原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

宋総会長は人間的ではなく天的に情勢判断する為 イエス様とマリアの関係に亨進様とお母様を見よ

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我々が知っている本来のお母様は失われてしまった。

 

三代王権・真の御父様に帰ろう!참아버님 문형진님 문신준님 !: 9月20日説教 文亨進師 「バビロンの炎上」 【英語説教日本語訳】

お父様は「お母様は自分勝手な道を行っている」と言われましたがいまや怪物になってしまいました。私の産みの母でありますが、意見は変わりません。今や怪物であり悪党です。お父様の前に異端者、爆破者になってしまいました。完全に堕落してしまいました。様々な行事を盛大に行ってみたところで堕落は隠せません。皆知っています。完全な詐欺です。

 

真のお母様が聖和三周年で流された涙を見る時、思い出す母マリアに関する聖句がある。

母はこれらの事をみな心に留めていた。

 

:41)さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。 

:42)イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。  

:43)ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 

:44)そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、  

:45)見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。  

:46)そして三日の後に、エスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。  

:47)聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。

:48)両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。  

:49)するとエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。  

:50)しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。  

:51)それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。

ルカによる福音書 2章41~51節

 

 御使いによって、イエス様がお生まれになることを教えられていたマリアではあったが、まさに幻の如く心から消え去っていた。ヨセフも然り。

 

家出されたイエス様は神の宮で教師たちとお話をされていた。

エス様12歳の時のことである。

 

エス様は両親に御使いが現れて神の子としてお生まれになったことを初めて知って

母マリアに問いつめられたのであった。

 

それでもいっこうに両親は解せず、神の意思よりも人間的な自分たちの判断を優先させていった。

母はこれらの事をみな心に留めていた。

聖和三周年でお母様も複雑な涙を流されていた。

一連のことに心を巡らせられたのであろうか?

 

私には、エス様と母マリアの関係が、現在の亨進様とお母様の関係を彷彿させるように感じられる。

 

母マリアはかって神が愛した、神の眼に適った、人類にったったひとりのお方であった。その母はイエス様を神の霊に導かれザカリアとともに役事の中で懐妊されることになった。

神の血統を命よりも名誉よりも何よりも先に重んじる勝利の女、タマルの正統な信仰の継承者であった。

 

だが、マリアは神の願いよりも天使長であるヨセフの願いに、またイエス様の切実な訴えよりもヨセフの言葉に従った。

マリアはイエス様をお生みになられる天の役事には勝利されたが、天使長であるヨセフと関係を持ってはならず、子供を持つことは非原理的な行為であった。

天使長とは相対基準を造成してはならなかった。

創造本然の人間に主管されぬ天使長に子女を持つことはあり得ないことであった。

 

エス様の両親は狂ってしまった。

カトリックは人類にイエス様を生んだマリアの側面のみを強調して聖母マリア信仰を築いてきた。その後のマリアの背信を知らない。

今家庭連合は同様の道を歩もうとしている。

独生女神学とはマリア信仰のなれの果てである。

 

母マリアはイエス様をお生みになってからは、イエス様に仕えなければならなかった。

ところが母マリアは実質的にはイエス様を死の淵に追いやり、イエス家庭・ザカリア家庭を中心としたイエス教団から、メシアを中心とするイスラエル選民を築く道を塞いでしまった。地上天国の実現を著しく後退させてしまったのである。

 

:1)三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。

:2)イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。

:3)ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。

:4)エスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。

ヨハネによる福音書 2章1~4節

 

子羊の婚礼のため、ほかの人の結婚式に精誠を尽くすのではなく、イエス様の相応しい真の母となるべき伴侶を捜し求めなければならなかったのが、母マリアの第一の使命である。それを果たさず現を抜かしてどうなるのだと主は語られる。

 

お母様もまた、母マリアの如き背信の道を行かれるのであろうか?

お父様が偉大な勝利を為された心情と血統を相続する亨進様をお生みになられた。

偉大な勝利の母となった。偉大な母なくしてどうして父の性相が相続されようか?

だが、お母様は母マリアの過ちを行くことはできない。

その試練からお守りしなければならないのが、宋総会長と徳野会長である。

韓国にお母様の救いがあるだろうか?

日本にしかない。その蜘蛛の糸のような最後の切り札がお二人であった。

 

 

:19)イエスが家にはいられると、

:20)群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。

:21)身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。

:22)また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。

:23)そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。

:24)もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。

:25)また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。

:26)もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。

:27)だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。

:28)よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。

:29)しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。

:30)そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。

:31)さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってエスを呼ばせた。

:32)ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。

:33)すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。

:34)そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。

:35)神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。

マルコによる福音書 3章19~35節

 

実は私は、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。

 の文を求めて聖書を探したのだが、その文の前に

「しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。 

という文があることに気づいた。

かって神山氏にこれをもって批判してきた。

だが、今回一続きの文章、つまり前後をよく読んでみると。気づかされたことがあった。

聖霊の実体である真の母をけがす者は・・・」と言う形で

私も現教会も使ってきたように思う。

勝利した女性の信仰者であるタマル→サラ→リベカ→ラケル

彼女たちを中心にして聖霊の役事が施されてきた。

ここにマリアが連なるべきであったが、道半ばにして終わってしまった。

マリアはキリストをお生みになることには勝利されたが、キリストに仕えることには失敗したのであった。

それはキリストであるイエス様を受け入れないばかりか、その事によりマリアは神に対する反逆者になってしまったのである

 

母マリアは聖霊の実体のような存在であった。

エス様が昇天され相対者を持つことができなかったので、

エス様の無き伴侶ゆえ、母マリアは聖霊の実体としてよりいっそう脚光を浴びることになった。

 

つまり、聖霊の実体のようなお方である、聖母と呼ばれるマリアではあったが、

「しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。 

というイエス様の御言葉の後で

「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」

叱責されたのである

この事実は現在の摂理に於いて

亨進様とお母様の問題を考える上で重要な示唆を与えている。

 

エス様はおっしゃられた。

「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。

神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」

 

亨進様は父から離れてしまった母に胸痛めてこられた。

以下の説教ではこんな図が紹介された。

三代王権・真の御父様に帰ろう!참아버님 문형진님 문신준님 !: 9月20日説教 文亨進師 「バビロンの炎上」 【英語説教日本語訳】

 

VimeoThe Burning of Babylon   Sept. 20  2015   Rev. Hyung Jin Moon 2  Sanctuary Church Newfoundland PA

 

 家庭連合の新しい「三位一体」論の登場である。

一番上に、「真の母」

次に「神」

これら二つの文字は最下位にある

「真の父」よりも大きな文字で書かれている。

 

たった今、神の見えざる手に導かれ

兄弟が書いたサイトに行き着いた。

私が思いつきからざっくり話すのとは違い

図解もありわかりやすく書いておられる。

原理的まとめと、タマル・マリア

 

トップに行くと色々研究された項目が出てくるので

関心があるところに目を通されてはいかがだろうか。

 

ただ、

さて、ここで、マリアがアブラハムの妻サラと違うところは、姦淫の罪に問われるところです。そこでマリアにはタマル以上の信仰が必要でした。

 

には私は賛成できない。タマルもサラも絶対「性」を死守すべくマリアと同様に勝利されたのではないだろうか?

 

さて、それはともかく亨進様の説教において批判された三位一体(以下の図)と

上記のサイトの図解を比べられるとわかりやすいことだろう。

兄弟の精誠に感謝したい。

 

VimeoThe Burning of Babylon   Sept. 20 00 2015   Rev. Hyung Jin Moon   Sanctuary Church Newfoundland PA

 

エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。

 

現代のエルサレム、清平独生女神学者も亨進様に対して同様な悪辣な言葉を放っているのである。

聖書は我々に警鐘を鳴らしている。

 

映画「マトリックス」では

ネオ・クライスト あるいは ネオ・メサイアとして

主人公が目覚めた。

仮想空間の中に閉じこめられ囚われの身になっている人類を救い出すために、かれは仮想空間を築くサタンのエージェントと戦うことになった。

 

我々日本人信徒は「思考停止空間」に閉じこめられている。

永遠に目覚めることがないのか?

 

亨進様が堕落した天使長である側近に追放され

単身お父様を求め、家出したイエス様のように彷徨われ、山で修行なされた。

聖和された父は奪われた真の母の真の位相を取り戻すべく、

李 妍雅様が母マリアの失敗とお母様の失敗を蕩減復帰された。

信俊様に敬礼を捧げ子供たちもそれに続いた。

 

マトリクスのトリニティが主人公ネオがスミスに殺された際に、彼女の愛でネオを蘇生させたように、清平のエージェントに死の淵まで追いやられた亨進様を蘇生させた。

6マリア絶対「性」を信じ、お母様の代わりに超えられた。

新しい時代が始まった瞬間である。

 

トリニティとは「三位一体」のことである。

神の本陰性を現す女性が、神の本陽性を現す男性に

対象挌位で収まって初めて三位一体は完結する。

三位一体の成就の鍵はマトリックスのトリニティが握っていたように

女性が対象挌位で男性を支えなければ成就できないのである。

 

思考停止空間から日本人信徒を救い出すことができるだろうか?

誰が清平の堕落した天使長に囚われの身になっている食口に

目を覚ますことができるだろうか?

目覚めよ!

 

HyungJin is The One!