原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

イエス様が殺された代価を償う為に殉教が必要になり、再臨主が離婚された代価を償うために夫婦は分断される

エバは自分の夫アダムを否定し、だましました。そして、後には神様までも否定しました。したがって復帰歴史は蕩減復帰歴史なので、このように堕落の過程で生まれた否定的事実を歴史上で再び蕩減しなければならないようになっていました。

再臨主文鮮明恵父 「神様の摂理から見た南北統一」

 

エス様の路程の終わりには心無いユダヤ人達によって十字架刑に処せられ殺害される事になってしまった。

本来イエス様は「神の国の到来」を宣言するグッド・ニュース、福音を語られてきた。

地上天国を建設されるために来られたからである。

ところが、一旦はイエス様が来るべきメシアであると証しした洗礼ヨハネが不信して別行動を取ったため、洗礼ヨハネこそはメシアではないかと思っていたイスラエルの民はイエス様に繋がる道を絶たれてしまった。

ゲッセマネの園で三弟子と御旨のためには死の道もゆくという一体化の基準を立てるどころか、心情ここに非ずと眠りこけていた弟子たちゆえに、イエス様を守るべき基台も失われてしまった。

われわれ堕落人間の罪深い姿を見ることが出来る。

 

再臨主文鮮明師の路程の終わりにも心無い韓国人によって真な母が偽りの母になり、御父様が立てられてきた天の伝統であるアダム文化をことごとく破壊してしまった。

韓鶴子による離婚宣言である。

韓半島は文氏ではなく韓氏が文化を築いてきたのだからとばかりにエバ文化を創造しようと努めている。

家庭盟誓は改竄され、天父は天の父母様と勝手に変えられてきた。

父と母は対等で同格だと言うのである。

 

それゆえ現在の十字架の道は、韓鶴子の一方的な離婚行為を蕩減復帰する道をある数的条件として信徒もまた避けて通ることが出来ない情勢になっているのである。

そこで、夫婦して御父様の権威に戻ることが出来ず、夫婦が別々の道をゆかざるを得ないケースが生じて来るのを見ることになる。

 

「神様の摂理から見た南北統一」はP28から神様のみ旨とは何かを語ることから始まっている。

 

このように、アダムとエバが神様を中心とした理想家庭を成し遂げていたならば、神様のみ旨は成就されたはずであり、アダム家庭は、神様を父として侍り、人類始祖の立場で一つに結合された愛の起点を備え得る家庭となったのです。その家庭は、神様が創造したアダムとエバの理想の完成のために、愛の結合によって一体を成すことのできる基盤となったのです。 

 そのような基盤で成し遂げられる夫婦の愛と子女の愛によって神様のみ旨が成し遂げられたなら、この地球上にはアダムを中心とした単一文化圏が形成されたはずです。今日のように、数多くの民族がそれぞれに異なった文化と文明を形成してきたのではなく、アダムを中心として一つの単一文化、単一思想、単一文明をもった世界になったのです。このようになったなら、文化、歴史、風習、言語、伝統などはすべて統一されていたはずです。 

 また、神様の愛の圏内で理想的な家庭を築き、氏族を築き、民族、国家を形成し、さらに拡大して、アダムの理想が実現される一つの理想的世界を成し遂げたはずです。木は根、幹、葉が一つの生命として連結されているように、愛を中心として上には神様を父として侍り、下には万民が兄弟のように一つの生命体、愛の生命体と化して、神様を中心とした永遠な理想世界を成し遂げなければならないのです。それがまさしく神様のみ旨から見る世界観です。このような世界の人間たちには救援が必要でなく、メシヤも必要ありません。なぜなら、その世界で生きる人間は神様の善なる息子、娘だからです。(一九八〇・一一・一八) 

再臨主文鮮明著 「神様の摂理から見た南北統一」P29〜30

 

兄弟姉妹たちよ、狼狽えてはならない。

夫婦して御父様の権威に戻ることができようが、夫だけあるいは妻だけが戻ってこられようが、大したことではない。

今私の心が父とともにあるかだけが問題である。

再臨主である御父様は聖進様のお母さんに離婚された。

夫婦相和しとどこの宗教の教祖でも語るであろうに、メシアが離婚することほど困難な道はない。

韓鶴子オモニにも反逆され、康賢実オモニと再婚され三次の結婚を勝利された。

 

6マリアと呼ばれる女性の血統転換の秘儀も御父様は堂々と正妻と妾の摂理として説明され、アダム・エバ・天使長の三角関係と淫乱によって失ったものを神側が取り戻して、人間を奪ったサタンの元から復帰して神が人間を愛によって所有される道を作られた。

 

かってわたしは「チャングムの誓い」のチャングムを信仰と忠誠の観点から絶賛してきた。だが、さらに進めて話すならばチャングムの忠誠は最終的には失敗である。

 

原理的に見るならば、

王はアダム(ダビデ

チャングムはエバ(バテシバ)

ミン・ジョンホは天使長(ウリヤ)

 

チャングムとジョンホは婚約者のような立場

そこで復帰原理的には、ダビデとウリヤとバテシバ

アダムと婚約期間にあったエバが天使長に略奪されとことを蕩減復帰する摂理であった。

だが忠実な家臣をわざと死の場に逝かせる動機と行為は神を怒らせている。

正しい関係の修復は必要であった。

 

さて話に戻ると、この物語はチャングムが王の子供を産んでめでたしめでたしで終わるべきであった。

御父様は何故韓国に宮廷制度があったのかと問う。

何故妾の制度があったのかと。

宮女はすべて王のもので王の妾なのである。

イスラエル選民の使命を継承した韓民族にはどうしてもこれが現れざるをえないのである。

 

善王の心情と血統を相続する者をバテシバのようにチャングムは産まなければならなかったのである。

ミン・ジョンホなら王様にチャングムを奪われても反逆はしなかっただろう。

問題はチャングムの方である。

チャングムだけは知っていた。

王が国民のためにどのようなことをしていたのかを。

誰も知らないと思っていたのにチャングムは知っていた。

それで王の心はチャングムに引き寄せられていく。

 

善王の心情と血統を相続する子供を生むことができる女性を探すことは大変難しい。

そこで堕落人間の男性が夢見るハーレムではなく、血統問題を重視して宮女は本来存在するのである。

 

チャングムは素晴らしい女であったが、最後の最後で失敗をしたのである。

彼女の天命は善王の血統を相続する世継ぎを生むことであった。

それを悟ることが出来なかった。

本当はハッピーエンドなんかでは決してない。

 

絶対「性」とは公的な性、すなわち公的な結婚と公的な血統の死守のことである。

御父様は韓鶴子を諦めた。

御父様に続いて行く者は、御父様の事情と心情を共有する栄光に浴することだろう。

御父様が韓鶴子に未練があれば、そこで摂理は行き止まりとなった。

ソドムゴモラの家庭連合に残る相対を慕ってどうするというのだろうか?

ソドムゴモラの家庭連合に残る子供を慕ってどうするというのだろうか?

われわれも再祝福を地上の縁者と受けるか、霊肉祝福を受けるかいずれかである。

それを失敗と感じるのではなく、主と共に行くのだという栄光に包まれた誇りと喜びに満ちて行きたいものである。

金百文に六ヶ月精誠を尽くして御父様は彼から離れた。

もう三年以上が過ぎている。

 

私の中に神よりも大切なものがあってよいのか?

人生の決断である。

 

 

 


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