原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

献身していた者が環故郷して出家でも在家でもない信仰を掴む カルロ・カレットの記事を拾い読む

会長の夢を見た次の日

お父様の夢を見た。

わたしがお父様にみ言葉の真意の確認をしているところだった。

その話を聞きながらお父様は何も答えられず、

ただただにこにこにこにこと笑っておられた。

その日会長と要人を迎えることができた。

帰る前に数人の方たちと語り合ったが、

あるご婦人がもうブログは書かないのですか?と聞いてこられた。

帰ってきて、カルロ・カレットのことが思い浮かんできた。

はじめはある文章を紹介しようと思ったが、分量が多いので次の機会にしたいと思う。

 

 

以下のサイトよりカルロ・カレットの詩を引用

神の真実 (Ⅰコリント1:4~9) - 日本バプテスト連盟 富里キリスト教会

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「おお、教会よ、おまえは何と不可解なものだろう。
それなのに私はおまえを何と愛していることか。
おまえは私を何と苦しめてきたことだろう。
それなのに、私は何と多くをおまえに負っていることか。
私はこの世界でおまえほど、とらえどころがなく、
評判が悪く、虚偽を言うものを見たことがない。
それなのに、おまえほど、純粋で、寛容で美しいものに触れたことがない。
そう、私はおまえから自由になれなかった。
なぜなら、完全ではないにしても、私はおまえだからだ。
私は(おまえを離れて)どこへ行くべきか。」

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先日の貴乃花の番組でもどうような言葉が述べられていたのを思い出す。

 

www.youtube.com

 

ロル・ロンハイザーという方がこのような文章を翻訳されて紹介している。

ロン・ロルハイザー 
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

japan.lifeissues | 家庭内修道院 より引用


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家庭内修道院

半世紀前の代表的な信仰小説家の一人、カルロ・カレットは十数年間宗教的理由からサハラ砂漠で隠者として過ごした。聖餐のパンのみを友とし、食料のためにヤギの乳を搾り、現地のベドウィン語に聖書を翻訳しながら、独りで何時間も祈りを捧げた。ある時、母を訪ねるためにイタリアに帰国した彼は、あることに気付いてはっとした。それは30年以上も家族の世話に明け暮れ、自分の時間などほとんど持てなかった母の方が、自分より黙想的な生活を送っていたという発見であった。

 カレットは、慎重にもこのことからあることを学んだ。それは自分が隠者として営んでいた生活に何ら間違いはなかったということよりもむしろ、母がしてきたことには何かとても素晴らしい面があったということである。小さな子どもたちの喧騒の中で、絶えずあれやって、これやってとせがまれ、じゃまされながら母は長年過ごしてきた。カレット自身も修道院にいたのだが、母も同じことだった。

 その修道院とは何か?それは修道士や修道女のために隔離された場所だけをいうのではなく、ある隔離された期間のことである。そこは無力であることの価値を学び、時間というものは自分のものではなく、神のものであるということを学ぶ場所でもある。

 我々の家庭や日々の務めも、修道院と同様にそれらのことを教えてくれる。十字架の聖ヨハネは修道生活の内的本質について次のように述べている。「しかし彼らは、ああ、わがいのちなる神よ、あなたの慈悲深き御心に気付き、実際に経験するでしょう。世間から身を引き、慈悲深さを身に付ける者たちは、互いの慈悲の心を調和させることによってあなたを知り、あなたを受け入れて豊かになることができるのです」彼が言おうとしていることは、修道院とは、世間から離れて暮らすこと、相手を慈悲の心を持った人々として交わることということである。

 彼は実際に世間から身を引く修道士や修道女の使命について述べたのだが、基本的な考え方は修道院に引っ込んで修道士や修道女になることが出来ない人々にとっても同様に当てはまるものである。いくつかの職業は修道院と同様な瞑想の機会を与えてくれる。熟考にふさわしい不毛の地を提供してくれる。

 例えば幼い子どもたちと共に家にいる母親は、まさに世間からの隔離を体験する。その生活ぶりは全く修道院的である。母親としての務めや重大な関心事が彼女を権力や社会的重要性の中心から遠ざける。それは本人にも感じられる。そのうえ幼い子どもたち(最も心優しい者たち)と接し続けることによって、慈悲深い人々と交わる機会に恵まれる。つまり、力を持つ者より持たざる者の方に調子を合わせるということである。

 さらに幼い子どもたちの要求は母親に、修道院制度の偉大な開拓者の一人である聖ベルナールが「修道院のベル」と称したものも提供する。全ての修道院にはベルがある。聖ベルナールは修道院の規則を定めるにあたって修道士たちに、ベルが鳴ったら何をしていてもそれを中断し、ベルが召喚する特定の活動(祈り、食事、労働、学習、睡眠)にすぐさま向かわなければならないと告げた。彼はベルには瞬時に反応するように断固として主張した。例えば手紙を書いている時にベルが鳴ったなら、文の途中でも止めなければならない。彼の意図は次のようなものであった。ベルが鳴ったら次の務めに呼ばれているということなので、すぐにそれに応えるべきであり、自分がそうしたいからではなく、その務めの時間が来たからである。そもそも時間というものは自分のものではなく、神のものであるのだから。修道院のベルには、常に自らの予定より神の予定を優先させることによって、自分の心を広げる訓練をするという目的があると彼は考えている。

 したがって、子育てをしている母親は、おそらく本物の修道士たちよりもそういう機会に恵まれているといえよう。ほとんど自らの意志に反して、常に心を広げることを余儀なくされている。子育て中は何年間も自分の時間などありえないし、自分の欲求は二の次にせざるを得ない。振り向けばいつでも誰かの手が差し出され、何かを要求されている。母親の耳には修道院のベルが一日に何度も鳴り響き、そのたびに何事も途中で放りだして対応しなければならない。自分がそうしたいからではなく、それをする時間になったからである。時間は彼女のものではなく、神のものである。それ以外の者でも、毎朝目覚まし時計が鳴る度に修道院のベルを経験する。ベルが鳴ったらベッドから出て準備を整えるのだが、自分がそうしたいからではなく、その時間になったからである。

 修道院制度の原則は時の試練を経たものであり、聖なる認可を受けたものであり、全く信頼できるものである。しかし、世の中にはそれとは違う種類の修道院というものがあり、違う方法で我々を慈悲深い人たちと調和させ、違う種類の修道院のベルがある。務めに応じることは修道院の祈りともなりうるし、何かを求めて差し出される手は修道院のベルとなりうる。また地位や権力を持たずに働くことによって、神との出会いが可能な修道院の中へと引き下がることになる。家庭も修道院となりうるのである。

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 仙人のような隠者の生活を徹底すれば霊的な神の国に住むことができるかもしれない。

堕落によって人間の霊と肉が分離しなければ、霊肉一如の生活圏が現れたことだろう。

モルモン教徒は3年間の献身生活をして環故郷して俗世界に戻っていくと言うが、

なかなか良いことなのかもしれない。

霊的世界だけを深めるだけではなく、肉的世界のことにも通じていなければ

地上天国はできないだろう。

 

カレットによれば、修道生活は場所の問題ではなく、神とともにある時間の問題であった。

 

我々の場合は、霊肉の問題だけではなく、

全体摂理と心霊の成長、全体摂理と心情の復帰という課題がある。

滔々と国際情勢を語り、さらに神による現在の摂理が語れても

今日一日に如何なる神との出会いがあり、そのことによって悔い改めや

感謝や成長が確かに見出すことができなければ、何の信仰生活であろうか?

 

 自分が最も大切だと今思うことに

神のベルが鳴ったなら

決然と別れていく内面の準備が整っているのか?

 

行かざるを得ない自分よりも、行けという神の事情と心情を先に考えたという

再臨主文鮮明先生の伝統がそこにある。

師のテストに合格できるようにありたいと思う。

 

われわれはすぐ躊躇する

偉大なモーセもそうであった。

われわれはすぐ動揺する。

神の目から正しい人であったヨブもそうであった。

躊躇し動揺する姿を見る神はなんとかわいそうなお方であろうか?

 

そのような哀れな神様を慰め励ましながら生きる姿を

再臨主、文鮮明先生は示された。

あとは君たちが問題だと言うんだねと言って。