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原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

訓読のための「孝経要約」

先回ご紹介した竹内弘行氏による「孝経」を基本に

できるだけ要点を簡潔に圧縮してみました。

将来、孫を教育できる機会があれば、一緒に訓読暗唱しようと思います。

今後さらに簡明にこなれた文章にできればと思っています。

諫争の章の内容だけは、ほぼ竹内氏の文章に一応とどめております。

今後は「小学」「大学」「論語」「孟子」「荀子」「莊子」などや

「童蒙先習」「明心宝鑑」などから子女教育の内容を求め、

できれば統合できないかと思っています。

若い時に感心した教育勅語を今見てみますと、

まだまだ実践的ではないように思われました。

文章の長さの制限がありますから止むを得なかったのかもしれません。

 

 

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<孝経要約>

 

父母から頂いた大切な身体を傷つけることなく

父母から頂いた高邁な気概を失うことないよう心がけることが

孝行の初めであり

世に出て君主に仕えることを通して

身を立て名を上げて親を証して孝行は終わる。

 

親を愛する者は、決して他人を憎まない。

親を敬するものは、決して他人を侮らない。

人の上に立って驕らず

節制倹約に努め慎重に振る舞う。

身だしなみを整え、言葉と振る舞いに恥なし。

 

父子の関係は天道の基礎、

孝心は敬に始まる。

父に仕えるその心で母にも仕え

父に仕えるその心で君に仕える。

孝心で君に仕えれば忠となり

孝心で目上に仕えれば順となる。

こうして爵位俸禄は保たれ

天父と先祖の祭祀を保持し得る。

 

孝行は天の縦軸である経であり

孝行は地の我を羊の燔祭とする義であり

孝行は行動軌道である。

人々に敬意を払い謙譲を忘れなければ

格別厳格にしなくとも感化され争いはなくなる。

 

 聖王は孝をもとにして天下を治め

相手の身分の貴賎を問わず

軽んじることはない。

人々の歓喜の心服を得て

親は孝心によって安心に生き

死んで祖霊となって大切に祀られる。

 

孝行の中で父の尊厳を求め

父を天に配置して祭るより大切なことはない。

父子の道は、天性のものであり、

愛や敬の方向付けを得て君臣関係の正義に通じる。

父母が子を生み育てる心情の相伝の道に勝るものはなく

父君が親しく子に注ぐ愛情への厚い恩義もまた然りである。

 

自分の親を愛さないで、他人を愛する者は、

人としての徳にもとる「悖徳」(はいとく)といい、

自分の親を敬わないで、他人を敬う者は、

人としての礼にもとる「悖礼」(はいれい)という。

正しい良心に従順であれば、人々の手本となり

善行によらなければ、みな徳行にもとる「凶徳」である。

 

一時の地位に執着することのない有徳の君子は

口に出す言葉を吟味し、相手に喜ばれる振る舞いを心がける。

そうした徳義が尊重され、そうした事業が手本とされ、

そうした威儀が注目され、そうした動静が実体の法度とされるのである。

 

親孝行ができる者は、

人の上に立って傲慢にならず、

人の下になっても秩序をみだすことはせず、

人々の中にあっても、徒に競い合うこともない。

人の上に立って傲慢ならば、その地位を失い、

人の下に立って秩序を乱せば、処罰は免れず

人々の中で徒に競い合えば、傷つけ合うばかりである。

 

言葉ではなく実体で示し教えることが重要である。

礼儀というのは、敬意がすべてである。

一人が敬意を払えば、善の繁殖を成して万民が喜び従う。

父が敬意を払ってもらえば子らは喜び従い

兄が敬意を払ってもらえば弟らは喜び従い、

君上が敬意を払ってもらえば 臣下らは喜び従う。

 

孝行によって天下に人の父たる者を敬う伝統を立て

悌行によって天下に人の兄たる者を敬う伝統を立て

忠誠によって天下に君主たる者を敬う伝統を立てる。

「至徳」の孝を掲げて実行するのでなければ

どうして多くの人に善の感化を行き渡らせることができようか。

 

 君子が親に仕えてよく孝行を尽くす

しかる後に、この孝行を応用して忠義として君主に仕えることができる。

君子が兄に仕えてよく悌行を尽くす

しかる後に、この悌行を応用して従順に目上の人に仕えることができる。

君子が家に居てよく家を治める、

しかる後に、この家治を応用して仕官としてよく世を治めることができる。

内から外に、内なる家庭の敬意が満ちて後、外なる世の治績は成就される。

 

むかし、天子には、無道な命令に従わず諌め争う大臣が七人いたので、

天子が無道な振る舞いに及んでも、天下を失うには至らなかった。

諸侯には、無道な命令に従わずに諌め争う家臣が五人いたので、

諸侯が無道な振る舞いに及んでも、その封国を失うには至らなかった。

大夫には、無道な命令に従わずに諌め争う私臣が三人いたので、

大夫が無道な振る舞いに及んでも、その家系を途絶えさせるには至らなかった。

士人には、無道に追随せずに諌め争う友人がいたので、

その身が世間の善い評判を受けつづけられた。

父親には、過失を諌め争う子がいたので、

その身が不義におちいるようなことはなかった。

それ故に、父親や君主に不義不正があったならば、

子はしっかりと父親に対して諌め争わなければならないし、

臣はしっかりと君主に対して諌め争わなければならない。

ゆえに、不義不正があったならば、しっかりと諌め争うのだ。

子が万事につき、父の命令に従うことが、どうしてまた孝行だなどと言えようか。

 

昔、明徳のある王は、父に仕えてよく孝行し、

それ故に天に仕えて天の動向をも明知していた。 

母に仕えてよく孝行し、

それ故に地に仕えて地の情勢をも洞察していた。

家族内の長幼の順をよく守り、

社会に出ても上下の秩序が整い治績があがった。

天の動向と地の情勢が、よく明察できれば、

神示が現れる。

天子といえども、尊敬する人はいる。

それは諸父である。

先に生まれた諸兄もいる。

宗廟に祖先を祭って敬意を尽くすのは、

親を忘れないからである。

自己の身を修め行動を慎むのは、

先祖の名声と功績を汚さないかと恐れるからである。

宗廟に先祖を祭って敬意を尽くせば、

祖霊がそれに感応して顕れ、福祐をもたらしてくれるのだ。

つまり、孝悌の至情は、天地神霊に通じて、

世界の海の果てまでも、遍く威光は行き渡る。

 

君子、主君に仕えるに御前に進み出ては忠義を尽くそうとし

私室に退出しては、自身の過失を補おうと思う。

主君の美点は、倣い行うようにし、

悪しき点は、正して救うようにする。

主上下は互いに親しみはじめて治績はあがる。

 

 

 

 

 


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