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原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

トランプ大統領就任演説の基底にある価値観は、「国家ではなく、国民にとっての安全保障」である

トランプ大統領

【全文】トランプ大統領就任演説「今日、この日から、アメリカ第一のみ」より引用

 

本日の式典には、とても特別な意味があります。なぜなら、ひとつの政権から別の政権へ、または、ひとつの政党から別の政党へ、単なる政権交代をしているわけではなく、ワシントンD.C.から国民である皆さんへ、政権を取り戻しているからです。

あまりにも長い間、ワシントンにいる一部の人たちだけが、政府から利益や恩恵を受けてきました。その代償を払ったのは国民です。ワシントンは繁栄しましたが、国民はその富を共有できませんでした。政治家は潤いましたが、職は失われ、工場は閉鎖されました。権力層は自分たちを守りましたが、アメリカ市民を守りませんでした。彼らの勝利は、皆さんの勝利ではありませんでした。彼らは首都ワシントンで祝福しましたが、アメリカ全土で苦しんでいる家族への祝福は、ほとんどありませんでした。

すべての変革は、この場所から始まります。今、ここで始まっているのです。なぜなら、この瞬間は皆さんの瞬間だからです。皆さんのものです。今日、ここに集まっている皆さん、アメリカ中でこれを見ている皆さんのものです。今日という日は、皆さんの1日なのです。これは皆さんの式典です。そして、このアメリカ合衆国は、皆さんの国なのです。

 

本当に大切なことは、どの党が政権を握るかということではなく、政府が国民により統治されることです。2017年1月20日は、国民がこの国の治める日として、これからずっと記憶に刻まれるでしょう。この国の忘れ去られた人々は、もう忘れ去られることはありません。誰もが皆さんに耳を傾けています。何千万の人々が、歴史的な運動に参加しています。

今まで世界が見たことのない動きが起きています。この動向の中心にあるのは、とても強い信念です。それは、国は国民に奉仕するために存在しているということです。アメリカ国民は、子供たちのために素晴らしい学校を望んでいます。また、家族のために安全を、自分自身のために良い仕事を望んでいます。正しい人々、そして、正しい国民がそう望むのは正当で、当然のことです。

 

 かって、国家の脅威や、さらに遡ってみれば、君主の脅威が取りざたされることは度々あったが、

では個人はどうであっただろうか?

単に国家権力によって国民が抑圧されているという指摘はあったかもしれない。

だが、国民こそが主人であるという主張はほとんどなされては来なかった

東洋では天意を受けているとされる天子である君主が、民意(国民至福のニーズ)の中に

その天意を見出すべしという思想があった。

これは、大衆迎合するオプティミズムではなく、

天が憐れむ国民を主人として生活できるように、協助支援せよということである。

わが国では「民意」という言葉が「天意」との関係性の中で理解され使われていることは、ほとんどない。

そうすれば、単なる個人主義やエゴイズムの弊害を招く結果にならざるを得ない。

勿論この儒教思想はまだ萌芽の段階でしかなかった。

だが、天意は民意とは、大衆迎合主義ではない。

天の御心にそった万民の幸せに標準を合わせよということである。

トランプの大統領就任演説は、

儒教キリスト教に置き換えてみれば

まさに、「神意は民意にある」ということになろう。

 

このようなムーヴメントが誕生してきた背景には

2012年7月25日から8月3日まで行われてきた

文国進様による「自由社会」の全米8か所の公演が霊的素地を整えてきたものであろうと思われる。

自由社会については、以下の講演に詳しい。

www.youtube.com

「国民は国家(政府)の奴隷ではなく、むしろ国家の主人である。国家は主人である国民に仕えなければならない」という自由社会の命題を掲げて全米公演を行われてきた。

天一憲法も同様な価値観の下に宣言された。

したがって何人も天一憲法を理解するためには、まず「自由社会」とは何かを理解しなければならない。

そして、天一憲法とは、「国家ではなく国民にとっての安全保障」を担保するものである。

 

安全保障については以下のサイトがコンパクトにまとめておられるので引用する。

Securitygirl.net What is Security

 

安全保障とは

安全保障の定義

「安全保障」とは、国家・国民の安全を他国からの攻撃や侵略などの脅威から守ること、というのがその定義ということになっています。しかしその定義の中の「国家」「安全」「脅威」という概念自体の変化とともに、「安全保障」の中身も時代と共に変遷してきました。

 

何を守るのか

たとえば、何を脅威から守るのか、安全保障の対象について見てみると、それが現在の「国家」になったのはもちろん「国家」という概念、そして国家が主体となって形成する「国際社会」が出来上がってからです。ということは少なくとも1648年ウェストファリア条約(ヨーロッパの30年戦争の終結)以降ということになります。それまでは「都市」の安全保障だったり、「君主」の安全や利益の保護だったわけです。マキャベリの『君主論』(1513年執筆)は当時君主の安全・利益拡大がいかに重要だったかをあらわしています。さらに、国家が自分の国家体制のみならず「国民」の安全を守るということになると、本当にここ数百年の新しい概念なのです。今でも統治者が自分の利益を「国家」の利益と重複させ、国民の安全より優先することが、特に発展途上国においては度々見受けられます。逆に、ヨーロッパのように地域共同体を形成し、地域全体の安全保障を目指す考え方も生まれました。こういった現実を鑑みると、定義にあるような「国家・国民」という狭い概念で考えるべきではないかもしれません。

 

何から守るのか

「脅威」や「安全」の概念も時代と共に変化してきました。長い長い歴史の中で、人間や国家にとっての脅威は、自然災害、伝染病、そして武力だったといえます。そこで、自然災害や伝染病からの安全が安全保障には含まれています。例えば、アフリカで猛威をふるうHIVエイズ)への対抗策は重要な安全保障の一側面です。しかし、それと同時に、ホッブスの『レァイアサン』にも書かれてあるように、戦争を行うこと、つまり武力に訴えて自国の利益を伸展させること(例えば、権力の拡大(政治的動機)、資源や肥沃な土地を求めての領土拡大(経済的動機)など)は国家や君主の権利の一つであると考えられてきたことから、他国からの武力・軍事的脅威に対して、政治的工作や軍事力で対抗し、自らの利益を守る必要性がありました。そこで、安全保障といえば、主に軍事的脅威からの安全と利益の保障を意味するようになりました。その方法としては、外交・政治上での交渉・立ち回り、国土の防衛、もしくは先制的な積極的対外侵略(帝国主義時代のヨーロッパや日本)などがあげられます。

 

現代の安全保障

今日でも、安全保障政策といえば、軍事的脅威からの安全の保障方法が通常考察されます。冷戦中の米ソの軍拡競争、湾岸戦争、インド・パキスタン核兵器配備、アフガニスタン空爆などを見ても、各国にとって安全保障の軍事的側面が現在もいかに重視されているかがわかります。しかし、一世紀ほど前から、「経済的目的を果たすのに軍事力に頼るのはいけない」「他国を侵略してはいけない」というルール作りの努力が始まり、特に第二次世界大戦後は、武力に頼らなくても自由貿易によって経済的利益を得ることに成功したこともあって、軍事力を使って国家の利益を追求することが、主要国の間でタブーとなってきました。その結果、国家が対面する軍事的脅威が減ったと同時に、軍事力という手段を使わずに食糧やエネルギーをどう確保するか、という対外経済政策が、積極的な対外侵略政策に代わって重要になってきたわけです。

国際社会の様相が変化するにしたがって、安全保障も変わり続けています。例えば、伝統的に戦争といえば国家同士の争いを意味したのに対し、第二次世界大戦以来、特に冷戦終結以来、国同士の戦争よりも、国内紛争、民族・宗教紛争の数の増加が問題となってきました。そこでは多くの場合貧困や人権迫害などが紛争の要因となっていることから、武力対立が起こる以前の状況改善努力の必要性が認識され、「予防外交」という言葉が生まれました。一方で、グローバリゼーションの一側面として、大規模な国際的テロリズムが可能になり、国家にとっての新しい軍事的脅威も増えはじめています。また、国家や戦争という観点ではなく、人間一人一人の安全に注目した、「人間の安全保障」という言葉も新しく生まれました。麻薬、エイズ、貧困、迫害など個人個人が対面している脅威に対して、国際社会が協力して立ち向かおうという動きです。

というわけで、安全保障について学ぶ、と一言でいっても、現在では軍事、防衛、外交、国際政治、国際経済政策、開発、人権など色々な意味を含むわけです。このサイトでは、国際政治や防衛、紛争予防政策をとりあげます。

 

 

 

以上のような安全保障の概念の推移を踏まえながら、トランプ大統領の就任演説を振り返ってみれば、トランプ大統領の真意がマスコミによるバッシングによって見失われそうになっていることは、嘆かわしいことである。

彼が戦っていることは、マスコミが取り上げているような表層的なことではない。

人間存在の本質に関する自由と責任についてであり、国民が真の自由と責任を勝ち取ることによって、国家の奴隷ではなく国家の主人になるなろうと呼びかけるものである。

 

1917年、ドイツにおいてマルチン・ルターは95か条の議題を教会に提示したことは有名である。教会が堕落し、信徒を奴隷のように隷属させている情況から、霊的神の国の主人として解放される道を切り開くことにつながっていった。

 

宗教改革「教会ではなく、霊的神の国の信徒の安全保障」であった。

トランプ革命とは何か?

「国家の政治的安全保障ではなく、

国家内における国民のための安全保障である」

 

この意味において、トランプは画期的なことをしようとしている挑戦者であり、

パス・ファインダーである。

我々は誰しも、この彼の意図に貢献すべきであろう!

 

 


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