原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

わたしの天の父がお植えにならなかったものは、 みな抜き取られるであろう。マタイ15/13

 現在の統一教会は存亡の危機に瀕している。

指導者たちが判断を間違ってご自分が地獄に行くのは結構だが、

純粋に聖和されたお父様を慕って日々の聖業に活躍されている前線の信徒まで

道連れにするようなことがあってはならないことである。

まさかイエス様当時のユダヤ人たちと同様の試練に立たされるとは思いもしなかったことであるが、今日我々は彼らの不信仰を教訓として乗り越えていかなければならない。

 

聖和3周年を分水嶺として、今までばらばらに御旨を求めて活動していた者たちに、統一するべく協助していた霊界が閉ざされて、亨進様の活動に全面的に支援体制が移されるように、お父様がされることであろう。

 

地位を築いてきたもの、功労を積んできたものほど試練が大きいことであろう。

何を我々が価値視して生きているかが問われるところである。

また、窮地の中にある我々がどのような心情を確立しているかを、お父様は御覧になられることであろう。

お父様は絶体絶命の中におられる時ほど、天の父に対して「ご安心下さい。必ず私が神様の恨みを果たして御覧に入れます。」と慰め励まされて、強く雄々しく御旨の先頭に立たれたことを我々はよく知っている。

 

再度召命された12弟子のように、何の基盤もないところから、天一国創建に向けて覚悟を決めて歩み出さなければならない。

サタンの巣窟と化した教会の残骸は、たとえお父様が精誠を尽くされて築いてこられた清平であっても、サタンが未練を抱く以上は、あっさりと捨て去って、巨文島に立たれた父の心情に我が身をおいて、亨進様や国進様とお父様の伝統を確立していかなければならない。

 

 :1)われらは

バビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。

:2)われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。

:3)われらをとりこにした者が、

われらに歌を求めたからである。

われらを苦しめる者が楽しみにしようと、

「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。

:4)われらは外国にあって、

どうして主の歌をうたえようか。

:5)エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば、

わが右の手を衰えさせてください。

:6)もしわたしがあなたを思い出さないならば、

もしわたしがエルサレム

わが最高の喜びとしないならば、

わが舌をあごにつかせてください。

:7)主よ、エドムの人々がエルサレムの日に、

「これを破壊せよ、これを破壊せよ、

その基までも破壊せよ」と

言ったことを覚えてください。

:8)破壊者であるバビロンの娘よ、

あなたがわれらにしたことを、

あなたに仕返しする人はさいわいである。

:9)あなたのみどりごを取って

岩になげうつ者はさいわいである。   

詩編137篇

 

亨進様はまるでイエス様のよう。

エルサレムは清平のよう。

 

   :37)ああ、エルサレムエルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった

:38)見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。 :39)わたしは言っておく、『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」。

マタイによる福音書23章37~38節

 

さて、使徒が活躍する時代に「国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人」がいた。

今や彼の言葉が統一教会の信徒のための助言になろうとは誰も想像することができなかった。

彼は何かを感じていた、しかし静観するばかりで、一歩前に出て歩み寄ろうと行動に出たわけではなかった。

躊躇してはならない。

祝福二世のために12使徒について書こうと思っているが、

さあ、ガマリエルの助言から使徒たちの身の上や彼らの行動に変化があっただろうか?

聞き給え!

 

:29)これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。

:30)わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ、

:31)そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである。

:32)わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」。

:33)これを聞いた者たちは、激しい怒りのあまり、使徒たちを殺そうと思った。

:34)ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、

:35)一同にむかって言った、「イスラエルの諸君、あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。

:36)先ごろ、チゥダが起って、自分を何か偉い者のように言いふらしたため、彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。

:37)そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。

:38)そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。

:39)しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。そこで彼らはその勧告にしたがい、

:40)使徒たちを呼び入れて、むち打ったのち、今後イエスの名によって語ることは相成らぬと言いわたして、ゆるしてやった。

:41)使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。

:42)そして、毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。

使徒行伝5:33~

 

 神が我々に何を願っておられるのか?

それが全てである。

我々の信仰生活はお父様のように御旨一直線であるという訳ではない。

高い時もあれば低い時もある。

正しい時もあれば誤った時もある。

だが、ここ一番という時には決して判断と行動を間違えてはならないのが

信仰の道である。

鳩を裂かなければならない時がある。

箱舟に乗らなければならない時がある。

たらたらとノアを非難していた家族であっても、箱舟に乗ったので

生きながらえることができたのである。

 

亨進様が審判についても語られ始めている。

困ったことである。

天の要請によって語られているのか、ご自分の判断なのか、それとも両方なのか?

私には分からない。

だが、中心人物が語った以上は、霊界は確実にその預言の成就のために動き出さずにはいられない。

 

献金は大切な行為であるが、ハコモノをいかに築いてきても天国は顕現しなかったことを我々はたっぷりと見てきた。

天国はあなた方のただ中にあると、イエス様がおっしゃられたとおりであった。

牧会者は単なる取税人に陥ってしまったならば、どうして神が働くことができようか?

全ての牧会者は役職を辞して環故郷して、この世の苦役に就くがいい。

そこで初めて悔い改めと、本心を取り戻すことができ、我らの兄弟として帰ってくることができるからである。

神のために献金すれば献金するほど、サタンの懐の実績となっているというこのパラドックスを解決しない限り、天一国は遠のいていく。

 

あなたがたは『だれでも父または母にむかって、あなたにさしあげるはずのこのものは供え物です、と言えば、父または母を敬わなくてもよろしい』と言っている。

 

:3)イエスは答えて言われた、「なぜ、あなたがたも自分たちの言伝えによって、神のいましめを破っているのか。
:4)神は言われた、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。
:5)それだのに、あなたがたは『だれでも父または母にむかって、あなたにさしあげるはずのこのものは供え物です、と言えば、
:6)父または母を敬わなくてもよろしい』と言っている。こうしてあなたがたは自分たちの言伝えによって、神の言を無にしている。
:7)偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、
:8)『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
:9)人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。
:10)それからイエスは群衆を呼び寄せて言われた、「聞いて悟るがよい。
:11)口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。
:12)そのとき、弟子たちが近寄ってきてイエスに言った、「パリサイ人たちが御言を聞いてつまずいたことを、ご存じですか」。
:13)イエスは答えて言われた、「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう。

 

抜き取られてはならない。

我々の命のためではない。

我々を愛して下さった父の苦労が水の泡になってしまうことは、

耐え難いからである。

今、我々は跪いて、ダビデのように祈りを捧げよう!

 

 ダビデの歌 

 :1)主よ、わたしはあなたに呼ばわります。

すみやかにわたしをお助けください。

わたしがあなたに呼ばわるとき、

わが声に耳を傾けてください。

:2)わたしの祈を、み前にささげる薫香のようにみなし、

わたしのあげる手を、

夕べの供え物のようにみなしてください。

:3)主よ、わが口に門守を置いて、

わがくちびるの戸を守ってください。

:4)悪しき事にわが心を傾けさせず、

不義を行う人々と共に

悪しきわざにあずからせないでください。

また彼らのうまき物を食べさせないでください。

:5)正しい者にいつくしみをもってわたしを打たせ、

わたしを責めさせてください。

しかし悪しき者の油をわがこうべに

そそがせないでください

わが祈は絶えず彼らの悪しきわざに

敵しているからです。

:6)彼らはおのれを罪に定める者にわたされるとき、

主のみ言葉のまことなることを学ぶでしょう。

:7)人が岩を裂いて地の上に打ち砕くように、

彼らの骨は陰府の口にまき散らされるでしょう。

:8)しかし主なる神よ、わが目はあなたに向かっています。

わたしはあなたに寄り頼みます。

わたしを助けるものもないままに

捨ておかないでください。

:9)わたしを守って、

彼らがわたしのために設けたわなと、

悪を行う者のわなとをのがれさせてください。

:10)わたしがのがれると同時に、

悪しき者をおのれの網に陥らせてください。

詩編141篇1~10