原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

神は孝子を願われたのではなく、孝子の家庭を願われて来られた

サンクチュアリに来たから夫婦が分かれてしまったと考えるなら、それは大間違いです。

神様に大変失礼です。

かって亨進様は何故に、

「夫婦でサンクチュアリに来ることができないことを理解できない」と言われたのでしょうか?

 

サンクチュアリが夫婦を引き裂いたのではありません。

もともと家庭連合にいたときから、心が分かれていたのです。

本当に音叉のように神の御心に響き合う夫婦であったら、

そのようなことはなかったでしょう。

それを放って置いたのはわたしたちなのです。

そのことを知らなければならないというのです。

 

ほんとうの意味で、夫婦が向き合わなければならなかったというのです。

 

今はこの世でもこの道でも

この世の人でも、この道の食口でも

曖昧にされてきたことや隠されてきたことが

あからさまになる時が来たのです。

審判の時だからです。

 

神が我々夫婦を愛するがゆえに、我々夫婦が共に暮らしているにも関わらず

一心で暮らしていないことを暴かれたのです。

それは我々が大きく飛躍する恵みです。

見えなかったものが見えたからです。

隠されていたものが暴かれたからです。

 

この世の男性たちの多くは

妻は自分にそう距離があるとは気づかないことが多いようです。

 この道の夫たちも,同様に思われていまいと誰が言えましょうか?

信仰を中心とする夫婦のはずでしたが

そのようにはなっていなかったというのです。

 

あなた方は神様を中心として、

どのような夫婦になりたいと語り合いましたか?

一緒に敬礼式をすれば神様中心ですか?

100万年たっても変わることがない伝統です。

億兆万年たっても変わることのない伝統です。

祝福家庭に託された伝統とはそのようなものです。

我々は歴史の結実体になるために生を神様から与えられている身です。

 

あなたは行きますか?

あなたはためらいますか?

すべては私が決めていることです。

私が主人ではないというのでしょうか?

 

成約とは家庭盟誓です。

数限りなく口では唱えてきましたが

誰もお父様が真剣に語ってくださったように、

真剣に受け止めようとはしませんでした。

 

神は、私たちには多くの複雑な事情があると聞かされてきました。

うんざりするほど聞かされ、あくびが出るほど待たされました。

家庭連合では誰も神と人々の前に私も真の夫婦になります、

私も真の父母になりますとは言いません。

そのようないい加減な家庭連合の伝統は何の価値もありません。

小山田に聞いてみればいいでしょう。

佐野に聞いてみればいいでしょう。

一万人大会や2万人大会で私がやりますと言えるでしょうか?

彼らは偽物の信徒です。

 

本質的な信仰の戦いから逃げているのです。

お父様が願われていた組織に家庭連合はなりませんでした。

大きなステージを借りて、数万人を動員して、若い人々が歌って踊って

それが何だというのでしょうか?

 

「鉄は熱いうちに打て」と言う。

神前に誓って、神妙な気持ちで、日本刀を打つときに、

複数打った刀のその中で、最も見事な出来栄えのものは「真打」と呼ばれる。

頑なな心に神の一撃は一振りの「真打」を造り得るだろうか?

 

 我々は真の父母様に瓜二つになることしか求めません。

そうでなければ、真の父母様は失敗者です。

どんなにお二人が偉大でも、

真の父母様は敗北者です。

その子どもたちが似ても似つかない者共の億兆万の総和であるならば・・・。

わたしはそのような父を見たくありません。

 

お父様が他ならぬわたしに投入された価値にふさわしいわたしは

一体何処にいるのでしょうか?

その渾身の投入を、どうしてわたしから去らせようものか!

 

すでにアベルの子女様たちは、お父様の伝統を継承されました。

あとは我々カインの子女が如何にして天の伝統を継承するかです。

目を背けてはなりません。

我々は天下の祝福家庭です。

パウロもアウグスチヌスもルターもカルビンもウェスレーも知らない道を行く者です。

 

「日本の情は忠孝の源と」と父は言いました。

信仰の世界の忠孝とは如何なるものだというのでしょうか?

 

道に肉身の命を惜しまない道があり、

道に霊人体の命を惜しまない道があり、

道に心情の命を惜しまない道がある。

 

あなたはどこで休息しますか?

楽園という休息所ですか?

そこで満足しますか?

 

 天の皇族になろうとすれば、孝子、忠臣、聖人、聖子にならなければなりません。その訓練場所が家庭です。完成した家庭が拡大されれば、理想的な王国になるのです。常に家庭がセンターです。男性と女性の二人の問題だというのです。理想的男性と理想的女性が夫婦となって家庭を築けば、すべてのものが完成します。理想家庭が拡大されて国家になり、世界になるのです。



 神様は、孝子を願われません。孝子の家庭を願われます。忠臣の家庭を願われたということを知らなければなりません。聖人の家庭を願われました。聖子の家庭を願われました。それが恨です。霊界に行けば、今まで、みな独身生活をしてきているでしょう?

 モーセも、今まで何千年という歴史を経たにもかかわらず、常にそばで世話をしてくれる女性がいると言ったでしょう? その女性に「なぜ結婚しないのか」と尋ねてみると、「神様が少し待ちなさいとおっしゃった」と言うのです。自分の思いどおりにできないのです。 

真の孝の生活 より

 

 生ぬるい夫婦が望みなら家庭連合にいくらでもいるでしょう。

われわれもかってその仲間でした。

そこから脱却した我々の道はひとつです。

絶対に譲れない道です。

たとえ神様の試練にあっても譲れない孝子の夫婦の道理があるからです。

 

  息子、娘の中には、孝子もいて、ただの普通の息子もいて、不孝者もいるでしょう。三種類です。最高の孝子になろうとすれば、神様と競って負けてはならないという結論が出てきます。

 そのようになろうとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。歴史過程においてこの地上を経ていったいかなる聖賢、賢哲以上に、神様のみ旨の前にみじんも疑わない者にならなければなりません。

 神様に、「あなたが息子を引き離すような疑わしいことばかりを私におっしゃったとしても、私は信じます。『信じることはできないだろう』とおっしゃったとしても信じます。愛する父母が最も悪なる父母となって、むちで打ったとしても、私は、愛する孝子以上の心をもってあなたに従います」と言わなければなりません。神様は、そのように思っていらっしゃいます。

真の孝の生活 より

 

もし、あなたの二世がサンクチュアリで一人も祝福を受けていなかったら、

あなたは落胆した姿を神のみ前に曝け出すというのでしょうか?

そうではないことでしょう。

神様、ここで奪われた一切を取り戻してあり余る後孫を必ず私たち夫婦が立ててみせますから、どうかお許し下さい。

何代かかろうと必ずあなたの御心に適った子孫を地上に立てます。

それが悠久の復帰摂理を歩まれてこられた天の父を知る我々の道であるはずです。

絶対に譲ることができない統一食口の矜持です。

 

聞いてください。

私たち夫婦は、再臨主文鮮明師によって真の愛を投入された生き証人です。

お父様が完全投入して生まれてきた祝福の中心家庭です。

 

皆様に神の祝福と加護と導きがありますように!

アージュ

 


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