原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

総序 新しい真理と天一国憲法 

この最終的真理は、如何なる経典や文献による総合的研究の結果からも、また如何なる人間の頭脳からも、編み出されるものではない。・・・この真理は、あくまでも神の啓示をもって、われわれの前に現れなければならないのである。しかるに神は、・・・一人の御方を遣わし給うたのである。その御方こそ、即ち、文鮮明先生である。

 この文章の「真理」というところに「天一国憲法」という言葉を当てはめてみると、人間的な民主的な手続き、つまり総合的研究からも、世界的憲法学の権威を含む如何なる人間の頭脳からも、編み出されるものではない。それは神的な手続きである、神の啓示をもって、神の御意の真意を解き明かせる唯一の御方、文鮮明先生以外に存在しないと読みとれるように思われる。

 

ここでは、以前に天一国憲法制定のための公聴会が開かれた際に抱いた素朴な意見を、多少加筆修正してご一緒に考えてみたいと思う。

 

神様は常に神様の心情に相対する一人の中心人物を選んで摂理されるのです。
神主義とはそういう経緯で明らかにされるものです。

これとは反対に民主的な方法で天一国憲法を制定しようという今回の公聴会は、たとえ亡き恵父の御言葉に元づくものであったとしても方法は恵父の評価する神主義ではなく民主主義です。
世界中のノーベル賞クラスの憲法学者たちや、世界中の統一信徒のリーダーたちをかき集めてきても残念ながら所詮烏合の衆でしかないでしょう。

現在、恵父が地上におられ指導されているのであれば何も問題はないのですが、今は事情が違います。

恵父が天界から伝授した思想を原理講論にまとめられた劉先生も、統一思想や勝共思想をまとめられた李先生も、余人をもってしては預かり知れぬ蕩減と精誠を尽くされ、中心人物としての責任を果たしてくださいました。これらの統一理論は民主的な方法でみんなで検討されてできあがったものではありません。

天一国憲法も本来、神や文鮮明恵師と心情一致できた、選ばれた方によって制定されるのが本筋ではないでしょうか?

そもそも家庭盟誓こそが恵父がわれわれに与えてくださった天法ではなかったのでしょうか?
本然の世界では一つに円和統一されているものが、堕落世界では二つに分裂してしまうのが常です。法もその例外の類ではありません。
内的規範は宗教・道徳が担当し、外的規範は憲法を核とする法体系が担当しました。
イスラムでは内的規範を外的規範にも適用しようとする傾向があります。
日本の聖人、聖徳太子がかかれた十七条憲法は憲法というより宗教・道徳的色彩が強いものとなっています。

戦前は面白いもので内的規範として教育勅語があり、外的規範として憲法があり、それぞれ補完関係にあったように思われます。

天一国の現実的展開が始まる事による要請から、天一国憲法が制定されるとしても、この家庭盟誓こそが天一国憲法の骨髄であることは間違いないことのように、思われます。

恵父は自分が為し得たこと、体得したことを真理として語ってくださいました。
もし我々の家庭が家庭盟誓の如く生きているのなら、ほとんどの生活上の問題は解決されることでしょう。問題があるとすれば堕落世界との関わりのある領域でしょう。また国家運営上必要不可欠の分野でありましょう。

さて、この世の憲法には国家権力が暴走して国民に害を与えぬような計らいがあることは、よく知られています。国進様はこの事情を喝破なされて地上天国をどのようにして創建するか青写真を語られました。

 

http://www.familyforum.jp/2012122415024

 

同じ頃、亨進様が洗足の儀式をアメリカで成されたことは意義深いことです。

恵父が自らの思想を「父母の心情、僕の体。」と語られていることは、広く知られていることです。

さらに、権進様がラスベガスの聖日礼拝での説教で、かって恵父がかたられた御言葉を拝受して、人格完成の貴重な核心をご説明されておられます。

 

http://www.familyforum.jp/2013071922079

 

神は我々に、第一のメシヤとしてイエス様を、第二のメシヤとして天地人真の父母様を下さり、そしてさらに第三のメシヤとして子女様方を下さったことは驚くべき奇跡です。

何故子女様が中心ではないのでしょうか?
残念でなりません。

かって恵父はこれからの学問はその名前の前に心情が無ければならないと語られました。つまり憲法学なら心情憲法学という名称になるでしょう。

神の心情を最も知る御方にこそ、本来の資格があることは火を見るより明らかです。

子女様が参加されていないことも残念ですが、真のお母様に進言して参加できるよう信徒が子女様のために尽力し、とりはかる事ができなかったことは、納得がいかない失策でしょう。

さて、堕落世界の憲法の発展上に本然の憲法の姿は有り得ません。
参考になるとすればサタンが先行して擬似的に誤って作った内容かもしれません。

どうしても作らざるを得ないとすれば、一体それは誰が果たすべきなのでしょうか?
その御方は恵父の如く神の心情に完璧に通じていなければなりません。
しかもそれを恵父自らが証した方でなければならないでしょう。

わたし如きが語るに恐れ多いことですが、それは恵父が自分にそっくりだと言われた御孫様、亨進様のお子様しかないように思われます。恵父の人生で神様に対する唯一の負債は、青春の日に御旨を初めて知り、御旨に立つまでは、神様と関係のない生活をしていたことだと語られたことがあります。その恨を父と共に訓読生活をされた幼い御方が見事に晴らされたのではないでしょうか?

今回世界各国から集ったリーダーの皆様をはじめ、我々信徒はこのお方が天命を全うできるように、尽力を尽くし精誠を尽くし、恵父の如く成長される日に向かってお守りし仕えるべきでしょう。

家庭盟誓は100万年経っても訂正できない基準で精誠を尽くされたものです。
当然、ことあるごとに天一国憲法が修正されてよいとは思われません。

本当にこのような民主的な手続きで御心にかなった天法が制定できるのでしょうか?
はなはだ疑問に思えてなりません。その時々の編集者の心霊基準によって聖書が編成されてきたことを思い起こさずにはいられません。イエス様の言葉一つでさえ、たくさんの解釈が生まれて来たことを思えば本当に憂慮すべき問題です。

少なくとも永遠性と絶対性を備えた天一国という言葉に修飾された憲法である以上、恵父の威信を損なわぬように願いたいものです。

たくさんの参加者が民主的な運営に満足していた動画を見て危惧致しました。

地上でたった一人御旨の道に孤高の覚悟で歩まれておられる、真のお母様を、天より恵父がご覧になり、お支えされておられるように、我々もさらにお仕えすべく精進したいものです。