原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

もし家庭連合時代のような講義を劉先生がすれば、原理本体論修練会は再び失敗に終わるだろう

原理本体論の劉講師についてお父様は以下の引用文のように語っているという。

劉正玉先生はお父様が認定するたった一人の原理本体教育ができる講師だということである。

日本で言えば、小山田先生や佐野講師であっても、講義する資格がないというほどである。

他の人が講義すれば、その人のバイアスがかかってしまい、その意味で結果として

「他の人が手を入れると天理が変更されてしまう。」ということになりかねないからである。

したがって、日本サンクチュアリで講師を養成する方針を立てているようだが、

全く不可能ではないかと思われる。

つまりお父様は劉正玉先生直伝で行けとおっしゃっている。

 

●私が、劉正玉が講義したものを全て聞いた。修正するところがない。他の人が手を入れると天理が変更されてしまう。孝律わかったか?(はい)[2008.10.27-天正宮]

今、統一教を教育する最後の責任を持って教育するのは劉正玉しかない。私がそのように育てて来た。誰も知らない中で。 1 [2009.8.20-天正宮]

●実体論。本体論教育ができる人がいるということがどれほど尊いことか。一人しかいない。劉正玉、簡単なことだ。凹凸の実体を暴いて教育する。[2010.6.8(陽7.19) - イーストガーデン]

●...劉正玉を数十年前から個人的に育ててきた。このような事実は劉正玉も知らない。[2011.7.10(陽8.9) - 天和宮]

●劉正玉!(はい!)本体論教育は劉正玉!(はい)本体論教育は劉正玉が責任をもったでしょう?(はい) - 中略 -今回の話の中で本になかったこ、あなたが言いたい事、先生が話さないようにとしたものまでも全てしてしまいなさいというのです。先生のみ言葉の中で教えなかったことはありません。すべて話しました。【2012.閏3.5(陽4.25) - 天正宮]

師観のブログより

 

おいおいそれじゃあ、お前のような資格のない者がどうしてお父様がお墨付きをくださっている劉先生の講義が失敗するというんだと憤慨される方も多くおられることと思う。

だから、わたしがサタンの使いかどうかを見極めながら以下の主張を吟味して読んでいただきたいと思う。

 

家連においても、サンにおいても、過去に多くの兄弟姉妹が原理本体論の講義を受けてこられたかと思う。

だが、講義を受けてこられた方は、原理本体論と原理講論に書かれた統一原理とでは、どこがどう違うのか戸惑う方が少なからずおられたようである。

ネット上にも数多くの動画がアップされているようだが、何について語られたのかはおおよそ知ることができるが、いざその核心は何かと問えば、おそらくなかなか上手く語ることができないのではあるまいか?

 

原理本体論という名称の本体とは、神様のことかと思うが、原理本体を原理そのものというふうにとれば、象徴的に語られた統一原理ではなく、直接的に説かれた統一原理ということになろう。

 

まずはこの名称の由来を知らなければならないように思う。

 

若い頃には、将来にお父様自らが書く統一原理の最終表現の書が出ることがお父様によって伝えられていた。

何でも今までのものは完全ではないがゆえに許しがいくらかあったが、お父様が完全なものを発表されれば、それが天下の基準になりそれに従わない行為などはその如く審判されるというようなことを記憶している。

 

原理本体論は大雑把に言うと、原理講論と統一思想が融合したような内容になっていると感じた。

わたしが推測していたイメージとは違っていた。

お父様が直接執筆なさらないにせよ、できるだけお父様の言葉を用いて、その他の文章はその言葉の言わんとする所を解説するような形式のものを考えていた。

 

膨大な講義の動画は、必要なのかも知れないが、総花的に語ることによって

そもそも一体何が原理本体論の核心なのかわかりにくくしているようにも見える。

 

上記のお父様の言葉には驚かされるものがある。

 

実体論。本体論教育ができる人がいるということがどれほど尊いことか。一人しかいない。劉正玉、簡単なことだ。凹凸の実体を暴いて教育する。[2010.6.8(陽7.19) - イーストガーデン]

 

ここでお父様は原理本体論教育の核心を、

「 劉正玉、簡単なことだ。凹凸の実体を暴いて教育する。」とした。

すなわち絶対「性」のことである。

 

思い出していただきたい。

亨進様が初期において見られたお父様の夢のことを。

多くの兄弟が集まっている中でお父様が凄まじい剣幕で食口を殴り倒していたお話である。ついには亨進様のところにも近づいてこられ、万事休すと観念していたら、

「絶対『性』」とお父様が言って通り過ぎられたという。

 

また、サンクチュアリ立ち上げ当初から、亨進様は6マリアの存在をはっきり証された。家族の誰もが知っていたことだとした。

そして現在は、実母であり、かっては真の母であった韓鶴子オモニが真のお父様に反逆され堕落したがゆえに離婚となり、6マリアとみなされていた中でたった一人本物の信仰を勝利された康賢実オモニが真の母となり代わったのであった。

かってPAで亨進様に降りてこられたお父様が、康賢実オモニに

「おまえは全く変わらないね」

と語られたと報告を得たときに、お父様なら漢字の意味を解説されて

いつもなら賢く実ると解説されるところだと思った。

 

亨進様はご自分の母親が真の母として勝利されたであろう時と同じかそれ以上に

康賢実オモニの勝利を讃え喜ばれた。

お父様が興進様が地上で祝福を受けたときに味わうであろう幸福な思いを越えて

有り余る喜びの心情で、人類が蘇生されるべく天に奉献されるべく栄光の道を歩まれた。

亨進様も御父のように絶対公的心情で偉大な勝利と伝統を継承され神の歴史を刻印された。

 

わたしはこのブログで何度も日本家庭連合の総会長である宗龍天を批判してきた。

亨進様の人事に従わず、信徒を惑わし、お父様との絆を引き裂いたからである。

今日反キリスト韓鶴子を支え、日本から天運を奪い、亡国の道へと誘っている。

 

その宗龍天は、お父様がなされたノアの方舟の蕩減復帰の摂理に参席することが出来た。

ところが彼は、絶対「性」を勘違いした。

お父様が親子に何の隠し事があろうかと、すっかり裸になられて行く中で、御父の性器を見ても恥ずかしく思わなかったと歓喜した。そしてあなたも見たかとその場にいた夫人にも聞いたが、夫人もしっかり見たと言う。

これが果たして絶対「性」を理解している人間の証になるのだろうか?

大衆浴場の銭湯に行ったら、洗い場で隣の男が体を洗い終わり、すくっと立って湯船に向かうとき、たまたまこの人の性器を見ることになり、恥ずかしく思わなかったのとどこが違うというのだろうか?

これでハムができなかったことを為したというのか?

あまりにも軽薄で違和感がある。

 

お父様はかって米国で言われた事があったと言う。

「君たちは、先生が下半身を主管することが出来ないと思うのか」

 

お父様は原理本体論教育の核心を、

「 劉正玉、簡単なことだ。凹凸の実体を暴いて教育する。」とした。

これを家庭連合は理解しなかった。

そこでまるごと堕落してしまった。

 

つまり、講義は真に正しかったが、講義された御言葉の核心が何かを理解することができなかった。

家庭連合はそのような者の群れである。

絶対「性」を離れてしまった韓鶴子オモニを支持擁護する団体になってしまった。

 

自叙伝出版記念日に、その本には80%しか先生のことが書かれていないとした。

そして前には6マリアとささやかれていた女性たちが並び記念写真を撮られた。

残りの20%の絶対「性」は、信徒の信仰で証明せよとわれわれに語りかけられているかのようであった。

それが出来ないときにはお父様を背信する者がおびただしいほど出ることを心配されていたことだろう。

 

 上記引用のお父様の御言葉には、劉先生の講義を聞いてすべて良しとしている。

では本はどうなのだろうか?

本、すなわち原理本体論の本のことである。

現在のものは偽りの母の写真なので、これを真の母の写真に変えなければならない。

 

率直に言って、われわれ信徒に真に必要なものは、原理本体論の核心部分であって総論ではない。

日本の普通の文章や話し言葉では、だらだらと総論的な話が続いて最後に結論や肯定否定が告げられる。これにわれわれは慣れているので不便さをあまり感じないが、アメリカの新聞の文章を見ると、日本の形式とはたいへん違っているという。

先ず意見や何があったかなどのタイトルがあり、

次にそのタイトルに関することの要旨が書かれていて、

最後に総論が詳しく書かれていると言う。

中心から要旨、要旨から全体というような流れが基本だという。

 

われわれもこれに見習うべきではないか?

原理本体論の核心を3時間で語ることができるなら、

先ずその講義をして一般の講義内容に進むべきではないのか?

3日かかるなら3日すればよい。

 

原理本体論の本について考えてみよう。

講義をお父様は善しとされたようであるが、

原理本体論の本についてはどうだったのだろうか?

お父様は内容を確認され本にサインをして認定してくださったのだろうか?

普通ならそうするだろうから。

 

 わたしにはどうも原理本体論の創造原理で本陽性と本陰性の統一体のところの記述に問題があると思われてならない。

一義的に誰もが理解することができるような表現には至っていない感がある。

P82~85のところである。

 

神様に男性生殖器と女性生殖器の両方があったいうが、これを素直に受ければ、誉進様の論文にあるように神様を「天の父母様」と呼ぶのが自然だという考えは妥当に感じる。だが、実際には両性には格位性がある、すなわち神は男性格主体だということである。

これをもっと率直に表現するならば、本陽性的要素と本陰性的要素の占める割合が、

50:50ではなく、95:5といった比率なのであろう。

正確な言葉は忘れたが、確か亨進様は真の父母の責任分担について、お父様が95%でお母様は5%だと語られた事があったと記憶している。

違うようであれば指摘していただきたい。

つまり、神様は圧倒的な男性格主体であり、生殖器を二つ持つとしても、

圧倒的に男性生殖器を持つ存在と考えることができる。

 

二つなのか一つなのか、

先ず劉先生は講義の中で、神様の生殖器についてお父様が語られている御言葉の多くを引用して、そこから原理本体論を説くことが肝心であろう。

まさに、家庭連合とサンクチュアリの神学論争の争点はここにあるからである。

 

 原理本体論を見てみよう。

 ===

本陽性と本陰性の統一体

 神様は、本性相と本形状の中和的統一体としてだけではなく、本陽性と本陰性の中和的統一体として存在されます。本陽性と本陰性とは、神様の「絶対性」(生殖器官)に属する二つの要素をいいます。

 それは神様が真の父の生殖器、すなわち「絶対性」の精子である真の生命の種をもち、真の母の生殖器、すなわち「絶対性」の卵子をもったという話です。神様がそのような生命の体をもったということです。しかし、精子卵子に出会い、新しい血統が出てくるためには、精子卵子だけではできません。それらを出会えるようにする機関(器官?)がなければなりません。それが生殖器官なのです。

 神様の「絶対性」を実体として現したものが、男性と女性です。神様の実体の男性がアダムであり、実体の女性がエバです。男性と女性が実体として現れる前に、神様の中にあった陽性と陰性は、神様の二つの生殖器です。神様が二つの生殖器をもっていらっしゃるという話です。人間が分立されて現れる時、男性と女性の生殖器が別々に出てきたのです。

 それで、男性は凸、女性は凹をもっていますが、その二つの生殖器の主人は相手側になります。生殖器は自分の体にありますが、自分のものではありません。神様が二つの生殖器の主人を交換しておいたのです。

 神様は二つの生殖器をもっていらっしゃいましたが、その生殖器は使うところがありませんでした。原因的存在には時間と空間性がないばかりか、神様は無形の本体であられるからです。ですから、神様は二つの生殖器をもっていらっしゃいますが、ご自身が自ら感じ、体恤することはできなかったのです。それで神様は分離された実体を創造し、人間は男性の生殖器、女性の生殖器が別々なのです。

 神様は男性格主体なので、女性を先惟し、男性をつくりました。女性を先惟したという話は、その女性に合うように男性をつくったという話です。神様はエバのものが凹だという事実を先に知っていらっしゃったので、凹に合うようにアダムを凸としてつくったのです。アダムの凸は、父なる神様の凸に似たのです。

 本陽性と本陰性の中和的統一体としていらっしゃる神様は、格位で見る時は、男性格主体です。それで神様を父と呼びます。女性格主体ではなく、男性格主体なので、神様を父と呼ぶのです。

 ところで、解放神学を主張する南米の女性神学者は「なぜ神様が父なのか」と問題を提起しながら「神様は母だ」と主張します。創世記1章27節のみ言(神は自分のかたちに人を創造され、男と女とに創造された)のとおり、「神様の形のとおり男と女として創造したのに、なぜ神様を父と呼ぶのか、母と呼ぼう」という主張です。それは原理が分からなければ、理解できない内容です。根本を問い詰めるなら、神様は父だけでもなく、母だけでもありません。神様は父の性禀と母の性禀をすべてもっている私たちの父母です。

 神様は、本陽性と本陰性の中和的統一体としていらっしゃる「絶対性」の本体であり、すべての陽性と陰性の主体なので、格位で見れば、男性格主体になります。それで神様を「父」というのです。神様という単語には「絶対性」の男性格主体という意味が含まれていると同時に、私の父、私の父母という意味が含まれています。

 主体という言葉は、対象を念頭において使う言葉です。心が主体ならば、体は対象です。同じように、男性が主体ならば、女性は対象です。今後、男性と女性の秩序は、ここから立てられます。したがって、主体と対象という言葉は非常に重要です。神の形状に従ってつくられた被造世界はすべて神様に似たので、主体と対象の秩序と法則の中で運行されます。

 男性を先につくったので、女性は男性の従属物と考えられかねませんが、絶対にそうではありません。女性を前提にして男性をつくったからです。男性と女性は平等です。愛ゆえに平等なのです。

 陽性と陰性は上下関係や原因と結果ではなく、主体と対象の横的な関係です。アダムは「あなたの生殖器はあなたがもっているが、エバのものだ」、またエバも「あなたがもっている生殖器は、あなたが主人ではなくアダムのものだ」と、このような内容を父母である神様から公認されなければなりません。それが祝福です。家庭理想は永遠です。壊すことはできないのです。二人が一つになる「絶対性」ゆえに、本然の世界では一度結婚をすれば、もう二度と結婚することはできません。

 愛の生殖器を神様から許されたなら、父母である神様がその中に入ってきて、「あなたがたの生殖器の主人公は私だ」と言われるのです。ですから、あなたが好きなようにしてはいけないという話です。ゆえに、生殖器の主人は横的に見る時は夫や妻になり、縱的に見る時は神様になります。

 すべての被造万物には、より根本的な性禀があります。結果世界が陽性と陰性からなっているこの二つの生殖器の実体として現れたという話は、第一原因的存在がもっている本陽性と本陰性の本体であられる神様も、内的に二つの生殖器をもっているという意味です。今まで『原理講論』では、神様が本陽性と本陰性の実体として存在されるということは明らかにしましたが、神様が二つの生殖器をもっているという表現はできませんでした。

===

 

「本陽性と本陰性とは、神様の「絶対性」(生殖器官)に属する二つの要素をいいます。」

通常我々は本陽性と本陰性を実体として理解しているが、ここではそれらの性質のことを指しているようだ。そこで神様の生殖器の属性と言っているのだろう。

実体と見れば、本陽性と本陰性とは神の二つの生殖器のことであるとなるかと思う。

個人的にはこの場合の本陰性は生殖器を生み出す可能性を持ったという意味で、

本陰性は女性の生殖器そのものではなく、女性生殖器の可能態と見たほうが説明がわかりやすいと考えている。

 

「神様の「絶対性」を実体として現したものが、男性と女性です。神様の実体の男性がアダムであり、実体の女性がエバです。男性と女性が実体として現れる前に、神様の中にあった陽性と陰性は、神様の二つの生殖器です。神様が二つの生殖器をもっていらっしゃるという話です。人間が分立されて現れる時、男性と女性の生殖器が別々に出てきたのです。

 

これはどうか?

女性は神様の実体ではない。神様の実体であるアダムの妻である。

この表現には問題がある。

これがサタンがオモニ女性神教をつくる温床になっている。

 

エバ文化ではアウトなのである。

アダムを中心に霊肉両面の世界、無形実体世界と有形実体世界を主管されようとするのが神様の人間創造の目的です。したがって一つの人格的実体と関係を結ばなければならないので、アダム完成とともに神様の形状完成、すなわち形が完成するのです。神様はアダムを造られる時、彼の形態、人相、人格などが無形世界の中心にいらっしゃる神様のような姿にならなければならない、という考えをもってアダムを造り出されたのです。形がなければ形の世界を主管できないのです。

 

天聖経ではエバについて、

 実体をもった、神様の体として造ったアダムが、人間の先祖になるのです。言い換えれば、アダムは実体の神様です。無形の神様が実体の世界を主管するためには、実体の体がなければなりません。それがあってこそ見たり聞いたりできるので、神様が実体の体として造られたのがアダムだというのです。それでは、エバとは誰ですか。エバはアダムの妻です。実体の妻です。
 それゆえ、アダムが実体をもった神様ならば、エバは実体をもった神様の妻です。神聖な神様が妻を得るというので驚くかもしれませんが、アダムは実体をもった神様の体です。エバは実体をもった神様の妻として創造されたのです。

天聖経 真の神様 二 無形の神様は体が必要

1,からだをもつためにアダムとエバを創造

 

また、原理原本では、主体的な夫と一体化することによって、夫は完成するとある。

非常に重要な内容である。

 

①主体の位置の夫は主体である神と一つになって

その次に妻を完成させる

②対象的位置にある妻は

主体的な夫と一つになって

夫を完成させる

③夫と妻は息子と娘として生まれました。

各自父母に仕えることで成長して完成される。

④従って、夫は自分の母親に侍り、妻に仕え、

妻は自分の父親に侍り、夫に仕える。

 

韓鶴子オモニは、

対象的位置にある妻は

主体的な夫と一つになって

夫を完成させる

 

に失敗した。

어머니는 똑똑히 알아야 돼. 자기 주장이 있을 수 없어요. 
하나님의 주장을 따라야 되고, 완성한 아담의 주장을 따라야 되고, 
완성한 손자가 있으면 손자를 내세워 가지고 
하나님 대신 가정, 참부모의 대신 가정이 될 수 있게끔, 
사탄이 없어지고 천사장이 없어질 수 있게 하기위한 것이 몽골반점동족이에요.

 

オモニははっきりと知らなくてはいません自己主張はあり得えません
神様主張に従わなければならず、完成したアダム主張に従わなければならず
完成したがいれば、前に立てて​

神様の代身家庭真の父母代身家庭になれるように。
サタンがいなくなり、天使長がいなくなれるようにするためのものが蒙古斑同族なのです
 

 (選集489-24.2005.5.25 ガーデン安侍日訓読会 

 

これを夜の神様と昼の神様の視点から語られているのが、

 

http://blog.naver.com/34922885/90106070671(韓国語)
VI-4. 昼の神様は本体のみ言葉の実体だ。

 

夜の神様は目に見えない創造主であり、昼の神様は目に見える創造主である。
夜の神様は内的な創造主であり、昼の神様は外的な創造主だ。
​アダムとエバが完成すれば見える昼の神様となる。
アダムとエバが完成すれば見える創造主となり、外的な創造主となる。
見える創造主と外的な創造主が昼の神様である。
(297:226、1998.11.20。)

 

​夜の神様は第1創造主であり、昼の神様は第2創造主だ。
(1998.8.21。)

 

アダムとエバが本体のみ言葉を実践すれば、本体のみ言葉の実体となる。
​本体のみ言葉の実体が本体的実体である。
​本体的実体が昼の神様である。昼の神様は夜の神様の実体である。
​昼の神様は、見えない夜の神様を見える神様となるようにする。
​夜の神様は、昼の神様を通して実体があらわれる。
昼の神様と夜の神様が一体をなせば、本体的存在として天地人真の父母になる。

 

アダムとエバが完成し昼の神様になれば、神様の直接主管圏時代が開かれる。
​夜の神様は、体がなくて一人で被造世界を直接主管することができない。
​夜の神様が被造世界を直接主管するためには、アダムとエバが完成し、
昼の神様にならなければならない。
​アダムとエバが完成すれば、夜の神様はアダムとエバを直接主管される。
​また、夜の神様はアダムとエバの体を使って被造世界も直接主管される。

 

昼の神様があらわれる時、夜の神様の創造目的が完成される。
​昼の神様が神様の創造理想として願われた真の父母だ。

​真の父母の思想は創造以前から存在していた夜の神様の核心思想である。​
真の父母という言葉は、創世以前からあった。
​真の父母は夜の神様の創造構想の中で存在していた。
​夜の神様の創造の中心は真の父母の完成である。
​夜の神様は真の父母の実体圏のために万物を創造した。
(1997.8.9)

 

真の父母思想の根は、創造以前の夜の神様である。
夜の神様の創造目的はご自身が直接愛を授け受けることができる
愛の実体対象があらわれることだ。

​夜の神様の実体愛の対象が完成したアダムとエバだ。
夜の神様の実体愛の対象が真の父母だ。
​夜の神様の愛の実体対象が昼の神様である。
​昼の神様があらわれてこそ、夜の神様は実体的な愛を通して
直接喜びを感じることができる。

 

夜の神様は、創造以前から今まで昼の神様が現れるのを
首を長くして待ちわびて来られた。
​四六時中、昼の神様が現れるのを待ち焦がれて来られた。
​もしアダムとエバが完成して昼の神様になって
​「一国に現れて真の父母の位置にだけ立つことができたなら、
神様は夢にでも現れてヘリコプターで太陽を運んで、月を移してでも
​空中で喜びの稲妻を作って歓喜の雷を鳴らしたかったことだろう。」
​(平和神経、21)

 

そこで、お父様は警告されてきた。

<어머니는 천국 문전에서 남편과 하나님을 쫓아버렸어요>
어머니가 가인 아벨을 하나 만들어 가지고 에덴동산, 천국에 들어가는 문전에 서서….
남편을 쫓아버렸어요. 하나님을 쫓아버렸어요. 
이래 가지고 가인 아벨의 싸움 끝에 묶어 가지고, 
어머니가 그 모든 실패한 것을 꿰매 가지고 선생님께 바쳐야 되는 거예요.
바칠 때가 2013년 1월 6일이에요.
자료출처: 『말씀선집』 563권 154페이지 , 2007년 05월 13일 <뜻의 안착의 길>

 

<オモニは天国の門前で夫と神様を追い払ってしまいました>​
オモニがカインアベルを一つにしてエデンの園、天国に入る門前に立って...
夫を追い払ってしまいました。神様を追い払ってしまいました。
​そうしてカインアベルの戦いの後に結んで
オモニがそのすべて失敗したこと縫い合わせて先生に捧げなければならないのです。
​捧げる時が2013年1月6日なのです。
「み言葉選集」563巻154ページ、2007年05月13日<み旨の安着の道>

 

 

<참어머니 전통을 절대 받는 것이 아니예요>
훈독회 열심히 하는 챔피언이 누구예요.
제일 열심히 하는 사람이 누구예요 하나님이에요 참아버지예요 참아버지 입니다 .
참어머니도 좋아하지 않는다구요 제일 좋아하는 것은 나밖에 없어요.
그래 참어머니 전통을 절대 받는 것이 아니예요. 
참아버지 전통을 절대 받아야 된다고요. 
그래 아들딸이 누구냐 하면 참아버지의 아들딸이지 
참어머니 아들딸이 아니잖아요. 
참어머니는 관리의 어머니라구요 관리의 주인입니다. 알겠어요.
키우고 교육하는 주인이라구요.
그래서 창조의 원 조상은 아버지입니다.
『말씀선집』 303권 350-351

 

<真の母の伝統を​絶対に受けるのではありません>​
訓読会を熱心にするチャンピオンは誰ですか。
​一番熱心にする人が誰ですか?神様です。真の父です。真の父です。
真の母も好きではないのです。
一番好きなことは自分しかありません。
そうです。真の母の伝統を絶対に受けるのではありません。

​真の父の伝統を絶対受けなければならないのです。

そうです。息子、娘が誰なのかといえば、真の父の息子、娘であって、

​真の母の息子、娘ではないのです。

​真の母は、管理の母です。管理の主人です。わかりますか?

育てて教育する主人なのです。

ゆえに創造の源、祖先は父なのです。

​「み言葉選集」303巻350-351

 

神観に直結するのが原理本体論の引用箇所である。

独生女問題にとどめを刺す表現であったらと残念で仕方がない。

だが、家庭連合が原理本体論教育をやめたことは、この表現でも十分に無原罪独生女神学にとって危険だと判断しているからであろう。

 

神様の前には私しかいない。独生女も必要ない
私は神様の愛を全部独り占めした独生子だ。」と
主張するような陶鋳(教祖)がいれば、

その人は陶鋳(教祖)の中でも王陶鋳(教祖)です。

 
 1971年1月8日(金)議政府(ウィジョンブ)教会
人生の行く道 -全国巡回集会 議政府地区で語られたみ言葉ー
み言葉選集38巻P256
 
(*도주 / 陶鋳 : 陶工(とうこう)が陶器を作り、鍛工(たんこう)が金属を溶かして注ぎ器を作るという意味で、人材を養成することを言う。)

漢字がわからず、『道主』にしていましたが、夫に聞いたら、『陶鑄』で、人材を養成する、または人材という意味で使うそうです。陶鋳だと日本語では全く意味が違うので意訳して『教祖』とします。)

 

もう一つだけ原理本体論のこの部分も考えてみよう。

 

神様は男性格主体なので、女性を先惟し、男性をつくりました。女性を先惟したという話は、その女性に合うように男性をつくったという話です。神様はエバのものが凹だという事実を先に知っていらっしゃったので、凹に合うようにアダムを凸としてつくったのです。アダムの凸は、父なる神様の凸に似たのです。」

ここで重要なことは、お父様が夜の神様に属する者だとおっしゃったように、真のアダムはそのような存在であり、だからこそ神の実体である。

神とアダムは同じなので、考える必要がない。

言い換えると、神様とエバの結婚なのだ。

だから、エバを先惟したのである。

ご自分のことはよくわかっておられるので、

アダムの形状の構想は容易であったと思われる。

 

そして、この神とエバとの結婚を具体的にどのようにしてなされるはずであったかをお父様が語られたのが、

<原理原本 原文>

 

원리원본-제2편 창조원리와 타락섭리 - 제1장③

原理原本 - 第2編 創造原理と堕落摂理 - 第1章③

 

제2절 그렇다면 타락의 시작을 알아보자.

第2節 それでは堕落の始めを調べてみよう。​

 

아담 해와가 범죄 하고보니 본래 아담 해와에게 주입하여준

하나님의 근본 자체인 터 즉 생심을 중심하고 장성하여

하나님이 임제할 수있는 터 자체 즉 아담의 영인체는

악을 범한 자체의 몸에 있을 수 없으므로 하나님이 거두심이었다.

 

アダムとエバが罪を犯したので、本来、アダムとエバに注入してあげた
神の根本それ自体であるところ、すなわち『生心』を中心として成長して
神が臨在できるところ、すなわち、『アダムの霊人体』は
悪を犯したその体にいることができないので、神が取り上げられた。

 

 

그런고로 법죄 하기 전에 영인체 자체가 하나님 우편에 계시었다가

제2 아담 격으로 보내심을 받은 그 분이 즉 독생자 예수였다.

독생자라는 명사도 여기에 명백하게 되는 바이다.

죄를 짖기 전 아담의 영이 예수의 영에 주임 받아 오심이 근본 목적이었다.

 

それゆえに、犯を犯す前に、霊人体自体が神の右側におられたが
第二アダム格として送られたその方が、すなわち、独生子イエスであった。
独生子​という名詞もここに明らかにされるものである。
罪を犯す前のアダムの霊がイエスの霊に注入されて来られることが根本目的であった

 

그런고로 예수는 죄를 짖기 전 아담의 완전 성숙한 존재로 나타나서

복음을 시작하심은 무슨 목적이냐 하면

잃어버린 자녀들을 찾아 옮겨 놓고자 함이 근본 목저이다.

 

 

それゆえに、イエスは罪を犯す前のアダムの完全成熟した存在として現れ
福音を伝え始められたのは何が目的かというと
失われた子女たちを探し、移しておこうとすることが根本目的である。

 

그런고로 오날 인간은 원수의 몸에서 구속받고

참부모를 잃어버리고 사니

그 양심적 고통은 이 사실을 알려주는 간접적 자극이다.

 

それゆえに、今日、人間は恩讐の体に拘束され

​真の父母を失って生きているので
その良心の苦痛とは、この事実を知らしめるための間接的な刺激なのである。

 

그런고로 우리는 예수의 품으로 올겨 놓아

하나님을 근본 아버지로 직계혈통 관계를 맺지 않으면 안될 중대 책임이 남아 있다.

이것이 예수님이 오셔서 성사를 완성지 못하였기에

재림의 요구가 되게 되었다.

 

それゆえに、私たちはイエスの懐に移されて
神を根本の父として直系血統の関係を結ばなければならない重大責任が残っている。

エスが来られたが、これを完遂できなかったがために
再臨の要求がされるようになった。

 

「アダムの霊人体」や「アダムの霊」が神の霊そのものであろう。

以上の御言葉は表記がないものはすべてシャボン玉さんのブログからの引用である。

彼?彼女?はピンポイントで御言葉の最重要箇所を選び出して、翻訳する稀有の才能に恵まれている方である。

ぜひ今までに紹介されている御言葉を項目別に整理されて、小冊子なり本なりにしていただければ幸いである。

個人的には、中和新聞やかってのファミリーに代わる情報誌の編集長として活躍してほしいといつも思っている。

心から感謝したい。

 

さて、わたしは以前にこのブログで、神様には男性生殖器しかないと言ってきた。

神様がエバを先惟し(先に考え)たのは、神様には男性生殖原器しかなかったからである だから天の父である - 原理講論を読む

 

原理本体論にはそのようには書いてはいない。

素直に考えれば、原理講論にある本陽性は神の男性生殖器であり、本陰性は神の女性生殖器のことと誰もが思うことと考える。

それらの生殖器官ではそれぞれ精子卵子がつくられると。

 

わたしと似たような見解をされているのが、国進様である。

 

質問:原理本体論の中で「神様は二つの生殖器を持っている」という表現があります。
國進様: お父様は天聖経の中で明確に神様は父であると言われています。神様は圧倒的、究極的な主体の存在であり、ご自身を圧倒的に主体的、あるいは男性的なものとして表され、示されています。神様には女性的な性質もありますが、それはより小さな性質であって主要な性質ではありません。
神様が被造物と究極の対象的相対である女性を創造されたとき、女性は、女性器を持った圧倒的に女性的な、つまり対象的なものとして現わされました。ですから神様は、二つの性質を持ちますが、圧倒的に男性的な父として表されるのです。

 

質問者:それは両方の生殖器を持っているという表現でよろしいのでしょうか。
國進様: 私達の立場は、基本的に天聖経に基づく解釈であり、お父様の解釈というのは、神様は男性的主体であります。それが答えだと思います。男性的主体はペニスを持っています。もっとはっきり言って欲しいですか(笑)。

 

質問者:女性の生殖器を持っている神様というのはあまりふさわしくないように思いますが、どうでしょうか。
國進様: 私たちの立場ははっきりしています。お父様が生涯で残された原典に手を出したり編集したりしないということです。それで、皆さんは素晴らしい知性を持った神学者ですので好きなだけ自由に討論してください。しかし、教えは非常に明確ですので、私たちは天聖経の教えを忠実に守るということです。神様は男性的主体です。

 

国進様:2016年10月31日の質疑応答より
 
 

 

 

さて、お父様の御言葉では、神様の生殖器について例えばどのように語られているかというと、 

その凸凹は誰の凸凹ですか?神様は男性格ですか、女性格ですか?(「男性格です」)神様が男性格であれば生殖器がありますか、ありませんか?(笑)前には男性生殖器、後ろには女性生殖器がついていると考えなければならないというのです。振り向いてもこれも生殖器であり、振り返ってもこれも生殖器なので、男性と女性に分けて出てきたため凹凸が必要というのである!わかったの、わからないの!(「わかりました!)
 
그 오목 볼록이 누구의 오목 볼록이에요? 하나님이 남성격이에요, 여성격이에요?「남성격입니다.」하나님이 남성격이면 생식기가 있겠어요, 없겠어요? (웃음) 앞에는 남자 생식기, 뒤에는 여자 생식기가 달려 있다고 생각해야 된다구요. 돌아서면 이것도 생식기고 돌아서면 이것도 생식기이니, 남자 여자로 갈라놨기 때문에 오목 볼록이 필요하더라! 알싸, 모를싸!「알싸!」
(「文鮮明先生御言選集」306巻より)

 

男性器は目立つが女性器は隠れている。
そのような形状的様相のように、神様に男性生殖器と女性生殖器があったとしても、
男性生殖器の性禀の方が圧倒的だという表現が、男性格主体ということであろう。
男性の体には出っ張っているところもあるがへこんでいるところもある。
性質も男らしいところもあれば、そうでないところもないわけではない。
しかし、総じて男性的である。
つまり、神様は女性生殖器は持ってはいるが目立たず、男性生殖器が圧倒的に目立った存在であるということであろうか。
 
神様の性相は、男性格である父なる神様と女性格である母なる神様から成っています。ですから神様から造られた人間と被造世界が、男性と女性の二性の神様でもあります。
 
罪と蕩減復帰  第2章 罪、人間堕落の内的意味 
1)換父易祖(注:父が換わり、先祖が替わったこと)がすなわち堕落
 
被造世界に二性が現れてきたのだから、その原因の神自体内においても、二性が現れる原因となる要素があったと考えられるということであり、原理講論の記述に近い。
 
 男性の特権は何かというと、(男性)生殖器をもったということです。皆さんは、生殖器をもっているでしょう?どのような生殖器ですか。神様と同じ生殖器、真のお父様と同じ生殖器です。いい加減には使いません。主人を知らない、そのような生殖器になってはいけません。女性も同じです。神様と同じそのような生殖器を持ちました。それが今から伝統です。ほかの教育はあとからいくらでも補充することができますが、これは結婚する前に教えなければなりません。家庭教育がどれほど重要かということを知らなければなりません。(263−125,1994、8、21)
文鮮明先生の教育哲学 P185~186

 

この御言葉は素朴に読めば、神様が男性と女性の生殖器をお持ちのように読まれる方が多いかと思う。
だが、「男性の特権」とある。
男性だけが持つ特権がなにかと言えば、「神様と同じ生殖器、真のお父様と同じ生殖器です。」
言い換えれば、女性にはないだけではなく、特権が神様と同じ真の父と同じく男性の生殖器を持っていることだというのである。
 
だからいい加減には使えないし、主人を知らない生殖器になってはならず、女性の生殖器も同様にいい加減には使えない、神様と同じく振る舞うそのような生殖器を持ったとした。
そこでそのような家庭教育が重要だと展開している。
 
つまり、「神様と同じ」という意味が男性と女性では、ここでは違って使われているように思われるのである。
男性は神様と同じ生殖器を持ち、女性の方は神様と同じようにいい加減に使うことが出来ない主人のある生殖器という違いである。
 

いずれにせよ、もっとも重要なことは、国進様がおっしゃられたように、

 

 お父様は天聖経の中で明確に神様は父であると言われています。神様は圧倒的、究極的な主体の存在であり、ご自身を圧倒的に主体的、あるいは男性的なものとして表され、示されています。神様には女性的な性質もありますが、それはより小さな性質であって主要な性質ではありません。
神様が被造物と究極の対象的相対である女性を創造されたとき、女性は、女性器を持った圧倒的に女性的な、つまり対象的なものとして現わされました。ですから神様は、二つの性質を持ちますが、圧倒的に男性的な父として表されるのです。
 

 

個人的にはそれに続いてお話されているように神様は男性生殖器を持つという意見
 私達の立場は、基本的に天聖経に基づく解釈であり、お父様の解釈というのは、神様は男性的主体であります。それが答えだと思います。男性的主体はペニスを持っています

 に賛成である。

 
神様に女性生殖器があったとすれば、なぜルーシェルは、神の子供ではなく弟なのかが分からない。あたかもiPS細胞を自分の細胞から培養して育てゆくようになイメージのように、男女の交わりによって生まれたのではなかったので、自分の第二に分身、つまり弟なのではなかろうか?
神様に両方の生殖器があったなら、少なくとも無形実体世界では繁殖できたのではなかろうか?
 
神が性相的男性格主体であるように、アダムに似せて造られた世界が、無形実体世界であり、エバに似せて造られたのが有形実体世界である。
エデンには5人の男性がいたと言われている。
すなわち、神、アダム、ミカエル、ガブリエル、ルーシェル。
神様が女性と言われることはない。
 
神様はご自分の男性器を反転させた対極にある対概念の女性器を構想された。
ご自分には厳密に言う女性生殖器はないが、それができる要素としての本陰性はあった。この女性生殖器になることができる可能態としての本陰性のことをお父様は女性生殖器として語っているのではないかと思われる。
 
言葉の表現より、言葉を言わせたものが大切である。
同性愛者の男性は自分の生殖器を切り取り、それから女性生殖器を創って性転換することが知られている。
神様はご自分の中に存在する女性生殖器の可能態としての本陰性を、ご自分の内にではなく外に展開され、実体的にはエバの生殖器として、また象徴的には被造世界として表現された。
これをサタンはサタン的な方法、すなわち同性愛者自身の外にではなく、自身内に女性生殖器を創ったのが性転換手術だと言えよう。
 
神様に女性生殖器があったとすれば、霊的には天使を生むことが出来たはずである。
なぜ霊的神の子が無形実体世界にいないのだろうか?
生殖器とは自分の分身を繁殖する機能を持った器官のことである。
繁殖できない器官のことを生殖器とは呼ばない。
もし繁殖できないのならば、その生殖器が正常でないからである。
 
 
 きりがないのでこの辺で筆を置きたいと思う。
だらだらとした文章構成にお付き合い下さりかたじけない。
亨進様は劉先生が戻ってこられても、先に来た者の上位ではなく下位になると言われた。
だが、わたしは原理本体論の内容をお父様の御心に叶うように実施して責任を果たしてくださったら、3000双の上席に心からお迎えしたいと思う。
おそらくお父様はお喜びになられることだろう。
 
お父様の語られた神様が二つの生殖器をもっているという御言葉をできるだけ紹介していただき、食口がみ言葉の真意と御心を相続できますことを。
 
 

 私が、劉正玉が講義したものを全て聞いた。修正するところがない。他の人が手を入れると天理が変更されてしまう。

 

今、統一教を教育する最後の責任を持って教育するのは劉正玉しかない。私がそのように育てて来た。誰も知らない中で。

 

実体論。本体論教育ができる人がいるということがどれほど尊いことか。一人しかいない。劉正玉、簡単なことだ。凹凸の実体を暴いて教育する。

 


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