原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

信仰生活の幾つかの点について

アベルカイン>

 

内的アベル:子女様

内的カイン:祝福家庭

 

外的アベル:教会長など職位者,自分の直上者

外的カイン:直下者

 

祝福家庭においてはアベルは子女様であるが、

恵まれて実際に侍って生活する食口は稀である。

そこで、子女様の代理のような立場としてアベルとして立たされているのが

教会長などの上位者である。

 

<責任分担>

存在物はすべて全体目的と個体目的の二重目的を併せ持つ連体、

したがって責任分担も全体目的の摂理が主体で

個体目的の神氏族メシア活動は対象

 

全体目的から 現在の摂理活動

個体目的から 神氏族メシア活動

 

 

では、父母主義とは何でしょうか。 地上において、アダム、エバが完成すべき真の父母主義です。その次に、神主義とは何ですか。真の父母が横的な父母なので、縦的な父母も必要なのです。それゆえ、縦的な父母主義が「神主義」です。ですから、「頭翼思想」という言葉は、真の父母主義であり、縦的な「神主義」、このようになるのです。横的真の父母主義と縦的「神主義」の縦横が一つになって、天の生命、地の生命、天の愛、地の愛、天の血統、地の血統がつながって人間が生まれるために、人間は二重存在になっているのです。内的人と、外的人とになっています。内的人は縦的な自分であり、外的な人は横的な自分だというのです。実になるのです。(224-277,1991.12.15)

天聖経271ページ

 

 

<秩序と主管>

創造本然: 神 ⇒ アダム ⇒ 天使長

           ⬇     ⬇

堕落時の結果 :堕落アダム ⇐ サタン

           ⬇     ⬇

復帰路程:     アベル ⇒ カイン

 

<実体基台>

カインの側から:堕落性を脱ぐための蕩減条件の成立

アベルの側から:天使長を主管する条件の成立

 

<教会長や教育部長> 

ヨハネ先生は、み言葉を語るものは天使長だとされた。

言い換えるなら、教育者は善の天使長だということであろう。

従って彼らは支援職である。

真の父母である文鮮明師は、三大主体思想を発表されています。

 

人間の願いとは何でしょうか。堕落した人間の願いとは何でしょうか。息子、娘を生んでも、その息子、娘がサタン世界から迫害されず、天国に直行するよう育て得る、真なる父母になるべきだったのです。ところが、そのよ うになれなかったのです。真の息子、娘を生んで、天国に直行させ得る真の父母の身代わりになるのが願いです。 皆さんも全部良い息子、娘を生みたいでしよう? 世界で一番優れた子女を生みたいでしょう? それができませんでした。それを、どのようにするかが問 題です。
 その次は何でしょうか。天使長が神様の息子、娘であるアダム、エバを育てることができませんでした。我々がどのようにしてでも、我々の子女たちを神様の息子、娘として育てて、神様に必要な人として教育するかということが、最も重要な問題です。
 皆さん、みんな先生になりたいでしょう? 手本になりたいでしよう? それで、皆さんは、熱心に働いて、国を代表し得る大統領の身代わりになりたいし、その国の会社とか、すべての行政省庁の主人になりたいと思うのです。 出世しようというのです。それは何ですか。真なる主人になろうということです。
 これが我々の三大念願です。一つは真なる父母、その次には真なる師、真なる主人です。出世して地域の指導者になりたいし、大統領になりたいでしょう? そうなる前に、家の主人にならなければなりません。家庭の伝統を相続して、先祖に代わり得る、神様に代わり得る主人の立場に立たなければならないのです。そうすることによって、すべての家庭と国が尊敬するのです。この三つには、世の中のすべてが入るのです。真なる父母、真なる師、真なる主人です。
 皆さんがすべて真なる父母になるべきであり、真なる師になるべきであり、真なる主人になるべきです。これが「三大主体思想」です。この三大主体思想」の根とは何でしょうか。真の愛です。この真の愛とは何かというと、自分の100パーセント以上を投入し、また投入し、また投入しようということです。そのような思想をもった父母であり、師であり、主人であるということを知るべきです。根は一つです。
 それゆえ、「真の父母」と言うときは必ずその右に師が来て、左には主人が来なければなりません。いつもついて回るのです。息子、娘を生むからといって、誰でも真の父母になるのではありません。息子、娘を生んで、育てなければなりません。息子、娘がお母さん、お父さんに乗っていかなければなりません。教えなければならないのです。(205-19,1990.7.15)

天聖経286ページから287ページ

 

アダムとエバには父母がいなかった。

そこで天使長が教育係となった。

ところが、真の父母が立った以降その子女は、天使が教育する必要はなくなる。

父母が担当すればよい。

さらに第2世代の子女が夫婦になった際には、神の座には祖父母が就く、

そこで若い夫婦の不備を祖父母が教育することができる。

むしろ真の父母であられる文鮮明師は孫の信俊様を父母である亨進様やヨナ様以上に教育されてきた。

われわれ食口が祝福を受け家庭を持ち成長するに連れて、天使長的教会長や教育者から、父母的な教育者に自然に移行するようになる。

 

「三大主体思想」の中心思想は、真の父母思想です。ここに、なぜ真の父母が中心になるのでしょうか。垂直を 通じた縦的基準は、一つしかないのです。真の愛の垂直は一つであるために真の父母と縦的な神様の決着点をもった家庭が代理基盤になるのです。
 それゆえ、父母の思想を模範として、父母の愛を模範としてまねた主権者は、天国の環境的与件を指向するようになりますが、ここにはサタンが侵犯できないのです。悪魔の愛の圏の内容をもって侵犯できないために、解放圏が繰り広げられることによって、地上に天国が形成されるのです。(213-124,1991.1.16)

天聖経269ページ

 

教会長が天使長であるということは、

お父様のみ言葉「これはみ言葉の実体ではなくて、実体み言葉である」を思い起こせば

容易に理解できることだろう。

教会長が天使長というのは、み言葉を知っているが、実体がないということである。

み言葉の実体になっていない。

エス様もお父様も、先に実体があってその姿を現すみ言葉が続くのであるが、

我々堕落人間は実体がありもしないのに、み言葉を受肉しもしないのに、

み言葉を語っている。

このことを李ヨハネ先生は天使長だと語られたのだと思う。

だが、天使長だとしてもアベルである。

サタンに対応するのはカインだが、

サタンとは悪の天使長である。

善の天使長である教会長はアベルとなる。

 

<お父様の組織論>

1,フラットな血統組織

真の父母 ⇒ 各祝福家庭

したがって目標は均等割が基本

2,ピラミッドな機能組織(教会組織など)

真の父母 ⇒ 事業部制のようなピラミッド組織

 

ただし、ピラミッド組織は機械的な命令組織ではなく

機能的でありながら有機的な連帯を持つ組織であるべきだろう。

堕落世界ではゲマインシャフトゲゼルシャフトの区別があるが、

おそらく本然の世界ではどのような組織も両方の様相を兼ね備えているのではないかと思われる。

ただ、どちらの性質により多く振れているかの違いは千差万別にあるものと思われる。

堕落によって心と体が引き裂かれたように、そのような個人の集合によって成り立つ組織も、テンニエスのいうように二つのタイプに分離したものと考えられる。  

 

<絶対信仰、絶対愛、絶対服従

ノアを代表とする不変という旧約の絶対信仰

エス様を代表とする恩讐を愛する絶対愛

再臨主に侍る絶対服従

旧約の絶対信仰は、神からの要精に対して絶対信仰という受け身の形をとるが、

成約の絶対服従は、神や再臨主の願いである御旨に対して、誰から強いられたのではなく自ら喜んで服従する点において相違がある。

旧約では神と人が主人と下僕の主従関係だったが、

成約では神と人の関係は父と子の親子の絆である。

その服従に強制感があるはずもなく、もしあるとすれば侍義と認定され得ないであろう。

お父様が「孝子の孝子」と言われる所以である。

 

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