原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

お父様の組織論3  教会体制と指揮系統 ②

 以下に掲載されるみ言は、

「牧会者の道」 三 私たちの体制と系統 からのすべて引用です。

 

5 食口の道
 私たち統一教会が行く道は天国を所有するための道です。天国を所有しないといけません。天国を所有する秘訣はどこにあるのですか? 自分が良い暮らしをしようというところにあるのではありません。他人のために、世界のために犠牲となるところにあります。もう一度言うと、この道を望み、また従っていかないといけません。分かりますか? さらに従っていかなければなりません。今まで私たちが堕落圏内から脱出するための組み打ちをしたのですが、ここでついて行けないとわめく人は焼いてしまうのです。最頂上に向かって真なる道を行くのに自分が主体とならないなら従っていかないといけません。従っていくのに誰に従わなければならないのですか? 神様と関係している人に従っていかなければならないのです。
 従っていくのにどのぐらい従っていかなければならないのですか? 世界の果てまで従っていかなければなりません。どうやって行かなければならないのですか? うれしくて、喜びつつ行くのではなく、涙と血と汗を流しつつ犠牲となり、克服しつつ従っていかなければなりません。こういう人生路程になっているのです。それが難しければ難しいほど、範囲が広ければ広いほど、個人から家庭、世界が一度に総動員される時になれば、世界の終わりの日になったことを知るのです。(四六―四六)
 今日、統一教会を中心にして皆さんの第一の問題とは何ですか? 入教して、教会員になれば、その教会の責任者の心の中にいる皆さんにならなければなりません。教会でいえば、ここ本部教会の責任者がいれば、その責任者の心の中に記憶される皆さんにならなければならないのです。本部に対してどうのこうのと批判するのは偽者です。私が見て、偽者です。「誰がどうのこうの」と言ってその人を評する前に、その人のために三倍祈祷せよ、というのです。そうもせずに、ああだこうだ言う人は偽者です。そういう人は裂教人(注:教会を破壊する人)です。裂教人、裂教人です。
 いくら少年少女でも、その人を中心にして天のみ旨が来るので……。のどが渇くとき、泉の水を飲むのに主流の水を飲めないなら、横に流れ落ちる水でも飲むという考えをしろというのです。その人を自分の息子のごとく思い、自分の娘のごとく思い、また一国家の幼い王のごとく思い、その人のために育ててあげ、垣になって大きくしてあげようという人がその主人になるのです。そういう人を願うのです。それなのに「ああだこうだ」言うのは全部偽者です。
 ですから教会に所属したなら、その教会の責任者に気に入られなければなりません。おじいさんならおじいさんと呼べる心、おばあさんならおばあさんと呼べる心、若者なら若者の中で誰々、と呼べる心をもたないといけません。忙しい仕事があれば、一度にすべての事情を越えて、自分のすべての事情を一〇〇パーセント吐き出して、相談できる人にならなければなりません。その心の中を占領できる人にならなければなりません。その心の中を占領できる人にならなければならないのです。そうなれば、地方にいる人なら、本部なら本部にいる協会長の心の中に記憶されなければならないのです。段階がそのようになっていきます。その次には先生の心の中に記憶されなければならないのであり、その次には神様の心の中に記憶されなければなりません。これが行く道です。この道を外れてどうこう言う人は全部偽者だというのです。それこそ統一教会の不純分子であり、サタンの矢を受け尻尾を振る人だということを皆さんは知らなければならないのです。主流の路程は一定しているということを知らなければならないのです。分かりますか? (はい)。(七七―一七一)


 それなら、統一教会で成功したという人は何をもって成功したと言うのですか? 字を上手に書くことですか? 原理講義をうまくやることですか? (違います)。それなら何です? (永遠に残らなければなりません)。永遠に残るにはどうしなければなりませんか? 神様の愛を中心として、永遠に先生の心を占領しなければなりません。そういうことではありませんか? (はい)。家に行っていても、先生に向かう心でいっぱいになっていなければなりません。先生を完全に占領できる食口になれば、その人は世界を占領できます。それを占領する道はどうなっていますか? 統一教会の先生を占領しようとするならどうしなければなりませんか? 受けるごとくに与えなければならないのです。世間でもそうではありませんか?
 皆さん、伝道する時間がなければどうしますか? (従順屈伏します)。従順屈伏するのがいいにはいいのですが、それだけではいけません。それではどうしないといけないのですか? 先生が教えてあげましょうか? (はい)。皆さんが地方へ行けば、地方の地域長と完全に一つにならなければなりません。その地方の人々の中で、君子の心をもった者が皆さん以外になければ、そこから距離が開くのです。その次には地区長なら地区長の心を完全に占領しなければなりません。そうしておいて、教会長なら教会長の心を完全に占領しなければなりません。そのように占領できる人を待ち焦がれています。分かりますか? (はい)。そのためにはどうしなければならないのですか? 先生が指示したとおり、ずっと末端に入って食口の責任を身代わりして負える人にならなければなりません。そういう人が永遠に残るようになるのです。分かりますか?
 大きくてよく繁った、できの良い木があるのですが、葉が全部乾いて根も死んだという時、どうなるのでしょうか? それはできがいいことはいいのですが、望みがありません。矮小な木だとしても、その木よりもっと生き生きとしているなら、これがもっとできが良いことになります。これは褒めても褒めても不足ありません。その木の枝は根から幹にいく津液を一〇〇パーセント受けたというのです。ですから無限に育つことができます。枝の中には元となる枝、外側の枝がありますが、外の枝が元枝よりよくおい繁るようになるのです。
 私たちの教会でも、地区長、地域長などのいろいろな枝がありますが、生き生きした枝にもっと目立った枝が生まれるのです。地区長が生きていれば地域長もそうなるのです。何のことか分かりますか? (はい)。大きくなっていくのです。地区長なら地区長、地域長なら地域長、教会長なら教会長の心を完全に占領するためには、その長所、短所をよく知って侍っていかなければなりません。そうなれば、彼らは黙ってそういう人を愛し、慰労してあげるようになっています。何のことか分かりますか? (はい)。もう一度言うと、地区長や地域長、教会長の権限以上の権限を奪って獲得できるものとは何でしょうか? 犠牲と奉仕です。仕事をするすべての面において、百倍、千倍を与えつつ、損することを喜ぶことのできる人は、必ず彼らを占領できます。ですから彼らと自分が愛し、愛を受けられるなら、その人はすべての人を愛することができます。
 そうして面なら面、郡なら郡を中心にして上ってくるのです。自分の郡で第一だという認定を受けるようになります。体育大会もそうではないですか? 同じことです。このように経由して上ってくるようになっています。そしてその郡だけがその人を祝福する時、その人はその郡を代表するようになります。そのように漸次上っていって教会の代表者になるのです。そうでしょう? 教会長の心から地域長の心、地区長の心と一体を成しつつ上っていくようになれば、その次にはどこに上っていくのですか? 協会長です。そうして協会長がその人にすっかりほれ込んで、心を完全に占領されるようになる時、自分の代わりにその人を協会長に立てるのです。何のことか分かりますか? そういう人が最高の場所を占領するというのです。
 それでは、宗教を中心とした全世界の万民を眺めた時、神様の心をすっかり占領する男性は誰ですか? 今まで宗教人たちが失敗したすべてのものを収拾してくる人です。アダムからアベル、ノア、アブラハムモーセ、洗礼ヨハネ、イエス様を経て、今まで神様の心情を分からず失敗したすべてのことを全部探し出して現れる人々です。教会なら教会の代表、世界的教派ならその教派の代表を歴史的に見てみるとき、神様の心をどこの誰も占領できなかった原因を全部収拾して出てくる最後の男性がいなければなりません。統一教会の先生がそういうことをしてきています。
 ですから世界のどんな人が迫害し、反対しても滅びてはいけません。それゆえにまず信念がなければなりません。自信がなければならないのです。「彼らはこうして働いたのでこうで、私はこうやってやったからこうだ」という信念をもっていてこそ、神様の愛を中心にして、愛において偉大な成功者になれるのです。
 そういう面で先生に従っていくだけのことがあります。そうではありませんか? (従っていくだけのことがあります)。そうだとすれば、皆さんは先生の言葉をよく聞かなければなりませんか、聞かなくてもいいですか? (よく聞かなければなりません)。先生の言葉をよく聞かなければなりません。木の葉は幹でなく根の津液を受けて育ちます。津液は枝から来るのではなく、どこから来るのですか? 根から来るのです。根が遠くにあるので、幹を通り、枝を通るようになります。ですから皆さんは協会長を通し、地区長を通し、地域長を通し、区域長を通し、教会長を通して良い実にならなければなりません。
 ではどこから大きくなるのですか? 頂上から大きくなります。頂上から大きくなってこそ全体が大きくなるのです。死んでいる枝は切ってしまうというのです。分かりますか? (はい)。ですから、根からは絶対的に水分が必要です。人間に天と地が必要なのと同じことです。「生育し、繁殖し、地に満ちて万物を治めよ」(創世記一・二八)と言いましたが、主管するにおいて誰が主管するのですか? 神様が主管するのではなく、神様の愛を完全に受けられ、神様を占領し、神様の前で成功した人々が宇宙を主管するのです。そうならなければならないのです。分かりますか、分かりませんか? (分かります)。(二六―一七二)
 まず皆さんが善の条件を立てなければなりません。そうなれば皆さんは統一教会の愛を受けることができます。そして先生の愛も受けられるのです。分かりますか? 地区長は先生を身代わりしたお使いです。ですから、皆さんが地区長の愛を受けるということは、先生が愛してあげるという約束のもとで愛を受けるのです。その約束は、皆さんが先生の愛を受けるという約束になるのです。(三七―六二)


 食口たちは先生の心を通して神様の前に出ていきます。地区にいる食口は地区長の心、また協会長の心、最後は先生の心を通して神様の前に出ていくのです。先生は皆さんすべてを天国に連れて行きたいのですが、神様の前に立てる条件が必要です。それは神様が公私の区別を確実になさるからです。(一八―一三五)

 

1,み旨の主体となれない者は従わなければならない。神と関係している人に従わなければならない。

「今まで私たちが堕落圏内から脱出するための組み打ちをしたのですが、ここでついて行けないとわめく人は焼いてしまうのです。最頂上に向かって真なる道を行くのに自分が主体とならないなら従っていかないといけません。従っていくのに誰に従わなければならないのですか? 神様と関係している人に従っていかなければならないのです。」

 

2,下位組織の責任者の心に記憶される者になって次に、中位の組織の責任者の心に記憶されるものになり、さらに上位の組織の心に記憶される者となる。

「本部に対してどうのこうのと批判するのは偽者です。私が見て、偽者です。「誰がどうのこうの」と言ってその人を評する前に、その人のために三倍祈祷せよ、というのです。そうもせずに、ああだこうだ言う人は偽者です。そういう人は裂教人(注:教会を破壊する人)です。裂教人、裂教人です。」

 

3,協会長の心に記憶され、次にお父様に記憶され、神様に記憶されよ!

「これが行く道です。この道を外れてどうこう言う人は全部偽者だというのです。それこそ統一教会の不純分子であり、サタンの矢を受け尻尾を振る人だということを皆さんは知らなければならないのです。主流の路程は一定しているということを知らなければならないのです。分かりますか? (はい)。」

 

4,この道の成功者とは、原理講義がうまくできることではない。

 神様の愛を中心として、永遠に先生の心を占領した者のことである。

 

5,犠牲と奉仕は、聖職者の位階の権限以上の権限である。

「もう一度言うと、地区長や地域長、教会長の権限以上の権限を奪って獲得できるものとは何でしょうか? 犠牲と奉仕です。仕事をするすべての面において、百倍、千倍を与えつつ、損することを喜ぶことのできる人は、必ず彼らを占領できます。」

 

6,教会組織の指揮系統を通じてこそ、先生の永遠の命に繋がる。

先生の言葉をよく聞かなければなりません。木の葉は幹でなく根の津液を受けて育ちます。津液は枝から来るのではなく、どこから来るのですか? 根から来るのです。根が遠くにあるので、幹を通り、枝を通るようになります。ですから皆さんは協会長を通し、地区長を通し、地域長を通し、区域長を通し、教会長を通して良い実にならなければなりません。

 

7,死んでいる枝は切ってしまうというのです。分かりますか? (はい)。」

 

8,指揮系統を通じるということは、先生の愛を受ける約束である。

「地区長は先生を身代わりしたお使いです。ですから、皆さんが地区長の愛を受けるということは、先生が愛してあげるという約束のもとで愛を受けるのです。その約束は、皆さんが先生の愛を受けるという約束になるのです。」

 

 6は以前に「中心人物の指導の価値をお父様はこのように語っている」の題で紹介したみ言葉です。

 

6 お父様が指示したとおりにせよ
 私たち韓国の責任者たちは、先生が指示したとおりにしないと、今後霊界に行って引っかかるのです。今出ていって、指示したとおり働かないといけない、ということを知らないといけません。あなたたちの思いどおり、あなたたちの考えのとおりには霊界が協助しないのです。何のことか分かりますか?
 命ずるとおりやらないと、私が皆さんに責任を負えないのです。命じるとおりやって成せなければ私が責任を負うのです。(み言のとおりやります)。やりたくなければ行けというのです。やらなくてもいいということです。本来先生が指示したごとく全部しないといけないのではないですか? とぼけるなというのです。先生がやれというとおりやれというのです。
 見なさい。今は、紅海を渡る時です。その時と同じことです。皆さんもそうです。自分の思いどおりにやれば滅びる、ということです。今はヨルダン川を渡り、紅海を渡る時です。紅海を渡る時には全部自分の思いどおりにやったなら滅びるのです。ヨルダン川を渡る時に、十二支派が全部川岸に三日ずつ立っていながらも不平は言わなかったのです。そうやったのでカナンの地に入ることができたのです。時を知らなければなりません。
 天が役事してくれるのです。全部できなければ、あとで牧師一人でもそういう伝統を受けさせて、全体に残せば天が役事するということです。アメリカの牧師全部が天の前に立つことができるのか、というのです。方向をきちんと決定しないといけません。先生が指示したとおりに祈祷するのです。先生の指示どおりに、「天よ、指示したその目的のために協助してくださいませ」と言わないといけません。そこで自分の思いを介入させたなら全部滅亡するというのです。何のことか分かりますか? (はい)。遊びではありません。私が話したとおりすべてに話してあげなさい。今、時がそういう時なのです。
 皆さん自身も知らずに、霊界が全部協助して、牧師の耳に入るようになるのです。分かりますか? 霊界で選んだ人を探すのです。霊界で導くのです。統一教会は出発をそうやってしました。あの姜賢実伝道師の証を聞きませんでしたか? このように先生が言ったとおりにやってこそ、全部霊界が案内するのです。「行け」という時、「行かない」と延ばしたのですが、出発するようになって、ある停車場へ到着してみると、切符を買って待っている人が現れたというのです。分かりますか? 行かなければどうなるでしょうか? 責任者が讒訴されます。ですから従順でなければなりません。神様を身代わりして話すみ言なので、尊重しなければならないのです。(一三五―二〇二)
 アメリカの責任者たちは、先生と会議したあとに、皆さんだけの会議をするなというのです。日本では、録音機を持ってきて、先生が指示したことを録音し、全国にばらまくのです。ですから神様が役事してくださるのです。それを書いていって、そのまま話さなければなりません。そうすれば霊界で協助してくれるのです。皆さんもそうなのです。皆さんも録音機を持ってきてそうせよというのです。自分たちの好きなように翻訳して、ああだこうだするなというのです。そうやったから、アメリ統一教会の有様が今こんな具合になったのです。火がつかないのです。発展しないのです。霊界が協助しないのです。分かりますか、何のことか。これをしっかり聞かなければならないのです。誰かここに参席して地方へ帰り、先生の言葉と違って教えれば、その人とは友達にもなるなというのです。
 イスラエル民族がモーセの言葉を尊重せず、十二支派七十長老たちが全部自分勝手にやったので十戒を下すようになったのです。この十戒イスラエルを滅ぼすようにしたのです。それを知らなければなりません。そのために滅びたのです。そのためにイスラエルは滅びたというのです。その法を立てたので、直接指導できないのです。直接指導から離れたというのです。何のことか分かりますか? 十戒を立てたので、直接それを行えない人は神様が対することができなくなったというのです。ですからイスラエル民族は大きな被害を被ったということを知らなければなりません。神様が十戒の後ろに立つようになったというのです。十戒が垣根になったということです。垣根になったというのです。
それを知らなければなりません。法は荒野で作るのではありません。カナンの地へ入って、神様が法を作らないといけないのです。
 今は、毎週先生がどんなみ言を語るか、耳を傾け、聴覚を合わせ、そこに呼吸を合わせ、そこに心を合わせ、そこに行動を合わせる心をもつ全世界統一教会員にならなければならないのです。そうしないといけないのに他のことをしているので先生が何を話したのか……。どこかへ行って別のことをして、何年かあとになって聞いてから、「いつ先生がこういうみ言を語ったのか? 責任者たちが誤ったな」という副作用が起こるのです。
 では、この場所で天国の憲法が生まれるとすると、誰を通じて生まれそうですか? 皆さんを通してですか? 朴普煕を通して現れそうですか? 神様が誰を通してですか? 先生を通して現れるのではありませんか? 統一教会の教会員たちは、今全員天国を創建していくにあたって、先生が指示することを、その国ができた時の憲法以上に尊重することができなければなりません。それがどういうことか分かりますか? 先生の言葉を聞かないと、サタンを防ぎ止める道がありません。別の行動をすれば滅びます。滅ぶのです。見ていなさい。
 この場所で十名が一緒に聞いたのに、その連中が外を回ってする行動が全部違うのです。なぜそうできるのかというのです。聞いた人が十名なら、十名が話す言葉が全部同じでなければならず、やる行動が同じでなければなりません。ところがある人はこう、ある人はこうで全部違います。何のことか分かりますか? はっきりと知らなければなりません。分かりますか、何のことか? (はい)。そうしていては発展しません。入ってきても全員逃げていってしまいます。長く続きません。みんな逃げてしまいます。それは何かといえば、種を蒔くのに毒麦を蒔いたのと同じことです。毒麦は種と光が同じで模様も同じなのです。そうするのは、毒麦を植えるのと同じだということを知らなければなりません。
 毒麦とは何ですか? 毒麦の種の光と模様が同じだというのですか。この連中! あなたたちが種を植えることができるのですか? この連中は! いわゆる三十六家庭程度なら、そのぐらいは知っているのではないですか? あなたたちが種を植えられるのかというのです。先生の言葉を受けて、種を植えてこそ植わるのであって、そのまま植わると思いますか? 神様がそこに協助すると思いますか? この連中は! ですから入っても全員出ていくのです。サタンが追っていくのです。これをしっかり知らなければなりません。分かりますか、アメリカ、ヨーロッパのリーダーたち? (はい)。しっかり肝に銘じておきなさい。(はい)。種は神様から先生を通じて出てくるのです。皆さんではありません。アメリカの教会長ではありません。ここにいる何かの州責任者ではありません。それぐらいのことは、言わなくても全部知っていることではありませんか?
 先生が皆さんのようにやっていたなら、神様のみ旨を見つけたでしょうか? 原理版図に従ってくるから、神様が協助してくださるのです。これが先生の考えですか? 先生の好きなように、思いのままにやっているのだと思いますか? そうするのなら苦労しません。蕩減復帰の道を行くのではありませんか。そうしようとしたなら、四十年間無駄に過ごしたのですか? 四十年間無駄に過ごせば滅びるのです。滅びる。そうやってきたなら滅びたというのです。滅びたのです。今回監獄へ入って終わりになるというのです。終わりになるのです。分かりますか? そこからは芽が出てこないのです。
 見なさい。一国の政令を受けた公使、あるいは大使、特権大使が異国の地へ行き、話をする時に、自分の国の王が伝えた言葉と違っていれば、国が売られるか国が滅びるのです。同じことなのです。そうなれば国を売り払う逆賊になるのです。国を売ってしまうことです。違いますか? 国を売り飛ばす逆賊になるのです、逆賊、逆賊。先生の言うことが正しいですか、誤っていますか? 先生に抗議するのなら抗議しなさい。
 大統領が演説したことを全部複写して、そのままそっくり伝達するのはいいのですが、大統領の演説を自分の好きなように作って、ああだこうだと言うことができますか? 一国がかかっているのに、天国の仕事を勝手に変えることができますか? それは天国を拒絶することです。そうすると神様が離れてしまうのです。神様が役事をしないのです。いくら精誠を尽くしてみてもです。その前にみ旨を押し頂かないといけません。(一三五―二〇三)
 ですから先生が指示した言葉、それ以外望み見るものはないのです。「あなた、こうしろ」と言えば、それを願うほかないし、自分に力になることができ、自分がその環境で開拓できる中心標本がそれ以外ないというのです。その標準の前に、自分がどのぐらい日々その相対的基準となるのですか? そのみ旨と自分がどうやって一つになるのですか? この努力をするかどうかの道において、初めて自信をもつようになるのです。それだけやってみよ、というのです。自信のある神様が共にいることを知るでしょう。
 ですから先生も神様のみ旨、自信を得るために神様のみ旨……。神様のみ旨はこういうふうに進むのです。正に公式になっているのです。このことのためにきょうも行き、あすも行くのです。この原則的なことは、自分の生命が尽きる恨みがあっても、いくら弁明できる条件があっても、その原則を破らないし、秩序をひっくり返しません。どこまでも前は前、上は上です。自分が前に行けないし、自分が上に立とうにも立てません。これをやったなら妄動です。十年の努力が無になるのです。自分が前だと思い、後ろに立った者が前になることはないものと思っていたのに、その全部が逆になるのです。
 ですからみ旨を前に立て、み旨に従っていく……。そうでしょう? み旨を立て、先生のみ言を立て、一年の標準を立てたなら、それを標準としていくのです。皆さん、蕩減復帰路程はどうなるのですか? 公式的標準をかけておいて、それをもって夜も昼も精誠をささげなければならないのです。そうでなければ分からないのです。行く道を知らないのです。皆さん、自信がないでしょう? では自信を育てる所とはどこですか? 皆さん自身ですか? 何ですか? 皆さん、今時がこのように進展していると、皆さんに神様が全部教えてくれるのですか? 分かりますか? 知らないでしょう。(はい)。知らないから、皆さんの自信の基準となり得る、その一つの標準は先生が指示したこと以外はないのです。「毎月一人ずつ伝道せよ」と言ったなら、精誠を込めてそうするのです。精誠を込めて祈祷し、すべての涙を流して……。天命による責任を果たせない親不孝な姿で神様の前に立てない、この恥ずかしさをどうやって免れていくのか、と徹夜して祈祷してみよというのです。すべて解決されるのです。「ああ! こうして行く道だなあ」と、その道を知るようになるのです。
 これらを今まで何の自信もなく、それこそ何をもって歩き回ったのかというのです。先生が話しても、「先生はそうやって話されたが、我々は別に……」あなたたちが別にやって、復帰歴史に、神様の役事に、何か協助できますか? 蕩減復帰が皆さんの定規をもってうまくいきますか? あなたたちの思いどおりには絶対にいきません。ですから仕方なく自分が基準でなく、聖書なら聖書が基準となり、原理のみ言なら原理のみ言が基準になるのです。そうでしょう?
 それが漸次発展するのに、先生がいるから命令をしてあげるが、先生がいなければ皆さんがどれほど難しい道を行くべきか知らないのです。それで先生がいて指示することを全部おそれをもって迎え……。そういう連中の行く道に発展があるのです。一つの仕事をしたなら、必ず上下関係に固く決意しなければなりません。神様の前に報告し、自分の直系の家族(食口)の前に固く決意しなければならないのです。こういうことはこうしなければいけないし、こうやって……。自分がいなくても後継者をつくらなければならないのです。
 これが三段階原則に従って相互関係を結ばなければなりません。上下・前後・左右関係をいつも備えてこそ、存在圏がそのままそっくり存続するということを皆さんは知らなければならないのです。それが原理の教えではありませんか? そうでしょう?(はい)。 今までのあなたたちの生き方は何ですか? あなたたちの好き勝手に生きたでしょう? 本部で話しても、本部で今まで何か経済活動をしても、自分の好きなように全部切り取って使い、ありとあらゆることをしたではありませんか? 一代で悔い改めないといけないのです。(七〇―一五七) 

 

1,不平を言えばヨルダン川を渡ってカナンに入ることができない 。

見なさい。今は、紅海を渡る時です。その時と同じことです。皆さんもそうです。自分の思いどおりにやれば滅びる、ということです。今はヨルダン川を渡り、紅海を渡る時です。紅海を渡る時には全部自分の思いどおりにやったなら滅びるのです。ヨルダン川を渡る時に、十二支派が全部川岸に三日ずつ立っていながらも不平は言わなかったのです。そうやったのでカナンの地に入ることができたのです。時を知らなければなりません。」

 

2,み言は役職者がフィルターを掛けずに末端まで伝えよ! 

 アメリカの責任者たちは、先生と会議したあとに、皆さんだけの会議をするなというのです。日本では、録音機を持ってきて、先生が指示したことを録音し、全国にばらまくのです。ですから神様が役事してくださるのです。」

誰かここに参席して地方へ帰り、先生の言葉と違って教えれば、その人とは友達にもなるなというのです。

 

3,神はイスラエル十戒(み言)ではなく、み言葉の実体としての中心人物を通して導きたかった。

家庭連合の天一憲法は、法を中心とする民主的投票による決議機関だが、

サンクチュアリ天一憲法は、三代王権を中心とする神権による決議機関。

実体み言宣布である。

法が中心人物を追い出すことを神は心配される。

ですからイスラエル民族は大きな被害を被ったということを知らなければなりません。神様が十戒の後ろに立つようになったというのです。十戒が垣根になったということです。垣根になったというのです。

 

4,み言葉が一つなら、その理解も一つで、その行動も一つであるべきである。

「この場所で十名が一緒に聞いたのに、その連中が外を回ってする行動が全部違うのです。なぜそうできるのかというのです。聞いた人が十名なら、十名が話す言葉が全部同じでなければならず、やる行動が同じでなければなりません。ところがある人はこう、ある人はこうで全部違います。何のことか分かりますか? はっきりと知らなければなりません。分かりますか、何のことか? (はい)。そうしていては発展しません。」

それは何かといえば、種を蒔くのに毒麦を蒔いたのと同じことです。毒麦は種と光が同じで模様も同じなのです。そうするのは、毒麦を植えるのと同じだということを知らなければなりません。

 

 5,三段階原則で相互関係を結んでこそその人の存在圏ができるというのが原理の教えである。

「これが三段階原則に従って相互関係を結ばなければなりません。上下・前後・左右関係をいつも備えてこそ、存在圏がそのままそっくり存続するということを皆さんは知らなければならないのです。それが原理の教えではありませんか? そうでしょう?(はい)。」

自由は、三段階原則の四位基台秩序の中で、主体と対象の位置と役割の責任を果たして、合成一体の存在圏をつくり、実績を生み出すということが原理の教えである。

 

 

7 同役者間の関係 

サタン側と天の側が敵対していることを考える時、サタン側はあまりにも大きいので、それに対抗するためには、自分一人では駄目です。絶対に自分一人では駄目なのです。必ず同志がいなければなりません。ですから同志が必要なのです。ですから同志に対する絶対的な信頼心が、自分の父母よりももっと切実であり、自分の兄弟よりももっと切実であり、自分の友達よりももっと切実であり、自分の師匠よりももっと切実でなければなりません。そういう中で、互いに夜を明かしつつ話し、生死の境を分かち合って越えていける境地で決心すれば、ここからはどんな所にも比較できない最高の団結力をもつようになります。(二〇―一五一)


 天の前に同情される人にならなければなりません。地球の発展がうまくいかない理由は、隣接している地域の地域長と、天地と、先生から同情されるような立場に立ち得ていないからです。(一二―一五三)


 法度的な秩序を中心にした世界の前進的発展原則に従って発展しようとするなら、第二次的な発展は第一次的な土台が主体性をもってこそ可能だというのです。主体性を備え、二次的な対象の前でこれを吸収でき、料理できる土台となる思考方式、考えがなければなりません。自分を中心としているそこに、もう世界を中心にした考えがとどまれるでしょうか? そうでしょう? 世界を中心にして考えることができてこそ、国を考えることのできる考えがとどまり、教会を考えられる考えがとどまるのです。
 皆さんは今、統一教会教域長という、こういう名前をもって、百二十七郡の責任者という、いわゆる地方においての平面基地に、これを一つの点として見るならば百二十七個の点として、全部これが一つの中心を中心としてずっと点になっているというのです。これを全部連結させていかなければなりません。中心と連結させて、その次に横的に連結させて、さらに四方に連結させるのに不足のない皆さんにならなければなりません。
 四方を全部連結させようとするなら、「全部が私の教会だ!」、また「この国は私の国だ!」こうでなければならないのです。「教会を中心にして連結させるばかりではなく、機関を中心にして連結させ、世界を中心にして連結させるとしても、全部を連結させよう! これは私の教会であり、私の国であり、私の世界だ!」こうならなければならないのです。そうしてこそ連結されるのではありませんか? そうしてこそ、一つの主体を中心にしてすべての教会をいつでも積極的に通ずるにしても、何の矛盾、相衝(注:相いれないこと)がないのです。
 もう一度言えば、皆さんの目の中にある細胞の背後には全部血が通じるのです。そうでしょう? ですから目玉の後ろに行った血が「やあ、私は足の裏には行かない」そう言いますか? 頭へ行った血が「やあ、心臓さん、私は頭に行ってきたので頭にまた送ってください! 足には行きたくありません」そうですか、そうではありませんか? (そうではありません)。では、頭に行った血が、臭いがする足に行くといって不平を言いますか? 不平を言いませんか? (言いません)。なぜ? 自分のものだからです。「私」という生命体がその血よりも貴いからです。
 こういう組織形態を成していくのが、今日の摂理を行く私たちの責任分担です。私たちの責任という言葉がここにあるのです。分かりますか? 私たちの責任。それが皆さんの責任なのです。私を中心にして、東西南北にあるすべての教会が通じることができなければならないのです。また、私を中心にして大韓民国の教会だけではなく、西洋の統一教会と通じなければならないのです。夜も昼も、いつも全世界の統一教会、全国の統一教会が全部自分を経由していくとしても、「おお! 歓迎だ」このように歓迎すると同時に、押してくれるし、そこに同化もできるし、さらに刺激を与えることもできるという時、それはその人の細胞のごとくなるのです。
 そういう横的立場に立てなければならないのです。一つの点の形態ですが、皆さんが百二十七個のその教域なら教域の一点ですが、その教域に、百二十七の教会のすべての教会員が経由していっても矛盾や相衝がない、それだけではなく、「この基点として、大韓民国だけでなく世界の統一教会の信徒たちが来てもここを全部経ていく」と言えるようになっていますか? そうであってこそ、今現在のどこかの郡のための我が教会だと言っても、通ずるのです。郡全体の教会が全部そこを通っても、矛盾、相衝が起こらないのです。そういう立場でその次に、「ああ、大韓民国我が教会!」と言えるのです。「大韓民国を代表した我が教会!」その次は、「世界を代表した我が教会!」どうですか、そうなっていますか? そうなっていなければ、今後そういう人にならなければなりません。
 神様の主管圏というのは教会組織だけを主管するのではないのです。その教会組織を通して国家を越え、世界まで支配するのです。支配するのに強制でしては駄目なのです。順理(注:道理に従うこと)的な面で、これを統轄できる組織的な責任部署が設定されないといけないということを考える時に、それはどこから始まるのかといえば、主体を中心にして皆さんが相対的立場で全体、主体に属する全四方にある個体形態を同化させられるし、吸収消化させられるところから始まるのです。そういう自分になっていくことが実に問題だということを知らなければなりません。それが問題でしょう? こういう問題を考える時に問題が大きいのです。(七八―一四七)
 私がきのう話を聞いてみると、ヨーロッパの責任者たちが一つになれないと言います。この連中、そのことを聞いて、今年中に全部人事異動しなければならないと思ったのです。責任者たちが一つになれないでどうやって原理を話すのですか? 一つになっても難しいのに……。そういう人たちは全部人事異動しなければなりません。ここのこの人(ピーター)とこの人(ポール)が一つになれないことが、ヨーロッパ全域に影響を及ぼすのです。そう、一つになったのですか、ならなかったのですか? (五四―二一一)
 私たちは、自分の力だけではなく、全体を動員して神様の前に利得をもたらすことのできる心を回復しないといけません。それは、同志を愛する心と神様を愛する心、この二つの道しかありません。同志を愛さなければなりません。愛する同志がいなければ、神様を愛せよというのです。神様を愛することによって、結局は同志を愛することができます。ですから、同志を愛するために神様を愛せよというのです。
 皆さんには、統一教会教会員として同志もいるというのです。ところで皆さんは同志をどれぐらい愛したのですか? 同志を愛してこそ、この戦争で実践的な実績を上げるのです。したがって、ここに到達して共同的な利益をもたらすことのできる彼らをどれくらい動員させ、加担させて、神様の前にプラス的な結果をもってくるように動いたのか、という考えをいつもしなければなりません。ですから全部が共同運命体なのです。いつ引っ張られていくか分からない、こういう戦争の時点にいるということを皆さんは知らなければなりません。(二〇―一五五)
 神様は皆さんが神様御自身を愛することより、皆さん同士愛することをもっと喜ぶというのです。父母様を愛することよりも、皆さん同士父母様以上愛することをもっと喜ぶというのです。(一五五―五六)
 今から皆さんが完遂すべきことは責任分担です。今日、全国に散らばっているすべての地域・地区長たちは、あるいはそこに忠誠を尽くす皆さんは、地方に帰ってその分野において、自分一人個別的な活動はできません。今は連結した環境でこの動きを通じ、全体の反応をどうやって起こすことができるのかということを、皆さんは考えなければなりません。天がそうであるようにすべてそうあらねばなりません。(一五五―一二一)
 皆さんは、我々教会機関が精神的な面を指導するのはもちろんですが、生活的な面だとか教育的な面にプラスとなる与件をどうやって提示するかという問題を、いつも考えなければなりません。ですから、「教会がなければ駄目だ」となれば自然に……。教会も彼らがつくるものです。こういう立体的な活動を皆さんが考えなければなりません。
 こういう活動を一人でできなければ、郡の下に教会が三つあればこの三つの教会長が合わさって、私は何を専門的に研究し、あなたは何を専門的に研究し、私たちが巡回しながら互いに協助しようとしなければなりません。一人でやるよりも三人が協力して指導するようになれば、それだけ良い面を打開できるのです。また、三人が協力すればいくらでも範囲を広げ、拡大できるのです。
 ですから教会長が五人なら五人、十人なら十人を各分野で研究させて、食口の前に影響を及ぼせる、プラスとなり得る集会をしなければなりません。こういう問題を皆さんが今後適用させなくては、対社会活動において孤立しないかということを、考えざるを得ないのです。(五六―一五)

 

1,世界的基盤を誇るサタンと対峙していくには、個人で闘うことはできない。神を愛し、同志を愛して結束して戦はなければならない。

「互いに夜を明かしつつ話し、生死の境を分かち合って越えていける境地で決心すれば、ここからはどんな所にも比較できない最高の団結力をもつようになります。」

 

2,原理的な秩序を中心とした世界の前進的発展原則に従って発展せよ。

「法度的な秩序を中心にした世界の前進的発展原則に従って発展しようとするなら、第二次的な発展は第一次的な土台が主体性をもってこそ可能だというのです。主体性を備え、二次的な対象の前でこれを吸収でき、料理できる土台となる思考方式、考えがなければなりません。」

 

3,何の矛盾、相衝も起こらない連結が必要

「教会を中心にして連結させるばかりではなく、機関を中心にして連結させ、世界を中心にして連結させるとしても、全部を連結させよう! これは私の教会であり、私の国であり、私の世界だ!」

「一つの主体を中心にしてすべての教会をいつでも積極的に通ずるにしても、何の矛盾、相衝(注:相いれないこと)がないのです。」

 

4,公的本意に生きる人が中心であり全体である。

血液が足の指先に人事されようが、頭に配属されようが、蚊帳の外にあると感じないように、同じ神の血統を持つ信徒もまた、自分が連体であることを真に知るならば、彼の栄光私の栄光であり、彼女の栄光も私の栄光であると共有する事ができるはずである。カインはアベルの栄光を喜ぶことができなかった。アベルかカインかは位置であるというよりも、その心情の動機の純粋性にかかっており、それゆえ自身がアベルかカインかを決するのは「私」にかかっている。

 

5,全部が共同運命体

「今から皆さんが完遂すべきことは責任分担です。今日、全国に散らばっているすべての地域・地区長たちは、あるいはそこに忠誠を尽くす皆さんは、地方に帰ってその分野において、自分一人個別的な活動はできません。今は連結した環境でこの動きを通じ、全体の反応をどうやって起こすことができるのかということを、皆さんは考えなければなりません。天がそうであるようにすべてそうあらねばなりません。」

 

 

8 行政体制
 先生は皆さんに体系を立ててあげているのです。体系というのはどうやって動くものですか? 先生は支部、あるいは本部の責任者および指導者たちに耳を傾けるようになるのです。先生は直接一般食口たちに耳を傾けるのではなく、彼らに耳を傾けるほかないのです。甚だしくは、その指導者、あるいは支部責任者が何か失敗をする場合でも、その人が指導者、あるいは責任者として立てられた以上は、本部や先生は特定の問題に関し、その人が言うことに耳を傾けざるを得ません。これが体系であり秩序です。(五二―二一九)
 本来は地区長会議なら、州責任者会議をするようになれば、現在十一の州責任者とその次に巡回師、そのほかに先生が来いという人以外は一切……。全部教会本部指揮下にあって、事業分野指揮下にあるので別の組織になっていて、会議も別にしないといけないのです。先生が主に話すのは、州責任者たちが活動するのを標準にしたものなのです。ですから事業分野だけでなく、各分野はその方向が違うのです。ですから特定のケースとして、今ここに国際機動隊も参席しなければならないのです。カープとどこですか? 国際勝共連合も同じように……。その課以外は日を別に定め、特別に別個に集まらなければならないのです。ですからそれを定める時までは、きょうここに参席せよと話した人たちは、次から参席せよというのです。
 本来は二つに分けて会議をしないといけないのです。なぜそうかといえば、教会なら教会活動するのに指示事項を知らない人責任をなせない人たちが来て、全部うわさを流せば支障が多いからです。ですから誰でもむやみに幹部会議に参席できると考えては駄目なのです。できるなら責任者一人だけ会議に参席せよというのです。バージニアには二人います)。二人いれば、本来責任者が参席し、他の人々はその責任者を通して聞けというのです。二人、三人、全部来れますか? ですからそうせよと言うのです。そうしてこそ統率されます。二人がやれば命令をしても……。(八九―二九七)
 皆さんは直接神様と通ずる道がないので、先生が橋を架けてあげています。ですから先生が今何をしていて、どんな使命を指示しているかを知って、いつもそれを中心に相対的立場で授け受けし自分自身を拡大する時、神様は共にいらっしゃるのです。ですから公文を重要視せよというのです。分かりますか? (はい)。ですから公文を重要視し、本部で送る発刊物を重要視せよという話もするのです。(六〇―二四九)

 

1,会議は本来は各分野ごとに分けてしなければならない。

「全部教会本部指揮下にあって、事業分野指揮下にあるので別の組織になっていて、会議も別にしないといけないのです。」

 

2,本来は2つに分けて会議をしなければならない。

① 指示事項を知らない門外漢は入れない。

② その内容に責任を持てないものは入れない。

③ その分野の責任者は一人だけ入れよ。

<理由>

「本来は二つに分けて会議をしないといけないのです。なぜそうかといえば、教会なら教会活動するのに指示事項を知らない人責任をなせない人たちが来て、全部うわさを流せば支障が多いからです。ですから誰でもむやみに幹部会議に参席できると考えては駄目なのです。できるなら責任者一人だけ会議に参席せよというのです。」

 

 

 


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