原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

サンクチュアリの試練は何であったのか? 聖霊の役事や悪霊からの解放とは? 

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文字起こししてくれた方がいます。引用感謝。

 

「悪霊からの解放 パート①」ギジェルモ・マルドナド | sarah‐mercy 

「悪霊からの解放 パート②」ギジェルモ・マルドナド | sarah‐mercy

「悪霊からの解放 パート③」ギジェルモ・マルドナド | sarah‐mercy

「悪霊からの解放 パート④」ギジェルモ・マルドナド | sarah‐mercy

より引用

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「悪霊からの解放 パート1」ギジェルモ・マルドナド より 文字起こし (所々省略あり)

 

なぜ悪霊の解放ミニストリーが必要なのか。

それはこの時代はとても暗くなっており、解放抜きで牧会することができません。

闇がますます深まる中、今まで以上に悪霊に対処しなければいけないのです。

これまで地上になかったような超自然的な悪魔の影響が満ちています。

無知であってはならない。だから解放ミニストリーが必要なのです。

多くの人が圧迫され苦しんでいます。

心理学も精神科も助けることはできません。今は代替品の時代です。

解放が心理学や精神科にとって替えられ、カウンセリングになってしまったりします。

カウンセリングも重要ですし、自分も資格を持っています。

だから、それも私たちが必要とするものですが、悪霊に苦しめられていて、

思考がおかしい時はどうしますか ?

カウンセリングは思考が正常な人のためにあります。

解放は苦しめられていて、戦ったりしているけれど、自由になる方法がわからない人のためにあります。

カウンセリングではなく、悪霊を追い出すのです。

 

霊の戦いとは、地域にある空中の権威をもつ支配者(悪霊)や力と戦うことです。

エペソ6章12節を見てください。

 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、

 もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

 (私たちの戦いは血肉に対するものではなく、血肉でないものに対する戦いです。)

 

「血肉ではない」というのはヘブライ語「身体がない」という意味で、

悪霊は「身体がない人」なのです。私たちはそれと戦っているのです。

それがわかったら人に腹を立てるのではなく、悪魔に怒りを向けるようになります。

身体がないので、サタンは目に見えない。霊の次元にいて、身体を通して働くことを望んでいるのです。

 

キリストが悪霊を豚に追いやったとき、悪霊にとりつかれたゲラサの男は

「わたしたちを苦しめないでください。わたしたちレギオンを豚に入らせてください」と言いました。

(マルコ5章9~12節参照) 

彼らが探していたのは身体だったのです。

彼らは身体を求めてそこで働くことを望んでいます。

癌に侵された人がいれば、それは悪霊が身体で働いていることです。

鬱に苦しんでいる人がいれば、それは悪霊が身体で働いていることです。

彼らの存在をあらわしてるのです。彼らは身体にいるのが大好きです。

彼らは信者の身体も大好きです。癌やなえた手や口がきけない人を見れば、悪霊のあらわれです。

 

それでは悪霊とは何でしょう?「Demonn」という言葉は「劣った神」という意味です。

エスが使った名前は「悪しき霊」「悪霊」「汚れた霊」などです。

悪霊の働きは何でしょう?「人に悪事を働かせようと誘惑する」「人をだます」「人を奴隷のようにする」

「苦しめる」「けしかける」 など、衝動的なもの、不自然なもの、

理屈にかなっていないものは悪霊によるものです。

悪霊は人間が汚れるようにして、最終的には殺すことが目的です。

あなたを殺そうとしているのです。

 

解放ミニストリーについて、ルカ13章31~32節を見てみましょう。

 ちょうどその時、あるパリサイ人たちが、イエスに近寄ってきて言った、

 「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています」。

 そこで彼らに言われた、

 「あのきつねのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、

 また、病気をいやし、そして三日目にわざを終えるであろう。

 

私たちはイエスよりも勝っていますか?それではなぜ、解放ミニストリーを行わないのでしょうか?

マタイ4章23節にはこうあります。

 イエスガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、

 民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。

 

「教えた」とありますね。それから「御国の福音を述べ伝え」とあります。 

25パーセント教えて、25パーセントは述べ伝えました、「教える」のは指導することです。

「述べ伝える」のは宣言することです。そして三番目に「いやされた」のです。

マタイ4章24節、これがイエスミニストリーなのです。

 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、

 すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、

 てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。

 

「教えて」「述べ伝えて」「いやして」「悪霊を追い出し」たのです。

今日、教会がやっていることは「教えて」「述べ伝えて」たまに「いやす」けど、

「悪霊の追い出し」をしません。言い換えれば私たちは、イエスの行った通りにやっていないのです。

(中略)

なぜでしょう?精神科や心理学者など、今は選択の余地があるからです。

だから教会にもたくさん悪霊につかれた人がいます。

 

なぜ、解放ミニストリー旧約聖書にはないのでしょう?

人が悪霊を追い出した例が一つもありません。

なぜなら旧約聖書では人間はアダムのような元々の人間性のままだったからです。

だからサタンと対決する権威が誰にも与えられていませんでした。

キリストがまだ来ていなかったからです。

だからキリストが来たとき、人々は驚きました。

 

キリストが来ると悪霊が逃げ去って行ったのは、油注ぎがあったからです。

でもそれだけではなく、御国を持ってきたからです。神の国とは神による政治です。

二つの政府が一つの場所に共存することはないので、神の国が来る時、

もう一つの王国は追放されるのです。

だから解放なしに御国について説教する事はできません。

神の国を設立するには、他の国を追い出す必要があるからです。

キリストはそれが神の国が来たしるしだと教えました。

そしてイエスは、「わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら

 神の国はすでにあなたがたのところに来たのである」と言いました。

 

悪霊が人から去るのを見たら、それは御国の政府が来たということです。

でも私たちは悪霊のことを話しても、悪霊を追い出しませんよね?

御国のことは話すのに、悪霊の王国を追放しようとしない。

追い出さないならば、御国はただの励ましで言う話のネタにすぎません。

私が知っている事は、私が(イエスの名で)「出ろ!」と命令すると

悪霊は出て行かなければならないということです。

なぜなら二つの王国は対決するからです。

人が解放される時、必ず目に見えない対決が起こっています。

霊の対決です。でも主は「悪霊が去るというしるしを見たなら御国が来たことだ」と言いました。

「教えて」「述べ伝えて」「いやして」も、あと「悪霊を追い出し」ていないなら、

エスに従っていないということです。

 

マルコ16章15~18節に書いてあります。

 そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。

 信じてバプテスマを受ける者は救われる。

 しかし、不信仰の者は罪に定められる。信じる者には、このようなしるしが伴う。

 すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。

 また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。

 

牧師でも解放ミニストリーをしない人がいます。

でも神があなたをここに送ったのは、あなたが解放ミニストリーに戻るためです。

教会でも悪霊に苦しんで圧迫されている人がたくさんいます。

神があなたに力を与えます。あなたが自分の教会に戻って、人を解放できるようにです。

 「信じる者には、このようなしるしが伴う。

 すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。

 また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。

神を称えましょう。

 

 

人が解放されるのを見るとき怖がらないでください。

エスはそれがしるしで神の国はすでにあなたがたのところに来たのである」と言いました。

(マタイ12章28節参照)

逆にそれが起らないときに恐れるべきなのです。

この基礎を理解すると、全ての人が解放を必要としているのがわかります。

私たちは解放され、今尚解放され続け、今後も解放され続けます。

 

統計によると世界中、私が行く場所はどこでもクリスチャンの80%が解放を必要としています。

証明しましょう。どのくらいの人が人を許せない心を持っているでしょうか?手をあげてください。

大体8割くらいの人が手をあげますが、彼らは皆、解放が必要です。

誰にも言えないことで悩んでいる人はどのくらいいますか?

それが大嫌いで憎んでいるのに、止められない。

でも解放ミニストリーなどないと言われたので、精神科医に薬を処方してもらう。

エスミニストリーの基礎は、御国をもたらして、悪霊を追い出すことで、

それが信者のしるしだと教えたのです。

 

それではどのように悪霊が入ってくるかを話します。解放ミニストリーの基本です。

皆解放が必要です。私も解放を経験しました。あなたも必要だと思います。

 マルコ9章21節を見てください。

 

 「そこで人々は、その子をみもとに連れてきた

 霊がイエスを見るや否や、その子をひきつけさせたので、子は地に倒れ、

 あわを吹きながらころげまわった。

 そこで、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのか」と尋ねられると、父親は答えた、

 「幼い時からです。 霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。

 しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。

 イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。

 その子の父親はすぐ叫んで言った、

 「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。

 イエスは群衆が駆け寄って来るのをごらんになって、けがれた霊をしかって言われた、

 「おしとつんぼの霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな」。

 すると霊は叫び声をあげ、激しく引きつけさせて出て行った。

                                       (マルコ9章20~26節)

 

エスが父親に「いつごろから、こんなになったのか?」と尋ねられると

父親は「幼い時からです」と答えました。なぜイエスはこの質問をしたのか?

「いつ頃からこんなになったのですか?」イエス・キリストは、悪霊が入った時点を知ろうとしたのです。

あなたが神に従わない時サタンに入ってくる機会を与えてしまいます。

エス「あなたの人生のいずれかの時に、サタンに権威を与えてしまった」と言っているのです。

考えてみましょう。ここが教会の間違っているところです。

悪霊について教会が間違っている二つの事は、

第一に教会は悪霊を甘く見ていることです。第二に悪霊を誇張してしまうことです

 

悪魔が今置かれた状況は何ですか?今現在、負かされ、追放され、武装解除され、

打ち砕かれているのです。サタンの現状況は、負かされ、追放され、武装解除され、

打ち砕かれているのですよ。

それではなぜ私たちは戦いに勝てないのでしょう。

断食し祈っても神からではない欲望と力がまだあるのはなぜか?

サタンが負かされ、追放され、武装解除されたのに、なぜ、あなたは勝てないのか?

まだ勝利されていないエリアがあるのはなぜか?

 

その理由は、あなたが過去にサタンが入り込む権利を与えたからです。

私たちが神に従わない時、サタンに入り込む権利を与えてしまうのです。

奴が負かされていないわけではありません。奴には居座る権利もありません。

でも奴には力があるので甘く見ないでください。

奴には神から盗んだ力があります。でも奴には権威がありません。

 

権威とは「力を行使する権利」です。

エスがサタンから権威を剥ぎ取って「わたしには天においても地においても

いっさいの権威が与えられています」と言いました。(マタイ28章18節)

 

主が全ての権威を持っているので、その権威を託す人を探しているのですが、

サタンも「自分には力があるが、神に逆らう愚か者はいるか?

でも人が神に背いてサタンに権利が与えられるまで、手が出せない」と言いながら、

神に逆らい、権利を与えてしまう人を探しているのです。

だからイエス「いつ悪霊が入ったのか知りたい」と言っているのです。

 

神に言われたことですが、解放する時に一番効果的なのは、悪霊の入口を見つけることです。

入口を見つけたら、悔い改めて罪を告白すると、サタンの権威を奪うことができるのです。

そうすると悪霊が居座ることが違法となるのです。

悪霊が身体にいても思考にいても、あなたが権威を与えない限り、不法滞在になります。

でも彼らには力があるので、神に逆らう人を探しているのです。

でも入口を見つけたら、全ての人が解放されます。

 

なぜなら「サタン、お前がいつ入ってきたのか知っている。お前の権利を剥奪する。

今、イエスの御名で出て行け!」と言えるのです。

解放は本当に欲している人に与えられます。変わりたい人に与えられるのです。

エスを称えましょう。

 

何が最初の入口だったのか、イエスは入口がわかれば対処できると教えてくれましたが、

「覚えていない」という人には聖霊が教えてくれます。

最初の入口は「習慣的に犯す罪」です。罪を習慣のように犯す時、それが悪霊の入る入口となります。

 

私たちは自分の弱さから罪を犯してしまうことがあります。

絶対に罪はダメだと言っているわけではありません。

継続して罪なる行いを繰り返しながら生きているとそのような罪が扉を開けてしまうのです。

私たちは皆失敗するし、罪を犯します。

ここにいる人でどれくらいの人がクリスチャンになった後でも罪を犯しましたか?

私たちは皆罪を犯しますが、私は罪の中には生きていません。

あなたたちも罪の中に生きるべきではありません。

罪を犯している状態が続くと悪霊が入ってくるのです。

 

第二の入口は「嫉妬」です。サムエル記上18章7~9節を見てください。

 

 女たちは踊りながら互に歌いかわした、「サウルは千を撃ち殺し、ダビデは万を撃ち殺した」。

 サウルは、ひじょうに怒り、この言葉に気を悪くして言った、

 「ダビデには万と言い、わたしには千と言う。この上、彼に与えるものは、

 国のほかないではないか」。 サウルは、この日からのちダビデをうかがった。・・・・・」

 

8節に「サウルはひじょうに怒り」とあります。―怒りです!!

怒ったのはなぜですか?嫉妬とフラストレーションです。

嫉妬している人はフラストレーションが溜まっています。

あの人にはいっぱいあげたのに、自分には少ししかくれない。嫉妬は何ですか?肉の働きです。

その状態に生き続けると、嫉妬の霊が入る扉が開くのです。

 

嫉妬は二つの働きをします。第一に殺人の種を植え付けます。第二に怒りをもたらします。

嫉妬のある人の次の動きは嫉妬の相手を殺すことです。

なぜならその怒りはフラストレーションから来ており、嫉妬深い人には、競争ルールがあります。

 

アブシャロムは父ダビデに嫉妬しました。

嫉妬の感情を抱きながら生きると嫉妬の霊に扉を開くのです。

これが嫉妬している人のアブシャロムの霊の特徴です。権威を傷つける。

アブシャロムは父親の人格を抹消しようとしました。

彼の仲間を使い、彼の心は怒りで満ちていました。

彼は反抗心に満ちており、父親が彼には十分与えていないと感じて自分の権利ばかりを主張しました。

でも最後にアブシャロムは死にました。だから嫉妬は悪霊の入口なのです。

 

第三の入口は「性的不品行」です。

現在ポルノ中毒で苦しんでいる人が多くいます。

そして同性愛。何が同性愛の入口になるか説明します。

同性愛の原因は先祖の呪い、自分の性を両親に拒否されること、両親への反抗などたくさんあります。

 

同性愛が社会運動となるのは、終末である証しです。

なぜなら今あるものの多くに種がありません。それ自体が反キリストの霊なのです。

国連には人口抑制政策というプログラムがありますが、彼らがしようとしていることは

種を除去することです。

果物を見ても全てが種なしです。それは反キリストなのです。

私は「反キリスト」は同性愛だと思っています。

ソドムとゴモラのその世代の種がなくなったように、それが終末のしるしなのです。

 

同性愛の目的は生活スタイルを変えることです。

だからあんなにたくさん法律を作って、彼らの生活スタイルを保護しているのです。

この時代の傾向は二十年前とは違います。

その目的は、あなたたちの感覚を麻痺させて、二人の男性がキスしているのを

普通のこととして受け止めさせることです。

 

同性愛者でも、虐待されたりひどい待遇をうけていないのに、

生まれた時からそういう傾向にある人がいますよね。

なぜならそれは、悪霊がその人が胎内にいる時に攻撃したからです。

でもその入口を発見したら、悪霊は退散しなければなりません。

私の教会では同性愛から解放された男女が何百人とおり、彼らは現在結婚しています。

 

 

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「悪霊からの解放 パート2」 ギジェルモ・マルドナド より 文字起こし (所々省略あり)

 

教会を含めて全てで起っているのが反キリスト的な霊です。

信仰が理性にとってかえられ、礼拝が娯楽となっています。

心理学者や精神科が悪霊解放にとってかわり、人間の方法が御霊の導きにとってかわっています。

全てが反キリストです。

皆さん、イエスがもうすぐ戻られます。(これらのことは)エスがもうすぐ戻るというしるしなのです。

神を畏れる気持ちを皆に持ってもらいたい。

目を覚まして解放ミニストリーを行い、人々を解放してください。

 

悪霊の入口について四番目は「恐怖」です。

第二テモテ1章7節にあるように、教会でも多くの人が恐怖心に捕らわれているのを知っています。

あなたがたの多くが恐怖のせいで動けなくなっているのを知っています。

信仰が伸びないのは、恐怖心があなたの中の超自然を抑え込んでいるのです。

 

 というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。

                                               (第二テモテ1章7節)

 

今日私たちは「罪」「問題」と呼びます。あるいは「性格の問題」というけれど、

私ならその「性格」を追い出しますよ。

皆さん、罪は罪です。神はそう呼んでいるのですから。

言っときますけどね、罪を罪と呼ぶまで悔い改めることはありません。

罪ではなく「問題」と呼んでいる間は悔い改めがないのです。

でも、罪を罪と呼び、悔い改めると、悪霊は退散しなければならないのです。

 

恐れとは何でしょうか?それは「霊」です。

恐怖心とは神から与えられた想像力をねじ曲げたものです。

恐怖は悪霊の入口です。

要塞を築いてあなたが超自然的な力をもって働かないようにする、恐怖は地獄への入口です。

 

でも信仰は天国への入口なのです。信仰で歩むと、天が開けている。

信仰の歩みでは天にあるものがあなたに降りてきます。

でも恐怖心を抱いていると磁石のように病気を引き寄せたり、地獄のものを引き寄せる、

恐怖心は地獄と繋がるアンテナなのです。

ヨブ記3章25節を読んでください。

恐怖がなぜ人に入るかというと、権威を行使しない時に人に入ります。

ものすごい衝撃を受けた時、自分をコントロールする能力を失います。

すると権威を失うので、そこから悪霊が入ってくるのです。恐怖は権威を嫌います。

 

 「わたしの恐れるものが、わたしに臨み、わたしの恐れおののくものが、わが身に及ぶ。

 わたしは安らかでなく、またおだやかでない。わたしは休みを得ない、ただ悩みのみが来る」

                                             (ヨブ記3章25、26節)

 

私たちは四六時中アンテナをはっています。

病気になる、教会がなくなる、癌になる、事故が起る、失業する・・・と思いながら生活すると、

地獄と繋がるアンテナをはっているのです。

でも信仰を持ちながら生活すると、天国へのアンテナがあるのです。

全ての恐れは想像したものを投影しているだけです。

言い換えると恐怖はあなたがそう信じるまで現実のものではない。想像力をねじ曲げたものなのです。家に居ても事故が起ったりすることを想像し始める。

そしてある時、それを信じるようになって恐怖がやって来る。信じたから恐怖がやって来るのです。

でも恐怖は現実ではありません。

悪魔があなたの思考をかき乱しているだけです。あなたが信じるまで現実ではないのです。  

 

恐怖があるとあなたが超自然に生きる力を削いでしまいます。

預言をしたり、奇跡を起こすために一歩踏み出したくても、恐怖が「自分にはできない」と言うのです。

恐れには苦しみがともなっています。(第一ヨハネ4章18節参照)

 

全ての人には神の目的があり、運命と目的があるのです。

でも悪霊にはそれを破壊する力がある。

だから悪霊はあなたの運命を破壊しようとして、いつもあなたに「強い人」を送り込んで、

あなたの中の神聖なるものを壊そうとするのです。

私の人生は恐怖そのものでした。自分の影にも怯えて、全てを恐れていました。

しかし主が私を解放し自由にした時、私はその真逆になり、私は大胆になれたのです。

あなたにも起りますよ。

 

ある時、葬儀場に行った時、その遺体はすでに死んでから二日経っていました。

でも、髪の毛をつかんで、「イエスの御名で立って出てきなさい!」と言いました。

このように気が違ったと思われるようなこともしました。

どこからそんな大胆さが来るかというと、恐怖が去ると大胆さが入ってくるのです。

 

ある時、神がビルを建てるように言いました。

預言者を通して借金なしにビルを建てるよう言いました。2700万ドルでした。

その時私は恐怖に駆られていました。「Oh my God !」 

でも今は、恐怖から解放されているので「どこから始めましょうか?」と言うでしょう。

悪霊を恐れていないからです。

問題があっても将来のことも恐れてはいません。

なぜなら「神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊」

(第二テモテ1章7節)だからです。

 

恐怖の霊が入ってきて、あなたが権威を失い、人生でいくつの出来事が、

恐怖で阻止されたか考えてください。

私は大胆になれます。どのエリアで圧力をかけられても自分は大胆になれます。

 「神よ、これって気が違っていますよね?」と言ってしまうようなこともしました。

私には恐怖がないからです。

恐怖は地獄への入口です。どうせ生きるなら信仰をもって生きて行きたい。

恐怖が来ると信仰が去ります。信仰が入ると恐怖が去るのです。

 

悪霊の入口の五番目「自分を哀れに思うこと」です。自分を哀れに思う事は肉の働きです。

その状態に生き続けると自分を哀れむ悪霊が入ってくるのです。

エスが人を癒したのは、その人が自分を哀れんでいたからではありませんでした。

エスの憐れみからです。

何が違うかというと、憐れみは行動を起こすように人を駆り立て、その人を変えます。

でも哀れみは「かわいそうね・・・」と言うだけでその人は同じ状態のままです。 

 

教会には自分を哀れむ人がたくさんいますね。

多くの人が教会に来ても、解放がないので、「神はあなたと共にいますよ」と言われるだけで、

人は束縛されたままです。

 

気の毒だと思ってキリストが人を癒したのではありません。

憐れみによって癒したのです。

神から言われたことですが、神の憐れみが完璧になるには二つのことが必要で、

「悪の業に対する憎しみと、私の民を愛することが必要だ」と言われました。

でもあなたたちは人を愛するだけで悪の業を憎まない。

だから神は「私の憐れみが彼らの中ではまだ完成されていない」と言いました。

 

どのくらいの人が癌に侵された人を見たり、鬱の人を見て、悪の業を憎んだでしょうか?

またある人には憐れみがない。

またある人にとっては憐れみばかりで、悪魔の業を憎んでいない。

神があなたをここに連れてきたのは、あなたが悪の業を憎むようになるためです。

 

自分を哀れむ人の特徴を言います。

自分を哀れむ人は変わることを拒みます。自分を哀れむ人は人の同情から力を得ています。

自分を哀れむ人は、自分のことしか考えません。

自分を哀れむ人は嫉妬深い人です。自分を哀れむ人は、皆に注目してほしいのです。

そのように人を操ります。

自分を哀れに思わせるのは悪霊です。

 

 

六番目の入口は(神以外のものへの)魂のつながり」です。

魂の繋がりとは何ですか?正しい繋がりが束縛となる人間関係のことです。

神によって結びつけられた人間関係が、悪霊と繋がり、相手を束縛する関係のことです。

神による魂の繋がりと神からではないものがあります。

悪しき結びつきはあなたを相手の思いに結びつけます。

ヨナタンダビデにも魂の結びつきがあり、それは神らのものでした。

人、場所、物との間に魂の結びつきができることがあります。

(神以外の)魂の繋がりは、悪霊に入ってくる権利を与えるので、それによってあなたは支配されます。

 

あなたの魂は何と繋がるのですか?

人間、場所、物?ロトの妻には場所との魂の繋がりがありました。

だから神が「ソドムとゴモラを裁くからここから出なさい!」と言い、

皆逃げたのに彼女は振り返ってしまった。場所と魂の繋がりがあったからです。

あなたたちの多くが次の場所に足を踏み入れていないのは場所と魂の結びつがあるからです。

過去を振り返ったロトの妻は塩の柱になりました。

 

人をまだ赦せないのは過去に生き続けているからです。

物や場所と魂の結びつきがあるということです。

またあなたたちの多くは「組織」との魂の結びつきがあります。「宗派」です。

だから教会が成長しないのです。自分も組織は大事だと思います。

でも(組織とは異なる)神の意思が示された時、あなたは決 断をしなければなりません。

「自分にはできない、組織を去る事はできない」干からびて死んでいて苦しいのに、

そこを去りたくない。

 

あなたを束縛して停止させて前進させてくれない関係は切ってしまいなさい!

ナザレのイエス・キリストは場所や人や物とも魂の繋がりを持っていませんでした。

だから彼は言いたいことを説教していたのです。

(会場にいた一人の男性を前に立たせて)もし彼が教会に一番献金する人で、

私との間に魂の繋がりがあると、それは神からでない魂の結びつきです。

私が真理を話して彼がそれに腹を立て、「そういう説教はやめてくれ!そうでないと献金をやめる」

言ったら、私はどうするでしょうか?妥協するのです。

 

人々がイエス「あなたの母親があなたを探している」と言った時、

「私の母とは誰のことか」とイエスは言いました(マルコ3章33節参照)。

エスは父母とも魂の繋がりがなかったのです。

私にある魂の繋がりとは、イエス聖霊とのものです。

なぜならそれは私たちを力づける関係だからです。聖霊『立ち上がりなさい!』と言っています。

(神からでない)魂の繋がりを切るのです。聖霊を望んでいますか?

奇跡や新しい人生を望んでいますか?

解放なしでは家族を自由にすることはできません。 

 

サムソンとデリラにおいては魂の繋がりが彼の油注ぎよりも強くなった。

彼の油注ぎよりデリラとの魂の繋がりの方が強くなったのです。

あなたが自由になる機会を神から与えられた時は、その機会を逃してはなりません。

(神からでない)魂の繋がりはあなたの油注ぎを壊します。

 

あなたの教会で人を癒したり神に仕えたいのなら、

神からでない魂の結びつきや人間関係はいりません。

魂の結びつきがあるとあなたの目的が妨げられ、鬱の症状が出てきて自分が変われなくて

霊的な成長が妨げられます。

そのような症状があるときは、人、場所、物と魂の結びつきがあるということです。

魂の結びつきが悪霊の入口なのです。

 

七番目は感情や精神的なトラウマです。事故や家族の死など、

突然起った悲劇のせいで霊的権威を失い、自分がコントロールできなくなる。

それが悪霊の入口になる。

 

八番目は母親の胎への攻撃です。

キリストは質問しました。「いつごろからこうなったのですか?」悪霊がいつ入ったのかと聞いたのです。入ったものは出なければならないからです。

母の胎で起ったということが多くあります。生まれつきと、自分が罪に手を染めてしまうのは違うのです。

 

九番目は中毒です。

中毒には二つの種類があります。悪霊によっておこる中毒と化学物質が引き起こす中毒です。

色々な中毒がありますが、そのような行為を続けると悪霊の入口となります。

 

十番目はオカルトと魔術です。

「でも私はクリスチャンだ」と言うかもしれません。魔術には二種類あります。

悪魔崇拝をする人の魔術と、クリスチャンによる魔術です。

クリスチャンによる魔術とは何ですか?人を支配することです。

自分が望むように人を支配することです。神の御霊でない霊による行為です。

教会でもよく起ります。人を支配したり操って思い通りに動かそうとする。

 

家庭内にも魔術はありますね。教会を去った10組中9組のカップルはその決断を女性がしたのです。

男性が決断したのではありません。それは魔術です。

現在その人たちはこの世的な暮らしをしていて彼らの子供もこの世的な暮らしをしています。

魔女が教会から連れ去ったからです。

 

イゼベルといえば・・・今、多くの教会はイゼベルによって支配されています。

イゼベルの霊を打ち砕くことができる人は二人しかいません。

使徒の外套を受け取った人と、預言者の外套を受け取った人です。

イゼベルは使徒預言者を嫌います。もし預言者などに憎しみを感じている人がいたら、

今私が解放してあげますよ。

 

十一番目、もうすぐ終わりますよ。肉にあって歩くことです。(第二コリント10章3節参照)

肉に従って歩いていると悪霊の力に遭遇します。

ハゲタカは動物の死骸を発見します。死骸は肉です。ハゲタカは悪霊です。

彼らは肉に引き寄せられます。

だから肉によって生きている人は悪霊の力に遭遇することになるのです。

 

十二番目、あなたの思考です。

あなたの思考が悪霊の入口になることがあります。

 

十三番目は人を赦せない心です。

赦していない人がいますか?悪霊があなたに入ってきますよ。

十四番目は家系の呪いです。

 

以上、14の入口を言いましたが、解放される準備はできていますか?

解放されるステップです。

一番目は謙って恥を恐れないで自由を選ぶことです。

二番目のステップは悔い改めてあなたの罪を告白することです。(第一ヨハネ1:9参照)

告白とは神が知らなかったことを告白するわけではありません。

悔い改めは心からでなければなりません。

何が罪かをあなたは知っているのですから、心からの告白と悔い改めは悪霊の権威を無効にします。

 

三番目にあなたを傷つけた人を全て赦すことです。

四番目にイエスの血潮を宣言します。

五番目にあなたの中で入口となったものを探すのです。

繰り返し言いますが解放で一番効果的なのは、悪霊の入口を探すことなのです。

 

牧師たちはこれから教えることをあなたの会衆にもしてあげてください。

解放が起るには三つの方法があります。信仰油注ぎ神の栄光です。

信仰とは自分が解放を信じることです。

油注ぎは神が人を通して働きます。神の栄光とは神ご自身がなさることです。

神がなさる方が人がするよりいいと思いませんか?

今日は私は誰にも手をあてません。なぜなら神が「自分で行う」とおっしゃったからです。

神の解放は、命がけの人と神への飢えを持った人のためにあります。

自分には必要ないと思っていたら何も起りません。

 

使徒としての自分の使命は「宗教の霊」を打ち砕くことなので、私は神に言ったのです。

「自分の中に宗教は入りません。でももし自分の中にまだあるのならそれから解放してください」と。

すると咳き込み始めて神による解放が始まったのです。

まさか自分の中に悪霊がいるとは思いませんでした。でも神が見せてくれたのです。

 

ここでは元気づけの説教をしているのではない!ここでは神の国の力を説いている!

神御国の力がやって来ると悪霊は去らなければならないのです!

あなたの思考や身体やあなたの人生や子供たちから去らなければならない。

「今すぐ出て行け!」と告げるのです。「もうこれで終わりだ!」と告げるのです。

あなたには力と権威があるのですから!もうすぐあなたは御国を見ますよ!

あなたはもうすぐ二つの王国が衝突するのを見るでしょう!

私たちの御国の方がもっと力があるのです!もう十分だ!薬はいらない!中毒もいらない!

ゆがんだ性行為も止める!嫉妬も止める!自分を哀れむのも止める!もう十分だ!

 

エスは言いました。

「悪霊どもを追い出しているのならもう神の国はあなたがたのところに来ているのです」(マタイ12章28節参照)

両手を挙げてください。神の栄光と御霊が悪霊の入口をあなたに示します。

恐怖がどこから来るのか、歪んだ性嗜好は、同性愛や消極的な霊は、どこから来たのか?

反抗の霊はどこから来たのか?恐怖の出どころは・・・両手を挙げてください。

祈りますので私の後について祈ってください。

 

「天の父よ。私はイエスが神の御子で救世主で、地に来て私の罪のために死に、

死から蘇ったことを信じます。

私は全ての罪を悔い改めます。罪によって敵に場所を明け渡してしまいました。

私の罪を告白します。人生の中で習慣的に行った全ての罪をお赦しください。

人を赦さないこと、性的不品行、恐れ、自分を哀れむこと、中毒、思考、

場所や人や物との悪しき魂の繋がり、イエスの御名でイエスの血潮が

私の全ての罪を洗い流したことを信じます。

そして悪霊を追い出す力と権威を神が私に与えてくださったことを信じます。 

血潮を呼び求めます!イエスの血潮には今もなお力があります。!

父よ、イエスの御名で、今悪霊の入口とそこから入った悪霊を追い出します。

出て行け!出て行け!今出て行け!私は自由です!

 

「霊」と言う言葉はPneuma(ギリシャ語)で「風」と言う意味でもあります。

そして「息」という意味でもあります。聖霊を受けるとき息を吸い込みます。

エスが弟子達に息を吹きかけるように、聖霊が来たときはそれを吸い込みました。

解放のときは息を吸うのではなく息を吐くのです。信仰で息を吐くのです。

そして悪霊に自分の人生から出て行けと言うのです。息を吐くのです。

霊の通り道を開くためです。臭い息でもある悪霊が出てくるようにです。ただ息を吐いてください。

神の栄光がそれを成し遂げられます。

 

誰が解放されるかというと、「もうこんな苦しみは嫌だ!」と 心の叫びがある人です。

誰にも言えない罪や苦しみあなたの思考や意志でも毎日戦っていて「助けて!」と心で叫んでいる。

私は権威を行使して、皆も権威を 行使する信仰を放ちます。

咳をしたり、あくびしたり、何か冷たいものが体から去るのを感じるかもしれません。

聖霊に自分が苦しんでいる場所を示してもらってください。

思考や感情、歪んだ性、魔術、嫉妬、「神よ、解放してください!」と言うのです。

神が解放してくださいます。聖霊よ、今あなたの息子娘達に悪霊の入口を示してください。

どこから恐怖が入ってきたか、嫉妬や悪しき思いがどこからはいってきたか、

魔術がどこから入ってきたのか、(神からでない)魂の繋がりがどこでできてしまったのか、

聖霊聖霊よ・・・。あなたが戦っているところに御国が間もなくやって来ます!

 

天の父よ、今自分に影響を与える全ての霊を拒絶します。

奴らが持っている全ての権利を剥奪します。だから奴らはイエスの名で去らなければならない!

父よ、イエス・キリストの御名ですべての霊を縛ります。

嫉妬の霊、イゼベルの霊、魔術の霊、自分を哀れむ霊、歪んだ性嗜好の霊・・・

エスの御名で奴らを縛ります。恐れの霊、鬱の霊、落胆の霊、死の霊、全ての霊を縛ります。

思考を悩ませる全ての霊、憎しみの霊、人を赦せない心、歪んだ性の霊、恐怖の霊、

全ての病の霊・・・彼らの身体から去りなさい!

 

誰も傍観者にならないで!必死に神を求める飢えた人にだけ解放は訪れます。

三回自殺を試みた人がいますね。死の霊があなたについています。

今、死の霊よ、出て行け!神の御霊よ・・・今イエスの御名で・・・霊の抵抗を感じます。

不妊の女性がいますね。それは悪魔の仕業です。今あなたはそれから解放されます!

自由になれ!父よ、先祖の呪いを壊します。皆さん息を吐いてください。

父よ、不妊の原因である先祖の呪いを今壊します。神の栄光よ降りてきてください。」

 

 

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