原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

顕進様を支えて勝利に導くか 権進様か?   お父様による子女様の命名法と三男子の一体化

現在のところ顕進様が他の御子女様と合流するというような話しは聞こえてこない。

四位基台の観点からすれば、子女が立てば父母が立つということから、子女すなわちアダム家庭の構成員を代表する三男子とそれぞれの相対者の6人と父母の合わせて8人が重要になってくるわけである。

アダムとエバの子カインとアベルとセツの妻がそれぞれいて8人であった。

これが再出発の意を持つ8数の由来であると霊界からやって来られた興進様が明らかにされた。

この家族がサタンによって奪われていったことを復帰摂理の何処かで完全に取り戻さなければならない。

おそらくは顕進様と國進様と亨進様が蕩減復帰する使命があられたのではないか。

ところがお父様の聖和後、依然として合流していく気配がないようである。

三年を三日路程の一種と考えるならば、大変な情勢である。

アダム家庭ではカインに殺害されたアベルの代わりにセツが立てられたが、

8数をもってアダム家庭の蕩減復帰をするという点から言うと、

顕進様のご使命が権進様に移行される可能性が出てきたと考えることができる。

大変残念なことである。

この責任は顕進様に仕える者に帰すことができると考えている。

父の心を持って顕進様に仕えるべきである。

聖和3周年が間近に迫っている。

復帰摂理上の大勝利を顕進様が歩むことができるように精誠を尽くし支える時である。

 

祝福二世の中には顕進様を支持する運動を展開している方がいるようである。

サイトを見ても顕進様の何を支持しているのかさっぱりわからない。

日本の信徒で顕進様を支持していない人は少ないだろう。

お父様が生存中に父の元に戻って活躍して頂きたかったのである。

今日の情況では亨進様のところにお一人で行かれることが望ましい。

ご兄弟が腹を割ってお話しすべき時であろう。

顕進様の支持者はお父様のお話が少ないような印象を受ける。

まるでお父様やお母様ではなく顕進様ご夫婦が真の父母であるかのように考えているかのようにさえ見えることもある。

亨進様を尊敬する信徒たちは、真の父と真の母を敬愛し、次に真の父によって亨進様が代理使命を与えられた継承者として従っている。

民主的な支持運動によって正しい中心人物を立てようとする姿勢は、神主義からはずれていく、復帰摂理の基本的理解ができていないからだろうか?

我々一世は堕落世界にどっぷり浸かって拾い上げられた一世より、原罪を精算されて生まれてきた祝福二世は、はるかに御言葉の理解や心情の理解が優れていることだろうと信じてきた。

ところが、我々の子女はおろか、日本統一教会の会長経験者のご子息であれ、心許ない状態である。一体これをどう理解して良いのかわからない。

我々の若い時は今日のように御言葉が誰でもアクセスできる情況にはなかった。

そこでお父様のことを深く理解する環境は現在の二世の方がずっと恵まれている。

それなのに、何故御言葉や心情に対する感性に疑問を感じることが多いのであろうか?

 

さて、お父様は御旨成就のために御子女様を有機的に御覧になられていることはあっても、個別に御覧になることはないと言って良いであろう。

たとえば、この世の父母は自分の子供に名前をつける時には、だいたいその子に集中してつけるものである。他の子供を意識することは少ない。あっても多少である。

ところがお父様はこの点はっきり違っているのである。

特に男子の子女様の名前にはそれが現れている。

つまり、先にお生まれになった御子女様に、ある使命を託された名前をお付けになると、次にお生まれになった方には、前の方の名前を受けてこういう使命の名前をつけると言うようにされているのである。

つまり御旨において一つに統合されたお名前がひとりひとりの男子の子女様にはつけられていると言うことである。

 

孝進というのは、孝行することによって祝福家庭が勝利するのである。興進の「興」はさかえ、顕進の「顕」はあらわれるという意味である。祝福を受けて初めてあらわれるという。国進様はどこで現れるかといえば国に現れる。国進様はそのような責任がある。権進様は国に現れて権勢をもたらし、統一教会の権進様は、権勢をもたらしてくれる。

 

父の心がそうであるのに、もし顕進様が亨進様や國進様に合流する方向に身を粉にしてお支えしていないとすれば大変なことになってしまうのである。

御旨において御子女様が一つになって協力して精誠を尽くされていくことをお父様が願われて皆様のお名前をお与えになっているからなのである。

 

我が家でもこれに倣って、始めの子の名前を受けて次の子の名前、というように関連づけて命名することになった。

 

その他、漢字圏の日本ではお父様のように何代目の人物か同様の漢字と位置で表すような、主の国の伝統を取り入れることも可能である。

陰陽の哲学で漢字が選ばれているのではないかと思う。

「進」は語尾で、次の御孫様の時は「信」が語頭になることを見ると、順番にそうなるのであろうか?

韓国文化に詳しい方がご説明下さるとよろしいかと思う。

 

そのように統一教会は権進様と共に押し進めていくのである。摂理史的なことが名前と共に一致するために、その名前が権進というのであり、権進様が米国で出生されたから米国を代表するのであり、アメリカの市民権をもっているために、アメリカを代表した立場であり、これが全部韓国に連結されるのである。それでこのたび権進様を連れてきたのである。

 

朴先生が権進様を支えられて、お母様と亨進様の邂逅の日を一日も早く訪れるよう尽力して頂きたいと心の底から願うものである。

顕進様と権進様に期待したい。

 

安楽死」問題は今回の最終見解で、実際の最後を現場で確認しない者の誤解であることが判明した。亨進様の表現も適切ではなかったのかも知れない。

ところで、私はお父様が聖地にて聖和されたことにほっとしたことを思い出した。

お父様はご自分が「何処で死ぬかが問題である。」と度々語られてきた。

イエス様は堕落世界でお生まれになり、堕落世界で天に向かわれた。

お父様は堕落世界でお生まれになったが、聖和される時は堕落世界から旅立ってはならない。

清平から霊界に旅立たれたことは、その点ほっとするものであった。

万民が神の主管する聖地から聖和して天に旅立つ道が切り開かれたからである。

誠に誠に感謝致します。

アージュ