ドラマ「善徳女王」で、ミシルは王権をなきものにし、代わりに自分が君臨するために画策している。
そのミシルが、権力闘争の勝敗を決めるのが「人を得た者が勝つ」ということであった。
サタンは悪なる条件を持つ者、それによってサタンに仕える者を探し求め教育し続けている。
韓国の時代劇は史実に基づいて作られているとは限らない、数行しかその主人公の歴史的資料が残されていない場合さえある。
その点我が国の時代劇、特に大河時代劇はずっと資料に恵まれている。それでも毎回批判が出てきているようである。
ずっと以前にある方が時代劇は現代劇であるというようなことをおっしゃられていたことを思い出す。ある特定の時代設定を踏まえた現代人の問題意識の再構築が時代劇であり、そのために心が惹かれるのであるというような趣旨であったかと思う。
私は韓国人の無から有を創造する力に感銘を受ける。
しかも、他のものをもってしては決して学ぶことができないであろう心情の世界を我々に目に見える形で提供してくれている。有り難い教材である。
朱蒙の三足烏(さんぞくう)とは何か?
烏(カラス)は知恵を表す。
何故三本足なのか、三者によって支えられた智者であるからである。
三足烏は火鳥とも言われている。
三者と生死を分かち、その基台の上で真理の火、すなわち御言葉を持って来られる方だからである。
その方は真理と理想を持ってこられるが、三足によってはじめてこれが実現され維持されうる。三足とは覚者として成立する存在条件である。
如何に善王や善王妃が真理と理想を旨に指示を与えられようとも、結局のところ、これを実行に移し実現していくためには、王や王妃の手足となって働くものが不可欠である。しかし、もしこの者たちの中に主君と一心であるのではなく、二心を持ち、主君の願いだと偽って、自分の希望と利益に奔走する者が基盤を築いて、とぐろを巻くように王や王妃をがんじがらめの金縛り状態にしていたとすればどうであろうか?
韓流時代劇はそれを我々に教示してくれている。
王や王妃の生存基盤をめぐって神とサタンが一戦を繰り広げているのである。
マリ・オイ・ヒョッポがいなければ如何ともしがたいのである。
真理も理想も神棚に棚上げして終わるのみであろう。
そこでドラマ「善徳女王」に登場する悪の権化ミシル(美室)は言うのである。
「人を得た者が勝つ」
王(神)とミシル(サタン)が直接闘うのではない。
人を介して間接的に生存圏を求めて闘うのである。
ミシルは
「民(堕落人間)は幻想の中に生きるものです」
といい幻想が無くてはならないのだと言う。
神と民を結ぶ幻想を造るために神女の存在価値があるとする。
やれ怪我だ病気だ子供が授かれない。
民の自利を求めるニーズには終わりがない。
天意などあろうはずがないが「ちょっとだけ天意がいる」と言う。
幻想を現実として思いこませるには、ちょっとだけ天意が必要であると。
善徳女王はミシルから堕落論を学び如何にすれば彼らの罪状を暴き、敵の意を叩くことができるかを探った。
そして遂にミシルにこう言われるほどになったのである。
「あなたは私より狡猾です。」
若い頃お父様の祈祷の証を聞いて心にひっかかり忘れることができなかった。
天宙復帰を模索する中でお父様が祈りの題目に筆頭として挙げていたのが、
心情ではなかったからである。
「神よ!どうか我にサタン以上の知恵を与え給え!」
心情ではなく知恵であった。
カラス、すなわちサタン以上の知恵を持ち、生死を超えて主に仕える三足を掴む時、
その者はメシアになる。
知恵だけでも三足だけでもいけない。
韓半島は、日本のように外国と海を隔てて守られた環境にはなく、大陸と地続きでその権勢に殺傷与奪の匕首を突きつけられたような情勢に常にあった。
その極悪な環境で生き抜いていくためには、朝貢相手の中国の意向を理不尽であろうと甘んじて受け入れて行かざるを得ず、中国と同じ儒教文化の徹底とした浸透が、上位者の顔色ばかり伺う悪弊の伝統をもたらした。
山本七平が生きていたら、日本教が存在するとしたように、韓国教の正体を解明してほしいところである。
天の伝統になるべきアベル観もこの韓国教によってずたずたに引き裂かれているのかも知れない。大学で社会科学を専攻している祝福二世の方には文化的悪弊の構図を説いて頂きたい。
悪の化身たるミシルの知恵を見切って、その知恵がいかなるレベルかを判断して、裏をかくか、裏の裏をかくか、それとも裏の裏の裏までかくか、それが問題である。
善徳女王は、腹心のユシン郎にミシルを欺くように、「ミシルは人の心を見抜くので絶対に目を離してはならない。」と警告して嘘の報告をさせる。
日食が起こるか起こらないか?
ミシルはユシン郎のちょっとした同様も見逃さない。
そこである判断をする。
ところが善徳女王はユシン郎が正直者で嘘が苦手なことをよく知っていて、「敵を欺くには先ず味方から」とユシン郎には本心を明かさずに使いに出していた。
案の定、ミシルは思ったように判断をした。
王が民が安心するよう日食があるかないか神女のミシルに解決するよう求められていたので、確信をもって
「日食は起こらない」と証言してしまった。
善徳女王の足の一つであるピダムは日食が起こるといって民心を惑わせた罪により殺害されかかっていた。
そのとき日食が起こり、ピダムはこの時とばかり古くよりを預言された言葉を叫び出す。
「開陽者立 鶏林天明!」
「御出雙生 聖骨男盡 開陽歸天 日有飾之 開陽者立 鷄林天明 新天到來」
「双子が生まれ 王の男子の血統が絶え 北斗七星の一つである開陽を表す双子の一人が天に召される時 日食が起こり もう一人の開陽である別の一人が立つ 新羅を象徴する鶏林に天の光が差し込め 新たな天の支配がやって来る」
ピダムは自分がミシルの子であることを知らない。
母の過ちを知らずに蕩減復帰したのであった。
アダムの三足は三大天使であった。
お父様の三足は三弟子→三聖骨男子
したがって三弟子の責務は、いち早く三人の男子の御子女様に三足として立てるよう教育指導し、交代の後は我が子を後継者候補の子女様の三足とするべきであった。
しかし、孝進様に三足は現れなかった。
顕進様にもご本人の人生でもっとも重要な時に三足は現れなかった。
蘇生・長成とサタンの宮廷侵犯とその基台に翻弄されることになった。
三次目の完成として亨進様が天により召命された。
はたして三足が有りや無しや?
今や特別巡回師すらしている場合ではないのである。
亨進様が人を得ることができるか否かが勝敗の分水嶺だとミシルは言っているのである。
アメリカで孝進様が糾弾された時、お父様に対するお願いの書状は大変慎重に考慮され精誠を尽くしたものであった。
しかし、この時こそ孝進様の三足が現れ、その証明を示す絶好のチャンスであった。
ところがこの危機を好機に転換する三足が現れることがなかった。
顕進様もお父様が父の元から離れてはならず、戻ってくるようにとの命に服さなかったので後継者となるための決定的な瞬間を逃してしまった。
達磨大師の弟子になり悟りを得ることができるなら、腕を切り落として覚悟のほどを見せることができるという話しがある。
その慧可が顕進様の下にいれば、腕を切り落としてでも諫めることを躊躇しなかったであろう。しかし、顕進様は人を得ていなかった。
亨進様で最後である。
天の声聞く者在りや?
亨進様の三足を準備せよ!
信俊様の三足を準備せよ!
信俊様の相対者を準備せよ!