしまう」と、ある方がおっしゃっていました。皆様も経験があると思います。ところで、真のお母様は、真のお父様のすぐ傍らで、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準で、毎日のように侍りながら50年以上、生きてこられたのです。
真のお母様は、天が予め準備され、キリスト教の家庭において(母子)3代かけて精誠を捧げた基盤の上で、17歳というお若い年齢で真のお父様と御聖婚されました。草創期、洪順愛大母様は、正門から立ち入ることを禁じられました。お母様はまた、「親戚間の縁をすべて切りなさい」「お父様と天の摂理のことしか考えてはいけない」という真のお父様のみ言の前に完全従順してこられました。このような草創期の聖婚の中でも、食口の家で3年間、間借りし、産後も冷たい部屋でがちがちに凍えた体を温めなければならなかったというエピソードもあります。
真のお母様の路程はお父様の自叙伝にも出てきます。今でも、お父様は疲れていらっしゃる時、時折、お母様の膝を枕に横になられます。また、お母様はお父様の爪を切ってさしあげます。これは昔の写真ですが、今でもお父様の爪切りをなさっています。ご自分の目には見えない爪がお母様には見えるのが不思議だ、自叙伝にそういう下りがありますが、父母様の仲睦まじい姿を私たちは見ることができます。
もう一つのお写真は、お父様の終身理髪師としてのお母様の姿です。真のお母様は、お父様の髪染めも散髪も……。このお写真は、知鋭お姉様が最近撮ってくださった写真です。今でも、お父様の散髪と髪染めをお母様が直接なさっています。睦まじいお姿ですね。とても美しい姿でしょう。(拍手)
「神様の体をまとって、生きておられるお父様に、すぐ近くで侍られるお母様」とは
お父様は男性格主体としておられ、お母様は女性格対象として侍られるということである。言いかえるならば、お父様は実体の神様であり、お母様はその神様の妻であるということである。
妍雅様は実に見事に真の父母観を身に付けておられる。
自然に語る言葉に日常の信仰が現れ出るからである。
さらに神様の妻である真のお母様とは、
「真のお母様は、真のお父様のすぐ傍らで、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準で、毎日のように侍りながら50年以上、生きてこられたのです」
と証しされたのである。
真の母の道をお父様の言葉を引用されて
「親戚間の縁をすべて切りなさい」「お父様と天の摂理のことしか考えてはいけない」という真のお父様のみ言の前に完全従順してこられました。」
と敬慕の情を表された。
お父様と天の摂理の前に完全従順なる姿を天宙に現される時にこそ、真のお母様はその本来の威光を余すことなく照らすのだというのである。
それ故に「天宙の母」ここにありと証されるわけである。
妍雅様は恐るべき方であられる。
御両親に感謝の合掌を捧げたい。
16:43~20:12
私はいつも感じることですが、お父様は大きな祝福を下さる前に常に試練を与えられるのです。お父様は時々、訓読会でお母様を叱責なさるのをお見かけします。そのような時、お母様は黙って受け入れていらっしゃいます。しかし、私は今回拝見したのですが、お父様がそのようにされたあと、お母様はお部屋に入り、お一人で泣いていらっしゃいました。一人で心を痛め、一人で消化しておられました。本当は私たちの過ちをすべてお母様が代表してお父様から叱責を受けておられるのですが……。私たちがもっとしっかりしなければと思いました。
見えない所で食口たちの面倒を見てくださりながら、宗教弾圧を受けた海外の食口を招き、事情を聞いてくださるお母様です。お父様がもっと恩恵を施したいと願われる場面があれば、さらに準備して恩恵を施せるよう心を配られるお母様です。お父様の愛がより遠くまで、より良く表現されるようにと橋渡し役を果たされる真のお母様の姿を見るのです。
1960年、お母様は17歳でお父様と聖婚され、純粋な信仰を守られ、1992年4月10日、お父様の隣の座、真の母の位置に上られました。お父様に敬礼する位置から、同じく敬礼される位置に至るまで……。それが(還暦の年)2003年になって初めて、公式的に許諾されたのです。そのすべての人生を通して、摂理的な全責任を負われました。来年、古希(70歳)をお迎えになるお母様は険しい道を歩み勝利され……。1999年(6月14日)の宣布内容で、その時、お父様が下さった賞状(表彰牌)に、このように書かれています。全員で一緒に読んでみましょう。
「天の前に真なる子女の使命、夫の前に真なる夫人の使命、子女の前に真なる父母の使命を完遂されました」
食口の皆様、一つ確かなことがあります。それは、これです。真のお母様の権威は真のお父様から出てくるのです。真のお母様は復帰されたエバとして、6000年間、すべての女性の恨を蕩減する路程を行かれました。
「私はいつも感じることですが、お父様は大きな祝福を下さる前に常に試練を与えられるのです。お父様は時々、訓読会でお母様を叱責なさるのをお見かけします」
お母様がお父様に公衆の面前で叱責されることは度々あり、多くの幹部たちも知っていることなのでしょう。
それでもお母様は絶対従順を貫かなければならなかったというのである。
「お父様は大きな祝福を下さる前に常に試練を与えられる」
お母様に対しても、我々に対してもそうであり、厳しい試練を与える背後には、見えざる祝福を与えたいという父の愛の心情があると喝破されるのである。
さらに
「本当は私たちの過ちをすべてお母様が代表してお父様から叱責を受けておられるのです」と信仰告白される。
そのようなお母様は主体として立つのではなく、対象としてのみ立たれ、
「橋渡し役を果たされる真のお母様」なのだとおっしゃられた。
「1992年4月10日、お父様の隣の座、真の母の位置に上られました。お父様に敬礼する位置から、同じく敬礼される位置に至るまで……。それが(還暦の年)2003年になって初めて、公式的に許諾されたのです。」
お母様は胎中から無原罪でお生まれになったのではなく、お父様に完全従順を果たして、原罪を精算され復帰されたのである。
独生女神学は完全な間違いである。
お父様の主体でもなく、同格でもなく、対象として一体化された時、お父様は
「天の前に真なる子女の使命、夫の前に真なる夫人の使命、子女の前に真なる父母の使命を完遂されました」
とお母様を評価されたのであった。
そして妍雅様は「一つ確かなことがあります。」として
「真のお母様の権威は真のお父様から出てくるのです。」
と証されたのである。
さすが妍雅様!
20:45~23:56
2010年4月29日、アベルUN定着戴冠式および金婚式において、真のお父様は神様の実体をまとわれ、聖婚礼式を挙行されました。そして、お母様はお父様の夫人であると同時に、神様の夫人の位置に立たれたのです。
私たちがお父様を愛するならば、お母様もまた愛さなければなりません。なぜなら、お二人は一つであり、真の父母様だからです。お母様は天宙のお母様であられ、また、私たちを再び生んでくださった「私のお母様」なのです。
私たちはみな、お母様の子女なので、その方の心を痛め傷つけるならば、お母様のお心はより一層傷むのです。私たちはお母様を愛し、また尊重しなければなりません。真のお母様は「天宙のお母様」であると同時に、「私のお母様」なのです。そのことを忘れてはいけません。
聖婚50周年の華麗な祝賀慶祝行事において、以前、交したお母様との対話を思い出し、私は涙を流しました。お母様とご一緒した時、お母様にお聞きしました。
「お母様、私たちは嫁の立場ですが、お母様が困難な時、心があまりにもおつらい時、お父様にも申し上げられない事情がおありだった時、どなたと言葉を交わし、どなたに慰めを受けられましたか」
幼い末の嫁(私)のひと言に、お母様はとめどなく涙を流されました。そのお姿は、華麗な祝賀行事の場にいらっしゃるお母様とは、あまりにも対照的でしたので、一人、涙をぬぐったことを思い出します。真のお父様がお寂しい時、激怒される時も、私たちと人類に失望された時も、常に隣にはお母様がいらっしゃり、これからも永遠に共にお父様の傍らを守られる方は、正に、真のお母様でいらっしゃいます。
そのお母様は、お父様の自叙伝の表現をお借りすれば、「真に善良で美しい貴女、私の妻、韓鶴子総裁」であられます。
「真のお父様は神様の実体をまとわれ、聖婚礼式を挙行されました。そして、お母様はお父様の夫人であると同時に、神様の夫人の位置に立たれたのです。」
ここでも、さらにはっきりと真のお父様は神様の実体でありお母様はお父様の夫人であると同時に、神様の夫人の位置なのだとおっしゃられた。
家庭連合は原理原本を持ち出してこのように引用文を示した。
①主体の位置の夫は主体である神と一つになって
その次に妻を完成させる
②対象的位置にある妻は
主体的な夫と一つになって
夫を完成させる
③夫と妻は息子と娘として生まれました。
各自父母に仕えることで成長して完成される。
④従って、夫は自分の母親に侍り、妻に仕え、
妻は自分の父親に侍り、夫に仕える。
このように
夫を通して妻が完成され、妻を通して夫が完成される関係であると主張する。
そこでは「夫婦」「父母」という概念が強調されていると解説している。
この御言葉の核心部分は、太字のところである。
「妻を完成させる」すなわち妻は夫の指導によって完成するが
夫は妻の指導によって完成するのではない。
「主体的な夫と一つになって
夫を完成させる」
そのようにお父様は言っておられるのである。
勿論、その前提が
「主体である神と一つになって
その次に妻を完成させる」
神 ← 夫 ← 妻
絶対従順 絶対従順
神に対する愛で絶対従順している夫に
主体の位置にある夫を神の主体と同一視して
一つになってこそ妻は完成され、
夫も完成されるのである。
ところが、お母様は各位を離れてしまわれたのである。
お母様が対象の位置で一つにならなかったので
真の父母は完成することが一旦お預けとなってしまわれたのである。
妍雅様は以上の原理原本の御言葉を御自身の言葉で語られているのである。
素晴らしい方である。
妍雅様は神様とお母様しか知ることのない秘密をお母様に聞かれた。
「お母様、私たちは嫁の立場ですが、お母様が困難な時、心があまりにもおつらい時、お父様にも申し上げられない事情がおありだった時、どなたと言葉を交わし、どなたに慰めを受けられましたか」
「幼い末の嫁(私)のひと言に、お母様はとめどなく涙を流されました。」
お母様の心情の核心に触れたのである。
そのお母様が堕落天使長によってまさに地獄に引き込まれそうになっているのである。
永遠の命を失うタイムリミットが迫っているのである。
おそらく2月13日ではないかと思われる。
お母様の心情の琴線に至った、
妍雅様にはお母様不在の席を守ることのできる資格がある。
お母様が本来対象の位置に戻られるまで
お母様の偉大な勝利が失われぬように
代身として立たなければならない。
「永遠に共にお父様の傍らを守られる方は、正に、真のお母様」
と言われる真の母が帰ってこられる日まで
お父様が
「真に善良で美しい貴女、私の妻、韓鶴子総裁」と表現されたお母様。
江利川婦人に現れたお父様は語られたのである。
「お母様を失いたくない。」
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つづいて以下のサンクチュアリ教会批判のいくつかについていくらか述べる。
サンクチュアリ教会問題に対する我々の姿勢に関する集会で配布した資料 | 真の父母様宣布文サイト
その他の批判を含め、総合的に留意すべきこと
真のお父様は、お母様について、次のように語っておられます。
①「私が死んでも(お母様には)統一教会を導くことができる能力もあるので、お母様が説教する時が来るのです。…そのような時は、(お母様に)絶対服従しなくてはなりません。…一度決心すれば、最後まで自分一代でこの複雑な恨の峠をすべて清算するという決心が、私よりもお母様がもっと強いのです。…(お母様は)すべて掃除することができる主人になったので、先生よりもお母様をもっと重要視することができる統一教会の食口になれば福を受けるのです」(『真の御父母様の生涯路程⑩』351~352ページ)
②「お母様を中心として皆さんが一体になっていかなければならない時が来ました。もう先生がいなくても、お母様が代わりにできる特権を許諾したというのです。お父様がいない時は、お母様のことを思わなければなりません。そのように理解して、先生の代わりにお母様に侍る心を持ち、祈祷もそのようにするのです。今までは先生を愛してきましたが、これからはお母様を愛さなければなりません。…ここにおいて、先生が第一教主であれば、お母様は第二教主であると世界的に宣布し、天地に宣布します」(マルスム選集265-310、1994.11.27)
上述のような主旨の御言は、他に数多くあります。真のお父様は、真のお母様を第二教主として立てられました。私たちは、その真のお父様のご意向に絶対服従すべきではないでしょうか。真のお父様は、「真の父母は永遠に唯一」であり、「空前絶後の父母」であると語っておられます。昨今、幾人かの子女様の発言には、そのような御言に反する言動が含まれており、実に遺憾なことと言わざるを得ません。
1994年というと顕進様でも25歳の時である。
そのころお父様が聖和されればお母様が先頭に立たざるを得ないことだろう。
残念ながら顕進様はお父様の元に帰らなかった。
そこで亨進様が充分に成長された際には、お母様が証人となり、お父様の意向を聞かれ、相続者であり代身者となられたのである。
亨進様に従わない者は例外なく爆破者であるとお父様は宣言されたのである。
お父様の言葉を無視してお父様と一体化する道はないのである。
「真の母」を重んじることが、「お父様」との一体化の鍵である
(「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない」Ⅰコリント12・3)
1、サンクチュアリ教会を支持するある人物は、「聖書の中に、メシヤが亡くなった後で、女性が相続することについて書かれているところはありません」と述べ、真のお母様が、お父様の聖和後、祝福家庭をはじめ食口たちを指導することに対し批判的に述べています。
しかし、このような主張は、聖書に対する〝無知〟が生み出した誤った考え方です。聖書には、イエス様が十字架で亡くなった後、霊的真の母である「聖霊」が信徒たちを導いて指導していくことについて記されており、しかも「聖霊によらなければ、だれも『イエスを主である』と言うことができない」と述べています。
「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない」(Ⅰコリント12・3)とは
聖霊とはイエスを主体であり主人であると証しする存在のことであるという意味である。
真なる聖霊の実体は真のお父様を主体として証しする。
偽なる聖霊の実体はそれ以外の存在を主体として証しする。
お父様より自分が主であるとか
主人の家系よりも自分の家系を証しすればアウトである。
祝福リングの内側に何も彫られていなかったものをお母様だけ名前を入れればアウトである。
忠母様の祭壇が無くなり、文家の祭壇が無くなればアウトである。
サンクチュアリ教会で使う写真にお母様がおられないのは、
お父様の絶対対象の位置を未だに放棄し続けているからである。
そして天使長主導の祝福が全世界的に進行しているのである。
祝福を受けたはずなのに、生まれてくる子供たちは二世としてではなく
親と変わりのない一世としてしか誕生しないのである。
どのような審判があっても不思議ではない。
お母様をお救いできるのは総会長と徳野会長の英断なのである。
亨進様と一体化しなければならない!
「お父様は主体格です」と証すのが聖霊の役割だというのである。
では、聖霊がその役割を放棄してしまった時にはどうなるのであろうか?
深刻な問題である。
その時はお母様の心情に誰よりも相対し得る女性がその使命を一時的に代行しなければならないのである。
だが、不忠を忠誠と見まがう者がお母様の復位を阻めば、もはや真の母は失敗したとみなされ、代行者がその果たせなかった責任を遂行し完成しなければならないのである。
亨進様が栄光の勝利者であられるお母様を取り戻そうとされているにもかかわらず、
かえってお母様を地獄に突き落としてしまっているのが家庭連合なのである。
一刻も早くお母様が本来のお姿を取り戻され、帰ってこられることを
妍雅様も亨進様も深刻に祈り続けておられるのである。