原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

お父様が御命じになったことの意義は後でわかることがある 父が願いを言葉にされる前にやらせてくださいと言える食口でありたい

一体こんなことをするのが、み旨となんの関わりがあるのだろうか?

ほとんど何も説明されず、誰も知らないところで、もくもくと魚をさばき続けて

苦労のどん底の女性たちは、八定式を迎えることになった。

 

また、年末には毎年たいへん大きなプレゼントを天から頂いて

全国は一斉に走ってきた。

神の日を迎えるために、また、新しい年をすんなり迎えることができるように

前年のうちにすべての負債を拭い去る儀式であるかのようだった。

 

まっさらな、まっさらな年を神様とともに迎えるためであった。

 

お父様に命じられて400人集うことと、

お父様には命じられずとも400人が集うことと、

どちらが天により大きな喜びをもたらすであろうか?

サタンを封じ込めなければならない。

 

お父様にこれだけの数の者を集めなさいと言われなくとも、

亨進様にこれだけの数の者を揃えなさいと言われなくとも、

誰に言われるわけでもないにも関わらず、

一片丹心のやむにやまれぬ心情を供えるために

何が何でもこの儀式の祭壇に、

どうしても自分が立たないわけにはゆかないという

ひとすじの祈りがわれわれには確かにある。

父が与えてくださった自由と責任の矜持がある。

 

南北の統一にせよ、ノア時の家族の心情統一にせよ、

三大王権との一体化にせよ大切なことは一つであろう。

七年の艱難の折り返し地点を迎え、外的環境は一層暴虐に満ち、

サンクチュアリ自体も多くの試練が待ち構えているだろう。

我々を取り囲む艱難辛苦がいかに強大に見えようとも、

我々は父だけを見る。

我々は常に父の御座にあり、また臨在される父に従う。

この時、天運は外界の現象の凄まじさにも関わらず、

我らを完全に抱擁するだろう。

 

父は、常にサタンより先に、サタンより先に行動してこられた。

父の思想に先送りはなく、常に前倒しだけがあった。

我々は何度も父の実践を見せられて教育されてきた。

再臨主文鮮明先生はこう言われた。

 

先生は統一をいかにするか心配せず、

蕩減条件をいかに立てるかを心配してきた。

 

天一国の勝敗は、神とサタンの条件の奪い合いであり、

神側が如何に天的な条件をサタンに先行して立てることができるかに

かかっているというのです。

神の復帰摂理6000年の決算に計上されなければならない。

サタンに先行して神側が神が喜び得る天的な条件が期待されているというのです。

前半戦はしてやられたが、後半戦はそうは行かないとサタンに思い知らせなければなりません。

我々には、万軍の主がおられるのだということを。

その名は文鮮明先生だということを。

サタンに思い知らせなければならないというのです。

 

これは我が統一組織の正統な伝統だというのです。

今日、神が私の知らない先輩食口が後輩にしたためた文章を見せてくださった。

 

父母様は謂われる

「私を見つめて歩けば、道を反れることはない。私はあなたの望む真理であり、あなたの歩く道だから」

遠く離れた祖国を憧れ慕う心のない人がどんな顔で祖国の土を踏めようか

祖国へ帰るための試練の苦しみこそ、祈りを続ける助けとなる

艱難を知らない祈りは祈りではない

 

為 森雅宇兄

       十字軍三十四団団長 田代紘髙

1973.9.10

 

天一国の興廃ここにあり!

 


にほんブログ村

 応援して下さる方は上のロゴをクリックして下さい。