1,対象格位の天使長が堕落して主体に立ち、主体格位のエバを主管性転倒
2,エバに主管されてアダムが堕落した、主体格位のアダムを復帰
3,対象格位のエバが堕落して主体に立ち、主体格位のアダムを主管性転倒
金日成の主体思想は1に見られるような、いわば四大主体思想である。
① 思想的主体(自立)
② 政治的主体(自立)
③ 経済的主体(自立)
④ 国防的主体(自衛)
金日成の言う「主体」
朝鮮労働党および北朝鮮の指導指針とされる思想。マルクス・レーニン主義を朝鮮の現実に適用したものとされ,1966年以降,
キム・イルソン (金日成) により唱えられた。「主体」とはキム・イルソンによれば「自国の革命と建設に対して主人らしい態度をとる」人間中心の考え方で,政治の自主,経済の自立,国防の自衛が強調された。一方で人間が主体的に生きるためには首領の懸命な指導が必要とされ,キム・イルソン個人崇拝とキム・ジョンイル (金正日) 後継体制を正当化するためのイデオロギー的基盤となっている。ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 より
「主体思想とは一言で言って革命と建設の主人公は人民大衆であり革命と建設を推進する力も人民大衆にあるという思想であります。」(『主体思想について』517ページ 1977年版 注を参照)
金日成のもとで主体思想の体系化をして、1997年2月に韓国に亡命した黄長燁による要約
「このときの金日成の主体思想を一言で要約するなら、大国を無条件に崇拜し、自国を見下す事大主義と、大国のものを機械的に模倣する教条主義に反対しながら、具体的な実情に合わせてマルクス・レーニン主義を創造的に適用することを要求することだといえる」(『金正日への宣戦布告』156ページ 文藝春秋社 注を参照)
この「事大主義」と「教条主義」に立ち向かうための「主体性」の重視という観点が他のマルクス主義やレーニン主義などにはない独自の性格である。
「周知のように、わが国は大国の間に位置しています。中国とロシアは世界的にも大国であり日本もわが国よりも大きい国であります。
この国々は一時、わが国に自分たちの勢力を浸透させようとしました。朝鮮の腐敗した封建統治者たちは、卑屈にも大国に服従し媚び諂い他国の力に依存して自己の統治を維持しようとしました。ある者は清國を奉ろうとしたし、ある者はロシアや日本の勢力を引き入れようとしました。両班統治輩たちが、このように主体のない行動をしたので、国が滅びるしかありませんでした。」(『主体思想について』248ページ 注を参照)
主体(チュチェ)
① 物体の主要な部分。
② 事物現象に対する認識、判断とあらゆる活動における自身の使命や実情に合うように主見を持つ思想的観点や活動態度
根本においては、唯物共産主義思想をバックボーンにした人間観から出発した「主体」および「主体性」ですが、目標としているところは似ていますね。
これに対して、文再臨主鮮明師の「三大主体思想」は神観から出発し、根本は神の愛でした。
再臨主文鮮明師の言う「主体」と「主体性」
「三大主体思想の根は真の愛」
皆さんがすべて真なる父母になるべきであり、真なる師になるべきであり、真なる主人になるべきです。これが「三大主体思想」です。この「三大主体思想」の根とは何でしょうか。真の愛です。この真の愛とは何かというと、自分の100パーセント以上を投入し、また投入し、また投入しようということです。そのような思想をもった父母であり、師であり、主人であるということを知るべきです。根は一つです。
天聖経
「三大主体思想」の根本は真の愛であるという。
「真の愛」とは完全投入するのことであり、「主体性」とは愛の完全投入である。
日本ではあまり聞かない言葉だが、韓国には「君師父一体」という言葉があり、
「君師父一体」
真の父母と、真の師と、真の主人が「三大主体思想」の骨子です。この「三大主体思想」をもって、世界の優れた人たちまでも、先生の前にひざまずいて「指導してください」と言うようになっているのです。「自分が主人だ」と言っていた世界の政治家たち、この偽物の主人たちが先生と全部因縁づけられています。その「三大主体思想」とは、先生について言う言葉です。
天聖経
世界の人々は偽物の主人に支配されていた奴隷でした。
偽物の主人たちには、勿論真の愛などありませんでした。
北朝鮮の出版物には首領独裁制の正当性を以下のように記している。
「独裁とは、主権者一人で国のすべての権力を自分の思いどおりにすることであり、自主的主体である人民大衆と、人民大衆を自主的存在にした首領の間に当てはめるものではない。首領は人民大衆の本性である自主性の体現者であるから、首領と人民大衆は完全に一致する。首領すなわち人民大衆である。人民大衆が人民大衆に独裁を行使しても独裁ではない。また首領に対する絶対的な信頼と忠誠は個人崇拝ではない。首領は即大衆であるから崇拝という言葉を使うとしたらそれは大衆崇拝である」(注を参照)
解説の必要が無いほどの詭弁である。
では首領独裁制に代わる本然の存在は何か?
これこそ真の父母である。
「三大主体思想の中心思想は真の父母思想」
「三大主体思想」の中心思想は、真の父母思想です。ここに、なぜ真の父母が中心になるのでしょうか。垂直を 通じた縦的基準は、一つしかないのです。真の愛の垂直は一つであるために真の父母と縦的な神様の決着点をもった家庭が代理基盤になるのです。
それゆえ、父母の思想を模範として、父母の愛を模範としてまねた主権者は、天国の環境的与件を指向するようになりますが、ここにはサタンが侵犯できないのです。悪魔の愛の圏の内容をもって侵犯できないために、解放圏が繰り広げられることによって、地上に天国が形成されるのです。天聖経
真のアダムこそが実体の神様でした。
アダムが堕落してしまったので、
後のアダムとしてイエス様が来られたが殺されたので
第三のアダムとして再臨主文鮮明師が降臨された。
「父母主義とは」
イエス様は男性ですか、女性ですか。男性です。神様の愛と、神様の生命と、神様の血統を受け継いだ男性が、彼に対することができる一人の女性に会って初めて赤ん坊を生んだとすれば、それこそ神様を中心とした新しい 直系の子女が、この地上に生まれただろうというのです。
そうであれば、今日キリスト教とか、ローマ教皇庁は必要ないのです。イエス様の直系の息子、娘が出てくることによって、この地上に初めて一つの王権が始まり、一つの世界になっただろうというのです。
その王権というものは、全世界に対する王権ではありません。一家庭からの王権です。家庭から始まって、家庭の王、氏族の王、国家の王、世界の王、天宙の王、このようになるのです。そうなっていれば、今キリスト教の牧師たちは必要ないでしょう。
長老派とかメソジスト派とかいう教派は必要ありません。ローマ教皇庁は必要ありません。民主主義が必要ありません。民主主義というのは兄弟主義 です、兄弟主義。ですから戦うのです。兄弟同士互いに戦うのです。こうして兄弟主義が父母主義に帰り、父母主義 が神主義に帰らなければならないのです。
では、父母主義とは何でしょうか。 地上において、アダム、エバが完成すべき真の父母主義です。その次に、神主義とは何ですか。真の父母が横的な父母なので、縦的な父母も必要なのです。それゆえ、縦的な父母主義が「神主義」です。ですから、「頭翼思想」という言葉は、真の父母主義であり、縦的な「神主義」、このようになるのです。横的真の父母主義と縦的「神主義」の縦横が一つになって、天の生命、地の生命、天の愛、地の愛、天の血統、地の血統がつながって人間が生まれるために、人間は二重存在になっているのです。内的人と、外的人とになっています。内的人は縦的な自分であり、外的な人は横的な自分だというのです。実になるのです。民主主義とは、どのような主義ですか。これは兄弟主義です。兄弟が多いから、その多い兄弟の中で、誰が父母の愛をよりたくさん受けるかということが、いつも家庭で問題になるのです。 父と母がいれば、あの息子はお母さんに似た、あの息子はお父さんに似たといって、自分に似た息子、娘を中心として、お母さんの組とお父さんの組が生まれるのです。愛を中心として、このような形態が起こるのです。
それで、第二次大戦後に、戦勝国が 敗戦国を独立させる現象が起こったのです。これは、世界が兄弟主義圏内に入ってくるということを意味します。 神様側の主義が現れるための一番近い距離に行けば、お一人の神様の前に二人の兄弟が戦うのです。
歴史の終末時代において、統一的基盤であるアメリカのキリスト教文化圏を中心としてアメリカが主体になり、それに加えた世の中を全部審判してしまうのではなく、敗戦国を独立させたという事実は、神様のみ旨の中で、捨てられた息子、娘、放湯息子を収拾し得る、天の摂理時代に入ってきたということを意味します。それゆえ、民主主義というものは、兄弟主義です。この兄弟主義が終わったのちは、父母主義が来て、父母主義が来てこそ統一が展開されるのです。摂理史がそうです。天聖経
王権はキリストに始まりキリストに終わるものではない。
万民はキリストの奴隷ではないからである。
「首領すなわち人民大衆である。」ではなく、
「人民大衆すなわち王である」と言わねばならない。
「その王権というものは、全世界に対する王権ではありません。一家庭からの王権です。家庭から始まって、家庭の王、氏族の王、国家の王、世界の王、天宙の王、このようになるのです。」
国民一人一位が神の愛によって真の家庭を築き、家庭の王になるというのです。
ですから、皆様は王冠をかぶらなければならないというのです。
注)注を参照は「北朝鮮その世襲的個人崇拝思想」朴 斗鎮著より引用
1,アダムのみ言葉ではなくエバのお言葉が主体
エバは神のみ言葉を疑い偽の御言葉を信じたように、
韓鶴子オモニも実体の神様である再臨主文鮮明師のみ言葉を不信し、
誰も手を触れてはならないと言われていた八大教材を削除改竄し、
独生子より独生女を上位にする神学の変更を企てた。
2,男性上位祝福から女性上位祝福に主体性逆転
エバはアダムにまたがり女性上位で血縁関係を結んで罪の子女を繁殖したように、
韓鶴子オモニも再臨主文鮮明師を対象格位に落とし、女性上位で祝福血縁を結んで罪の子女を繁殖
3,無原罪の時期から独生子より独生女が主体
イエス様にあってから原罪を精算した独生子より生まれたときからの独生女が主体
キリスト教2000年の歴史は男性の独生子ではなく、女性の独生女を待ち望んだ歴史であるとした。
お父様のみ言葉も証も一切語らないお母様。
お父様ではなくお母様によって為される倒錯祝福。
お父様ではなくお母様だけが生まれたときから無原罪独生女。
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