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原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

原理講論や原理本体論に反する韓鶴子オモニ無原罪独生女神学の反乱

 

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天一国宣布式(天一国元年1月13日)

 

「天の父母様にお告げいたします

国号を天一国と定め

国花は薔薇と百合に

国鳥は鶴とし

天一国旗と天一国国歌を

天の前に奉呈致しました

本日、2013年1月13日を期し

天一国元年を宣布致します」

 

「お告げいたします」とか

「奉呈致しました』

という表現はそもそも謙譲語ですから、

権能の杖を握って「われは絶対権力なり」という出で立ちでは

決して神の前に立つ者はありません。

 

奉呈している者の方が

奉呈されている神様よりずっと偉くなってしまいます。

たいへん不謹慎で不自然な光景でした。

 

堕落エバにはやってはいけないと言われたことを

破ってしまう性質があるようです。

 

自分の魂のことで思い悩むな」

マタイによる福音書6章25節

 

「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分のいのちを救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」

マルコによる福音書8章34〜35節

 

魂もいのちも「プシュケー」という語が使われているということです。

 

ギリシャ神話には「アモールとプシュケー」という話があります。

ギリシャ神話|エロースとプシュケー1

失楽園のエバも、ギリシャ神話に出てくるプシュケーも

共に、やってはならないとされたことをしてしまうのです。

戒めを破りました。

プシュケーは一度ならず懲りずに二度も破ります。

 

前者でイエス様が使われている「プシュケー」は

我々の言う「肉心」でしょうか。

後者の引用では、肉心と生心との両方をかけているようです。

 

性相的男性格主体と形状的対象格女性

天と地ですね。

生心と肉心。

これを転倒させて

地天邪教をオモニは始めました。

「独生女」を語る語気の強いこと!

 

 

vimeo.com

 

  神様は男性格主体なので、女性を先惟し、男性をつくりました。女性を先惟したという話は、その女性に合うように男性をつくったという話です。神様はエバのものが凹だという事実を先に知っていらっしゃったので、凹に合うようにアダムを凸としてつくったのです。アダムの凸は、父なる神の凸に似たのです。

 本陽性と本陰性の中和的統一体としていらっしゃる神様は、格位で見るときは、男性格主体です。それで神様を父と呼ぶのです。

 ところで、解放神学を主張する南米の女性神学者は「なぜ神様が父なのか」と問題を提起しながら「神様は母だ」と主張します。創世記1章27節のみ言(神は自分のかたちに人を創造され、男と女とに創造された)のとおり、「神様の形のとおり男と女として創造したのに、なぜ神様を父とだけ呼ぶのか、母と呼ぼう」という主張です。それは原理が分からなければ、理解できない内容です。根本を問い詰めるなら、神様は父だけでもなく、母だけでもありません。神様は父の性禀と母の性禀をすべてもっている私達の父母です。

 神様は、本陽性と本陰性の中和的統一体としていらっしゃる「絶対性」の本体であり、すべての陽性と陰性の主体なので、格位で見れば、男性格主体になります。それで神様を「父」というのです。神様という単語には、「絶対性」の男性格主体という意味が含まれていると同時に、わたしの父、わたしの父母という意味が含まれています。

 主体という言葉は、対象を念頭において使う言葉です。心が主体ならば、体は対象です。同じように、男性が主体ならば、女性は対象です。今後、男性と女性の秩序は、ここから立てられます。したがって、主体と対象という言葉は非常に重要です。神様の形状に従ってつくられた被造世界はすべて神様に似たので、主体と対象の秩序と法則の中で運行されます。

原理本体論 第一章 創造原理 P83〜84

 

 

動画にもあるように、基元節にお父様の王冠を隠して平気なオモニは、

かっての創造本然のエバではありません。

もし、お父様の王冠がないのなら、対象格位の者がどうして自分だけかぶることができましょうか?

お父様のみ言葉を誰よりも生命視するのが、対象の本分です。 

 

陽性と陰性とは、内外、原因と結果、主体と対象、または縦と横との相対的関係をもっている。神が男性であるアダムの肋骨を取って、その対象としての女性であるエバを創造されたと記録してある理由もここにあるのである(創二・22)。我々はここにおいて、神における陽性と陰性とを、各々男性と女性と称するのである。

 

お父様のなる心情をに表し

お父様のみ言葉を原因として尋ね、照らし合わせながら、

その結果としてみ言葉を語り、

主体であるお父様を対象として証し侍り

縦的な絶対「性」の絶対精子創造性

横的な絶対「性」の絶対卵子繁殖性

そっくりそのまま善の繁殖を展開するのが

真の母の位相です。

アボジの創造性、すなわち心情文化を

オモニの繁殖性で、そっくりそのまま地に満たさなければならないというのです。

 

アボジに似ない子女には祝福がもたらされません。

ヤコブの子供たちがどうだったでしょうか?

妻が葛藤をもって産んだ子供は、神のみ心に適いませんでした。

 

アボジに葛藤し、敵愾心、復讐心さえ抱いて

偽の祝福は展開されて来ました。

だが、その祝福は決して神の祝福を得ることはできません。

神でなければ、誰が彼らを祝福するというのでしょうか?

サタンが祝福するというのです。

このことを家庭連合の皆さんは知らなければなりません。

 

韓氏オモニが予定された基元節以降に実行されてきたことは

天地をひっくり返す大罪でした。

天地の秩序の基である真の家庭の秩序を爆破してしまわれました。

サタンに魂を売ってしまわれ

天地倒錯心を抱いて天地転倒罪を推進しました。

 

韓鶴子オモニはアボジのみ言葉を引用したり

我々にアボジのみ言葉を思い起こすよう喚起したりすることはありません。

アボジを縦的に軸にするのではなく

自分の考えを横的に軸にします。

どうしてアボジと一体化していると嘯くことができましょうか?

 

このまま

世界はエバの主管性転倒に始まり

韓鶴子オモニの主管性転倒で終わるのでしょうか?

 

 否、サンクチュアリ3000双が

天の秩序の伝統を築いて行きます。

 

 

最後の将軍徳川慶喜は、自分は、じつは、十三代将軍家定のお世継ぎになるのを嫌っていたと後に述べているが、その理由として、

「老女は実に恐るべき者にて実際老中以上の権力あり」ということをあげている のである。

 予がかく御養君となることを嫌いしは、当時の幕府は既に衰亡の兆を露わせるのみな

 らず、大奥の情態を見るに、老女は実に恐るべき者にて実際老中以上の権力あり、ほ

 ほとんど改革の手を著くべからず。これを引き受くるも、とうてい立ち直し見込み立

 たざりしによれり。

関口すみ子著 「御一新とジェンダー」より

 

御一新とジェンダー―荻生徂徠から教育勅語まで

御一新とジェンダー―荻生徂徠から教育勅語まで

 

 

 

 「大奥の妻ほど埒もなき者はなし」 荻生徂徠

 

 

 


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