読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

松崎裕史氏はモーセが十戒の石板を投げ捨てて十字架の道をつくったという 天聖経の8割を投げ捨てたオモニは誰を十字架に架けたのか?

www.youtube.com

家庭連合の動画ですが、

Shizuka Mayrさんからのレポートです。

わたしはブログ記事をあまり読みませんので、貴重な動画の証があることを知りませんでした。

そこで、Shizuka Mayrさんから連絡がございました。

すでに700人ぐらいは見ているようですね。

 

神山氏の要求された刑期の合計は、神山氏によれば45年だといいますが、実際服役したのは4か月と11日だったそうです。

(聞き取り間違えかもしれません。そんなに短かかったかな?)

お父様は1年6か月の求刑でしたが、13か月でした。

(1984年7月20日~1985年8月20日)

このことは本当に異常です。

実際には神山氏の方がはるかに求刑が大きかったのです。

 

松崎氏はお母様の当時の言葉を語っています。

「神山氏は私に謝らなければならない」

 

そして、ダンベリーから出監した神山氏をもって

「これで神山を許す」

 

本人の信仰姿勢・心情問題は松崎氏のお話でどうぞ。

ただ、メシアの裁判なのにろくでもない弁護士を用意しました。

国家権力と戦うのにです。

 

その辺の事情が分かります。

神山氏のことが出てきますが、私はタイトルにあるように、松崎裕史氏が

何故、神山氏の信仰を判断する基準を同様にオモニには用いないのか不思議に思います。

 

松崎裕史氏に証は大変示唆に富んだものですが、何故亨進様の存在に意識がいかなかったのでしょうか?

亨進様が頭を丸められた時点から

「いよいよ子女様の中に、本格的に修行を始められる方が現れた。」と。

メシアの降臨のごとく、何故胸躍らせることがなかったのでしょうか?

 

三大王権の完成時には、食口に対して、お父様と同じように代身者・相続者である二代目の中心人物に侍ることができるかという審判があります。

また、三代目の長孫にたいしても同様な審判があります。

これを食口が受け入れることができないと、三大王権は成立しません。

食口なら誰もが感じ取るべきでしょう。

 

オモニは十戒ではなく天の父に捧げられ「億千世」に伝えられるべきみ言葉を投げ捨てられたのです。

 

未確認ですが、若いころモーセは神からみ言葉を与えられる前に自分でみ言葉を書いたので、十戒の石板を投げてることができたという話がありました。

ヨハネ先生?のお話だったかもしれません。

そうであれば、自分が考えた神様の言葉なので、不信仰の民に投げつけることができたということになります。

 

オモニも、もしアボジを神の人ではなく、ひとりの人間と見たとすれば、8割のみ言葉を「私は神です。絶対権力です。」と自認して捨てることができたということでしょうか?

 

それにしても、このような神山氏の動機を正した立派な食口が亨進様と国進様の御そばに現在いないということは、どうしてなのでしょうか?

 

Shizuka Mayrさん、

ありがとうございました。

 


にほんブログ村

 応援して下さる方は上のロゴをクリックして下さい。