かって、立正佼成会 の恩師であった庭野日敬師のもとで秘書をしていた久保木修巳 日本統一教会初代会長は、師の指示のもと、ある方と統一教会の修練会に参加したと聞いている。
その内容に大変感銘を受けられた。
その後、有名な山上での火の玉が口に入る体験をされ、多くの信者と共に統一教会に入教することになった。
それ以後に於いても、度々庭野師のお人柄の素晴らしさを我々の前にお話になられた。
大変尊敬し自分を育ててくださった方を後に残して統一教会にやって来たのであった。
昔私が誰かに聞いた話しでは、国会議員の選挙に出馬を予定していたという。トップ当選間違いなしという感じであったという。恩師からの信頼も厚かったようである。
将来を約束されていた立場であった。
それにもかかわらず、若い人たちが天のため苦労するのを見過ごすことができなかったと我々の前で語っておられた。
そこでリヤカーを引きながら貧困の中で日本が神の福地となる日を求めて、旅立たれたのであった。
1962年31歳の時であった。
久保木先生と共に統一教会に移ってきた方々が、今日の日本統一教会の信仰の礎となってきたのである。
その久保木先生が日本統一教会の初代会長に就任されたのが、34歳の時であった。
このような久保木先生の信仰の証をもって、ある食口が私に訴えてきた。
「安住した生活を惜しげもなく、かなぐり捨てて、
神の理想を高く掲げて歩む若い青年たちを
見過ごさず、見捨てず、困難な道を行く英断を下された。
今こそ初代教会の初代教会長であった、久保木先生の精神に学ぶべき時です。」
何処かの誰かが言っていた。
人生の岐路に立って迷ったら、
容易い道ではなく厳しい道を選べ。
正しい選択の多くは厳しい道にある。
我々の世代では、久保木先生こそが日本統一教会の会長であり、それ以降に敬慕することができる方は残念ながら現れることはなかった。
今日の統一教会の牧会者は久保木先生が34歳でトップにたった年齢を超えた方がほとんどであろう。祝福二世が献身しても活躍の場はない。
自分が開拓伝道して教会を建てるしかないだろう。
それもよいかも知れないが、
サンクチュアリ教会が今後日本に教会建設を推進していくならば、
久保木先生のように、できるだけ若き日が重責に就けるよう配慮すべきである。
若き牧会者として困難な道を歩んでほしいものである。
天使長は若いアダムに愛の基たる栄光の宝座を譲ることができず
かえってしがみついて醜態をさらすこととなった。
インドにある仏像に仏と魔が並ぶものがあるという。
だが、仏の像も魔の像も、うり二つで、見た目はそっくりだという。
神の御使いとしての美しい天使も、
我々を誘惑する堕天使サタンも、
我々のもとにやって来るときには
見かけは、うり二つでそっくりなことに似ている。
そうであるからこそ、その試練を見分けにくいのである。
久保木先生はある時からお父様に頂いた亮光という名前を名乗った。
久保木先生が我々を前に説明されたのは
「世界の隅々まであまねく光をさし照らす」
という意味であった。
神の光。御言葉の光。
今この光が、徳野会長を始めとした日本統一教会の重職者に
差し込めていることであろう!
久保木先生、なにとぞ、艱難辛苦の日本を主の下に導き給え!