神様は労働量を交換価値とする労働価値説の立場を取らない。先回、私が社会保障の件で、1日の労働時間8時間を100%として・・・といった考えも、実は神の思想とは関係ないどころか、唯物的発想であったと懺悔しなければならないのである。深くお詫びを申し上げたい。修行が足らぬ。
分断、分裂、分割、分類というように、分けて考えたり、分けて接したりという思いが微塵も存在しないのが、心情世界なのである。
それが日常の時も異常の時も変わりなく、神が感動される基準で表現される本質が、心情というものなのである。
そこで御子女様の亨進様が禅のお話を、真の父である文鮮明 恵師にお話しされたとき、「うん、それは分かるけれど、それならその苺を、そのねずみと虎にもやらないとね!」と喝破されたことをお話ししてきたのであった。
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/07/000055
自らを食い物にしたり、命を絶とうとする輩さえも、危害を加えぬ人々と何変わりなく、かえってその罪に陥り神より授かった神性を身の毛もよだつ悪魔性に歪めて振り回される、堕落人間を哀れみ、至聖の者にこそ向けられるべき祝福、すなわち「苺」を無償で差し上げるのを喜びとするのである。
神の前に絶対対象となった存在は、今度は人間や環境に対して
絶対主体となり主体性を絶対発揮するようになるのである。
そこで権進様の証を動画でよくよく見れば、心情という悟りの世界を知る上で相補うような内容になっているのには至極驚かされた次第である。さすが御子女様恐るべし!
権進様は我々が日常生活で出会うであろう人々の、地位や肩書き、有名無名、服装や持ち物などによって、自分の態度が変わったり、偉い人だからといって緊張したりすることは、無差別無境界の心情世界に反する内容であり、これを治めなければならぬとお考えになったようである。
http://www.youtube.com/watch?v=fT_jxlSa8iE
文鮮明 恵師とは乞食と会えば乞食仲間の如く接し、政治家と会えば政治家の如くである。人の子に枕するところなしと言われたイエス様と共に人生のどん底のどん底を知り尽くし、体験し尽くされた御方であればこそ、不変不動、永遠絶対の境地を日々歩まれたのである。
西郷隆盛は陽明学とキリスト教の本質が一致していると考えていたようである。敬天愛人を実践する上で重要な覚悟に、「命もいらず、名もいらず」があったのであろう。
我々もいずれ霊界に旅立つ日が訪れる。如何に西郷に会うか、それが問題である。
心情は時間を超越しているので、時間によって制約されたり、分割したりできないものである。さらに付け加えるならば、こちらの地域で多くとれるものが、あちらの地域では少ない、そこでその希少性の格差を利用して商いをしようというのが、堕落世界の常識である。しかし空間によって誓約されたり、分割されたりできないのが、これまた心情世界なのである。
神の愛を無償の愛というのであるが、神の行為というものは無条件の贈与であり贈り物と考えた方が近いように思われる。
心情というものが静的ではなく動的であることは、パウロが愛という名詞で神の心情を語ったことと、イエス様が愛するという動詞で語ったことを思い出して、興味深い。
本然の世界では会社においては社長も平社員も基本給は同じであるかも知れないと思うことがある。本当はお金というものは世の中に必要でさえなかったのかも知れないのである。
まあ、全体目的の達成のために、ある役割を果たしやすいように手当のようなものは支給された方がいいのかもしれない。
堕落人間は霊性を失っているが為、永遠性のないものに価値を求める傾向があるのであるが、ノブレスオブリージュの如き、目に見えない精神性に価値をおく、創造本然の世界では評価される価値は当然堕落世界とは逆転するであろう。財産の蓄積ではなく名誉の蓄積と言ったらわかりやすいであろうか?
メシヤが降臨された現在、現実的な問題となったのである。
ところで、家内が私のブログを読んで「日常生活の中で、考える糸口を求めて」という副題が付いているのに、ちっとも日常的ではなく難しいことしか書いていないんじゃないの?という指摘をしてきた。
お言葉ごもっともである。かくいう私もずっと以前から気がついていたのではあるが、どういう訳か筆がそういう方向に自然と向いていくのである。そこで何故なのか考えてみることにしたのである。
自分にとって考えるということの目的は統一原理の理解のためである。信仰とは何か?心情とは何か?個性完成(人格完成)とは何か?その答えや糸口を探るのがメインである。そこで、当初副題に書いたはずであるのに、そのようにはならず、別の方向に引っ張られているのではないかと思うに至ったのである。情けない話である。
そこで、今日の動機を考える生活習慣である。
私の高校時代の親友は時々実にうまいことを言ったもので、感心させられることがあった。
「言葉が大切なのではない、言葉を言わせたものが大切なんだ!」
現象である表現が現れた原因である本質、すなわち動機が大切であるというのである。もともと人間や人間関係には関心がなかった私は人の気持ちを理解するのが大変苦手であった。しかもそのことに気がつくのが随分遅かったのであった。お恥ずかしい次第である。ある時友人お一人から指摘されて、不本意に思ったが、徐々に自分にもそのことが理解できるようになったのである。
この言葉は人間理解にとって本当に重要であると思ったのである。言わせたものは何か?言わせたものは何か?と語っている言葉ではなく、言わんとするものに集中するように変わっていったのである。
動機と言えば名探偵コナン君や古畑任三郎、古くはコロンボ刑事のドラマで殺人犯などの有望者に対して、その動機はと見立てていく姿が目に浮かぶことと思うのであるが、これは容疑者に対して用いるという残念な応用よりも、日常生活に建設的人間関係を築くために用いられるべきものであろう。
私は、その後、何を持って判断しているのか?主に知的な側面から、お決まりの事実→論拠(理由付け)→判断(意見)を吟味するようになり、情的側面からは、その背後にある希望は何か?利害は何か?を確認したり推察するようになり、自分の欠点を随分助けられたように思う。
私の家内のように、人間や人間関係が好きであり、なんの苦もなく人の気持ちが分かる方は必要ないと思われるが、私のような傾向があるようであれば、お試しあれ!である。
では、バーボンとヘビと男のお話。
ある週末、釣りをしていた一人の男がボートの向こうに目をやると、一匹のヘビがカエルを呑みこもうとしていた。かわいそうに思った男は、ボートを近づけ、カエルをヘビの口からそっとはずし、逃がしてやった。だが、腹をすかせてヘビもかわいそうだ。そこで、食物は何も持っていなかったが、バーボンのびんを取りだし、数滴ヘビの口に注いでやった。ヘビは喜んで泳ぎ去った。カエルも難を逃れ、男はいいことをしたと満足だった。ところが数分後、何者かが船べりをたたく音がする。男は気絶するほど驚いた。あのヘビがカエルを二匹くわえバーボンを催促していたのである。
言葉のみならず、行動も含め、言動には動機ありと心得るべし!なのであろう。小室直樹も、良いことをみんながしようとすればするほど、不思議と意図せざる結果になると言ったことを意味するパラドックスを軽快な語り口で話していたが、残念ながら今内容を思い出せない。
「何をすれば報われるか?」
我々は意識的にも無意識的にもその罠に掛かっているようである。
さて、半沢直樹が終了した。
最後の頭取の裁定の意味するところは如何に?
この頭取がどんな思想や人生哲学を持った人物であるかが、具体的に紹介されているシーンがないのであるが、頭取が半沢に語った実際言動に則して、その動機を考えてみたいと思う。
半沢が大和田常務の暴挙を暴くべく取締役会に資料提出する前に頭取は、警告している。
「本当にこれだけのことをするからには、もし負けたとき、失うものは大きいぞ。」
銀行員にとって最も必要なものはなんだと思うかと尋ねた。
「人を見る力だよ。金勘定なんかは二の次だ。」
「私は君という男を見て伊勢島ホテルの全てを託した。そして生き残ることができた。ただ、お前は大和田常務の何を見ている。メガバンクの常務だという肩書きをはずせば、あの男も君と同じ一銀行員にすぎない。一人の弱い人間なのかもしれない。そこを見落とすと、彼には勝てないのではないか?」
取締役会で半沢に追いつめられ、大和田常務は土下座の実行を要求されるが、頭取は二度諫めている。
「もうそのくらいでいいだろう。」
「半沢、そこまでだ。」
悪事が取締役会でバレた大和田常務に対する頭取の処分は、当然首になって然るべきはずであるが、単なる取締に降格されただけであった。何故かという大和田の問いに対して、
「人の価値は金では推し量れない。銀行員は金ではなく、人を見るべきだ。そういうことだ。私は銀行員としての君を尊敬していたんだよ。」
この裁定に対して、半沢の同僚の渡真利は社内政治力学を考慮してか、こう解釈した。
「大和田に出向させるのは簡単だ。でもそれだと、第二第三の大和田が出てきて、結局派閥争いは続く可能性がある。だから頭取は旧産業中央行のトップである大和田を取り組むことで、全てを掌握したということさ。これで大和田は一生頭取には逆らえない。後は一気に社内融和政策を進めるつもりだろう。黒を白くしたのは頭取なんだよ。」
今回の主役の半沢の昇進については、頭取が直々に半沢を部屋に呼んで伝えられた。
「半沢、今日は本当に良くやってくれた。頭取として礼を言わせてもらう。ただし、最後のはちょっとやりすぎだ。反省しろ!」
「では君に辞令を伝える。是非とも受理してもらいたい。半沢直樹次長。営業企画部長として、東京セントラル証券への出向を命じる。」
以上を鑑みれば、
1,頭取は取締役会に書類を提出する半沢のリスクを心配した。
2,半沢に銀行員にとって最も必要なことは人を見る力であるとした。
3,大和田常務にも銀行員は金ではなく、人を見るべきだと言った。
4,大和田常務にも、裸一貫になれば人間の弱さがあるかも知れぬと考えた。
5,大和田常務に取締役会の中で土下座をさせるのはやりすぎだと考えた。
6,取締役会での半沢の功績に対して、頭取として頭を下げて感謝し礼を言った。
7,そうであるにもかかわらず、営業企画部長に昇進したが、実際は出向であった。
ポイントはこんなところであろうか?
今の段階では動機が見える手懸かりはなさそうであるが、普通にこのまま言葉通り受け取ってみれば、半沢という男を見て伊勢島ホテルを頭取は託した。今回は東京セントラル証券である。
半沢という個人にとっては出向は、島流しであり不名誉なことなのかも知れない。しかしそれは全社を常に考える頭取の立場に立ってみれば、運命共同体である取引会社の病巣が銀行にも転移しかねない情況を判断すれば、損失を計上することになるか、立て直すことができるかのいずれかしかないであろう。
会社にとって、誰かが解決しなければならない、見過ごすことができない問題がある。これが事実である。
私見ではあるが、人間というものは、それぞれ持ち味があり、それに応じて役割があるものである。
もし、東京セントラル証券の立て直しに最適と思われる人物が、半沢であると頭取の眼に映ったとしたらどうであろう?
彼のキャリアからすればそう思われても無理からぬことであろう。試練に潰されるような人材であれば大変であるが、この敵愾心に燃える男の成長には丁度良いという考えがでてきても、不思議ではない。平穏無事な職場よりも、生きるか死ぬか戦場のような職場の方が人は育つものではなかろうか?
半沢は自分の立場や目線からもっと大きく羽ばたくべきなのではなかろうか?
個人と個人との土下座の約束を、100倍返しということで、もし公衆の面前で、しかも取締役会でさせるというのなら、上司の部長や頭取の言うようにやりすぎであろう。
このやりすぎは、今まで敵でも味方でもなかった中間層を、自ら敵に回すという、愚かな結果をもたらさないと誰が言えよう。
このような態度のものが単に昇進すれば、もはやどんな地位の者も、意見に反対したり、意見を言うことも顔色を見てということになるやもしれぬ。
ここで功績は功績として評価し部長職を与えるが、本人の成長と会社の問題の解決のため、さらには萎縮した役員たちが、半沢の出向をもって、闊達に今まで通り意見が言えるようにもなり、なかなか味わい深いものがある。
よしんば、渡真利の言うがように、大和田常務の悪行も、既に身につけし吾にありと、わざと知らぬふりをして泳がせていたとすれば、この頭取はなかなかの大悪人である。
世の中で最も手強いのは、どこから見てもコロンボ刑事のように、切れ者に見えない類の人間である。
さて、人間はあまり追いつめない方が良さそうである。どこか見逃してやるべきであり、それも度を過ぎるべきではない。
シーズン2を楽しみに、動機と行為に注目していきたい。
(12の絶対思考 参照)
1,神の立場で考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/15/040754
2,中心が何かを考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/16/030345
3,究極が何かを考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/18/043604
4,心情を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/19/042111
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/22/065846
5,動機を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/24/092013
6,価値を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/26/044825
7,原理を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/09/29/063145
8,原則を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/10/02/053949
9,基準を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/10/03/062741
10、本質を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/10/05/055401
11、目的を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/10/08/064458
12、定義を考える生活習慣
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2013/10/09/054011