原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

中林美恵子の三権分立の説明によって、なぜ派閥利権政治が続き、どうすればこれを破壊できるかがわかる

三権分立という言葉は誰でも知っている。

この言葉の意味を尋ねられたら、上手に答えることだろう。

だが、頭のなかで理解しているのと、実際行動に即してそれを理解しているのとでは、まったく違うのである。

中林美恵子氏はそのことを我々に実に平易に教えてくれる。

彼女の最近の著書「トランプ大統領とアメリカ議会」から、

<権力の分散と共有>のところを引用してみよう。

 

 アメリカの大統領は、外から見ると強大な権限を独り占めしているように見える。たしかに、軍隊の最高司令官として決定的な力をもつし、外交政策や安全保障政策では世界に対して絶大な影響力をもっている。しかしながら、権力の独り占めがあるはずもなく、実際には大統領の権限はいろいろな角度から制限がかっている。それはアメリカ国外のわれわれが信じている以上に厳しい制限である。そうした制限の理由は明快で、アメリカ合衆国憲法が国の統治機構について定めたとき、権限を行政、立法、司法の三つに分けてそれらを並立させたからである。

 1787年にフィラデルフィア憲法制定会議で議論されたアメリカ合衆国憲法は、国家権力を行政府、立法府、および司法府の三つの機関に分立させ、これを統治機構の基本とした。憲法起草に関わった建国の父らは、モンテスキューの1748年の著書『法の精神』(三権が統一されたところに自由はないと主張)を参考にして、まずは専制政治を大きく警戒することからスタートしたのである。ただし、この三つの機関は分立してはいるものの、互いに依存しあう。この依存そのものが、チェック・アンド・バランスとして機能するのである。責任と役割が一カ所で完結せずに分散されているがゆえに、依存と共生が不可欠となり、そのことによって専制政治の実現が不可能になっているともいえる。

 こうしたチェック・アンド・バランスの機能を遂行するための原則は、アメリカでは人材の共有を行わないということに象徴されている。これは議院内閣制の日本やイギリスと大きく違うコンセプトである。行政府の人間になるためには立法府に所属してはならない。例えば1992年に副大統領に選出されたアル・ゴア上院議員は議員を辞職した。2008年に大統領に選出されたバラク・オバマ上院議員も、また国務長官に指名されたヒラリー・クリントン上院議員も議員を辞職して、行政府の職に就いた。議席を保持したまま行政府で働くことができないことによって、より透明性を持った三権の権限分散が履行できるのである。実際に統治機構上、三権を成すそれぞれの機関には、それぞれの別の権力を制御するうえでの実質的な権限が備わっている。したがって、同一人物が別の機関にまたがって権限を行使することは事実上不可能なのである。

 このように分立した三つの機関の役割が、他の機関の権限をチェックすることになっている事実は、アメリカの大統領の権限そのものが、パラドックス(矛盾、ジレンマ。正しそうに見える前提や妥当に見える推論を行ったら、受け入れがたい結論が出ること)の側面を含有していることを意味する。大統領は、その権限の大きさと同時に弱さも併せもっているのだ。

 トランプ大統領も、自身が持つ形式上の絶大な権力と同時に、この権力を行使するに当たって大きな限界や制限を抱えている。大統領として就任するなり、これを実感する日々を送っていることは間違いない。大統領として実績を残すためには、連邦公務員をうまく使いこなし、世論形成をしながら議会と協力せねばならず、そのために必要なのは、効率的な行政手腕、コミュニケーション能力、説得力、そしてファシリテーター(進行係)力、およびリーダーシップである。

 

トランプ大統領とアメリカ議会

トランプ大統領とアメリカ議会

 

 

 チェック・アンド・バランスの機能を遂行するための原則は、アメリカでは人材の共有を行わないということに象徴されている。これは議院内閣制の日本やイギリスと大きく違うコンセプトである。行政府の人間になるためには立法府に所属してはならない。

 

この文章を読んでいたら派閥力学のことが思い出された。

そして、大臣のことが浮かんできた。

派閥を形成し、またそこに参加するということには、議員にとって様々なメリットが有ることだろう。

だが、究極的には何かと考えれば、政権の何らかの役職に就くということではないか。

平社員から役付きにになるということ。

その代表的な役職が大臣であろう。

周知のことだが、派閥側から無言有言で、数にせよ、どの大臣にせよ大臣枠を要望し、

総理がそれに感じて指名することに寄って派閥の強力を得ることが容易になるという仕組みがあった。

以下のサイトには安倍政権の大臣人事がどのように派閥間で分けられて均衡を保ったかが窺い知れる。民主党でも同じことではあるが。

安倍内閣改造の予想2017!第4次安倍内閣の組閣人事は如何に?8月上旬か? – Hide Diary 

 

例えば1992年に副大統領に選出されたアル・ゴア上院議員は議員を辞職した。2008年に大統領に選出されたバラク・オバマ上院議員も、また国務長官に指名されたヒラリー・クリントン上院議員も議員を辞職して、行政府の職に就いた。議席を保持したまま行政府で働くことができないことによって、より透明性を持った三権の権限分散が履行できるのである。実際に統治機構上、三権を成すそれぞれの機関には、それぞれの別の権力を制御するうえでの実質的な権限が備わっている。したがって、同一人物が別の機関にまたがって権限を行使することは事実上不可能なのである。

 

この文章によって、わが国では立法府議席を保持したまま行政府の大臣に就任してきたことに驚かされる。

蓮舫議員の二重国籍問題が取り沙汰されているが、こちらの問題も重要な検討事項ではなかろうか?

 

1,大臣になってはならない準備不足の者がどうしたら就任しないようにできるのか?

大臣になったら議席を辞職しなければならなくなれば、議員には覚悟が問われるだろう。

 

2,大臣になるべき能力や準備ができている者がどうしたら大臣になることができるのか?

従来のように基本的には大臣が議員から選ばれるという前提が、三権分立の確保のために優先されなくなれば、民間からの優秀な人材を選出しやすくなるだろう。

企業や機関で優秀な方が一から選挙で議員になり、何年生で評価され、やっとこさ大臣に為れそうな時期に来るという煩わしさを通過せずに、民間から直接に大臣になれるようなら、国家のために貢献したいと考える人材が現れやすくなることだろう。

 

3,学習や支援や情報の交換機能としての派閥は残っても、大臣要性と政権協力のバーター機能の破壊ができるか?

戦国の武将は、功績に応じて戦利品の土地を下臣に分け与えて結束を固めた。

現代の総理は、選挙の功績すなわち人員規模に応じて派閥に大臣を分配し協力体制を整えた。

 

法の精神たる「三権分立」を大義に牽制できる可能性ができる。

論議論が必要となる。

 

議員を前提に大臣は決めるというパラダイムから

議員以外を前提に大臣を決めるというパラダイムにシフトさせることができるという

原理的根拠が三権分立にあるとは、思いもしなかった。

つまり非議員あるいは辞職議員ということになる。

 

国益とは関係がなく、あの人も何期生だから、そろそろ大臣の順番が回ってきているので、何とかしてポストを用意しようなどという、くだらない大臣の選出はもう金輪際止めてほしいものだ。

国民はみんなそう思うだろう。

 

義理人情の腐れ縁を断ち切るのは、

法の秩序による正義が一番であろう。

 

中林美恵子氏。

この方は実に引き出しが多く見える。

外交も分かる。

軍事も分かる。

国家財政や予算にも強く、どうすれば日本の財務省が向上するか実務的に指導ができる。

大学教授であるので教育、すなわち文部省でも活躍しそうな気がする。

論理的思考で理路整然と語り、膨大なデータを調査して意味をつかめる。

そして、櫻井よしこのような品格もある。

交渉力もありそうだ。

オーストラリアのABCニュース番組の動画がある。

日本のテレビでは日本の文化に合わせて温和な印象だが、アメリカの女性は面接でも実力のある人は足組をするものだ。

実力のあるものは堂々としていなければならない。

日本のテレビでは見せたことのない堂々たる姿の動画がある。

 

www.youtube.com ABC News (Australia) 2011/03/15 に公開

Nakabayashi: Japan depends upon nuclear power

 

しかも、人情の機微に通じる人柄。

 

安倍総理、早く三顧の礼で迎えてくだされ。

中林氏がプライマリーバランスに対しての考察が進んでいることを祈りたい。

わたしが心配するのはここだけです。

 

  


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