原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

離合集散の時は過ぎ去った 自分の王国を築きたいという試練は克服したい

  初期のサンクチュアリでは幾人かの男性がリーダーとして名を挙げた。

だが、それらの人々は皆天使長だった。

現在でもそれは続いている。

一方では多いに貢献しているが、他方では天使長の文化を引き継いでいる。

 

 「三代王権 心のサンクチュアリ」とは何か?

旧<文亨進ファンクラブ>'15年1月末発足の日本アーリーサンクチュアリ

つまり日本のサンクチュアリの創成の当初より歩んできた者だと強調している。

あたかも、天使長が年を経た蛇と言われ、天地創造の当初より神の御業に協力してきた姿にも似て。

 

`15年8月公認PA本部直属とUSA日本支部教会のダブル。日本全国区

俺様は亨進様直轄なるぞ、控え居ろう!ということかね。

つまりは吾輩は愛の基だということだ。

俺様を通して世界は回る。

しかも「ダブル」だそうだ。

過分なる欲望とはよく言ったものである。

支離滅裂だ。

 

せっかくみ言葉の翻訳して多いに貢献されているのに、

シッポが見えてしまっている。

 

勝共にいたころ、ミヨシ油脂という会社の社長に会いに行ったことがあった。

その方は清廉潔白な方だった。

税金もガラス張りで納め、税務署からも評価を頂いていた。

その社長さんんから頂いた名刺は本当にすっきりしていて何の変哲もないものだった。

肩書を多く用いる人ほど胡散臭いものはない。

胡散臭いか政治家かだろう。

 

後の者が先になる。

この道は先に来た者がカインです。

これから押し寄せてくる福音派などのクリスチャンがアベルになる。

われわれは年を経た蛇になってはならない。

 

福音派とは神学の中に存在するのではない。

 

www.youtube.com

 

セトモノを壊すシーンが少しだけありましたね。

子どもたちがハンマーでセトモノを壊す儀式でしょう。

サタンやサタン世界を打ち砕くのです。

 

彼は鉄の杖をもって、

かれらを支配する。

あたかも陶器が粉々に打ち砕かれるように。

ヨハネによる黙示録2章27節

 

お父様と二代王が何故福音派を重視するのか?

これは批判的なドキュメントではあるが、理解の一助になるだろう。

 

 

vimeo.com

 

英語が苦手なら

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2150057

 

福音派とはこういう人々です。

原理主義などとも呼ばれたりする。

宗教性がない人にはカルトと受けとられることもある。

 

それにしても清平の役事は酷かった。

キリスト教的み言葉も精神もそこには感じられなかった。

韓国のシャーマニズムを見るような思いだった。

訓母の霊界なのだろう。

太鼓ドンドンは異様な風景であった。

私が求めていたものはむしろこの動画のようなものだったのかもしれない。

神や主を求め聖句によって高みへと誘われるような。

いずれにせよ、お父様が主管されているので清平の役事には間違いは微塵もない。

清平で終わっているのにアメリカで完了はない。

 

エス様はオリーブの木を用いて血統転換を接ぎ木に喩えられた。

再臨主文鮮明師も渋柿を用いて血統転換を接ぎ木に喩えた。

全部バッサリ切り倒してしまいたいところだが、そうすれば個人は死んでしまう。

だから、罪の根も罪の幹も切り落として、芽のある枝を残す。

 

連帯罪について考察している面白いサイトがある。

連帯罪

 

「罪」というのは新約的概念です。

お父様は「蕩減」という言葉をよく使われました。

また、「罪」という過去に確定された結果という言葉より、

「堕落性」という現在進行形の性質の方に重きを置いているようでした。

しばしば説教では「堕落性」とは言わず単に「習慣」という言葉を使われている場合もあるようでした。

エス様は蛇や蝮の子というように、血統的因縁を表現され、

アウグスチヌスが「原罪」という概念を使い始めたようです。

一般にキリスト教は原罪と自犯罪に注目すると思いますが、

遺伝罪や連帯罪はどうでしょう?

連帯罪という言葉は、十字架信仰を統一協会が罪から表現したものかと思います。

ですが、キリスト教には遺伝罪にあたる概念は顕著ではないと思います。

 

罪には相対基準を持たないほうがよいでしょう。

先祖の罪の償いに意識を集中するのではなく、

み旨に貢献する努力の結果、先祖の罪の償いになっていたというような感じが望ましいのではないかと思います。

罪を意識するのは、悔い改めのときだけで充分です。

非原理的なものには相対しないほうが試練を避けられると思います。

 

わたしたちは悔い改め、方向転換したのであれば、

正午定着に生きて、最直短で愛すれば良いのでしょう。

 

1000年後にサタンが復活するとか

どうでも良いことです。

人間の5%の問題ですから。

影のない世界を創れば良いのだと思います。

サンクチュアリの子孫がゴグやマゴグになるなどと余計なことを考えるのは筋違いでしょう。

 

発想がおかしいですね。

お父様が1000年後にサタンが復活して短期間にせよ暴れる世界が現れることを許してみ旨を歩むものですか!

そういう中途半端なことを最も嫌うのがお父様です。

我々とは全く違います。

 

 :5)わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

 :6)人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。 

ヨハネによる福音書15章

 

 

日本にはアメリカの支部も韓国の支部も必要ない。

サタンが弱体化しようとする分断工作でしかない。

 道を選んだなら、アメリカや韓国で活躍されることを祈りたい。

 

 教会はコロニーではない。

家庭連合は韓国のための世界を願って滅んだ。

お父様の思想とは全く違っていた。

 

 

 


にほんブログ村

 応援して下さる方は上のロゴをクリックして下さい。