先ず、堕落論において心せねばならないものは、
創造原理が失敗したのではなく
創造原理という基準があるから
アダムとエバが堕落したということである。
この辺の理解が大切なところである。
36家庭の先生から講義を受けたことがあった。
名前は忘れてしまった。
それによると
不義なる欲望によって、
自犯罪を犯すに至る
この自犯罪は
人類始祖アダムとエバから始まる根元的な罪という視点によれば
①原罪
この罪が遺伝のように縦的に継承されて来たという視点によれば
②遺伝罪(あるいは血統を通して遺伝されたので血統罪)
この罪が横的に共有されてしまったという視点によれば
③連体罪
というように理解される。
原理講論とは表現が違う。
これはアダムとエバの犯罪行為はまるごと一つのものなのであるが、
人間の頭で理解する都合上構造的に、構造物のように分解し組み合わせていく作業によるからである。
人類始祖アダムとエバの自犯罪を、動機と経路によって見ていくと
アダムとエバを信頼し全き愛で愛されていた神の御心を疑った
①不信罪
神を不信したことから「とって食べるな」の戒めを破って引き起こしたのが
②淫乱罪
誘惑によって淫乱に及んだと言うことは、相手の永遠の生命を奪い失わせることになる。子女であるカインが弟のアベルを殺すことに至り実体化されてしまった。
③殺人罪
神様が完成されたアダムとエバによって管理なさろうとしていた被造世界・万物が非原理的な存在によって蹂躙され掠奪されてしまった。
④強盗罪
その結果何がもたらされたかという視点によれば
①地上の悪なる国家主権
②地上の各種犯罪団体
③霊界の悪なる国家主権
④霊界の犯罪団体
不義なる欲望から次第にずれていき犯罪行為を為すようになってしまうのであるが、復帰原理では堕落後の我々は、創造主としてに神様との因縁と堕落をもたらした偽りの父であるサタンとの因縁の二つを持つことになり、善にも相対し悪にも相対する中間位置に陥ってしまったという。
二人の主人に仕えるという非原理的立場から、神のみを主人として使える本然の立場に戻らなければならない。
この時私の「動機」を巡って神とサタンの攻防がなされるのである。
この中間位置から脱却する道を「善神の業と悪神の業」として如何なる「動機」を持つかによって相対基準が決まり、善神や悪神と授受作用が始まり、そこに授受作用の力が発生して、どんどん神に近づくことも、サタンに近づくこともあるとしている。
人間はこの間の事情を直感として最初から最後まで知っている。
「平和感」や「正義感」や「健康感」の増進によって善神の業を実感し、
「不安」や「恐怖」や「利己心」や「不健康感」の増進によって悪神の業を知るようになる。
このように人間の動機に働きかけてくるサタンの様子をこのブログでは度々紹介してきた映画「エクソシスト」によって学ぶことができるとした。
悪魔払いをしてきた老練な神父は
「絶対に悪霊と会話してはならぬ、
関連事項の質問を超えた会話は危険だ。
悪魔はウソつきだ。
我々を混乱させる。
そのウソに真実を混ぜて
我々を攻めるのだ。
デミアン それは心理的で非常に強力だ。
だから聞くな、耳を傾けてはならぬ。」
分派の言葉を聞く必要はない。
闇を見つめると闇に呑みこまれてしまうことがあるのである。知らず知らず少しずつ悪と相対基準を結んでしまっていて引きずり込まれてしまうからである。
織り交ぜてある真実でおびき寄せて、真実との相対基準をいつの間にかウソ偽りにとって変えて引っ張っていくのである。
血統は心情を表すという。
天使長ルーシェルが堕落していった際の、感情の推移と、ある状況下に置かれた人間がどのような感情を持つかに焦点を合わせると、軌道修正や脱線防止に役に立つ。
天使長ルーシェルが過分な欲望を持ってサタンに堕落していった情的な経路を見てみると、
羨ましい→淋しい→嫌い→呪い→無関係
というような感情の推移が見られる。
このような感情のいずれかか誘発してきた時には用心するに越したことはない。大きくずれないよう動機を正すか、それができないのであれば分別するための条件を立てなければならないだろう。
14 人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。
15 欲がはらんで罪を産み、罪が熟して死を生み出す。
ヤコブの手紙1章14節=15節
<信仰基台の意義>
神様の御言葉を信じて、実践し(自己主管完成)、言葉と人格と心情の実体となり、神を中心とした四位基台を造成することを信仰基台という
<実体基台の意義>
完成したアダムが、天使長を主管することを実体基台という。
アダムには天使長を主管する条件が4つあり、天使長には堕落性を脱ぐ為の蕩減条件が4つある
天使長を主管する4つの条件
(ヨセフが勝利した条件が天使長を主管する条件である)
1,不屈な絶対的信仰・・・・・・①不信罪
①10人の兄によって3回の死の境地に立たされた。
Ⅰ、木に縛られて3日間山中に置かれた
Ⅱ、穴を掘って穴の中に入れられた
Ⅲ、エジプトに行くイシマエル人の商人に売られた
②故郷と父母から強制的に離された
③エジプトで奴隷生活をさせられた(王の侍衛長の家で)
④エジプトで罪なしに獄中生活をさせられた
⑤罪なしに悲惨な状態におかれても不平不満を言わない。
罪なしに厳しい蕩減の道を行けば神様から素晴らしい祝福を受ける。
ヨセフは蕩減の道を行った後に、エジプトの総理大臣になった
2,淫乱の試練に勝利する・・・・・・②淫乱罪
ヨセフはエジプト王の侍衛長の夫人の淫行の誘惑に勝利した。
(アダムは堕落したエバの誘惑に負けたが)
3,恩讐を愛する・・・・・・③殺人罪
ヨセフは10人の兄さん(恩讐)に対して仇討ちして殺さず恩讐を愛した。
4,万物を贈与する・・・・・④強盗罪
飢饉状態の兄さんたちに食物を与えて生かした。
自犯罪で失われた神の子としての位置と状態を蕩減復帰することがアダムの責務である。すなわち
不信罪 → 絶対信仰
淫乱罪 → 絶対「性」
殺人罪 → 恩讐愛
強盗罪 → 万物贈与
以上の事柄を深く考慮して
<自犯罪防止法>・・・・・・不義の欲望を除外する事
(堕落防止法)
基本原則の確認(創世記3/1~24,2/16~17)
神の言葉
16 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
17 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
(創世記2/16~17)
事実
25 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。
(創世記2/25)
エバの言葉
2 女はヘビに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、
3 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
(創世記3/3)
エバの言葉
6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
(創世記3/6)
事実
7 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり会わせて、腰に巻いた。
(創世記3/7)
要点を整理し対策を考えると
①創世記3/6 「目に美しい」 → 見るな!
②創世記3/6 「食べるに良い」 → 触れるな!死んではいけないから!
③創世記2/16 「食べたら死ぬ」 → 取って食べるな(創世記2/16)
解説
①見るな! → 女性は美男子を見るな。
男性は美人をみるな。
年を経たヘビの後孫である堕落人間は
見ると性欲が湧くからである。
真のお父様ですら、若き日にはわざと身なりを酷くしたり、
下を向いて相対基準を結ばないようにされてきた。
(心の自己主管)
②触れるな! → キスや按摩や抱擁をするな。
(体の自己主管)
* 相手の体に触れると(キスすると)、相手は蛇に変身して首に巻き付く。
③取って食べるな! → 性行為をするな。
(堕落するな)
* 堕落するとその蛇が体内に入り、その人を主管する。
あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおり行おうと思っている。彼は始めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。
さて美しいものを美しいと感じるということは創造本性である。
だが、偽りの父から遺伝されてきた堕落性を脱ぐためには、最短で3代かかると言われている。したがって伝統が家庭に確立できるまでは油断は禁物である。
堕落の結果 主管性転倒と自犯罪の二つが生じた
原理講論の記述との対応を列挙すると
① サタンと堕落人間・・・・・・主管性転倒
② 人間世界に対するサタンの活動・・・・主管性転倒
③ 目的性から見た善と悪・・・・・自犯罪
④ 善神の業と悪神の業・・・・・自犯罪
⑤ 罪・・・・・・自犯罪
⑥ 堕落性本性・・・・・主管性転倒
<主管性転倒>
① 僕である天使長が主人になり、サタンになった(総司令官)
② 主人である人間が堕落して、天使長の僕になった。
③ アダム・エバの後孫、即ち氏族、民族、国家、世界がサタンの主権のもとに入った。
④ サタンは霊界と地上世界の主権者となった。
さて、ヨセフは偉大な勝利を成し遂げた。しかし彼の後孫からメシアは現れなかった。ヨセフの命を智慧で助けたユダの家系からメシアは現れた。
ヨセフはエジプトの女と結婚することで
神の血統を残すことができなかったのである。
新約聖書冒頭のマタイ伝ではイエス様の家系図から記載されている。
血統は心情を表す。
血統は心情の継承を意味する。
絶対「性」の御言葉は実に深い内容に溢れている。
有り難いことである。
今日誤った信仰によって煽動する者が多く現れている。
この内容が真の御母様を支えて居られる方々の役に立つことを願うものである。