御聖体の件は、天正宮の地下にガラス張りで安置されていたところから、天正宮の外に移されたことを、もっと別のところに移されたのかもしれないという疑念があったようです。
つまり、家庭連合においても、桜井夫人だけではなく多くの食口が教会の行事などを見て不自然に考えているからなのでしょう。
大母様を祀るのは毎年盛大に行われ、お父様のご家族やご親戚には知らぬ顔、韓氏と韓氏の歴史を誇ることは常になり、その帰結として独生女の誕生に至るわけです。
文氏の扱いが希薄になり、お父様の扱いも重きを置かなくなりました。
家庭連合の食口の話では真の父母経はお母様絶賛経だと言います。
途中で読めなくなったと言います。
お墓が天正宮の建物から外に出されたという話だけで、侍墓精誠のニュースの動画で見た場所とは変わりがないということでした。
大変お騒がせいたしました。
お詫びいたします。
私自身がお父様の御聖体の位置にこだわるのは、天正宮はサタンの巣窟と化し、もはやソロモンの神殿のように破壊されるべきものだと思うからです。
バビロンのネブカドネザル王にゼデキヤ王とユダ国の民は捕らえられ連れられて行きます。
天正宮とそこにいる食口の未来も同様に不幸な結末を迎える道を突き進んでいます。
アメリカは復活しつつありますが、残りの摂理国家は混迷を続けています。
審判の対象であることには、未だ変わりがありません。
韓国にいる食口のことが心配でなりません。
中国が南沙諸島⇒尖閣列島⇒沖縄というラインで公海での覇権を狙い、自由貿易の基礎である航行の自由を奪う暴挙にでることが容易に考えられますから、生命線ですね。
さて、松崎氏はやはりローハイドを歌って全国を神山会長と回った人のようですね。
コメントをいただいて思うことは、いくらアメリカ滞在が長いとはいえ、少し身振り手振りが大きくはないかと感じました。
まるでリアクション芸人の出川みたいですから。
当時、神山会長と松崎氏の講演は「それにしても軽いなあ。」と感じた日本食口は多かったのではないでしょうか?
松崎氏が長年神山氏と行動を共にして、神山氏の課題について指摘され悔い改めてほしいということはわかりましたが、今年私たちが驚かされたことは、尊敬していた先輩方の姿の「軽さ」です。
節子夫人は78歳だからとお話しされていますが、同世代の方たちが家庭連合の主力部隊なのです。その方たちは大した役職ではない方たちです。
統一家の天下の一大事の時に、言い訳ではなく、小池知事のように自分にできることを考え、実行すべきでしょう。
見えなかった問題点を見える化するよう尽力すべきではありませんか?
節子夫人にできないことを強要したいと思う人がいるでしょうか?
できることから始めてくださいと願うでしょう.
昔の人は、知行合一といって、判断と行動は一つで完成するとしました。
心身一体だと。
そうでないことは、不誠実だと考えました。
節子夫人は正実さんが日本全国を回って、天の意思を伝えようと歩んだ甲斐もなく、大した収穫もなかったことを、母の心で不憫に思い、何かをしてあげたい気持ちがあることは当然でしょう。
だが、
その心は私的な母の心でしょうか?
それとも公的な母の心でしょうか?
もしここに神を自分の子供より愛する若者がいれば
その人こそ私の子供です。
お父様は価値のないろくでもない私に対して
立派な子女様を差し置いて父として接してくださいました。
これが統一家の伝統です。
自分の子供が誰よりも天を愛したいというのであれば
その子を愛し、
食口の子供が誰よりも天を愛したいというのであれば
自分の子供を差し置いて
その子を愛したい。
それが父が生きて教育してくださった精神でした。
正実さんは、これからの二世を引っ張っていってほしい頼もしい人材です。
もし一年間日本中を回って成果が得られなかったときに
天の桜井先生に代わって話すことがあるとすれば何なのでしょうか?
大学時代にお父様の博打はいいねという話を伝え聞きました。
博打の何がいいのでしょうか?
メシアだというのに?
お父様は、博打に負けてすってんてんになり万事休すになった特に
胸にこみあげてくる、なにくそこれからだといいう心情がいいのだと。
汲めども尽きないように、限りなく溢れてくるのがいいんだと言います。
男として無一文になりすっからかんになっているにもかかわらず
希望にあふれる心情がこみ上げてくる
その感覚がいいのだと。
お父様こそ男の中の男でした。
同時代に生きて本物の男に会えて我々は本当に幸せです。
さて、この現役世代が引退した後、資金繰りがうまくいかなくなるだろうと多くの信徒は考えています。無駄な固定費が多いばかりか、オモニは箱ものが大好きです。
現在、家庭連合の主力部隊は70代と80代の夫人が占める割合が多いものと思われます。その方々は私のかって所属した教会などでは、ほとんど天地正教出身者です。
草創期から統一家では献身することによって貢献してきましたが、
現在は、在家信仰で献金によって貢献する形態に変わってきました。
その変化の中で、一番失われてきたものが、新約の信仰だと思います。
悔い改めと感謝と頌栄です。
私自身は、女性紳である聖霊の役事は、基本的には新約の勝利的心霊基準を継承するまで必要であり。成約の心霊圏に至ってからは必要ないと思っています。
お父様のみ言葉からも確認できると思います。
そのことはまた別の機会に書きたいと思います。
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