原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

預言者と霊能者 情報とメディア 10月14日の結果を見てからトマスのように信じる態度は愚か ①

アダム家庭から再臨主文鮮明師は問題の解決法を解き明かされた。

情報の扱いも、情報の発信者である神様と受信者であるアダムとエバの情報伝達とこれを妨害した堕天使サタンとなった、天使長との授受関係(コミュニケーション)やその経緯を参考にして、我々の日常生活に応用実践する事ができるかと考える。

 

随分以前から亨進様の発言が文鮮明師の発言と食い違っているのではないかと、距離を置いてしばし様子見と決め込んでいる人達がいるようだ。

その中にはいわゆる霊能者がいるという。

神の意志を伝えるのが預言者である。

これに対して霊能者とは、ある霊的基準の霊界の存在と授受関係を結んで、霊的存在を主体とし霊能者自身を対象として情報を得る人達を指す。

したがって霊能者の心情基準や心霊基準に相対した霊的存在と相対関係を結ぶので、

それ自体が神自身の意志に一致するものなのか否かをそのままでは判断することができない。

そこで理論で確認作業をしなければならなくなる。

心霊と真理の共同作業が求められる。

もし、霊能者が霊的な啓示の真偽を判断できかねるなら、

み言によって判断できる人物に聞かなければならない。

ちょうどエジプトでのヨセフのような立場の人を求めなければならない。

教会長にであれ会長にであれ誰にであれ、その疑問を解決して貰わなければならない。

 

お父様が地上におられたときには、イスラムとは闘争的ではなく協調的であったのに、何故今は違うのか?

鉄の杖の預言はみ言の意味であったはずなのに、何故今は武器の意味で強調されるのか?

当たり前である。

韓鶴子の堕落によってアベル国連の基盤が失われサタンが所有することになったからである。

家庭連合のアベル国連もサタンの所有するところとなっている。

サタンの掌の上で踊っているにすぎないのが家庭連合とその運動である。

10万100万と偽祝福が増えていこうがサタンにとっては痛くもかいくもないことだ。

 

預言には二面性があり、人間の責任分担の履行にかかっている。

 

ころで、我々はここで、「メシヤのための基台」というものの性格を中心として見たとき、メシヤを迎えるためのこの基台の社会的背景はどのようなものでなければならないかということを、知らなければならない。堕落人間が「メシヤのための基台」を立てるのは、既にサタンを中心としてつくられた世界を、メシヤのための王国に復帰できる基台をつくるためである。しかるに、アダムの家庭や、ノアの家庭を中心とした復帰摂理においては、その家庭に侵入できる他の家庭がなかったので、「メシヤのための家庭的な基台」さえできれば、その基台の上にメシヤは降臨されるようになっていた。しかしアブラハムの時代には、既に、堕落人間たちがサタンを中心とする民族を形成してアブラハムの家庭と対決していたので、そのとき「メシヤのための家庭的な基台」がつくられたとしても、その基台の上にすぐにメシヤが降臨なさるわけにはいかない。すなわち、この基台が、サタン世界と対決できる民族的な版図の上に立てられたのち、初めてメシヤを迎えることができるのである。したがって、アブラハムが「象徴献祭」に失敗せず、「実体献祭」に成功して、「メシヤのための家庭的な基台」がつくられたとしても、その基台を中心としてその子孫がカナンの地で繁殖して、「メシヤのための民族的な基台」を造成するところまで行かないと、メシヤを迎えることはできなかったのである。

原理講論

 

そうでなければサタン世界に殺されてしまうからである。

文鮮明お父様が苦難の道を歩まれたのは、サタン世界のほうが遥かに巨大な基盤を築いていたからであった。

さて、アブラハムの時代にはメシアが降臨されていなかった。

だが、現代はメシアはおろか三代王権が既に形成されている。

この三代王権を守るには、人間が責任分担を全うしなかった故に武器所有が強調されざるを得なくなった。

もともとお父様は猟銃をお持ちでハンティングをなされてきた。

本然の世界では人間には包丁のように銃の所有権もある。

その目的に使われればいいのである。

しかし、映画「デミアン」のように神の血統を絶やそうとサタンが当然考えて行動をすると推測されるときには、われわれは不測の事態に備えなければならない。

そこでアメリカでは猟銃ばかりか合法的なAR-15の所有となる。

 

アロンとミリアムのようになってはならない。

 

イスラエルの民を率いてモーセエジプトを脱出した時、追いかけてきたファラオの軍勢が紅海に飲み込まれた後で、ミリアムは小太鼓[4]を手にとり、踊りながら歌い従い来る女たち皆の音頭をとって、賛美する歌を歌った[5]

荒野を放浪した民がヘツェロトにいたとき、モーセの兄アロンとミリアムはモーセクシュ人の女性を妻にしたことを非難する。モーセは反論しなかった。ミリアム、アロン、モーセは神の臨在の幕屋の前に呼ばれる。雲の柱の形であらわれた神はモーセを非難したアロンとミリアムに対して怒りを表して去っていく。ミリアムは瞬時にして重い皮膚病にかかり、全身が白くなる。アロンとミリアムは自分たちの行いを悔いる。アロンがモーセに許しをもとめたため、ミリアムは神の指図によって1週間宿営から隔離された後、元の宿営に戻ることができた[6]

ミリアムはツィンの荒野のカデシュの地でなくなったという[7]

なお、マリアという女性名はミリアムのアラム語読みに由来する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0

 

一度はモーセに働いた神を賛美した者が、自分が理解不可能な事柄にあった時に、

自分の判断がモーセの判断より正しいと考え行動を引き起こした。

神は誰を愛したのか?

 

アロンやミリアムのようになりたくなかったら、

彼らのように悔い改めることである。

アロンまで堕落するとは嘆かわしい。それどころか、

エス様にまでサタンの手が伸びる道を作ってしまった。

 

預言者とは神の意志を伝える者である。

神の意志以外には一切関心がない。

その結果私心もない。

だが、霊能者は違う。

一種の通訳であるが、誤訳珍訳のような霊界通信には用心しなければならない。

また、神の通訳でもない。

ベクトルが常に神の神意にかなっているとはいい難いものがある。

 

さて一旦ここで区切り、次は情報とメディアのほうに移りたい。

 

 

 


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