原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

創造原理 相対思考 超越と内在を意識する生活習慣 小保方晴子さんのSTAP細胞を巡って

世界とは独立して神が存在しているという在り方、つまり神が世界外存在として存在している事を超越と呼び、世界の中に神が存在しているという在り方、世界内存在として存在している事を内在と呼んでいる。

これらはコインの両面のように表裏の関係であるとか、バランスが問題視されているようである。

神学的な問題はさて置き、ここでは我々人間の生活においての超越と内在に焦点を置いて考えていきたいと思う。

そこで万能細胞についての報道に触発されて話を進めてみたいと思う。

小保方さんの研究成果であるSTAP細胞は、iPS細胞に比べていくつもの利点があると考えられている。遺伝子を扱わずに作れることから、細胞の癌化の可能性が低いと思われることや、より短期間で経済的に作成可能と期待されている。また今まで不可能であった胎盤の再生も可能なことから、細胞分裂が始まる前の原初の細胞により近い万能細胞と見なされている。

山中教授の成果は4つの遺伝子を組み込むことで細胞の初期化、すなわちいろんな臓器などの細胞ではなく未分化時の細胞に戻したことが画期的であった。しかしもし仮にたった一つの細胞でも癌化されてしまえば、これが増殖しないとは限らないので、世界中がこの問題を回避する道を求めて研究している。

山中教授は安全性について発見されてから8年になり製法も変わりヒトに応用される直前の段階に来ていて安全性は飛躍的に高まったと言う。

できる効率については、当初は約0.1%だったが、09年に20%に上昇させることに成功したと話し、STAP細胞は、酸に浸した後に生き残った細胞の約30%が多能性を獲得することを考慮すると、正確には約10%で、これから増殖する細胞になるのは1〜2割程度だと指摘した。

専門的に見ると簡単には比較できないようであるが、私見では教授の語っているのは、効率を数学的な確率で示したものであって、それと経済的な効率である費用対効果は依然として未知数であるように思われる。それぞれの研究開発のステージが異なっていて見えにくいように思える。また判断材料も少ない。

iPS細胞は世界中の誰でもどこでもできる簡単な技術で、ES細胞の培養法などが応用できたため世界中で急速に普及したので、STAP細胞も過去の研究成果との互換性を考慮することが得策と山中教授は語っている。

山中教授は小保方さんに自らの研究所に来られるようラブコールを送っているようである。また謙虚にノウハウを指導して頂きたいともおっしゃっておられる。必要な協力は惜しまないと語っている。

さて、本題の超越と内在である。

ここでは超越と内在をイノベーションと改善を念頭にして考えてみてはどうだろうかと考える。

内在、すなわち世界内存在はここでは、既成の学問体系のことを指し、そこを視点として考えることを指す。一方超越とは、新しいパラダイムの学問体系のことであり、そこを視点にして考えることを指す。。

ここで大切であると思われることは、初めに書いたように表裏の関係性を持つと思われるので、相互に交流することは望ましいと思われるが、どちらが主体であり対象であるかによってその後の展開が違ってくると思われることである。

過去の遺産を相続するのは結構であるが、それに依存して主体性を喪失してはならない。

ふとビートルズの「She loves you」を思い出した。

初めて聞いたときはショックであった。何故そう感じたのか?後で分かったことではあるがサビが初めに来ていたからである。それまでの既成の音楽内に生きていたらあんな音楽は生まれてこなかったのかも知れない。言い換えれば音楽の常識を知らないことが幸いして、新しいものが誕生したのである。

金 百文が書いたものを文 鮮明恵父がパクったという反対派の人がいる。実際に比べてみると全くの別物である。似ているとすれば双方が組織神学的表現形式を取っているくらいのことであろう。

イエス様は神の視点から律法を説いたのであり、文 鮮明恵父も神の視点から旧約と新約の聖書を解き明かしたのである。継承してはいるが、そこに止まり内在しているのではなく、超越しているのである。

新しい時代を切り開く人は同様に超越性を持っている。既にある学問体系の外側に立つ故に、既成の体系である世界から完全な否定と迫害を受けるようになるのである。

過去数百年に渡る細胞に関する生物学の歴史を愚弄する研究論文であると、権威ある人々から叩かれたと言うことは、数百年の歴史を塗り替える大発見の評価を得るためには避けて通ることができない試練であり、限界状況なのである。自分の精誠の存在理由を完膚無きまでに叩かれて死にきり、復活したとき、人は神の祝福を見るだろう。

新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるべきである。

今後どの様な交流があるにせよ、このような快挙を遂げた人物に対して主管性転倒(主客転倒)をしてはならない。そうなれば改善の成果は約束されるであろう。しかし、数十年或いは百年を見据え、自分が為し得ていることと為し得ていないことを正確に峻別して会見に臨んでいた小保方晴子さんは、まだまだ限りない成長を感じる。期待したい。

超越して存在する神を自らの心の中に神殿を築いて招き入れ、その内在(臨在)に礼拝するのが信仰生活である。

インドの挨拶の言葉「ナマステ」には、私の中にある神性が隣人のなかにある神性に挨拶するという意味があるそうである。

山中教授と小保方さんの邂逅の日がそのような日になることを深く祈るものである。アージュ