原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

独り言 白熱会議?にはびっくり

社団法人ですが、

これはレイクサンクチュアリを法的にスムーズに購入することが目的で、

そのために国進様から指導された手段でした。

ですから、当初の目的は果たしているので問題はありません。

 

会計報告ですが、

すでに報告はされていますし、報告時も今回も詳しく知りたい方は総務に問い合わせてくださいとのことですから、そうすればいいだけです。

社団法人のあり方を今後どのようにするか、手を入れる時が来ているようですが、

現在の責任者は別の方ですから、調整や方向性の検討には時間がかかると思われます。

 

物事を決めるスタッフの人選ですが、

基本的に言って、日本サンクチュアリも独立系も皆トップがスタッフを決めているかと思います。

共同会長を決めたり、副会長を決めたり、理事を決めたりしています。

権限は責任に比例します。

そうでなければ誰でも責任を取れません。

ですから、会長の権限で決めることには問題がありません。

勿論、自分もスタッフに入れてほしいと言うことも自由です。

ですが、それは責任を持つトップが最終的には決めます。

 

小室 責任というのは、自分に与えられた権限に対応する概念であるというような考えが日本にはぜんぜんありません。

山本 ないんです。だから捕虜問題ですが、これが陸軍大臣の責任なのかというと陸軍大臣の責任でもあるような、ないような。いろいろ追求していくと、最後には天皇の責任以外、出てこなくなるんですね。ところが帝国憲法では、天皇はは責任を負わないんですから・・・・。

小室 はい。責任はどこともなく蒸発してしまう。だから、丸山真男先生がいっているように、無限責任の裏返しとしての無責任になると。つねにこのメカニズムが作動しているんですね。

山本 そうなんです。そうなりますね。

小室 一般に、責任は限定されたもので、そのかぎりにおいては、つねにきちんと責任をとる。この原則のないところにデモクラシーはあり得ませんよ。いつでも無責任に転化しうる無限責任ほどデモクラシーの土壌に異質的なものはない。

 ところが、驚いたことに、その無限責任の脈々たる伝統は戦後まで生きておりまして、連合赤軍事件の時に、当時の横浜国立大学の学長越村信三郎が国会に呼ばれましてね、申しわけございませんと頭を下げた。ところがこういう場合には、論理的にいえば学長は責任ないですよ。大学の学長がなんで治安問題に責任があるのか。しかも大学生というのは保護を要する未成年じゃなくて、成年ですからね。私の知ったこっちゃないとひと言いえばいい。

山本 しかし、それを言ったら大変なことになる(笑)。

日本教社会学」P33~34

 

ついでながら、民主主義的手法は万能ではありません。

広く知られていることです。

他にもっと良い手段がないから仕方なくこれを今は使うしかないという方法です。

デモクラシーの反対は軍国主義でもファシズムでもありません。

ヒトラーは民主的な手続き、すなわち選挙によって国民から選ばれた独裁者です。

 

中央集権やピラミッドを完全否定する人がいますが、

例えば地方分権のモンゴルのため高麗は苦労しました。

高麗の周りに将軍が管轄する地域が3つあれば、それぞれA将軍が朝貢を要求するや、B将軍も朝貢を要請し、さらにC将軍まで要請するということが起こり得るのです。

中央集権では窓口は一つになります。

 

会長はトップとしてスタッフを決めました。

予算の配分をしました。

当たり前です。

人事権と決済権を握っているものがトップです。

ですが、逆ピラミッド的に運営されました。

会長ですからトップですが、支援職のように振る舞いました。

 

二代王が自給自足の必要性を説かれれば、

王様に続いてファームを設けて信徒が王様の方向性に実践することができる支援をしました。

二世を持つご両親の悩みは子どもたちの教育と祝福です。

これも苦労して優秀な講師を探し出し、研修を実施しました。

それまでは王様に直接教育していただくようアメリカに送り出しました。

そのように支援しました。

また、子女の祝福も担当を決め集会もあちこちであります。

日本の国益のための活動も率先して立たれ、またスタッフを立て継続的運動ができるようになりました。

 

久保木会長が長い年月をかけてやってきたことを

短時間で圧縮して築きました。

これは大変なことです。

 

先日引用した目的と手段の階層の話にあるように、

たとえば活動にしか責任を持たない人には全体が見えません。

係長や課長にはその責任範囲しか見えません。

ですから自分の立場で全体の立場の者を批判することは不合理です。

 

家庭連合とサンクチュアリは全く別組織です。

人に聞かれればそのように答えるべきです。

家庭連合のオモニとサンクチュアリのオモニは違います。

全く関係のない組織です。

お父様が生きておられた頃までの家庭連合はサンクチュアリと同質ではあります。

ですから、そのことを説明したければ言うことは問題はありません。

しかし今、違うものは違うのです。

何の関わりがあらんや?

 

われわれは隠れ家庭連合ではありません。

誤解されないようにしなければなりません。

違わないという人は何らかの条件が足りないのでそのように思うのです。

条件がないので分別できないのです。

善悪が分立できていないのです。

 

日本国の国益に反する行為をする文在寅を祝祷するような韓鶴子家庭連合とその支持者は、狂った人々です。

文の6人の秘書の内5人が共産主義学生運動をしていた奴らです。

文は韓国を北に売った人物です。

最低賃金を急速に上げて、自営業の8割がやっていけなくなったと言われています。

メチャクチャな男です。

 

文鮮明先生の思想は共生共栄共義主義です。

日本の国益と隣国の国益を共に満たそうとするものでした。

悲しいかな家庭連合は日本の国益に反する軌道にずれつつあります。

ソドムゴモラに未練を持ってはいけないというのです。

背信したパリサイ人に未練はいりません。

靴の裏の泥をはたいて去るべきです。

 

 

最後に、会議とは関係ないが、

もし、かってサイバーに所属していた会長や信徒の中で、

こちらに来て協力したいというお考えがあるなら、

ぜひ今からでもこちらに来て会長の仕事を支えていただきたい。

わたしは大歓迎です。

 

わたしは山口聖殿がいかなる理由で隣国に繋がったのかを知らないが、

本来の神の神意は日本サンクチュアリに合流することだったと思っている。

また現在でも神の意思はまったく変わっていないだろう。

もし、韓国や韓国人のために活動する趣旨であれば、

そのままでよかろうとは思うが、

より日本と日本人のために活躍したいとお考えであれば、

日本サンクチュアリに来られたらよろしい。

そのほうが皆さんがすっきりされるだろう。

二世が生きる道を選ぶべきである。

 

勝負の時が来ているからである。

 

家庭連合の崩壊の時が来ても、

多くの信徒は信仰を失うかもしれない。

人間的な信仰の家庭連合の信徒は、サンクチュアリよりも三男派の

人間的な櫻井兄弟に惹かれるかもしれない。

 

日本サンクチュアリが心や安永やサイバー系と違うのは、

そのトップがお父様や亨進様によって直接任命されたということである。

しかも、日本の総会長である。

権限も責任もそれに応じて付与されている。

 

 

完全投入して歩んでいる会長はとてもお疲れのようであった。

重たい話はもう少し陽の登っている頃のほうが良いかと。

 

本音で語られた皆様が、それによってまた関係が近くなり

兄弟姉妹としてお互い成長されんことを願って筆を置きましょう。

 

 


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