神は人の鼻から息を吹き込んだので人は生きたものとなった。
インスパイアーだ。
組織のトップは部下に権限を移譲したので部下は生気に満ちたものとなった。
エンパワーだ。
もうかれこれ数十年経っただろうか?
ビジネス書で「エンパワーメント」という言葉が話題になった事があった。
日本語では「権限委譲」と大方訳されていたかと思う。
菅原氏の議員辞職要求=安倍首相の任命責任も追及-野党:時事ドットコム
より引用
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菅原一秀経済産業相の辞任をめぐり、野党からは25日、公設秘書が地元有権者に香典を渡した疑惑などが事実だった場合、議員辞職を求める声が相次いだ。安倍晋三首相の任命責任についても、国会で厳しく追及する方針だ。
立憲民主党の福山哲郎幹事長は記者団に、「疑惑はより深まった。辞めたから済むわけではなく、説明責任を果たしてもらいたい」と強調。首相に対しても「任命責任は重い。何のための内閣改造だったのか、責任を求めていく」と訴えた。
国民民主党の玉木雄一郎代表は「政治家としても説明責任を果たすべきだ」と求めた。共産党の穀田恵二国対委員長は「疑惑を解明して、事実なら議員辞職に相当する」と断じた。
日本維新の会の松井一郎代表は「公職選挙法違反の疑いをかけられている。きちんと説明すべきだ」と指摘。れいわ新選組の山本太郎代表は「議員辞職は当然ながら、刑事的責任が問われる案件だ」とのコメントを出した。
一方、自民党の世耕弘成参院幹事長は「国会には政治倫理審査会がある。そういった場で説明責任を果たすべきだ」と求めた。公明党の山口那津男代表は「極めて残念だ。国民の信頼に応えられる政権づくりをしてもらいたい」と注文を付けた。
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野党は常に政権の大臣の問題をあら捜しして大騒ぎする。
また別の大臣にも別の問題が出ればしめたものだとして
その先に安倍総理に「任命責任」があると主張し政権の転覆を図る。
そもそも、総理がある担当領域の大臣を誰かに任命したということは、
その任命した人によって担当領域の組織にリーダーシップを発揮して、
将来に対する課題や、現実に起こっている課題などの解決を果たして、
国民生活に恩恵をもたらすためであるかと思う。
したがって、総理が任命したAが何らかの理由でやめざるを得なかったり、その人では実際に取り組んでもらったら、組織が期待したほどうまく機能せず、あまり物事が前進しなかったとすれば、総理の「任命責任」とは、より適切な人材Bに速やかに変更し、滞りなく組織の運営が継続されるようにすることである。
AがだめならBを任命し、BがだめならCを任命すればいいだけのことである。
アメリカのトランプ大統領が次々に人事を変更しているあれである。
それだけの話しなのに、なぜ日本では大騒ぎするのだろうか?
「任命責任」のには、任命という言葉が含まれている。
任命とは権限を与えるということだ。「権限委譲」ということだ。
ところで西欧社会では、権限に対応して、あるいは比例して責任の範囲が決まるが、
日本の政界、特に野党勢力の人々はこのルールを無視して、
権限を譲られ任された人の問題の責任を当事者だけではなく、トップである総理にまであると考え追求の矢を放つことになる。
まったく呆れるばかりである。
国家の政の全体の中から経済産業相という分野の権限を移譲したら、
その大臣には権限が生じたと同時に権限相応の責任も生じる。
当たり前のことだ。
安倍総理が全般的に持っていた権限の特定部分が安倍総理を離れて担当大臣のもとに来たということである。
安倍総理の手元にない直接的権限の責任をどうとれというのか?
福山哲郎はかく言う。
「任命責任は重い。何のための内閣改造だったのか、責任を求めていく」
である。
国民が重視するのは「総理の任命責任」ではない。
一説に国会を一日開催するのに3億かかると言われている。
本来審議すべき内容を放棄して一体どれだけ国会の審議を妨害するのか?
予算審議の舞台でどれほど関係ないことを持ち出した野党議員がいたか?
彼らこそ問題である。
国民投票によって選ばれた「議員の被任命責任」を果たしてこそ代議制であろう。
毎日国民の血税を3億ずつ虚しくたれ流す罪はもっと問われるべきものではないのか!
責任と権限は比例し対応する。
権限を移譲されれば、その権限に見合った責任も移譲された存在に付随するようになる。
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