原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

自由と責任の文化が芽生え始めている

現実的に江利川会長を支えて江利川会長に反対しない人と、何かを会長に言われても本心の願うままに進んで行こうとする人たち、その両方が揃わないと摂理がうまく進まないのではないかと思います。

 

これは最近ある食口が語ったという言葉ですが、まさに我が意を得たりといったところです。まあ、わたしの考えが先に話されてから、それについて語られた話ではないのですが。

 

つまり、家庭連合のようにイエスマンだけではだめだということでしょう。

わたしたちは誰もがお父様のようにすべてお見通しというわけではありません。

必ず盲点があります。

 

会長は責任心情純度100%の方です。

会長にとっては責任を果たすことが自由なんです。

それは会長の強みですが、盲点でもあります。

 

思えばサイバーを立ち上げた方たちには、会長に反発した人がいました。

自由に力点を置く人たちでした。

そこでサイバーの存在意義があると考えられてきました。

しかし、会長は家庭連合の勝利的伝統の責任心情を実践しましたが、

サイバーの方は志半ばで自滅してしまいました。

車の両輪ののような相補的関係を築く前に挫折しました。

 

ではこれからどうなることかと思っていると、トランプの支援運動が起こりました。

そこでは自由、つまり主体的意思による判断と行動の選択がなされてきました。

サイバーで出来なかったことが一つの組織内で機能し始めました。

自由と責任の文化が実質的に動き始めたとわたしは理解しています。

 

勿論試行錯誤が必要ですから、軋轢や的外れな行動もある程度あることでしょう。

ですが、そのほうが健全なのではないかと考えます。

 

相対者は帰ってきてから祈りがすうっと天に届くようになったといいます。

抵抗がなくなったと。

わたしは帰ってから穏やかな気持ちが続いています。

冗談を言っている以外は笑顔が出ない方ですが、

なんとなく自然に笑顔が出てきているような気がしています。

 

儀式の式次第に王様のサインを頂き、王様と王妃様に太后様まで一緒に並んで記念写真を参加家庭すべてにしていただきましたことを、あらためて写真を見て思うには、恩恵が本当に大きいことを実感します。

 

今後の発展が楽しみですね。

 

 儀式参加者の件ですが、480というのは席の数のようです。

実際には600人ほどだったといいます。

日本は64人だとか。

個人的には失敗だったと思いますが、

1/10が全体を表すと捉える方もおられるかと思います。

どうであれ前進あるのみですね。

 

 


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