先ず、最近の動きを遠藤誉の視点で振り返ってみたい。
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なるほどB52か?
それで米韓軍事演習に金正恩は受け入れていたはずなのに反応したのか。
サタンは鉄の杖の価値を誰よりも知っている。
韓国の時代劇では、軍を掌握した者が王の権力を奪取して、お飾りの王として据える話が出てくる。
国家は、領土と国民と軍に支えられた主権によって成立する。
米朝会談がシンガポールで進行するときには、老練な軍事専門家が北朝鮮にいる必要はない。
だが、もしこの中にクーデターを起こす意図を持った者が北朝鮮にいればどうだろう。
簡単に現政権を転覆できるだろう。
彼らは軍を掌握している。部下との疎通は行き届いている。
したがって、軍事クーデターを起こそうと思えば出来るはずだ。
北朝鮮の人民の不満は臨界点にきている。
引用する記事によれば、解任された三人は高齢である。
普通に考えれば、次世代に交代するのはごく自然なことである。
だが、何故今なのか?
今は和平交渉の時であり、これらの軍人が活躍するときではない。
だから外すことが出来る。
単に外すだけではなく共産党から代わりを任命する。
これで、金正恩に忠誠を示す者が立つが、彼らはまだ軍を掌握できていないので
クーデターを起こす可能性は低い。
そこで、金正恩はこの時に軍事需要ポストの主要人物達を解任して、
反逆しないように担保したのであろう。
必要なら後でいくらでも復権させればよいのだから。
金正恩怖るべし!
敵ながら天晴!
金正恩委員長は軍を完全掌握しているのか――軍トップの電撃更迭(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース より引用
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左が軍総政治局長に任命された金守吉氏、右が解任された金正角氏
朝鮮人民軍トップの金正角軍総政治局長(次帥)が突然解任され、金守吉・平壌市党委員長が後任に任命されていたことが26日の金正恩委員長の元山現地指導随行者名簿で確認された。
前任の金正角次帥は党(組織指導部第一副部長)に復帰した黄炳誓氏の後任として昨年11月に軍総政治局長に登用されたばかりで僅か半年での交代となった。
金次帥は4月20日に開かれた党中央委員総会(第7期第三次全員会議)で政治局員に選出されたばかりだった。さらに今月中旬に開かれた党中央軍事委員会拡大会議にも出席していた。それも、最前列の一番右端(序列1位)に座っていた。
金正角次帥は76歳で、84歳の李明秀軍総参謀長よりも8歳も若い。北朝鮮の政治局員は90歳の金永南最高人民会議常任委員長や93歳の楊享變同副委員長を筆頭に78歳の朴奉柱総理、李洙ヨン党副委員長(国際担当)まで80歳前後の長老らが何人もいることを考えると、解任は年齢が理由とは考えにくい。
後任の金守吉平壌市党委員長も軍人出身で2014年3月まで軍総政治局副局長(組織担当=中将)の要職にあった。前年12月の「張成沢粛清・処刑事件」余波を受けて失脚した文景徳政治局員の後釜として平壌市党委員長(当時は党書記)に就いていた。今月14日から他の市・道党委員長らと共に北朝鮮経済視察団の一員として訪中し、24日に帰国したばかりの慌ただしい異動で、今回の軍総政治局長の交代がいかに電撃的だったかがわかる。
振り返れば、軍総政治局長の交代は2012年に金正恩政権が発足してからこの6年間で3度目、金守吉氏で4人目となる。
趙明禄次帥の死去で2010年11月に以来空席となっていた軍総政治局長に2012年4月に党人の崔龍海党書記(当時)を起用。2年後の2014年4月に同じく党人の黄炳誓党組織指導部第一副部長(当時)にバトンタッチさせ、昨年11月に黄炳誓氏から軍人出身の金正角氏に、そして今回、軍服を脱いで党人となった金守吉氏を任命したことになる。
ちなみに、金正日政権時代は軍総政治局長の交代は一度もなかった。趙明禄次帥が1995年10月に就任して以来、亡くなる2010年11月まで15年間、病床にあってもその要職にあった。
頻繁な交代は軍総政治局長に限ったことではない。軍総参謀長と人民武力相も同様だ。
故・金正日総書記は17年間の在任中、総参謀長の交代は崔光→金英春→金格植→李英鎬と僅か3度しかなかった。中でも金英春次帥に至っては12年間も総参謀長のポストにあった。李英鎬次帥も金正恩政権下で失脚(2012年8月)するまでの3年5カ月間、その座にあった。
それに比べて、まだ6年しか経ってない金正恩政権下では李英鎬→玄永哲→金格植→李永吉→李明秀とすでに4度交代している。李明秀次帥(2016年2月~)で5人目だ。1年半に一人の割合で総参謀長を交代させていることになる。
それも、李英鎬次帥は8カ月で、後任の玄永哲大将も9カ月で解任されている。金格植大将に至っては僅3か月。最長期間は李永吉大将の2年6カ月。総参謀長から人民武力相に転出した玄永哲大将は就任から9カ月後の2015年4月になんと粛清、処刑されてしまっている。
軍総参謀長同様に人民武力相も金正恩政権下ではいずれも「短命」に終わっている。
金正恩政権下では金永春→金正角→金格植→張正男→玄永哲→朴英植(2015年4月~)とすでに6人目だ。
金英春次帥は金正日総書記が死去するまで3年2カ月その座にあったが、金正恩政権発足4か月で更迭されている。金正角次帥も8カ月、張正男大将は1年1か月、玄永哲大将は10カ月しかもたなかった。
ちなみに金正日政権は17年間で僅か4人に過ぎなかった。呉振宇元帥はなくなるまで19年間、そのポストに会った。後任の崔光次帥は1年4カ月と短かったが、任期中に病死したことが原因である。3人目の海軍出身の金益鉄次帥は1997年2月から2009年2月まで12年間も在任していた。
「軍三役」の頻繁な入れ替えは金委員長の軍首脳への懐疑心の表れとも言えるが、裏を返せば、軍部の間に金委員長への不満が鬱積していることへの表れと言えなくもない。
「先軍政治」下の金正日政権下では総参謀長も人民武力相も厚遇されていた。例えば、李英鎬総参謀長は政治局常務委員かつ党軍事副委員長の最高ポストにあった。しかし、金正恩政権下では金正角政治局長も、李明秀軍総参謀長も、また朴英植人民武力相も政治局員、軍事委員止まりで、政治局常務委員にも党軍事副委員長にも就けなかった。
振り返れば、李英鎬総参謀長が2012年8月に電撃解任された際、朝鮮中央テレビは2か月後の10月30日、金日成軍事総合大学での金正恩委員長の演説を約12分にわたって放映したが、金委員長は李総参謀長を念頭に「党と指導者に忠実でない者はいくら軍事家らしい気質を持ち、作戦、戦術に巧みだとしても、我々には必要ない。歴史的教訓は、党と指導者に忠実でない軍人は革命の背信者へと転落するということを示している」と発言していた。
また、李永吉総参謀長が2016年1月に電撃解任された時も、解任直後の2月2日に開催された党中央委員会と人民軍党委員会の連合拡大会議で金正恩委員長は「人民軍隊は最高司令官の命令一下、一つとなって最高司令官の指示する方向だけ動くように」と自ら訓示していた。
金委員長が一般席に座っていた軍首脳らに向かって見下ろすかのように「自分の命令に服従せよ」と演説をぶったのは、祖父の金日成主席の時代も、父・金正日総書記の時代もなかったことだ。
前年の労働新聞に「人民軍指揮官らは最高司令官にはたった一言、『かしこまりました』とだけ言えば良い」との記事が掲載されていたところをみると、当時李永吉総参謀長は最高司令官の金委員長の意に従わなかったため解任されたということになる。
金正恩委員長は今月、2年ぶりに開いた党中央軍事委員会拡大会議でも約80人の軍事委員や軍司令官、軍団長らを前に「党による軍への唯一領導体系を徹底させる」ことを強調していたが、軍歴のなさと、若さゆえに「侮られているのでは」との金委員長の軍首脳への懐疑心と「権益や人事面でないがしろにされている」との軍首脳の不満が交錯しているとすれば、軍から核とミサイルを取り上げるのは容易ではないことがわかる。
従って、北朝鮮が16日に予定されていた韓国との高位級会談を突如ドタキャンし、さらには外務省を通じて「一方的に核放棄を迫るなら米朝首脳会談を再考する」と一転、米韓両国に強硬に出た背景に軍の「抵抗」があったのでないかと推測されるが、それでも金委員長が昨日(5月26日)、文在寅大統領に自ら再度、首脳会談を申し入れ、来月12日にシンガポールで予定通り、米朝首脳会談を行うようトランプ大統領を説得するよう要請したならば、「完全なる非核化」で軍の一任を取り付けたと言えなくもない。
金委員長が軍を完全に掌握しているならば、金委員長が米韓両首脳に口約束した北朝鮮の核放棄は米国が確約する体制保障次第ではトランプ大統領の意向に沿った形で予想外に早いテンポで進むことになるかもしれない。
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米朝首脳会談を前に人民軍No.1に続き、No.2の総参謀長 ,No.3の人民武力相も解任(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース より引用
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金正恩委員長演説中にコックリする李明秀軍総参謀長を凝視する趙延俊党検閲委員長
朝鮮人民軍トップの金正角軍総政治局長が先月突如解任されたが、No.2の李明秀軍総参謀長も、No.3の朴英植人民武力相も同時に更迭されていたことが判明した。軍トップ3人が揃って一同に解任されたのは極めて異例で、過去に前例がない。
軍総政治局長は76歳の金正角次帥から68歳の金守吉平壌市党委員長に、軍総参謀長は84歳の李明秀次帥から63歳の李永吉第一副総参謀長(大将)に、そして人民武力相は朴英植大将(年齢不詳)から62歳の呂光鉄第二経済委員会委員長に交代している。
金守吉、呂光鉄両氏ともいずれも軍人出身で、金守吉氏は2014年3月に平壌市党委員長に起用されるまで軍総政治局副局長(組織担当=中将)の要職に、また呂光鉄氏も副総参謀長から2015年に人民武力相に転出し、第一次官のポストにあった。
軍総政治局長の交代は先月26日に朝鮮中央通信などが伝えた金正恩委員長の東海岸都市の元山現地指導随行者名簿で判明していたが、軍総参謀長と人民武力相の人事異動については一切明らかにされてなかった。
これにより、金正恩体制が2012年1月に発足してからこの6年間で軍総政治局長は金守吉大将で4人目、軍総参謀長は李永吉大将で6人目、人民武力相は呂光鉄大将でなんと7人目の交代となる。
ちなみに父・金正日体制下(1994-2011年)では17年の間、軍総政治局長の交代は一度もなかった。趙明禄次帥が1995年10月に就任して以来、亡くなる2010年11月まで15年間、その要職にあった。
趙政治局長はクリントン政権時代の2000年10月、金総書記の特使としてワシントンを訪問し、クリントン大統領に親書を伝達していたことが最近、金英哲党副委員長兼統一戦線部部長(前偵察総局長)がホワイトハウスを訪れ、トランプ大統領に金正恩委員長の親書を伝達したこととの関連で米国のマスコミで取り上げられていたばかりだ。
また、総参謀長の交代も金正日政権下では3度しかなかったし、人民武力相も17年間で僅か4人に過ぎなかった。呉振宇人民武力相は1995年2月になくなるまで19年間、そのポストにあった。後任の崔光次帥は1年4カ月と短かったが、任期中に死去したことが原因である。3人目の海軍出身の金益鉄次帥は1997年2月から2009年2月まで12年間も在任していた。
今回更迭された金正角次帥は昨年11月に軍総政治局長に登用されたばかりで僅か半年での交代となり、2016年2月に総参謀長に就任した李明秀次帥も2年3か月で、同じく同年5月に人民武力相となった朴英植大将も2年でお役御免となった。軍首脳を頻繁に交代させるのは軍を掌握していることの証であると同時に軍首脳部に絶大な信頼を置いてないことの表れでもある。
今回の人事で意外なのは軍総参謀長に李永吉大将が再起用されたことだ。
李永吉大将は前線の5軍団長から2013年に作戦局長に起用され、その年に早くも58歳の若さで総参謀長の抜擢されていた。翌年の2014年には党政治局候補委員、党軍事委員にも選出され、とんとん拍子に出席していたが、2016年1月に突如電撃解任されてしまった。
当時、韓国の情報機関・国家情報院は李永吉総参謀長が「分派活動が理由で粛清、処刑された」と発表したが、実際には処刑されてはおらず、9か月後の11月に姿を現し、健在ぶりを示したが、それでも総参謀長から一転、第一副総参謀長に降格されていた。
李永吉総参謀長解任直後に党中央委員会と人民軍党委員会による連合拡大会議が開かれたが、金正恩委員長は唯一指導体系の確立の重要性を強調し、「一心団結を破壊し、蝕む分派行動を徹底的になくす闘争を進めるよう」強調していた。
この日、金正恩委員長は一般席に座っていた軍首脳らに向かって見下ろすかのよう「人民軍隊は最高司令官の命令一下、一つとなって最高司令官の指示する方向だけ動くように」と訓示していたが、最高指導者が「自分の命令に服従せよ」と演説をぶったのは、祖父の金日成主席の時代も、父・金正日総書記の時代もなかったことだ。
さらに不可解なのは後釜に李永吉総参謀長の大先輩にあたる李明秀大将(当時)を据えたことだ。
李明秀大将は金正日政権下で前線の3軍団長から作戦局長に就任し、2011年には警察にあたる人民保安相に就任したが、金正恩政権発足翌年の2013年4月に人民保安相だけでなく、党政治局員、軍事委員、国防委員などすべての任を解かれていた。
李永吉総参謀長の後任に当時82歳のロートルを据えたのは明らかに世代交代と全く無縁の人事だった。金正恩委員長がなぜ、この機会に若返りせず、20歳以上も年上のリタイアしていた人物を登用したのか、今もって謎のままだ。
今回も「軍三役」にいずれも60代を登用したことから世代交代を図ったとの見方と、3人のうち2人が党から起用されていることで党による軍部へのコントロールを徹底させるための人事との見方が交錯しているようだが、解任された李明秀軍総参謀長と朴英植人民武力相は4月の南北首脳会談では金英哲統一戦線部部長、李洙ヨン国際担当部長や李容浩外相らと共に金正恩委員長に随行し、板門店まで来ながら、会談にも晩餐会にも同席することもなくそのまま平壌への帰任を命じられていた。何のためにわざわざ板門店まで連れてきたのか、これまた謎となっている。
首脳会談の相手である米韓両国に対して軍を掌握しているところを見せつけるため二人を板門店まで同行させたとみられなくもないが、北朝鮮の非核化が主要議題となる米朝首脳会談を目前にした突然の軍首脳陣の交代だけに今後波紋を呼びそうだ。
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さてアジア安全保障会議が3日に閉幕している。
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アジア安全保障会議:「非核化」長期戦懸念 英仏国防相「米朝会談後も課題」 - 毎日新聞 より引用
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【シンガポール工藤哲】アジア太平洋地域の国防幹部らが集まり、地域の課題を話し合うアジア安全保障会議(英国際戦略研究所主催)が3日、シンガポールで閉幕した。トランプ米大統領が北朝鮮の非核化協議の長期化を容認する考えを示したのを受け、フランスや英国の国防相らが3日、シンガポールで12日に開かれる米朝首脳会談に相次いで言及。会談の行方に大きな関心が集まった。
フランスのパルリ国防相は「会談自体は緊張緩和につながるが、完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)の議論が不十分なら、北朝鮮が有利になってしまう」とけん制。その上で「全面的な制裁実施の姿勢が、難しい状況を避ける唯一の方法だ。警戒を弱めるべきではない」と指摘した。英国のウィリアムソン国防相は「北朝鮮から核が拡散するのはリスクだ。米朝会談は最も望ましい形だが、会談後も数週間は課題が残るだろう」と予測した。
ホスト国シンガポールのウン国防相は、会談の場を提供するリスクについて問われたが、詳細に言及しなかった。地元メディアは、会談取材で少なくとも2000人のメディア関係者が詰めかける見通しだと伝えている。
英仏の国防相は、南シナ海の島々の実効支配に向けた動きを強めている中国への懸念も表明した。パルリ仏国防相は「既成事実化に向けた動きは疑問だし、反対だ」と表明。南シナ海での英国と合同の軍事行動を強化していく考えを示した。
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