原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

み言を語るだけの者は天使長、み言の実体になろうとする者はアダム お父様のみ言葉では「牧会者は父母である」

愛読者さまのコメント欄での質問より

「ところで、聞きたいことがあるのですが、国進様が政府は天使長であると言われています。それで、教会長や総会長も天使長だという方がおられます。王様か国進様が言われているとか?教会長や会長がアベルとすれば天使長ではありませんが、その辺りはどう考えたらいいのですか。」

 

 ヨハネ先生は、よくみ言葉を語るものは天使長だと語りました。

つまり、み言葉を語るだけで実体がない教会長や教育部長のことを天使長と呼んだ。

天使長は霊人体だけの存在です。

肉身という実体がない。

み言を語るだけで責任を取らない。実体がない。

世の中にも、評論家と呼ばれる人たちがいます。

 

一方、み言葉に責任を持とうという教会長や教育部長もいます。

 そういう人たちはアダムです。

み言に責任を持って実行しようとするアダムであるし、

堕落性を脱ぐカインとの関係ではアベルです。

 

また、アダムの助け手として「サモニム」という存在を重視するのが

既成教会とは違う点かと思います。

私は韓国の事情を知りませんが、もしかしたら韓国の既成教会はサモニムの役割を重視しているかもしれません。

少なくとも統一家では、教会長とサモニムを父母として教会に迎えていると思います。

単なる天使長、単なる僕ではありません。父母の代身。

ですから、夫婦仲がイマイチな人は適任とはいえません。

父母の心情、僕の体です。

 

二 父母の立場の牧会者

1 牧会者は父母の立場である
 今後、皆さんは個人的な責任を果たさなければなりません。統一教会の地域長や区域長としての責任よりも、個人としての責任を果たさなければならないのです。世界的伝統を中心として、個人としての責任を果たしたかどうかが問題です。その次に、責任者として責任を果たしたのか、教会長なら教会長としての責任を果たしたのかが問題です。
 教会長は父母の立場です。父母は、子供たちをみな寝かせてしまうまでは先に寝られないのです。病気でない限りそうすることができないのです。分別つかない息子、娘のあすを心配しながら涙を流し、生活の難しさを感じるときには胸を締めつけられながら、その息子、娘のために幸福を祈ったのちに寝床に入るのが父母の心なのです。同じように、責任者は眠ることができないようにならなければならないのです。そして早朝や夜に静かな時間ができれば、自分の教会の食口たちのために人知れず涙を流し、精誠を尽くしてあげなければなりません。何の話か分かりますか? そうすれば基盤が築かれるのです。
 このように子供を育ててどうしなければならないのでしょうか? 教会よりも国のために生きることができる愛国者にしなければなりません。そのためには父母が手本を見せなければなりません。手本を見せてあげながら教育する父母が正しい父母です。愛で正しい教育をしたのちに「やりなさい」と言ってこそ、正しい父母だというのです。皆さんがそういう生活をするようになれば、神様は皆さんから去ろうとしても去ることができません。また、そういう人には何か分からない強い力があって、すべての人の視線を自動的に引くようになるのです。その人に関心をもたざるを得ないのです。
 冬に火鉢に火を燃やしておいたら、冷たい火鉢と熱い火鉢を説明しなくても誰でも分かるので、「行くな」と言っても熱い火鉢を探して行くようになるのです。同じように、皆さんもそうやって人が探しにくる人にならなければならないのです。そういう伝統的基盤を備えて犠牲的覚悟のもと、個人の新しい伝統を拡大させて家庭的基盤に連結させ、それによって氏族、民族、国家を形成するのです。これが天の行く道です。(三四―三一)
 父母はその子供の生命の母体でしょう? 生命を育ててくれるのです。生命の母体であり、愛の母体であり、保護の母体です。生命を保護してくれるし、育ててくれるし、愛してくれるのです。(五一―一七三)

「牧会者の道」

 

このみ言で重要なことは、

父母である教会長がどのように育てなければいけないかです。

 「このように子供を育ててどうしなければならないのでしょうか? 教会よりも国のために生きることができる愛国者にしなければなりません。」

 

一教会の発展よりも、全体目的である国のために生きる愛国者に信徒を育てなければならないというのです。

それが正しい教会長です。

ですから、日本国の真の国益のために立ち上がる勇士や烈女をつくらなければなりません。

それがお父様の方針です。

氏族メシア活動は善で個体目的で対象、

救国運動は全体目的で主体にならなければならないというのです。

どちらも重要ですが、主体と対象の補完関係です。

 

亨進様、国進様御夫妻が日本サンクチュアリ教会から訪米したメンバーのために貴重な時間を割いて下さり、ひととき愛と真理に包まれる時間をいただきました。以下に要約をお伝えします。

王権について

天一国(神の国)の主人は誰か?」とお父様が訊かれたことがある。実際、どのような人が主人なのか。神様の子供達が天一国の主人。では、神様の子供たちの僕の立場は誰か?それは政府である。

王権とは支配者ではなく、神様と人々(神様の子供達)との間の契約を守るもの。それが王の立場。悪の勢力に主管されている環境圏にあるので、神様と人間との契約を守るために王様が必要。たとえば国民の99%がある人を処刑にすべきだと言っても、そのひとりを守るのが王権。歴史を見れば安定した社会は王様を中心とした貴族社会であったことが分かる。しかしサタンを中心としていた。神様を中心として王権を確立することは既にお父様が語られてきた。お母様がされている清平中心の王権はサタンを中心としている。神様との契約を守ることができなければその王はだめだということ。神様の王権は人権(神様の子供達の権利)を守って行くこと。サタンがやってきたことの反対。実際にはどのように天一国ができるのか。これまでの独裁政権とは違う。天一国は実体として出現しなければならない。

亨真様と国進様のみ言 (2015年8月31日)

日本サンクチュアリ教会 ホームページ

 

 上記のみ言や下記のみ言では「政府」が天使長として語られています。

 

天使長=サタン=政府 政府は父ではありません。原理では、天にいる父、良心に語り掛ける父。サタンが物理的に支配している。暗い谷に光を灯すと、虫が寄ってくるでしょう。再臨キリストは、暗い谷に、光を灯してくれました。皆様もそのようになってください。サタン世界から脱出するためには、神の本質に接しなければなりません。

国進様の工場にて(2015126日)

 

 「教会長や総会長も天使長だ」

という発言は見つけることができませんでした。

あったとしても、前後をよく見て、お父様のみ言葉との整合性を重視しなければならないと思います。

 

ポイントを3つ言いますと、

1,み言との関係の観点から

み言を伝えるのが天使長み言の受肉に責任を持とうとするのがアダム=教会長

2,成長過程の三段階から

天使長は長成期完成級の存在です。

相対者を持たないのが天使長です。

教会長も総会長も祝福者で相対者があります。

天使長=独身教会長=実子サモニムと共に父母の心情、僕の体

3,王冠の摂理から

天使長は単なる僕なので王冠をかぶらない。

教会長とサモニムは王と王妃なので王冠を被る。

 

勿論、堕落すればこの限りではありません。

 

 教会生活指導 (慶北、旗手19号)
①復帰摂理的な観点から、統一教会の意味を自覚させることが中心課題だ。
②教会は過去、現在、未来の因縁の本拠地だ。だから蕩減条件を成立させる媒介体であり、み言と人格と心情を総合する所となる。
③教会を通じてのみ、天国は連結される。すなわち、天国は家庭を通じて、家庭は教会を通さなくてはいけない。それゆえ教会は家庭が勝利する基盤であり、家法を結実させる所であり、人格を認定される所であり、天国生活の訓練場である。
④教会は天地を連結する至聖所である。教会は世界へ行く門戸であり、すべての人々が相扶相助の因縁をもたせ、国家存亡の霊的支柱となる。
⑤教会は霊的生活の源泉として、毎日毎日の生活の力を補給する。

「牧会者の道」

 

 


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