原理講論を読む

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家庭連合の教理研究院による江利川会長批判を斬る! 3

以下は家庭連合による江利川会長批判の3番ですが、

 

文章間に見られる赤い文字や文は私による主に批判である。

 

江利川安榮氏による「王冠と銃について」の非原理的な言説 | 真の父母様宣布文サイト

より引用

 

(3)〝銃〟の解釈に対する江利川氏の詭弁
 江利川安榮氏の〝銃〟を持って写真を撮ることの弁明を以下、引用します。

 「銃を持つということは……家庭・氏族の王・王妃として、家族や氏族を自らの責任で守るという愛と責任を決意表明したものです」(江利川氏の【王冠と銃について】より)

 ペンシルベニアなどほとんどの家庭の主人が銃を保持しているのに驚きました。……万一に備えて、自身で家族や氏族を守るために与えられた権利であり、責任としての銃であるのです。いつ熊などが襲いかかるやもしれないのです」(同)

 「国進様は、『氏族の王・王妃として即位するからには、血統を継承していく覚悟が必要である』と、とても深い、具体的で根本的な私達の責任を強調されました。生命がけで、深刻に神の血統を守り、継承していくという、選ばれた14万4千名である決意の表明でもありました」(同)

 「具体的に神の国天一国創建の14万4千の勇士烈女として立ち、更に平和軍・平和警察として前進する決意の表れである」(同)

 江利川氏は、銃を持つ意味について、「家族や氏族を自らの責任で守る」という愛と責任を決意表明したものだと説明しています。その理由として、アメリカのペンシルベニアでは、「いつ熊などが襲いかかるかもしれない」状況なのだと説明し、ペンシルベニアの住民たちの〝銃の保持〟の正当性を説明しています。アメリカ社会においては、銃を所持することはアメリカの法律に基づいた行動であるために、違法行為とは言えないでしょう。

 

しかしながら、即、それが写真を撮るときの「銃を持って撮影」することの意味付け、正当化するための理由付けにはなりません。江利川安榮氏は、「銃を持って撮影」する意味を、次の3つの観点から説明しています。
 一つ目は「神の血統を守り、継承していくという…決意の表明」であり、二つ目は「選ばれた14万4千である決意の表明」であり、三つ目は「平和軍・平和警察として前進する決意の表れ」であると述べています。これは詭弁に過ぎません。

 

銃を保持することがアメリカ社会では違法行為ではないと認めながら、

銃を撃つのではなく、単に「銃を持って撮影」することは正当化できないという。

このようなことが何に抵触するので問題であり、その行為を正当化することができない

と表現するのが普通であるが、正当化できないという根拠が示されていないので前文と矛盾した文に後の文がなっている。

前文は違法性はないとし、だが後文は(教義上?)正当化できないとしている?

その根拠として以下の文章を引用したようだが、根拠としては直接的な関係があるみ言と主張するには苦しいところである。

「良心」の話や「淫乱」に陥らないことが血統を守ることとしている。

だが、これだけでは不充分である。

お父様はどれほど命を狙われてきたことか?

血統を守るためには危害を加えられ殺されてはならない。

 

 

 まず、一つ目の「神の血統を守り、継承していくという…決意の表明」をするのに、わざわざ〝銃〟を持って写真を撮る必要性がどこにあるでしょうか。
 お父様のみ言を引用します。

 「皆様、良心は、父母に優り、師に優ります。多くの人々がそのような価値を知らずにいます。体が良心を思いどおりにしているということです。堕落した世界、享楽の世界では、そうです。……男女間の乱雑な愛の関係をつくり出していきます。それで、滅んでいくのです。……これから、神様から受けた純粋な真の血統を、どのように保全するかということが問題です。汚染されていないエデンの園でも堕落があったのに、この邪悪で汚れた罪悪世界で純粋な血統を保全するということは、決して容易なことではないでしょう。……祝福を受けて生まれた二世からの子女たちには、汚染されることのない、清くて純粋な環境をつくってあげなければならないのが皆様の責任です」(『平和神經』315~317ページ)

 お父様は「男女間の乱雑な愛の関係をつくり」出さないために、神様が与えてくださった良心こそが「人間の三大主体」であるとして、その〝良心作用〟の重要性を訴えておられます。そして、子女のために汚染されることのない、清くて純粋な環境をつくってあげなければならないのが皆様の責任です」と語っておられます。
 そのため、毎日、家庭で父母と子女が完全に一つとなって行う〝訓読教育〟の実践が重要であることを何度も強調してこられたのが、お父様のご指導です。
 サンクチュアリ教会のように、「神の血統を守り継承の決意」をするのに「銃を持って写真を撮る」必要性はどこにもありません。

 

エス様はマタイによる福音書によればこう語られている。

 

剣をとる者はみな、剣で滅びる。(マタイ26章52節)

 

だが、一方ルカによる福音書では、

 

 

 :36)そこで言われた、「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。 :37)あなたがたに言うが、『彼は罪人のひとりに数えられた』としるしてあることは、わたしの身に成しとげられねばならない。そうだ、わたしに係わることは成就している」。

:38)弟子たちが言った、「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振りございます」。イエスは言われた、「それでよい」。(ルカ22章)

 

なぜだろう?

ルカによる福音書22章のこの記述の前には重要な内容が書かれている。

 

 :14)時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。

:15)イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。

:16)あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。

:17)そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。 :18)あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。

:19)またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。

:20)食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。

:21)しかし、そこに、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に食卓に手を置いている。 :22)人の子は定められたとおりに、去って行く。しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」。

:23)弟子たちは、自分たちのうちだれが、そんな事をしようとしているのだろうと、互に論じはじめた。(ルカ22章)

 

 

剣を買い剣を持てと言う前には、聖餐式をなしている。

我々で言う血統転換であり祝福の霊的な役事であることがわかる。

したがって、聖められた血統を暴漢や悪意ある者によって絶やされる事のないようにしなさいという意味である。

 

真の父母様に続き三次の祝福を受けた者も、イエス様が弟子たちに一振りの刀を用意せよと語られたように、お前たちも神の血統を暴漢から絶やされないように、現代の剣たるMR15を持ちなさいということなのである。

 

勿論、祝福だから聖酒がある。

 

エス様の路程を再臨主も踏襲する。

 

悪意を持って剣を持つ者は滅びるが、

善意を持って神に祝福された血統を守る者は幸いである。

 

 二つ目に「選ばれた14万4千の決意表明」のために「銃を持って写真を撮る」必要があるかどうかを見ていきます。
 サンクチュアリ教会では、「選ばれた14万4千の決意表明」には、サンクチュアリ教会で祝福を受けたものこそが「14万4千に選ばれた者」であり、「救われた者」であるという独善的な主張をしています。これは、既存の神学で述べられている〝終末論的聖書解釈〟に基づく誤った言動であると言わざるを得ません。
 アメリカ社会において〝銃〟を持つことは、自分や自分の家族を守るための意味にしかならず、排他的であり、他の家庭を生かすための意味にはなりません。もし、選ばれた14万4千である神氏族的メシヤであるならば、それは氏族を救うために、氏族を生かすために選ばれた者であることを知らなければなりません。
 果たして、銃を持った写真を「神氏族メシヤ王権即位式」として、氏族に見せてあげ、誇ることができるでしょうか。また、近隣の人々に誇れる内容となるでしょうか。さらに、子供に誇れる内容として、社会に発信して語り続けていくことができるでしょうか。
 むしろ、〝銃〟を持って写真を撮る行為によって、お父様の平和思想を伝えることはできず、返って、真の父母様が願われた本来の「神氏族メシヤ活動」が難しくなるということを知らなければなりません。

 

 既存の神学で述べられている〝終末論的聖書解釈〟ではなく、三次の祝福成就的解釈である。

 既存の神学で述べられている〝終末論的聖書解釈〟であると言って間違いだと指摘するなら、独生女家庭連合的が正しいとされる「14万4千に選ばれた者」について定義することが親切ではないか?

 

キリスト教会やサンクチュアリが間違っているなら、何処がどう違っているのか明示しないのは失礼であると思う。

 

アメリカ社会において〝銃〟を持つことは、自分や自分の家族を守るための意味にしかならず、排他的であり、他の家庭を生かすための意味にはなりません。」

 

とは、アメリカ人に対するひどい偏見ではなかろうか?

銃を持っていなくてもやる時はやる。

応戦する市民もいる。

 

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独生女家庭連合のあまりにも幼稚な論理には脱帽だ。

 

 三つ目に「平和軍・平和警察の決意」として「銃を持って写真を撮る」必要性があるかどうかを見ていきます。
 『平和神經』の平和メッセージ4のみ言を以下、引用します。

 「私(真のお父様)は、既に昨年(2005年)の10月20日、『天宙平和連合』創設メッセージを世界120カ国に伝播する世界巡回路程の中、ウクライナにおいて、自然災害を防ぎ、家庭倫理の確立や純潔を守ることを促進する平和組織『世界平和王国警察』『世界平和王国軍』の創設を満天下に宣布しました。この二つの組織は、今から私たちの体の赤血球と白血球のような役割を果たし、世界の至る所で天の血統に接ぎ木され、新しい出発をした祝福家庭を保護し、一方では、神様が下さったエデンの園、すなわちこの美しく有り難い地球星を守り、保護し、育てあげる警備隊の役割を果たすようになるでしょう」(『平和神經』99ページ)

 お父様のみ言によれば、「平和軍、平和警察」の本来の意味は、「自然災害を防ぎ、家庭倫理の確立や純潔を守ることを促進する平和組織」であると語られています。この思想は、銃などを所持しながら、力の均衡を保つことによってなされる平和思想ではありません。どこまでも、真の愛を実践する平和思想に基づいた平和組織としての「平和軍・平和警察」が創設されるものであることを知らなければなりません。
 次に、『平和神經』の平和メッセージ1のみ言を以下、引用します。

 「聖書のイザヤ書第2章4節の教えのように、今や、『銃や刀を溶かして、すきとくわを作る』時です。人類はこれ以上、戦争のための戦争に子女たちの命を犠牲にし、天文学的なお金を費やす悪業を繰り返してはなりません」(『平和神經』44ページ)

 

家庭連合がわざわざ太字にした箇所は「平和軍と平和警察に関する」二箇所である。

1,自然災害を防ぎ、家庭倫理の確立や純潔を守ることを促進する平和組織

2,私たちの体の赤血球と白血球のような役割を果たし

 

せっかく二つを太字にしたのに1の方しか語らない。

なぜだろう?

1,は今まで家庭連合が主張してきた「純潔」と自然災害を防いだり、書いてはいないが災害の被害などに対する復旧の支援も含まれるのかもしれない。

ちょうど日本の自衛隊が軍事関係以外で行動している内容とほぼ同じであろう。

 

日本で長らく自衛隊が軍隊なのかそうでないのか不毛な議論が行われてきたが、

家庭連合では本当にお父様が、人形劇の「サンダーバード」国際救助隊のようなものを想定してわざわざ「軍」や「警察」という言葉をお選びになったとお考えなのだろうか?

ご説のように平和救助隊であるとして、軍と警察はどう任務や形態は違うのか?

ご説明願いたいものだ。

馬鹿らしい。

そのような勘違いがなされないように2がある。

2,私たちの体の赤血球と白血球のような役割を果たし

 

これは免疫システムを指していると思われる。

免疫システムの行使とは、生命維持のためのの自衛権と交戦権のことである。

 

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癌細胞を白血球が攻撃 メモリアル・スローン・ケタリング癌センター

 

メモリアル・スローン・ケタリング癌センター 癌細胞を初期の段階で白血球が攻撃し消滅させる 1日5000回繰り返されていて、白血球が5000勝する 1敗した際の癌細胞が大きくなり、いわゆる癌(発見)となる。

 

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我々の人体には外敵が侵入した際に迎え撃つ迎撃システムがある。

そのように、武器を悪なる動機で使うために持つのではなく、

悪なる者が我々に使うことを諦めさせたり、

不本意ながら悪なる者が襲ってきたときに、

滅ぼされないように迎え撃つために持つのです。

か弱い女性が屈強な男に暴行されそうになっても、

銃があればハンディを克服できる。

生きて血統を守らなければならない。

 

 アメリカの社会においては、〝銃〟を所持することは、自分自身や家族を守るという意味合いから法律上、認められているものです。しかし、その〝銃〟の使用を誤るなら、むしろ「子女たちの命を犠牲」にさらす危険性や可能性も十分にあるのです。
 まして、神氏族的メシヤ即位式で〝銃〟をもって写真を撮ることに、み言の根拠は全くありません。真の父母様は、戴冠式でそのようなことを一切しておられません。
 むしろ、お父様は「銃や刀を溶かして、すきとくわを作る」時であると明確に語っておられます。この平和メッセージは、〝銃〟をはじめとする〝武器〟を捨てるべき本然の時代が到来していることを明言されているものです。
 このみ言のいう「銃や刀を溶かして」とは、「戦争のための…悪業を繰り返してはならない」という意味なのであり、「すきとくわを作る」とは、真の父母様の平和思想を受け入れて、真の愛を実践しなさいと語られているものに他なりません。

 もし、「神氏族メシヤ王権即位式」を祝福家庭が実施するとするならば、真の愛を実践して430家庭の祝福を完了して勝利した「神氏族メシヤ」が行うべきでしょう。
 彼らが、〝銃〟を掲げ、自分たちで作成した王冠を被って「神氏族メシヤ王権即位式」を行う意味は、単に、亨進様や國進様を中心としたサンクチュアリ教会に対する忠誠を誓うための行為にしか過ぎないものと言えるのです。そして、彼らが掲げる銃は、どこに向けられるか分からないという、極めて危険なものになり得るということをはっきりと知らなければなりません。

 

「その〝銃〟の使用を誤るなら、むしろ「子女たちの命を犠牲」にさらす危険性や可能性も十分にあるのです。」

 

その論理は包丁だってそうだろう。

 

 「戦争のための…悪業を繰り返してはならない」

とは悪党に対する言葉である。

殺意とは縁のないわれわれ平和を愛する人々には無縁である。

 

「 彼らが掲げる銃は、どこに向けられるか分からないという、極めて危険なものになり得るということをはっきりと知らなければなりません。」

この主張が正当なら、家庭連合は銃砲店をなくさなければ偽善者だと言われるだろう。

昔は食口のなかには国体選手もいたという。

 

「銃や刀を溶かして、すきとくわを作る」

これは銃をほとんどのものが持っていない食口に対して言われたものではない。

既に持っていて悪さをしかねないカイン圏の人々に対して語られた言葉であろう。

 

日本でも猟銃を持つための資格をとることは大変難しいが、

禁止されているわけではない。

法的な手続きや諸条件が揃えばまったく問題はないだろう。

 

ところで、家庭連合では真の父母だけが三次の祝福をして、

信徒は二次までで終わりなのか?

見解を知りたいところである。

 

三次の祝福も未完で、それどころか韓鶴子独生女をメシアと仰ぎ、

彼女の反キリスト毒性酒を飲んで、誤った信仰を頑なに続ける家庭連合に明日があるだろうか?

 

そちらの三弟子の一人、金栄輝先生が、

「原理も聖書もわからない」と評する韓鶴子オモニの言葉を

み言といって崇め祀り、神の摂理が何たるかを見失ってどうするというのだ?

摂理国家は何処なのだろう?

 

 


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