原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

古の人は 天のみを相手にしたという

 

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韓流ドラマ「許浚」で、主人公が幼少の時に書堂の先生から

「誰かこの言葉を知っておるか」というやり取りがあり(17分位から)

許浚が「童蒙先習」(蒙昧な子どもたちが先ず倣うべきこと)に書かれていることばかりか、「明心宝鑑」の言葉をも知っているのかと先生に感心されたシーンがあった。

 以下はドラマで許浚が答えた文章ではないが、心に残る明心宝鑑の言葉です。

漢文の素養がないので誤訳であればご指摘くだされば幸いです。

 

康節邵先生曰、

天聴寂無音、

蒼々何処尋、

非高亦非遠、

都只在人心。

(明心宝鑑 天命篇)

 

康節邵先生曰く、

天に聴くも寂として音は無し

蒼々として何処にか尋ねん

高からず亦遠からず

都(すべ)ては人の心にあり

 

康節邵先生はおっしゃった。

天に聴くも 静寂ばかりが広がっている

蒼々と澄み渡るばかりで 何処に求めたらよいのだろうか?

それは高い処でも 遠い処でもない

すべてはただ人の心にある

 

玄帝垂訓、

人間私語、

天聴若雷。

暗室欺心、

神目如雷。

(明心宝鑑 天命篇)

 

玄帝訓を垂れ、

人間の私語にも、

天聴は雷の如く

暗室の欺心にも、

神目は雷の如し。

 

玄帝は訓示を垂れた。

人間の話す密かな話も

天は雷が轟くように聴き取り

部屋に隠れて企む欺きも

神の目は雷の如く素早く見逃さない。

 

子曰、

獲罪於天

無所祷也。

(明心宝鑑 天命篇)

 

子曰わく、

罪を天に獲れば、

祷る所は無き也。

 

先生はおっしゃった、

罪を天に蓄えてしまえば、

祈祷する所なぞ何処にあるだろうか。

 

 

 懐かしい 文鮮明恵師

 

 先生が来られたという声に

多くの弟子たちは一斉に駆け寄って行く

遠く一人立ち尽くし 騒然とした中 厳かに敬拝を捧げる

碧天に昇りゆく祈りのように

一心に仕えさせ給え

一言のお言葉も

一瞬の眼差しも

一枚の思いやりも入りません

地においては遥かにあなたを敬慕し

天においても 宮城の彼方から 御多幸を知り

妻とともに ただその大恩を胸に抱かせてください

 

  


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