原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

バニヤンの天路歴程の動画はいかが?

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破滅の都市清平を去り、バビロンの大淫婦が捨て去った「天聖教」を抱いて、

我らは新しい旅路に出た。

 

天一国に入籍するための諸条件さえ為せば、天一国市民になれると

多くの聖殿信徒は考えている。

極めて律法的な解釈である。

 

また、破滅の都市に住む夫や妻との関係を断てずに

ちゃっかりと天一国に入ろうと皮算用をして

うっかり山羊に認定されてしまうくらいなら

すっかりサタンとの関係性を精算する覚悟をもって、

しっかり天路歴程を成就してほしいものである。

 

一度や二度壊れたことがあろうが

どうして自分の事情から神を地に引きずり降ろそうというのか?

覚悟ができなければ絶対「性」などわかるはずがない。

山羊と羊は夫婦ではいられない。

羊は山羊を捨て別の羊と結ばれなければならない。

その覚悟があれば、相手も変わってくるだろう。

変わらなければそれも神の祝福だ。

 

メシアという立場で再婚が続くことがお父様にとってどういうことだったのか、

絶対「性」がわからなければ、その道を追随することなど出来はしない。

絶対「性」を理解できない師観が6マリアを馬鹿げていると思うようなものだ。

 

天が妻を望むなら、結婚の日の喜び以上の感謝で捧げ、

国家の祭物として妻でも足りないなら娘をも捧げ、

蕩減だけが過ぎ去っていく中に神の栄光を見る。

そのような男が日本には一人もいなかった。

皆偽物だったのだ。

 

生きるも死ぬも父とともにあり、

結ばれるも別れるもまた父とともにある。

それ以上の至福があるだろうか?

 

カトリックにせよ、プロテスタントにせよ、

「完全」をテーマに求道一直線であった。

「完全」や「絶対」は信仰の秘密荘厳である。

これを生命視した者だけがみ旨の後継者と認定される。

この道は、どこまでも曖昧さが許される道ではない。

肉身があるときが華である。

 

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あることに関心をもっていましたら、不思議なことにダンテやミルトンやバニヤンに行き着きました。

今月はクリスマスもあります。

キリスト教信仰とキリスト教的世界観をバニヤンの「天路歴程」の映画で学んでみてはいかがでしょうか?

 

本の方は、詩の形式で書かれていて、大変重複する繰り返しがあり、冗長なところも見られますが、後世の方が重要な内容を損なうことなく、1/5  くらいに圧縮して子どもたちにも読みやすく編集されたものもあります。

そちらのほうが良いかもしれません。

 

危険な旅: 天路歴程ものがたり (つのぶえ文庫)

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天路歴程 ハンディ版

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 などがあります。

 

聖霊の役事が行われています。

コロサイ人への手紙1章8節にはこんな聖句があります。

 

 あなたがたが御霊によっていだいている愛を、わたしたちに知らせてくれたのである。

 

聖霊によって抱いた愛こそが本当の愛。

 

わたしは聖霊の役事が、心の医者であるキリストによって魂が治癒され、

それによって結果として肉体の咎も癒やされるのだと信じたい。

 

昨日、王妃が「天聖教」のこんな文章に目が止まったと知らせてくれた。

 

旧約時代は、モーセに能力の神様を証させました。能力の神様として信じなければ罰を下した。次にイエス様時代には慈悲の神様を紹介しました。エス様が病人を治さなければ、追い詰められて死ぬことはなかったのです。神様が天下統一し、万国を救う指導者を養成しなければならないのに・・・・。病気になって死ぬのは、この世の先祖たちが過ちを犯したので、その罪の代価として死ぬのです。それをどうして生かしておくのですか。統一教会の文先生が病気を治したとすれば、数十万の病人を治したことでしょう。病気を治さなくても私たちのみ言を聞いて喜べば、癩病ハンセン病のこと)が治らないでしょうか。どんな病気でも治るのです。

天聖教 真の神より

 

 時折私は、

神様の臨在される生活を我らがしているなら、

どうして新たに聖霊の火を受ける必要があろうかと思う。

良き日も悪い日も、

笑い声を発するときも悲しみの涙にくれるときも、

主の恵みは既に我に満たれり

の心境で生きているはずではなかったのか?

破滅の都市を遠く離れて・・・・

 

  


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