かって巨文島にお父様が文家のお墓を移そうとされたときにオモニが反対したという話があったという。
いったいどのような理由で反対したのかまでは聞こえてはこない。
ただ、このようなみ言葉があるという。
「巨文島」というのは、「巨文道(大きな文氏の道)」ということです。
巨文島は「逃避城(逃れの町)」と同じであり、避難所のような場所が巨文島の天正宮博物館です。いくら罪があっても、そこでは赦しを受けられるのです。ですから、そこに天正宮博物館をきちんと建てなければなりません。(2007年11月13日 イーストガーデン 訓読会にて)
もう一つの天正宮を造ったのでもなく、分宮を造ったのでもなく、そこに神様が、また実体の神様が清平から「逃れて避難」しなければならず、ご先祖やご家族のお墓まで移動しなければならないほどの事情があったというのです。
普通に考えれば、清平の天正宮にサタンが侵入したからだということになります。
2007年には
5月1日に、2013年6月16日までにお母様が完成しなければならないとされ、
5月13日にも、2013年1月6日までにお母様を中心に顕進様と国進様のカイン・アベル一体化勝利を願われました。
12月には、韓国大統領選挙がありましたが、お父様が韓国大統領選に立候補するように言われた郭先生がこれを拒んで空しく神の日を迎えることになりました。
www.youtube.com 2008.3.14天正宮訓読会
2008年3月17日には、ついに孝進様が聖和されることになりました。
さて、オモニはお父様の御聖体を移動されたようです。
いったい何のためでしょうか?
清平のどこに移したのでしょうか?
お父様が安置されている付近は、神の審判を逃れてきました。
もし、御聖体が天正宮から充分離れれば、この限りではなくなることでしょう。
天正宮博物館はソロモンの宮殿のように神の審判を受けるのでしょうか?
とにかく、いったいどこに移されたというのでしょうか?
<追記>
碑の間違いではないかという方もおられます。
どなたかご存知の方はおられますか?
6月には以下のような話があったのですが
定州公園墓苑にお父様の頌徳碑(しょうとくひ)が建つまでの裏話 - シャボン玉のブログ
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